アーティストが教師に変わる場所
ドラマティーチャ―のトレーニング




ミドルセックス大学は、ロンドンの北東の郊外、緑豊かな大きな公園のなかにある。
1950年代からドラマティーチャ―を養成する高等教育機関として知られてきた。そのミドルセックス大学に「PGCE DRAMA」―大学院ではないが大学卒業レベル以上を対象とするドラマティーチャ―の「修了資格」を授与できる1年間の課程―が開設されたのは、1990年のことである。ナショナルカリキュラムの導入とリンクして、政府のイニシアティブで始められた課程で、その内容も、多分に政府の意向で決定されており、大学の自主性が重んじられる英国にあっても、思いの外、大学の自由裁量はない。
 毎年25名程度の若いドラマティーチャ―の卵が、同課程に集まってくる。演劇的に技術は優れていてもなかなか教師としての意識がない学生も少なくない。演劇学校は演劇的技術を自ら身につける場であり、この課程は、演劇的手法を、教育的理念をもとに教える術を学ぶ場として設計されている。実は、演劇学校を卒業していれば、学校でドラマを教えることはできる。しかし、インストラクターでしかなく、正式の教師としては認められていない。また、非常に不安定な身分であり、同時に、給与も正規の教員に比べ格段安い。もちろん学校内での昇進も望めない。演劇学校を卒業し、俳優としてではなく、ドラマ・インストラクターとして学校ですでに働いている、あるいは学校を仕事の場としたいと願う若者たちを、本物の教師に育てあげるのが、「PGCE DRAMA」課程である。
 課程の構造は、主任教官ケネス・テイラー氏によると、「プラクティス」「プロセス」「コンテント」という3つの語で語ることができる。プラクティスはいうまでもなく実技である。といっても、演劇を指導する「教師の役割」を学ぶことに焦点があてられる。プロセスは、ドラマ・イン・エデュケーションの意味や歴史といったもののの理念を論理で学ぶ。「理」なくして、教師は務まらない。そして、コンテントは何を青少年に教えるのか。この
3つが互いに補完しあいながら、37週間のインテンシブな課程が構成されている。さらに重要になのが、不思議に思われるかもしれないが、インターネット時代に対応したITinformation technology)技術である。近年の教育現場でのITの普及は著しい。ドラマといえど、IT技術なしに教師は務まらないため、必須科目となっているのである。テイラー氏自身、ドラマのスペシャリストでありながら、めっぽうITに詳しい。
 具体的なカリキュラムでは、「マネジメント」という語があちこちで飛び出すのに驚かされる(see below)。学校でのドラマの授業は、教科書があるわけではないし、単にできあがった脚本を上演するということより、むしろ創造性を高めるインプロヴィゼーションをもとにしたものが多い。青少年の成長にあわせて適応していく柔軟性と、ワークショップ運営の「マネジメント」は、不可欠なのである。
 このようなカリキュラムでは、学校現場での研修は不可欠である。ミドルセックス大学は、ロンドン周辺の75セカンダリースクールと提携し、この課程を運営している。大学では一流のドラマ・イン・エデュケーションのスペシャリストが、学校ではベテランのドラマティーチャ―がその学生の指導にあたる。週にもよるが、週2日を大学で、週3日を学校で教えながら、37週間のコースが展開される。多くの文献を読まなくてはならないし、宿題も少なくない。かなり厳しいというのが本音だろう。しかし、この課程での1年間のあいだに、若者たちは演劇学校で学んだ芸術至上主義的な「シアター」技術に加えて、教育のコンテキストに沿った「ドラマ」の理念と手法を学ぶ。学生のたちの意識は、確実に、アーティストから、アーティストのマインドを持ち合わせながらも教師へと変貌していくのである。

ナショナルカリキュラムとドラマ教育の位置づけ

1988年、93年の相次ぐナショナルカリキュラムの導入で、英国の学校教育のコア教科から「ドラマ」ははずされ、英語教育の一環として「ドラマ」が教えられるようになった、という状況に、シェークスピアを生んだ演劇の国の英国でもそうなのかと頭を抱えたヒトも少なくないと思う。英国のドラマティーチャ―たちも、また演劇人たちもこの状況を強く憂えてきた。しかし、人々が憂えるほど衰退していないという話を聞くと救われた思いがする。実際に、現在においてもイングランドとウェールズの70%のセカンダリースクールに専門のドラマティーチャ―が在籍し、上記のミドルセックス大学と提携する学校のうち3名以上のドラマティーチャ―を抱える学校の数は26校に上る。

