〜ビーノで乾杯!(3)〜
               
       
    【13世紀のアルカンタラ橋とアルカサール(城)】

さあ、トレドへ出発
 トレドー泊旅行に出る。再びマドリーに戻って来るため、スーツケース
ホテルに預け身軽な恰好で出た。14時20分チャマルチン
駅発
トレド行普通電車に乗った。電車は割合すいていて6人
共座ることが
できた。私は外国で普通電車に乗るのは初めて
であった。しかし、考
えてみれば何のことはない、日本と同
じで切符さえ買えばそれで良い
のだ。
  スペインでは時間がまことにルーズだと聞いていたが、電
車は定刻に発車した。マドリーの市街地を抜けるとカステ

リャの赤茶けた台地をひた走った。丘陵地の上に小さな古い
砦が
見える。昔、狼煙をあげた場所であったのかもしれない。
私たちは遅
い昼食をとった。ラルフがスーパーでビーノやパ
ン、野菜を買
ってきてくれたのだ。そこでめずらしいものを
【国鉄の切符】  口にした。チョリソーと言って、豚の腸詰めである。
サラミみたいだが少し違う。かなりき
つい朱色であるが、食べたら旨い。
さらに小さな人参を生でポリポ
リかじった。人参臭さがない。
「こちらではこうして食べるのよ。」
とみつ子が言う。甘さがあってなか
なかいい。

“I am a horse.”と言って私も食べた。

古都、トレド

 約1時間半でトレドに着いた。駅はそれ程大きくないが、占い彫刻
やス
テンドグラス、美しいタイル模様、木枠で組み合わせた模様もあ
り、まる
で博物館のようであった。私たちはそこから歩いて街まで行
くことにした。
最初に迎えてくれたのは、タホ川にかかる13世紀後半
に築かれたアルカン
タラ橋と丘の上に堂々とそびえるアルカサール
(城)であった。約700
年前にできたというアルカンタラ橋を渡ってみる
と感激はひとしおである。
「トレドまで来てしまった。」と小池
さん。
「夢じゃない。本当に来たんだよ」

 トレドは5世紀後半にイベリア半鳥に侵人した西ゴート人が首都に定め
たが、
その後、イスラム教徒とキリスト教徒の争いが繰り返えされて、
16世紀
にマドリーに首都が移されるまでの中心都市であった。日本で言
えば
奈良の風格があり、文化的遺産は数えきれない。

 *** 
  私たちは予約しておいたオスタル・レジデンシアに行き
小休止。手
 荷物おいて、まずサン・トメ教会へ行った。ここにはエ
ル・グレコの
 傑作「オルガス伯の埋葬」がある。この絵は上下二つの
部分から構成
 されており、下半分は伯爵が埋葬されるところ、上半分
は雲上で伯爵
 の魂が聖母マリアとキリストに捧げられているところで
ある。1588年
 の作であるという。その色彩と描写、構成と迫力、絵
の好きな佐藤さ
 んは、「ムー」とひと言唸ってじっと見入っていた。

 


 午後9時頃レストラ ンに入り早い夕食をとった。トレドの名物料理は鳥
である。ツグミとモズ、これが煮込んで
あり、あっさりしていておいしい。
ラルフが右手を振りながら、

Cojo Nudo!(コッホ・ヌード)と大声でいうと、近くのテーブルで食
事をしていた
おばあちゃん連中がラルフの仕草を見てドッ笑った。
“What is Cojo Nudo?” と私が聞くと、みつ子は、
「チョット言いにくいワ」と頗を赤らめながら通訳してくれた。

「Cojoというのは男の象徴、Nudoは裸でしょう。転じて、気持ちが良い。あ
るいは、大変すばらしい
という意味。しかし、決してスラングではなく普通
に使うヨーョ。」

私もビーノをあおり右手を振って、
“This Vino is Cojo Nudo!”(これは大変うまいブドウ酒だ)

***
 2時間程の賑やかな食事の後、
トイレから帰ってきた女房が『すごいョ中
庭が。』と言う。そこで皆連れ
だって『どれどれ』と言いながら暗い狭い廊
下を行くと中庭に出た。
スペインの古い大きな家にはパティオという中庭が
ある。そこがガー
デンレストラン風になっていたのだ。庭を囲む白壁には鉢
が沢山かけ
てあり、赤いゼラニウムが咲いていた。
 翌朝は7時頃ホテルを出た。ようやく明るくなってきた静かな町を 駅に急
ぐ。市民の憩いの場ソコドベール広場から階段を下ったところ
で私達の眼下
に真赤な大きな朝日があらわれた。ゆるやかにくねるタ
ホ川、城壁とアルカ
ンタラ橋、広大な地平線の向うからゆらゆらと燃
える太陽が昇る。

アランフェスに寄る
 マドリーへ帰る途中、アランフェスに寄ることにした。スペインの朝は遅
い。電車もガラガラに空いている。約40分で着いた。王宮までプラタナス
の並木がつづく。朝早いといっても日影を歩かないとさすがに暑い。
駅から
20分位で王宮に着いた。ところが開門が10時ということで1時間以上も
あったので、前庭の一角で昨日の昼食の残りを朝食として食べた。
 この王
宮はマドリーのフイリップ王家の別荘なのだ。見学にはガイドが付き、
20数部屋を回ったが、中でも陶器の部屋は圧感であった。部屋全体が木彫り
の草花模様と人物や動物を形どり、陶器との組み合せが幻想的
な雰囲気を出
している。又、ラルフがいろいろと説明してくれた。
彼の博識にも触れた感
じであった。


     ***

 マドリーに戻り、夜はフラメンコ
ショーを見に行った。みつ子の友人
是非にというタブラオ(フラメン
コショーをする店)を探しながら

いたがなかなか見つからない。聞く
人毎に方向が違うのだ。みつ子
曰く
「スペイン人はいいかげんなところ
があるのョ。知らないとい
うことを


言わない。知らなくても堂々と、あそこを曲って云々と教え
てくれる。
行ってみると全然違っていることがある。」と。
 その通り
聞く人聞く人親切そうに教えてはくれるのだが全くわからない。
40、50分
ウロウロして疲れてしまい、どちらでもよくなってしまった。
女房と私
は前回に来た時に見ているし、小池さんはもうホテルで寝たいとい
う。
みつ子とラルフはもともとフラメンコはあまり好きではなく、私たちを
タブラオまで案内するだけなのだ。ただ、佐藤さんは、
「マ
ドリーまで来たのだからどうしても見たい。」という。そこでマヨー
広場の西側に観光客用のタブラオがあるので席があいていたら入り、
いっぱ
いだったらあきらめようということになった。行ってみるとか
なり混んでは
いたが入るこ
とはできた。

「1人1000ペセタ、チップ1割だから4人で4400ペセタ払えばいい。」と言っ
てみつ子達は帰ってしまった。
丁度無いので5000ペセタ払ったがおつりはも
らえなかった。
クレームを付けようにも言葉が通じず諦めた。ムンムンした
熱気の中でギターと手拍子とステップの音、指先
の動きが何とも官能的であ
る。念願かなった佐藤さんは写真をパチパ
チ、身をのり出して真剣に見てい
たが、他の3人は連日の強行軍のた
めかコックリコックリ、この夜のセルベ
ッサ(ビール)は心なしか苦
かった。
 この日もホテルに戻ったのは午前0時を過ぎていた。

                                             (完) 


【予告】
 《すばらしいスペインの旅》第2ステージ 
 【サン・チャゴ・デ・コンポステーラへの道】


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