今月の特集題  恵みに生きる喜び



傘寿を迎えて
澤木八重子
 私は、誕生日が1月8日なので、新しい年を迎えると間もなく私もひとつ年をとることになる……、と書き始めたが、ふとこの冒頭の文は以前にも書いたことがあったようだと思い、「みつばさ」を読み返してみて、やはり見つけた。2007年1月21日269号の「みつばさ」に ー新しい年原点に立ち返るー の欄に「喜寿に想う」のタイトルで私の文が載っていた。私は、(ああ、やっぱりあった)と思うと同時に、これから書こうとしていることがらも、以前とあまり変わらない内容と気付いた私は、あれから3年も経っているのに、全然、進歩がない自分に、すっかりがっかりしてしまった。
 これから先、米寿(88歳)卒寿(90歳)百寿(100歳)と歳を重ねることができるかもしれない。と思っていたところ、まだまだ先には、茶寿(108歳)昔寿(120歳)という呼び名があると知って、驚いてしまった。さらに本当に人生を全うすると天寿(182歳)を全うしたと言うことがいえるらしい。
 そうしてみれば、傘寿を迎えたからといって、喜んだり、がっかりしてはいられない。人生、ほんの半分のところまでやってきたという感じである。
 思うに祖先たちは、年齢の節目節目に、意味を込めた呼び名をつけ、人生を励まし励まし生きてきたのだと思う。
 駅の改札口の傍らに立って、乗り降りする人を見ていると、ひとりひとりが目的地の切符を持って通り過ぎていく。ひとりひとりをよく見てみると、疲れた顔、不満な顔、愁いを含んだ顔が続いて通過する。たまには、嬉しそうな顔、満ち足りた顔、輝いている顔が目の前を通ってもよいのではないか。けれども、私の期待する顔は、見当たらない。
愛の人と呼ばれたヨハネも長命であり、多くの人々は慰めを享け心が満たされたという。地方の教会へ送った手紙にこう記してある。
 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。
 愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
 愛することのない者は神を知りません。
 神は愛だからです。
         (ヨハネの手紙一 4章7〜8節)
 ヨハネが人々の前で主を証して、「兄弟たち、私たちも、互いに愛し合おうではありませんか」と、語りかけると人々の心は恵みに満ち満ちて疲れた顔、愁いを含んだ顔も次第に、満ち足りた顔、輝いた顔に変わっていったことだろう。
 私もまた、今日一日を、主キリストの愛、神の愛に感謝して過ごしたいと思っている。
(さわき やえこ)


恵みの中に生きる
薩摩 愛徒
 いきなり恵みに生きる喜びについて書いてほしいと依頼されて、快く引き受けたのだが、そもそも恵みって何なのだろうか?お金があること?文明が栄えて生活が豊かになること?食べる物に困らないこと?今、ここに生きていること?はたまた天からの恵みといわれる雨のことか?一言に恵みと言っても、指している意味は人それぞれ違うものなのだ。それでは私にとって、恵みとは何か考えてみよう。
 私にとって恵みとは、あやふやな感じがするが、たぶん今ここでこうしていることのような気がする。両親がいて、兄弟がいて、友達がいて、遊んで、困って、泣いて、笑って、ケンカしてきて今の自分があるわけで、一つでも欠ければ今の私はいなくて違う私が存在していたのだろう。その私は、今より恵みの中にいるのかいないのかわからないが一つ言えるのは、今の私はきっと恵まれているということだけは確かだと思う。今の私は、ほとんど何不自由なく生きてきて挫折といえる挫折はゲームのデータがトブことしかない。入試で失敗したこともない、大学に入ってもそこで頭が良い方なので勉強に困ることも少ない、御飯も実家では親が作り、寮では調理員さんが作ってくれて、食べ物に困ることもないし、嫌いな食物を避けることもできる。これを恵まれてないと言えるものなら罰があたる。今こうしていること、やりたいことに迷わず向かってひた走っていること、全て恵みの中に生きているからできることだと思う。
 次に、ごく一般的に恵まれていると思われることについて考えてみた。やっぱりうんあれだ。日本に生まれたこと。日本は水道水を飲むことができる。他の国ではないことだし、水自体が全然ない国だってある。戦争だってしないし、治安がある程度安定しているから、いきなり刃物でブスリなんてことはめったにない。最近多いけど。日本で恵まれないと言えるのは資源くらいしかないと思う。だが他国からの輸入で補っているから問題ないとも言えるが、地球の資源が徐々に減っているから、これから先大変なことにはなるだろうが、今は何とかなっている。日本に生まれただけってだけで、今こんなに恵まれているのだ。
 いかがだっただろうか。この文章を読んで自分が考えている恵みと比べて同じ所、違う所が多々あったでしょう。今、自分の生きて来た道を振り返って、自分の恵みと向き合ってみてはいかがでしょうか。他の人と話すことで、自分では何ともないことが恵まれていたのだと思うこともあるでしょう。これから先辛い事が多くあるだろうが、同じ数だけ幸せな事があるでしょう。私達は恵みの中にあるということを、忘れてはならないのである。
(さつま まなと)

越谷教会月報みつばさ2010年3月号特集「恵みに生きる喜び」より


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