今月の特集題  今救われている



希望(のぞみ)
乙部栄次郎
  「希望をもって喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。」(ローマの信徒への手紙12章12節) 草加キングス・ガーデンに入居して4年目になりました。キリスト教の理念によって運営されているこのケアハウスでは、地階のチャペルで毎朝協力教会の牧師先生方による賛美と礼拝の恵みに与かることのできる感謝を、以前「みつばさ」紙に「プレ・パラダイス」のような生活と書かせてもらったことがありました。
 私が受洗したのは戦後、中国から復員してからのことで、それまではキリスト教について何の知識も無いばかりか、むしろ敵性国家の外道宗教という見方で快く思ってはいませんでした。我われの育った世代は国を挙げての皇国思想で、教育勅語の意を戴し国のためには一命を奉げ天皇に忠節をつくすことが即親に対する孝でもあるとする「忠孝一本」の教育でした。
 私は19歳で軍隊に召集され、55歳の母を16歳の弟に託し中国の戦地へ派遣され、死は免れたものの1年間捕虜生活の末、帰国したのは21歳のときでしたが、生活の目標も定まらず悶悶として過ごしていた折、叔父が貸してくれた新約聖書でマタイ伝の「山上の垂訓」を読んだとき、はじめてその深い教えに感動を覚え目の開かれるような思いをした事がキリスト教の救いに導かれるきっかけとなりました。
 実際に教会の門を叩いたのはそれからまだ数年先のことになるのですが、その間も不思議と見えない糸で手繰られるようにして27歳のとき神田神保町に在った兄弟団本部教会の森五郎先生から洗礼を授かり救いの恵みを戴くことが出来ました。冒頭にキングス・ガーデンに導かれ「終の棲家」を得たことの感謝を書きましたが、これで子どもらにも老親への配慮を軽くしてやる事が出来「子ども孝行」にもなり「一挙両得」「終わり良ければ全て良し」とばかり不遜にも安易に構えていました。
 ところが一昨年、長男の急逝という予期せぬ事態に遭遇し私共は俄かに、ヨブの悲哀とピエタの悲嘆を身近に知る者となりました。葬儀の当日、彼の遺品の手帳に「主イエス様を私の罪からの救い主としてお迎えいたします」と信仰告白が自書してあったことを老妻から知らされ、目にした瞬間私は彼も主の救いの恵みを望み求めていた者であった事を知り、悲哀と憂いのうちにも、やがては主にあって再会の希望につながれていることに慰めと感謝を覚える事ができました。
 今年私は85歳になり、旧約聖書ヨシュア記14章の「エフネの子カレブ」と同年になりました。気持ちだけでもカレブに 倣って雄雄しく、そして謙虚に今後自分に残されている信仰のコースを「プレ・パラダイス」から「パラダイス」へと歩む者でありたいと祈り願っています。
(おとべ えいじろう)


時がある
倉田 彩子
 子ども達のところへ戻る時が与えられ、18年ぶりの担任に必死になりながら一学期を過ごし、なんとか夏休みにたどり着く事が出来てほっとしておりましたが、気がつけばもう一つ、何年かぶりにみつばさの原稿を書かせていただく事になっていた事を思い出しその事で頭がいっぱいになりました。ずいぶん長い間いろいろな事をお休みしていましたので何をするにも必死です。何を書こうか考えても考えても頭の中が整頓できないまま、とうとう書き始める事になってしまいました、お許しください。
 私の一学期の生活はと申しますと、まずはお互い知らない者同士新しい生活を始めるのですから、しばらくの間は優しい彩子先生で子ども達の姿を見て行こうと思っていました。ところがそのような甘い考えの時はあっという間に終わりを告げる事になりました。すばらしく個性的な一人ひとりが集まった16人ののばら組を、一人ひとりの名はもちろんの事、「のばらさ〜ん」「のばらさん!」「のばらさん!!」と、一日何回も呼びかけ、声はかすれ、その必死さはオリーブのおうちの二階の棚橋先生にも、たぶんご近所の皆さんにも届いていたはずです。(仕方がない…)
 放課後はまず今までの保育者生活ではこんなに毎日やった事がないくらい、クレヨンだらけになったテーブルをクレンザーをつけた雑巾で磨き、今日の子ども達との一日を反省と共に思い返し、一人ひとりと心を通い合わせていく事の大変さにくたくたになり、それでも仲間の先生と子どもの話をして家路に着くというものでした。本当にやって行かれるのだろうかと弱気になり、立ち止まってしまう事ばかりでした。でも神様はそんな私に必ず新しい朝を備えて下さるのでした。
 2年前の3月に体調を崩し、越谷幼稚園を退職し、子ども達から離れる時が与えられ、その後いろいろな事がありました。長男が大学を卒業、就職、結婚、そしてなんと孫まで生まれてしまいました。ちょっと急ぎ過ぎではありますが与えられた新しい命は家族に元気を運んで来てくれました。夫はよく言うようになりました。本当に時があると。病気を経験してからクリスチャンの私の方が教えられる事が多くなったような気がします。家族をはじめ本当にたくさんの方に心配をおかけしました。祈っていただきました。今の私を見ていて下さる事を感じると、有り難くて仕方ありません。
 神様に与えていただいた今を感謝して、支え祈っていて下さる方々に感謝して、大好きなあの元気な子ども達の中に身を置いて過ごさせていただこうと今思っています。 
(くらた あやこ)

越谷教会月報みつばさ2010年9月号特集「今救われている」より


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