特別伝道礼拝  山北宣久先生

            『御覧になる方』     マルコによる福音書1章16〜20節


あせらずに、行こか〜
一柳 民恵



 2月27日青山学院院長・山北宣久先生をお迎えして特別伝道礼拝が行われた。
 見事なまでに私の行動パターンは読まれ、ご指摘の通りです。(頭をポリポリ)
 例えば、エゴイズム―神様がこうしようとされているのに自分にこだわり過ぎて神に従わない。
 シニシズム―私の人生を豊かなものにされようとしているのに好きなところばかりを食べてフンと蹴散らし、冷笑。
 デモネ菌にも侵されて、デモね・・・と暗くなる。(どうせ・だってとも言う)。
特伝のために声を掛け合って集められたこの日はユーモアたっぷりの説教にリラックスして心が開かれました。
 今日も私は坐骨神経痛の治療に行ってきました。お年寄りの方たちがそろって送迎バスで来ていますが、あっちが痛い、こっちがしびれると、マッサージやら鍼・灸の治療をしてもらっています。麻痺した体をみんなにフォローしてもらいながら穏やかな一連の方々が「おだいじに」と言うスタッフの大きな声に見送られて帰ります。
 近頃はこのペースがほっとします。
 また、このペースなら御言葉が私の心に届きます。「私について来なさい、私はあなたを必要としている」。破れを経験した者―網をつくろう者―をじっとご覧になる方が今日も声をかけていてくださる。
 そこまで言ってくださるならぼちぼちついて行こうか〜。
 ちょっと待って、私たちの全てをご覧になるお方は義なる方なのでどんな罪をも見逃されない、どんなにうまくやったとしても丸見えだ、恐ろしい話です。しかし愛なる神はその罪を悔いるなら、お赦しくださる。(ここんとこ良く覚えておかなくちゃ)
 私たちは教会に集められ、どんなこともみな確認しあいながら遣わされていく。
散らされるために集められているのだと。
 失望しても、絶望しない、イエスさまに裏打ちされて、伝道するために「サー行きなさい」と押し出されている。
                                      (いちやなぎ たみえ)

越谷教会月報みつばさ2011年3月号より