「それは私の夢でした」。これは私たち正派邦楽会(生田流筝曲)の初代家元が正派音楽院を
設立されたときの感動的な言葉。そんな大層な夢ではないが、この度、私も40年来の夢の一部
を実現することができた。学生時代の、「夢のまた夢」であったフランス留学の夢である。
知人の友人(仏人)がホームステイさせて下さるというので、パリに約3週間、パリの東
250kmのナンシーに5日間滞在することになった。初めは語学学校へ行こうかと思ったのだが、
娘に「今からペラペラになってどうするの?」と言われ、「それもそうね」と、旅のテーマを
「フランス文化を知る」とし、音楽、美術、アールヌーボー建築を3本の柱とした。
1.フランス文化を知る
(1)音楽:インターネットで予約したり、現地で購入して、オペラに3回、コンサートに4回、
他に教会のオルガンコンサートを聴いて歩いた。オペラ座(オペラ・ガルニエ)、オペラ・バ
スティーユだけでなく、今回、シャトレー劇場、シャンゼリゼ劇場、サル・プレイエルにも
初めて行った。フランス国立管弦楽団、パリ管弦楽団(オペラ上演時にはパリ国立オペラ座
管弦楽団と名前が変わる)の演奏はすばらしかった。シャトレー劇場で毎週日曜朝開かれる
廉価なコンサート、またオペラ・バスティーユで毎週木曜昼に開かれるパリ管弦楽団団員に
よる無料の室内楽コンサートにも行き、パリの人たちはいい機会があって羨ましいと思った。
【シャトレー劇場】 【シャンゼリゼ劇場】
(2)美術:4日間フリーのミュージアムパスを有効活用するなど、合わせて24の美術館、博物館)
を見学した。おなじみのオルセー、オランジュリー、ロダン、国立近代美術館などのほかに、
今回初めて行った所も多い。
ベルバラ好みのロココ調美術館として、
ニシム・ド・カモンド、ジャックマール・
アンドレ、コニャック・ジェー美術館を訪
れた。大富豪の邸宅とそのコレクションに
よるものだが、18世紀の貴族の館の雰囲気
で、大富豪とはかくも豪奢な生活ができる
ものかと、驚嘆。18世紀イタリア美術品を
収集したジャックマール・アンドレ美術館
など、美術品購入の年間予算がルーブル美
術館のそれを上回ったというからすごい。
【オランジュリー美術館 モネの睡蓮】
【ジャックマール・アンドレ美術館】
建築文化財博物館は中世建造物の実物大
複製が圧巻。サントシャペルの尖塔なども
間近に見ることができる。
ブルーデル美術館:80以上ものベートー
ベンの頭部、胸像を作っていたというのが
興味深かった。力強く弓を引くヘラクレス
像の習作も多数。
他に、モンパルナス美術館、装飾美術館、
ケ・ブランリー美術館、アルベール・カーン
美術館、野外彫刻博物館、進化大陳列館、
アラブ世界研究所、ワイン博物館、カルナ
ヴァレ博物館、フラゴナール博物館、アン
ヴァリッド、コンピエーニュ城(国立美術館)、ナンシー美術館、ナンシー派美術館。
(3)アールヌーボー建築: 前から建築には興味があったが、昨年娘とナンシーへ行ってアール
ヌーボーの建築に突如目覚めた。今回はその建築物を探して、パリ・ナンシー中を歩き回った。
フランスの町はどんな小路にも通り名があるので番地が分かれば見つけやすい。パリ16区の街
路を網羅したParis
Pratique(パリ区分図)という本で、通りと番地を調べ、アールヌーボー地
図に書き出して探した。パリでは20ほどのめぼしい建築物を探し当て、メトロの駅、教会など
も訪ねた。
パッシー地区の集合住宅 | セラミックホテル | ラファイエットの 吹き抜けのドーム |
メトロ ポルト・ドフィーヌ駅 |
ナンシーでは日本人のアールヌーボー探訪者が増えているせいか、アールヌーボー建築群の
きちんとした観光コース日本語版があって大助かり。2日かけて、そこに出ている建物のほと
んど、60軒ほどを廻りカメラに収めた。私だけのアールヌーボー写真集を作るつもりである。
ナンシー派美術館はおりよく第1日曜で無料だった。ただ珍しいだけだった前回とは少し違っ
た目で眺めることができた。数は少ないが珠玉の作品が展示してある。
【ソリュプト地区の邸宅】 【商工会議所】
ほかにマレ地区の歴史散歩として、サンス館、オーモン館、ボーヴェ館(現パリ控訴院)、
シュリー館、ロアン館、スービ−ズ館(現フランス歴史博物館)、カルナヴァレ館を訪ねた。
2.パリの生活
(1)ホームステイ:ステイ先の家族は高校の数学教師のジャン・ポール、運動機能訓練士であり
学生も教えているブリジット、大学生のジュリー。
息子さんは就職して家を出たので、その部屋をお借
りしたわけである。まったくの初対面だが、何度か
メールで交信していたので、最初から家族のように
扱ってくれた。朝は皆さんが出かけてから、ひとり
で丼一杯のカフェオレとパンの朝食。夕食は一緒に
食事をしながら「今日は何をしたの?」と聞かれる
ので、一生懸命お話をした。忙しい仕事を持ちなが
らよくステイ客を受け入れてくれるなと感心。彼女
はお料理も得意で、毎日フランス料理を堪能した。
【ハロウィンの仮装をしたジュリー】
