La France Ensemble (豊橋日仏サロン)】

   《現地報告》3:パリから(水野昭彦さん)

   
《尋ね人とプチ・ホテルを探す旅》 2007.1.25−2.1

 久しぶりのパリである。今回は、かつて常宿にしていたホテルSlaviaがCloseしてし
まい、お世話になったオーナー・Sauretさんご夫妻を探すことと、今後の為のプチ・ホ
テル探しをテーマに出掛けた。
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1/27(土)
 言葉が十分に話せないところで人を捜すことはそう簡単ではない。どうしたら探せる
だろうか、いろいろ考えてみた。Sauretさんとの話を思い出しながら、次の3点に絞った。
 (1)ホテルSlaviaを改装し、別の人が名前を変えて営業を始めたと聞
    いていたので、そのホテルを訪ねる
 (2)彼らが良く利用したと言っていた近くのレストランを訪ねる
 (3)ホテルの筋迎えのパン屋さんからホテルの朝食用のパンを買っていたと聞いて
    いたので、そのパン屋さんを訪ねる
 前日に電話で予約を入れてまずレストランに出掛ける。"Au Petit Marguery"(地下鉄
7号線・Les Gobelins)私たちも以前ここで食事をしたことがあるので店の雰囲気は知っ
ていた。席は土地のご高齢の方達でほぼ一杯であった。
 ウェイターさんがメニューを持ってきてくれた。10年前はメニューを見てもさっぱり解
らず、近くの人の食べている皿を見て、『
アレ!』と言っていたのだが、今回、よく見て
いると何となく解る。長々と書いてある料理名の中にそれぞれ一つぐらい分かる単語が
ある。それで大体のところ想像ができるのだ。しかも、日本のレストランと違ってウェイ
ターさんはなかなか注文を取りにやってこない。忘れられたのではないかと思う位して
から来てくれる。慣れない私たちには誠に好都合である。
  
【前菜】ホアグラ・テリーヌとラビオリ(手前) 【メイン】牛肉(左)と鴨肉(右):どちらも赤ワインソース〜美味!

 このレストランはかなりの老舗で、☆は無いがミシュラン赤本にも載っている。何より
いつも近所のご高齢の人達で混んでいることが嬉しい。勿論、味は保証付き。昼食23
ユーロ(1人・2皿・デザートはなし)、赤ワイン11ユーロ(半サイズ)
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 1時間半程の食事の後、おもむろに書きものをバッグから取り出し、ウェイターさんを
呼ぶ。
"Je cherche un homme."(私は人を探しています)彼は、私が言いだしたことをちょっ
と怪訝な顔で聞いていた。そして、私は用意した紙を見ながら、
「5〜6年前までマーセル通りにホテル・スラヴィアのあったことを知っているか?」とか
「私たちはそのホテルに何度となく泊まったことがある。」とか「今はスラヴィアがなくな
ってしまい、ソーレさんご夫妻を探している。」と言ったことを、片言のフランス語で尋ね
た。すると、『スラヴィアが無くなった?何故だ?』という質問が帰ってきた。『こっちが
聞きたいヨー!』そのウェイターさん、他の人にも聞いてくれたが、結局、何も判らなか
った。
「第一ラウンドは、完全にノックアウトだ。」と言ってレストランを出た。
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 第二ラウンドは、直接、ホテルに乗り込むことである。レストランから数分歩いた、地
下鉄ゴブランの駅とは丁度反対側のホテルに行った
 

"
Bonjour!"と言いながらフロントに行くと、若い気の良さそうな男の人がカウンターの
中にいた。そして、また、やおら私が準備した紙を取り出して「私たちは人を探している
のです。」と言うと、彼は怪訝そうな顔をして私たちを見た。「その紙、見せた方が良い
よ」の家内の声。慣れないフランス語でアワアワ言っているより手っ取り早い。紙を見せ
ると、彼は「ちょっと待ってください。」と言って、分厚いファイルをめくり始めた。探してく
れているのだ。私は、『どうか、手掛かりがありますように』と神にも祈る思いであった。
中程の頁をめくったその時、彼がニコッと微笑んだ。
あった!『これでしょう』と彼は、
一枚のカードを指した。そこにはSauretさんの名前、住所、電話番号が書いてあった。
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 ホテルに戻って、夜、部屋から電話をしてみた。《○△★X▼●*◎・・・・・》女性の声
が何やら何やら、例の《こちらは局ですが・・・・・》のような雰囲気。何回やっても同じこ
と。『あれっ?この局番 04・・・?おかしい、パリは確か01で始まるはず。』結局のとこ
ろあきらめざるを得なかった。(*_*)ヾ

