MILANO ミラノ

   ミラノ・リナーテ空港は
 小雨がぱらついていた。こ
 のところ天候が不順で雨の
 日が多いという。

  昼食の後、ミラノの中心
 エマニエルU世アーケード
 街へ出た。その入口に立つ
 ドォーモはいつ見ても美し
 い。ゴチック建築の代表的
 な教会である。聖人の尖塔
 が天を突く。まさに、芸術
 作品である。

  私たち夫婦は2回目のミ
 ラノなので、ツアの皆と別
 れ自由時間をもらった。そ



して、買い物をしようとしたのだが、丁度昼休み時間と重なり、ほとんどの店が閉
まっていてがっかりした。それでも、女房は百貨店で念願の傘を買い、それを早速
使って満足していた。
***

  スフォルツェスコ城(ミラノ城)はレンガ
 積みの方形をした巨大な城である。15世紀、
 ルネッサンス時代に領主スフォルツァによって
 造られたものである。現在は博物館になってい
 る。陶器や絵画がところ狭しと飾ってあったが、

 特に、沢山のめずらしい楽器がわたしの興味を
 ひいた。
一見の価値ありである。
  城の入り口ではココナッツの実を500リラ
 で売っていた。私は初めてそれを口にしたが、
 少し油っぽさはあるが、歯ざわりがよくて、な
 かなかおいしいものであった。  

  ミラノでは何と言っても レオナルド・ダビン
 チの「最後の晩餐」
である。ところが、行って
 みると、
現在修復中とかで、櫓が組んであり満
 


足に見えない状態であった。これに皆がっかりであった。期待が大きかった
だけに失望も大きかった。   

***
 ミラノに1泊して翌日ヴェニスへは列車で行くことになっていた。朝食を
済ませ、8時半にホテル前に止まっているバスに集合であった。ツアの仲間
達は三々五々と集まって来た。わたしも職業柄5分前にはバスに乗り込んだ。
わたしにとって列車の旅は初めてである。女房とその話しに夢中であった。
時計は8時半を5分回っていた。添乗員のKさんが人数の確認をしている。
「Yさんご夫婦がまだ見えていないですね。もう少しお待ち下さい。」10分
過ぎてもYさん夫婦は乗って来ない。
「朝食では確かに見えましたよ。」とMさん。皆少しいらいらしてきたよう
だった。
「もう暫くお待ちください。見てきます。」と言って添乗員のKさんがバス
を降りていった。あちこちでぶつぶつ言って
いる様子がよく判った。こうし
た時の女房はのんびりしたものである。暫くしてKさんが戻って来た。
「どうもYさんご夫婦、エレベータに閉じこめられてしまったようです。」
「エエ〜ッ!」これはえらいことになった。
「古いホテルだから」「真っ暗の中なんじゃ」と先程までYさんを非難して
いた人もこうなっては話は別である。
「ホテルの人の言うには、1時間位は、あるいはもっとかかるかもしれない
とのことです。従って、私達は先に行きます。大丈夫です。うちの会社の者
がYさんを次の列車でヴェニスまで送って来ますから。」とKさん。
ということで、私達はホテルを出発した。朝のミラノ市内は少し靄がかかり、
3月としては寒ささえ感じた。
「見えてきました。あれがミラノ駅です。」
「エエッ!あれが駅、まるで博物館のようだね。」
***
  ミラノ駅は終着駅である。
 大きな天蓋にアナウンスが響
 く。もとより私には何を言っ
 ているのさっぱり判らないが、
 雰囲気がイタリアなのだ。
  添乗員のKさんと現地のガ
 イドさんが先頭に立って誘導
 してくれる。私達は修学旅行
 生の一団よろしく遅れまいと
 続いた。
       
     



  ローマ行きの列車に乗ると
 のことで
、既にホームに入っ
 ている列車を見つけて先に小
 走りに行ったガイドさんが手
 招きしている。私達が行って
 みるとどうも様子がおかしい。
 「列車番号はあるが、座席が
 ない。」
 「座席の二重売り?」

「よくあるんですよ、イタリアは。」信じられないことである。
『それがお国柄といってもそんなことがあってもよいものか。』と思った。
「どうなるんでしょう?」とツアの仲間。
「さあ・・・」私に聞かれても・・・・である。
「大丈夫、こんなことはイタリア人にとっては朝飯前。私たち専用に列車を
1両増結してくれるンだって。」
エエッ!ウッソォー!」これも又信じがたいことだ。暫くすると本当に
車庫の方から一両の列車がのんびりガタゴト音をたてながらやって来た。
そして、今度はバケツやホーキを持った男達が3人程現れ、『今から列車を
掃除するんだ。』と言ってピョンと威勢良くデッキから列車に乗り込んだ。
私達一行は、将にあっけにとられた思いでそれを眺めていた。誠にのんびり
したものである。その間、どんな放送がホームに入ったか入らずか知る由も
ないが、他の乗客達は別段変わった様子もなく、発車の遅れも全く気にして
いない雰囲気であった。
 日本人専用列車の掃除もできて、座席も確保でき、私達は列車に乗り込ん
だ。そして、遅れること40分、列車はゆっくりとホームを離れた。
これがイタリア。」と添乗員のKさんが言った。