ちょうど豊橋の友人たちがコルシカへ行く途中パリに立ち寄るので、ブリジットが夕食に招待
してくれた。素敵なテーブルセッティングやお料理、もてなし方など、直に体験できた。また仏人
3人を招いたときは、私が手巻き寿司、ミソスープ、てんぷらを用意した。大誤算は、食の国フラ
ンスの一般家庭には良く切れる包丁というものがないこと。食事用のナイフとはさみで料理する。
そのため、三枚おろしができず、高価な鯛は「たたき」になってしまった。食事の間はお話が絶え
ず、お土産の箏のDVD(一部私も出演)を見ながら音楽談義をし、鶴を折り、日本文化紹介の夕
べとなった。大の大人が大事そうに一羽ずつ鶴をさげてお帰りになったのは0時半頃。翌日の日曜
は朝10時半になっても皆さん寝ていて、これがフランス流の週末の過ごし方かと感心した。
【豊橋の友人たちを招待】
(2)街で:歩行者は信号を守らない。車が来ないとみれば、赤信号でもどんどん渡る。車も右・左折
車が突っ込んでくるから油断がならない。道路の両側に駐車した(正規の駐車場)車両の間を縫
うように、高速で走る。2両連結のバスの運転手などすごいテクニックだ。
喫煙人口はかなり多いと見る。建物内、公共の場所がほとんど禁煙であるためか、歩きながら
タバコを吸う人が多くて迷惑。また、どこに行っても物乞いの姿が見られる。
【チェイルリー公園】
(3)車内で:メトロでも列車でも読書(漫画では
ない)する人が多いのは驚き。車内放送がほとん
どなく、発車の合図もないので静かなせいだろう
か。私もまねをしてみた。携帯メールをしている
人は見たことがない。だが大きな声で電話をして
いる人は時々見かけた。
(4)観光都市パリ:美観の維持に毎日どれほどの
人が従事しているのだろうか。ちょうど落葉のシ
ーズンで、膨大な量の落葉を吹き飛ばしたり、か
き集める作業は大変な労力と思うが、落葉の降り
敷いたパリの舗道を歩くのは、一つの風物詩であり、旅情を呼ぶ。
3.遠出
(1) コンピエーニュ:パリから電車で45分ほどのコンピエーニュには、ルイ15世が建築を始めた
宮殿がある。マリー・アントワネットもここに住むつもりで自分の好みに合わせて指示をするほ
ど気を入れたが、ついに一度も住むことがなかった。ナポレオン3世時代に城は黄金時代を迎えた。
ちょうど「ナポレオン3世とその時代」の特別展をしていた。また、庭園がすばらしい。4kmも続く
緑の絨緞や、緑のアーチの森の散策路などゆっくりと楽しみ、庭園でパン、りんご、ヨーグルト、
チーズ(まるで山の行動食)にチョコにワイン!で昼食とした。
【コンピエーニュ城】 【緑のアーチ】
(2) メッス:ナンシーから北へ40分ほど。ここは何といってもカテドラルが見所。壮大な建物で、
シャガールのステンドグラスなども珍しい。またモーゼル川沿いの景色は美しく、歴史的建造物を
廻る市街の散策も楽しかった。
【シャガールのステンドグラス】 【モーゼル川】
(3)エピナル:ナンシーから南へ1時間ほど。小さな町であまり見るものはない。丘の上に城砦跡が
あり、自転車の若者たちがクロカンの練習をしていた。ノートルダム・オーシエルジュ寺院は教会
のイメージを一掃する体育館のような造りで、危うく見落とすところだった。ステンドグラスも現
代的にアレンジした図柄で面白い。モーゼル川沿いに上流へ歩いたが、対岸へ渡りたくてもちっと
も橋が現れず、結局往復2時間ほど歩いてしまった。木の葉が色づき、気持ちのよい散歩道だった。
メッス、エピナルとも、パリの計画に追われて予習不足、下調べをもっとしておくべきだった。
4.その他
(1) モンマルトルの葡萄の収穫祭:パリで唯一の葡萄畑で毎年10月の第2土曜・日曜に開かれる。
「モンマルトル共和国」の住人と思しき人達が仮装して集まる。ここの葡萄でできたワインは非常に
希少価値が高いそうだ。
(2) 車窓観光:メトロとバスの共通定期を買ったので、時間がある時にはバスや路面電車で車窓観光
をした。メトロでは街の様子が分からないが、バスや電車でぼんやりと外を眺めているのは面白い。
そんな途中で2008パリモーターショウを見つけ、入ってみた。
(3) パリ・カナル: セーヌ川のオルセ河岸からサン・マルタン運河を通ってラ・ヴィレットまで
ゆったりとクルージングを楽しんだ。バスティーユからしばらくは地下水路になったり、いくつも
の水門で水面の調整をしたりと、なかなか面白かった。小学生の団体が社会見学に来ていた。
【サン・マルタン運河】
*********
旅行者として何度訪れても知ることのできないパリの姿の一端を知ることができ、長年の夢が叶い、
本当にうれしい1ヶ月だった。でもやっぱり言葉は「ぺラ」より「ペラペラ」の方がよい。そしたら
ステイ先の家族とももっとお話ができたのに。本当にいい人たちで、ブリジットとは波長も合い、最後は
「寂しいわ」「私もよ」と抱き合った。フランス語の勉強を続けてまた行きたいと思っている。
夫が早世したため辛いことも多い人生だったけど、このような贅沢で幸せな1ヶ月を過ごすことができ、
大いなるものと、家族に感謝の気持ちで一杯です。
(2008.11.25記)