今月の特集題  上なるものを求める



心の荒野は主と共に復活
H.S
 始めに「上にあるものを求めなさい」コロサイの信徒への手紙3章1節の途中の御言葉に私は何を書いたらよいのか、神様御免なさい、私は下ばかり見て、上を見るべきを忘れてしまった。
 私は20数年前に甲状腺機能障害にお見舞され、正常な働きをする大切なホルモンの異常でバセドウ病になって、それは大変ではあったが、橋本病は本当に苦しい。機能低下症で、ひどくなると「うつ病」になりすべてが暗いのだ。何もかも否定、自身も否定後はさよならだけかと思う。
 私は昨年7月に肺癌の手術を受けた。幸い自覚があり微熱のみでおかしいとCTとX線で早期発見で早期オペで助けられた。その頃は私も随分と快復し恐怖心はある様なない様な、すべてたった一人になって心は荒野の様だったが、何時も石橋先生の心暖かいメッセージとお祈りを頂き電話口で喚いていた私を御言葉を通して聞いて下さり、御見舞いにも来て下さりやさしい笑顔に本当に感謝でいっぱい。その頃私は手術も何も恐怖心は全くなかった。一人になって初めて、神の存在、主イエス様の存在、牧師の存在、教会兄弟姉妹の暖かさが改めて心にしみる。その4、5年の間、心理カウンセラー、ソーシャルワーカー、駅ビル医院の院長、理事長先生、みな伊東病院の関係で存じ上げていて、それも自分が正常にもどりつつある時、下ばかり向いてこんなにたくさんの方々が手を差しのべて下さっている事に私は嫌でも上を見上げる事しか出来ない。誰がそばに居ようと結果的には自分との戦いなのだ。カウンセリングは同時に自分のものであって人のものではない。但下から上を見るだけではない。その上は青い空、美しい濃淡のみどり、美しく可憐な花々。でも私たちにはその上があるのだ。神様、救い主の微動だにしないその存在。
 私は余り礼拝に出席出来ない時も多くなったけど、でも私は最後の御奉仕、玄関での礼拝に来られる方々に御挨拶、これが私の一番好きな大切な御奉仕なのだ。「上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。」(コロサイの信徒への手紙3章2節)私の教会での御奉仕はとても恵まれていた。内外共にさせていただき何も出来ない私に神様は賜物を遠慮なく与えて下さり、冬眠の長かった私は目ざめるとこれは大変だ。早くしないと年齢だけはどんどん頁をふやして行くだけ。でも立ち止って自分を替り見る時を、神様はいつも下さるのだ。そしてそこに許しがあり自分を深く考える時を与えられる事は本当に感謝以上に何もない。私は自分がうつ病になるなんて考えた事もなかったが、人様の心の内を伺う時もたくさんあり、今の社会の中で自分を保つ事は大変な事であり、自分と向き合う事、よき隣人、よき聴き手、よき理解者を得る事は大切な事と私の生涯の宝物である。手術した次の日石橋先生のお見舞いの後の夕飯のおいしかった事。
(H.S)


絶望のどん底から希望の光を見上げて
Y.N
 木々の緑も深みを増して、『夏めく』ってこういう感じかしら?とちょっと浮かれ気分で仕事(小さな家庭塾をやっております)を始めた直後に最も恐れていた事をやってしまいました。
 初めて子ども達の前でてんかんの発作を起こしたのです。スタッフの方々のお陰で無事に済みましたが矢張り断薬は無理と観念し、断薬を始めてもう3カ月、全く問題無くやれているというのは私の傲慢だったと知りました。
 私は14年前大塚の癌研病院で16時間半に亘る耳の癌の手術を受け、ムンクの絵のようなかなり奇妙な顔になりましたが、とにかく生かされました。
 頭部マヒは今も続き左耳は勿論聞こえず、左瞳孔は1/3しか開かず涙も出ませんし口は開いても実際は半分しか働きません。そして手術の後遺症で側頭葉てんかんとなりました。クスリを飲めば殆ど問題無しですがこのクスリは副作用を伴います。
 子ども達に迷惑をかけてはいけないと心配で自分の知的能力を客観的に測るために文教大学大学院で学び、人間科学研究会修士課程を修了しました。
 だから私は眼の前の子ども達こそ最高の学び手であり特に私にとっては癒し手なのだと確信できます。
 真山美保の『泥かぶら』というお話(舞台劇)があります。顔が非常に醜くて村中からいじめられていた主人公の少女が旅の老法師から「3つのことを守れば美しくなれる」と教えられ心美しく成長していくというストーリーです。この3つの約束とは 1、自分の醜さを恥じないこと 2、どんなときにもにっこりと笑うこと  3、人の身になって思うことです。
 私にはこの 自分の醜さを恥じないことが本当に難しいのです。そしてクスリの副作用で平衡感覚の失調や手足のマヒなどを引き摺っている〈今の自分〉が悔しくてなかなか笑えず人の身になって思うどころではなく、あれこれとコずるい言い訳を考えてしまいます。そんな自分自身を深く見つめれば見つめる程罪深さに打ちのめされるばかりです。
 全盲ながら世界的なピアニストとして活躍する辻井伸行さんを育て上げた母親のいつ子さんは、生活雑音に敏感に反応していつも泣いてばかりの伸行君に「この子は耳の感度が人より優れているかも知れない」と考え、「絶望があったから、希望が輝いて見えるのです」と述べておられます。
 イエス様がてんかんで苦しむ子どもを癒された後「からし種一粒程の信仰があれば……」とおっしゃったように、こんなにダメな私でも礼拝に加えていただける素晴しい恵みを大切に、子ども達の側に寄り添って子ども達から希望の光をもらって共に成長していきたいと願っております。
(Y.N)

越谷教会月報みつばさ2010年7月号特集「上なるものを求める」より


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