チョンちゃん、こっちむいて!

彼らとの別れはいつも突然にやってきます。彼らが去った後に、彼らの別れのセレモニーに気がつきます。

 

猫だって照れるのですよ。

私がカメラを向けたら、恥ずかしそうに視線を逸らしました。

この時、半年後にチョンちゃんが逝くなど、夢にも思わないことでした。

 

05年12月16日午前3時。

何時ものように私のベッドにもぐり込んで

左の足元で丸くなって寝ていたチョンが体を起こすのが解った。

 

チョンは夜明けと共に寝場所を、私の足元から胸元に移動します。

私の顔のまじかに寝場所を移した彼に、私は毎朝同じセリフをいいます。

 

「チョンちゃんなの?可愛いチョンなのね?」

「チョンはいい子ね〜、な〜んて、いい子でしょう?」

「もう少し、良い子でねんねんしようね?」

 

私にギューッと抱きしめて、耳元で囁いて欲しくて

毎朝、足元から私の胸元に寝場所を移してくるのでした。

朝早いベッドの中で毎日繰り返される、

私とチョンちゃんの絆を確かめる大切な時間でした。

 

明け方の3時は、いつものチョンちゃんにしては早い時間でした。

「チョンちゃん、もう、起きるの?」と話しかける

私の声に答えもせず、

チョンは誰かに呼ばれたかのようにベッドを抜けだし

階段をトントントントンと下り、

やがて玄関横の猫扉の戸がパタンと閉まる気配を残して出て行ったのです。

そして決して帰ってくることはありませんでした。

チョンチャが往ったこの日から05年の記録的な大雪の日が始まりました。

 

チョンが帰ってこないことで「チョンは逝ったのだ」と納得する以外ありませんでしたが

今もって、チョンが何故が原因で死んだのかわからない私です。

 

彼らと共に暮らし、温もりや安らぎ、笑いや喜びをたくさんもらっています。

彼ら無しでの生活など考えられないと思えば思うほど

次に私たちの元を去ってゆくのは誰なのだろうと、考えてしまいます。

そんな時、病気がちなチャチャ、肥満体のぶーぶー、放浪癖が長かったユキちゃんの

名前が出ることはあっても、毛艶も良く精悍な体で、

健康診断でも全て順調だったチョンの名前は思い浮かびませんでした。

最後に私たちの元に残るのはチョンちゃんだと考えていました。

 

チョンちゃんの死は私たちにとってまったくの不意打ちで

悲しみ以前に「チョンが何故?」というのが

今も私の正直な気持ちです。

 

死に至るほどのチョンの体の不調を見落としていたこと。

チョンの痛みを共に分かち合ってやれなかったこと。

チョンとの別れを前に「ありがとう」を何千回も耳元で囁いてあげることが出来なかったこと。

たくさんの「こと」が心をちくちく刺します。

 

陽だまりのような思い出を残し、私の暮らしの中からスーーと消えた

あまりにも、潔く逝ってしまったチョンちゃんでした。

 

 

大きな声でチョンを呼んでみる。

 

寝ていても返事をかえしたチョン。

それが面白くて「チョンちゃん」と耳元でささやく。

「ニャ〜ハ〜」とため息のようなお返事が返ってきて

尻尾をボトン、パタンと振り回すおまけがついた。

 

お返事にゃんにゃんのチョンでした。

 

チョンを呼び戻すのはとっても簡単。

呼び戻しの出来るチョンが私の自慢だった。

 

それが嬉しくて「チョンちゃ〜ん!」と大声で呼んでみる。

やがて何処からとも無く、のっそりと帰ってきて

心ない飼い主のわたしに「ニャハ〜ン」と甘えてすりすりをした。

 

ごめんね〜、チョンちゃん。

 

のっそり、のっそり、そろり、そろりと散歩から戻る。

そして猫扉に頭を入れた途端 

ニャオオン!ニャオオン!と、おお泣きして帰宅を知らせた。

「チョンちゃ〜ん、お帰り〜〜、お母さん、ここよ〜」と応える私に

小走りに近づいてニャハ〜ンと伸び上がって抱っこをせがんだ。

チョンちゃんのあの「ただいまコール」を

お母さんはあの日からズ〜ッと待っているんだよ。

 

チョンちゃん。

 

あの日から、幾度と無くお前を呼んでみたよ。

「ニャハ〜ン」と鳴いて、戻ってくるような気がして。

 

チョンちゃん!聞こえているの? 

チョンちゃん!チョンちゃん!お返事は?

 

きっといつものように

ニャハ〜ンってお返事しているのね?

チョンはいつだっていい子で、可愛いお返事ニャンニャンだもの。

チョンちゃんのページに目次はありません。

NEXT