今月の特集題  主の恵みの中で



神様から与えられた恵み
荻田久次郎
 私は平成6年のクリスマス礼拝に日本基督教団東久留米教会牧師浅野悦昭先生より受洗させて戴きました。受洗以前は自分自身の人生は自分自身が責任を持ち、切り開き、判断をし、選択をし、行っていく事がその人の人生だと思っておりました。富も名誉も幸福も、全てその人の努力と強い意志のみがもたらす結果であると思っておりました。
 勿論、自分の求める幸福と目標は自分の絶えざる努力と根気から生まれる事は真実としても、それは自分の努力だけで見出したものではなく、今は神様と御子なる私達の主、イエス・キリストと聖霊によって予め予定され、導かれていると思う様になりました。即ち神様の“愛” により生かされており、神様が常に私達と共にいて下さる事、自分の力で生きているのではなく、生かされている事を確信する様になりました。私達が神様を選んだのではなく、神様が私達を選んで下さったのです。その意味で、神様のなさる全ての業に感謝致します。
 私が日頃、神様に感謝し祈っている具体例は(一)家族全員が今は健康に過ごしていられる事。昨年秋の長女の病も手術が成功裏に終了し、回復し、現在は元気に仕事にスポーツ(乗馬)に頑張っている事。(二)家族全員が其々の仕事に従事できている事、私自身も4年前ホームヘルパー介護2級の資格を取得し、以来、心身障害のケアーの仕事をいたしております。(三)教会の大先輩乙部兄弟のご指導により妻と共に日本国際ギデオン協会を通して広く、人々をキリストの救いに導くべく聖書贈呈と超教派の教会と教会員との交わりを通して伝道の道を歩んでいる事。(四)日本基督教団埼玉地区壮年部への越谷教会壮年会からの参加として地区内の他教会壮年部代表者と共に伝道活動に参加出来ている事。(五)聖書を日頃日本語の他に英語、フランス語、イタリア語で学んでおります。将来は中国語、韓国語(ハングル)でも学びたいと思っております。これ等の外国語の聖書はギデオン協会から出版されております。(六)最後になりましたが、初孫が今年の7月で満3歳を迎える事になり、将来が楽しみの今日この頃です。
 すべてを御在天の父なる神様と私達の主イエス・キリストと聖霊の業として感謝して、お祈り致します。アーメン
(おぎた きゅうじろう)


主の恵みの中で
田中 てる
 今私は、日曜日のお礼拝を楽しみに待つ様になれました。
 以前、石橋牧師の説教の中で「礼拝を楽しむ」ということを語られました。
 その時の私は、礼拝を楽しむことが出来るのかな?と思ったのです。
 礼拝を欠席するのは、ちょっとひけ目を感じることであり、出席できないのは残念なことです。
 二年前には、初めて手術をするほどのころび方をしてしまい、皆様のお祈りと、たくさんのお支えをいただきました。今は、完全とは言えないけれど、気をつけて普通の生活が出来るようになりました。
 心の病も加わり、長い長いリハビリの時でした。
 思い返せば、会社の事務職から、保育の仕事に変わった時も、長いこと礼拝に出席出来ないことが続きました。両親を続けて失ったこともあり、新しい仕事に専念することで精いっぱいでした。
 又、十七年間勤めた保育所を、体重が減り続けることと(10kg以上)、気力も続かなかったことから退職しました。しかしその後、礼拝に出席出来た時の喜びは、その度に増し加わりました。
 これからは、体力的にも、生活も、大変なことが多くなると思いますが、心はいつも感謝と、喜びを持って歩みたいと願っています。夕礼拝、小学科の礼拝音楽奏楽の奉仕のため、毎日一時間位の練習の時間を持つことも、とても嬉しいことです。
 又、スポーツが苦手な私にとって、お買い物に行くことは大切な運動です。寒い時には、日差しのある所を選び、自転車を押して、歩いて行く様努めています。
 腕は、完全には後ろに上げられず、時々手の平につっぱりを感じたり、しびれを感じたりします。一週間に一度、整体の治療を一時間位受けていますが、歩くことは勧められます。また、いろんなことを聞いたり、教えてもらったりしています。
 お礼拝を楽しむ、とまでは言えないのですが、日曜日の礼拝から始まる一週間の歩みが主によって導かれていることを思い、心から感謝しています。
 願わくば、いつでも、主にあって望み、喜ぶことの出来る日々でありたいと、心から祈るものです。
(たなか てる)

越谷教会月報みつばさ2011年3月号特集「主の恵みの中で」より


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