 実際に、セカンダリースクールでの教育で、ドラマは非常に人気の高い科目である。ナショナルカリキュラムが最初に導入された1988年に、GCSEOレベルでドラマを受験した学生の数は、40,965人、その数は1993年には59,637人にまで増加した。また、大学進学に必要なAレベル験した学生数は、1988年の3,686名に対し、1993年は7,293名にのぼっている。その人気は衰えることはない。

 ナショナルカリキュラムの導入は、各学校の校長に多大な自由裁量を与えることになった。校長の考え方次第ではかなり充実したドラマ教育(あるいは芸術教育全般)を行いうる。特に、ロンドン都心部の学校では、白人系英国人の子弟の数が減少し、かわって非英語圏の移民を親にもつ子どもたちの数が急増するという状況にある。彼らに英語を指導する、彼らの文化を理解し、育成するという意味においても、芸術教育、とりわけドラマの役割は強く認識されている。新たに、専用劇場を建てようという公立のセカンダリースクールすらある。むろん、校長が芸術教育の重要性を認めない場合は、まったく違う結果が生じてしまう。学校による格差は確実に広がっている(ちなみに、ナショナルカリキュラム導入で最も大きな影響を受けた芸術教育は音楽である。無料の楽器指導が禁止され、学校は楽器指導のためのスポンサーを探さざるをえない状態に陥った)
 しかし、ドラマについて問題がないわけではない。英語教育の演劇を文学として考え、実践を軽視するこれまでにはなかったタイプの教師も誕生し始めている。また、もっとファンダメンタルなことなのだが、ドラマティーチャ―は本来、芸術形態としてのドラマを教えることをその仕事としてきたが、英語教育の枠に再編され、さらに、ドラマがむしろ芸術教育そのものではない何か他の科目を教えるための手法として考えられることになったために、彼らのプロフェッショナルとしての「アイデンティティ」が揺らいでしまった。Teaching about theatre(演劇について教える)とLearning through drama(ドラマを通して何かを学ぶ)という2つの方向性の微妙なバランスが崩れてしまったのである。ミドルセックス大学でのPGCE DRAMAの課程は、まさに、シアターとドラマのはざまの現代的なバランスづくりを担おうとしている。    (中山夏織)


カリキュラム例:ドラマ・イン・エデュケーション実践

クラスルームをマネジメントする
1     参加者との関係づくり
2     学ぶための環境づくり
3     グループディスカッションの運営
4      異なる意見の採用

ドラマをマネジメントする
1       ドラマのために焦点を選ぶ
2       ドラマのために適切な劇的アクションを見つける
3        マイム、ヴォイス、ムーブメント、インプロの活用
4        異なる演劇的スタイルとコンベンションの認識
5        テンションを創り、維持する
6        グループのモチベーションを発展させる
7         言葉を発展させる
8         特別なニーズの発見
9         反応の扱い―ドラマを査定すること

カリキュラム以外のマネジメント
1           ドラマワークショップ
2            学校演劇

他のカリキュラムとの関係のマネジメント
1             デザイン、テクノロジー、音楽、美術とリンクしたクリエイティブアートとしてのドラマ
2              歴史、地理、社会学とリンクしたドラマと人文学
3              ドラマと語学教育
4              ドラマと、英語、コックス報告書、ナショナルカリキュラム規定

参考文献

Arts Council of Great Britain(1992): “Drama in Schools Arts Council Guidance on Drama Education”
Arts Council of Great Britain (1993): “Briefing Paper 2 The Education Act 1993 How will it affect arts education”
Arts Council of Great Britain (1993): “Briefing Paper 3 Dearing the final report What does it mean for the arts in schools?”
Arts Council of England (1994): “Briefing Paper 4 The Revised National Curriculum The change to the arts”
Kenneth Taylor (1999): “PGCE DRAMA Student Handbook Secondary Initial Teacher Education”, Middlesex University