テロリズムと歴史

 

テロリズムの歴史

 

巷では、テロリズムはフランス革命から発し、まず国家テロリズムとして誕生、次いでフランス革命を輸出しようとしたナポレオン軍のスペイン侵略に抵抗する自然発生的な民衆の軍事行動としてゲリラが発生し、ゲリラは必然的にテロリズムを内包するところとなり、現代テロリズムになった、といわれている。

 

ではなぜ以前の歴史においてテロはなかったのであろうか、またテロとは?

先にテロリズムはフランス革命から誕生したといった。

それは革命の中で反対者を次々と断頭台に送ることによって抑えていた際の、「恐怖(テロ)をして支配たらしめる」という言葉からである。

要するに、暴力によって支配する形態は他にも存在する(邪魔な人物を物理的に消し去るなど)が、その中でも恐怖を引き起こすことで精神的に支配することで目的を達成する手法をテロというのである。

 

その解釈を採用すると、ギリシアの恐怖政治、ユダヤの反ローマ帝国テロ、イスラエルの反英テロ、キプロスの反英独立テロ、日本の安政の大獄など、枚挙にいとまがないほどの事例が存在する。フランス革命のインパクトが大きかったためこの手法をテロと呼ぶようになったのだろう。この解釈から言うと人間の行動の多くをテロと呼べる。

 

 

テロの分類とその性質

 

次にテロという手法をその主体で分類し、その性質を考察する。

まず、その主体を政府、民衆、組織(政府ほど力がなく民衆ほど多数でもないもの)に独断と偏見で分類する。

 

l      政府主体

政敵の排除など政府内の抗争と、民衆の反乱鎮圧を目的としたものにわかれる。

前者の例ではフランス革命、中国等の一族連座の習慣、安政の大獄などがあげられ、後者の例では魔女狩り、密告制度、日本の五人組、ファシズムなどがあげられる。

政府内の抗争では直接代表的な政敵を消すことにより後の人物を黙らせる手法が多く、民衆相手は互いに監視させて言論統制のような効果を出す、国家テロリズムとも言われる。

両者とも見せしめの意味で残虐行為が行われることが多い。

 

l      民衆主体

大体が政府の圧制への抗議や侵略からの抵抗であり、対象は軍や警察などである。

例としてはパルチザンやレジスタンス、労働運動があげられる。

ここに労働運動の主張としてトロツキーの論文から一部抜粋する(例として適当かどうかわからないが)。

“われわれの階級敵はわれわれのテロリズムについて嘆くのを常としている。だが、彼らがこの言葉をどのように理解しているかについては、必ずしも明白なわけではない。彼らは本当は、自分たちの利益に反するプロレタリアートのすべての行動にテロリズムという烙印を押したがっているのだ。彼らにとって、ストライキはテロリズムの主要な方法である。ストライキの脅威、ストライキ破りに対するピケットの組織化、経営者に対する経済的ボイコット、裏切り者を自分たちの隊列から精神的にボイコットすること――これらすべての行為や、その他多くの行為は、彼らによってテロリズムという名前で呼ばれているしたがって、敵に恐怖を呼び起こす、もしくは、敵に損害を与える原因となるすべての行動がテロリズムとして理解されるならば、その時には、もちろん、すべての階級闘争はテロリズム以外の何ものでもない。だが、プロレタリアートのテロリズムに道徳的怒りをぶちまける権利などブルジョア政治家にあるのか。なぜなら、ブルジョアジーの全国家機構と彼らの法律、警察、軍隊は、資本主義的テロの機構以外の何ものでもないのだから

 

l      組織主体

政府ほどの大きさも民衆を代表しているといえるほどの指示もない組織が目的(主張の宣伝、達成等)のために行う行動である。対象は無差別であったり個人であったりする。

例としてはエジプトでの観光客乱射事件、今回の連続同時テロ等である。

個人の犯罪から今回の連続同時テロまで規模も主張も多彩である。

 

 

次はテロリズムを行う際の目的について考える。

テロリズムとは暴力を背景に恐怖によって目的を達成することであり、その目的は相手に何らかの要求を飲ませるものと、自らの主張・存在を主張するものに分けることができる。

 

l      要求を飲ませるためのテロ

いわゆる脅迫であり、ほとんどのテロが該当する。相手に自らを脅かすほどの暴力を持っていると信じさせる必要がある。よってこの場合暴力がふるわれるのは暴力を持っていることを信じさせるためであり、必ずしも実際の暴力が伴われるとは限らない。

狭くは腕力の誇示、誘拐から、軍や警察機構の存在、大きくは軍事パレード、原爆実験まである。

 

 

l      自らの主張・存在を誇示するためのテロ

もともとは注目されていない存在が世間の注目を集めるために行うテロであり、目的を実現させるだけの力がない場合に実現のための手段の一環として行う。

この場合は必ず暴力を伴う、注目されればよいので必ずしも大規模である必要はない。

近年の例が多く、今回の連続同時テロやイスラエル独立テロなどがそれにあたる。

 

 

まとめ

恐怖という感情に訴える手法は人間に限らず、動物でも威嚇するなどして駆使している。

また、支配の手法として社会ができてから今日まで常に使われてきた。

歴史の中でテロは必ずしも特別なものではなく、我々はある意味テロに対して無感動になっていたが、テロという手法が戦争という事態まで引き起こしたことで再びその手法に目を向けさせたという点で、今回の連続同時テロはテロの歴史の中での分水嶺といえる。