求 め な い

                 N.S

 以前、石橋先生に紹介していただいた加島祥造の詩『求めない』を手元において読んでいます。
 端的な言葉で書かれていて、どのページを開いても感銘できます。例えば(求めない―するといま充分に持っていると気づく)(求めない―すると改めて人間は求めるものだと知る)(求めない―すると体ばかりか心もゆったりしてくる)といったように・・・・・・。
 日々過ごす中で、私は悩み事が頭をもたげて、何かに夢中になる事ができずにいました。自分の悩み事も自分が望む結果を求めるから、それにそわないと落差が大きくなってしまうのです。なら求めるのをやめようと思いました。自分の心を求めない事に徹してみようと決めました。求めない精神です。
 まず心を無にしよう!どうしたらできるかしら・・・座禅?まねごとで正座して、目をとじ、無心になろうと試しました。何だかバカみたいに求めない精神に近づこうと夢中になっている自分がいました。
 何かにつけておまじないのように心の中で求めないと唱えるのです。無駄な買い物をしなくなりました。他人の言葉にも良い意味で聞き流すことができました。「求めない」を意識することで、気持ちが多少楽になったように思います。
 話はとびますが、三月十一日の地震、テレビに映る悲惨な光景、その夜は家族は帰って来れず、ひとり「求めない」を手に取り目を通しましたが、津波で一瞬にして奪われた全てを見た後では、とても空虚な虚無感におそわれました。
 被災された方々は、想像を絶する気持ちでおられたと思います。
 多少の差はあれ、「無」の状態におかれ、ともすると「負」まで背負わされたのです。
人であったり物であったり、仕事であったり、住んでいた土地もいろいろ失われ、日常が非日常の中におかれています。何と言ってよいのか言葉もみつかりません。
 私はこれからも求めない精神でいこうと思いますが、被災された方々には求めてください、と言いたいです。
 亡くなられた方々のご冥福を心より祈り、生かされた方々の幸福を願い祈り続けます。



越谷教会月報みつばさ2011年6月号「私・・・に夢中です」より