1/28(日)
 朝食を済ませ、フロントに行く。次の手である。
「私たちは人を探しています。ここに名前と住所があります。電話番号を調べてもらえま
せんか?」例によって、紙に書いてそれを渡す。フロントにいた若い男の人は、《お易い
ご用だ》と言わぬばかりにPCを叩き始めた。しばらくすると、何と、Sauretさんの住所、
電話番号の印字された紙を渡された。
感激!"Merci beaucoup!"
部屋に戻り、家内が電話を掛ける。
"Alors! This is XXX MIzuno. Mme. Sauret?"(もしもし、こちらは水野といいますが、
マダム・ソーレさんですか?)"Aha Japonaise"(あ〜、日本の・・・・)覚えていてくれ
たようだ。家内は少し興奮気味に声が弾んでいた。それもそのはず。何年ぶりであろ
う。判った。ようやくたどり着いたのである。
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   私たちは、その日の午後、
  ソーレさん宅を訪ねた。奥様
  は丁度出掛けるところでゆっ
  くりと話はできなかったが、
  ムッシュ・ ソーレの歓待を受
  けた。彼は、私たちに家中の
  部屋を見せてくれて、その後、
  彼の家族の写真やオーヴェ
  ルニュの別荘の話しなど、い
  ろいろ話をしてくれた。私た
  ちは、彼のホテルに10年間、
  10回以上も泊まっている。
  懐かしい思い出が次々と出てくる。10年も前、8人でバステ
  
イーユのオペラ座に行った時、彼は前もって自分のクレジットカードを使って、前から数
列目の真ん中というとても良い席を全員分予約しておいてくれた。そのこともしっかり覚
えていた。
 1月のお菓子のガレットを食べながら、「私たちがオーヴェルニュのサン・フローに行
ったことがある。」と言うと、「
エエッ!?」それもそのはず、彼の別荘は、8年前の夏、
私たちがホームステイした友人宅から10Kmと離れていないのだ。これには私たちも
ビックリ。ミシュランの地図を広げて、それぞれの村の位置を確認した。本当にすぐ近く
だった。かくして、約2時間半位の訪問の帰り際、「今度はオーヴェルニュで会いましょ
う。」と奇しくも同じ思いをお互いに言いあった。また、楽しみができた。

1/30(火)
 元ホテル・スラビアの隣に、鴨肉のレストランとして知られた"Tour d'Argent"のセカン
ド・シェフが開店したレストラン"Anacreon"がある。パリ滞在最後の日の昼食に出掛け
たので紹介をしておこう。レストランなので予約をしておいた方が良いが、今回は直接
行ってみた。過去に2回ほど行ったことがあるが、今回行ってみると、内装が新しくなり
少し広くなった感じを受けた。奥の席には老夫婦が二組、私たちが案内された席の隣
はビジネスマン風の3人の中年男女の客であった。彼らの内の男女2人が、500G位
ありそうな、とてつもなく大きな牛ステーキを食べていた。「あの女の人、あれを食べる
のかなあ。」と言っていたら、見る見るうちに平らげてしまった。スゴイ!の一言。私たち
は、例によって出されたメニューをしげしげと見つめ、『アッ、子羊がある。アッ、Rognon
これは何だろう?ここでは魚よりやっぱり肉だね。』などと楽しみながら昼の定食(Menu)
の内容を決めた。

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 行き交う人々、葉の落ちた街路樹、カフェオーレのふくよかさ、8年振りのパリは何も変
わっていなかった。いつものパリが私たち夫婦を迎えてくれた。そして、尋ねた方にも会う
ことができた。「近い内にまた行こう」と家内と話している。
                                       (2007.2.10 記)

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