今月の特集題  子どもらしさに憩う



子どもたちと共にいること
古澤ひかる
 息子が幼稚園の頃、幼児祝福合同礼拝の最後に、担任の先生が子どもたち一人一人の頭に優しく両手を置いて下さるのを見て心がほんわかしたことを覚えている。先日古い手帳に、その当時息子が話していた言葉が幾つか書き留めてあったのを見つけて懐かしくなった。子どもも高学年に近くなってくると、小さい時のようにかわいいだけでは済まない。何かと言い返してくる子どもに対し、威圧的にならないよう気をつけて諭すのはとても難しく、つい言い争いのようになってしまい、後から自分の大人げない態度を反省する日々だ。

 教会学校小学科の仲間に加えて頂いてから、今年で3年目になる。今はもう一人の先生と一緒に一年生のクラスを担当させていただいている。分級で、夏のキャンプで、いつでも子どもたちはエンジン全開で元気である。その元気がこちらにも伝わってくる。“憩う”というと、心が和らいで穏やかなイメージだが、教会学校の場合は、よりアクティブに元気が伝染すると言った方が合っているだろう。

 子どもたちは私に、元気だけでなく驚きも与えてくれる。例えば、分級で「11匹のねこ」の絵本を読んだ時のこと。その巻では、ねこたちがあほうどりをうまくだまして食べてしまおうと画策するが、結局は失敗して、逆にこき使われるという筋だった。最後は、ねこたちの悪巧みがうまくいかなかったことをみんなで笑っておしまいとなるはずが、一人の子が沈んだ面持ちで「かわいそうだね、食べられなかったんだね…」と、ぼそっとねこに同情する感想を言った。子ども向け絵本の場合、心優しい相手を食べるなどという目論見は大体成功しないものだが、どんな動機であれ、一生懸命頑張ったあげく得ることができない事を、素直にかわいそうだと思う、その純粋な気持ちに私はとても驚いた。

 近頃の子どもたちは、お休みでも習い事やお出かけと忙しい。それでも頑張って教会学校に通って来てくれる。この数年間で名前を覚えるのが最初より少しだけ早くなったくらいで、子どもたちや先生方から「先生」と呼ばれるのにも慣れず、相変わらず頼りない奉仕者である。とても「子どもらしさに憩う」までには至っていない。子どもたちと共にいることしかできないけれど、どうか教会学校につながるすべての子どもたちを神様がしっかりと捉え、祝福をたくさん注いで下さるようにと願いながら過ごさせていただいている。
(ふるさわ ひかる)


子どもを楽しむ
石橋 秀雄
 「エンチョウセンセイナニグミ?」
 「園長組」
 「ハハハハ」

 「エンチョウセンセイナニグミ?」
 「園長組」
 「ハハハハ」

 何度も何度も聞き、「園長組」と聞いて笑いながら、走っていき、また、もどって同じ事を聞く。この繰り返しにこちらもおかしくなって大笑いをする。
 子どもの中にいると笑いが絶えない。

 「エンチョウ チョコ チョコ ホワイトボール」と呼ばれている。
 「エンチョウ、チョコチョウダイ」
 「いいよ」 
  (もぐもぐ 美味しい)
 「エンチョウ チョコ チョコ チョコ百コ チョウダイ」
 「いいよ、ほーら百コだよ」
 「ナイジャン」
 「あるじゃん」
 「ナイジャン」
 「あるじゃん」
 「エンチョウ チョコ チョコ ニセモノダ」
 「偽者じゃないよ。本物だよ」
 「エンチョウ チョコ チョコ シンジャッタ」
子どもは面白い

 朝の一時間から一時間半、子どもと遊ぶ時間は、一日の内で最も楽しい時間だ。
 サッカーして、鬼ごっこして、泥んこ遊びをして、遊びまくる。
 子どもに遊んでもらっている時間だ。
 子どもと遊んでいると体力も養われ、維持される

 床屋は千円カットに行き、15分で済ます。
 床屋に行った翌日
 「エンチョウセンセイカミキッタ」と何人もの子ども達から声をかけられる。
 子どもはよく見ている。よく見られているから恐ろしい。本気で遊んでいるか、そうでないかすぐ見分ける。
 こどもの目はごまかせない。
 子どもがいない生活は考えられない。

 こどもを楽しむ世界に生かされていることに感謝。    
(いしばし ひでお)

越谷教会月報みつばさ2010年11月号特集「子どもらしさに憩う」より


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