(*^_^*) 大 津 祭 り「国指定重要無形民俗文化財」 (*^_^*)


曳山巡行図へ




大津祭りは、湖国3大祭りの一つです。

江戸時代の始め、鍛冶屋町に住む

塩売治兵衛という人が狸面かぶって

踊った事から始まりとされている。



10月06日は宵宮で10月07日に行われる本祭りでは

祭ばやし(コンコンチキチンコンチキチン)と共に豪華な

ゴブラン織りや装飾金具が飾られた13基の曳山が巡行

し、町は祭り気分、一色に染められる。♯♭♪♪♪♪♪




平成30年の大津祭りの開催日


(^o^) _  9月30日(日) 山建て

(^o^) _ 10月06日(土) 宵宮

(^o^) _ 10月07日(日) 本祭り

西王母山のからくり



【大津祭りの特長】

曳山それぞれに取り入れられている、からくり人形がある。

からくりの題材は中国の故事や能、狂言から取られたもので、文化水準の高さが推測できる。

西京桜狸山のからくり



【13基の曳山紹介】

( 1)『西京桜狸山』 さいきようざくらたぬきやま

1638年に現在の曳山の基となるった。 1656年には、からくりを狸の腹鼓から、題材にした西行桜に替え 現在の形になった。 この年から、狸の姿をこしらえて曳山の屋根の上に立たせることになった。 以後屋根の上で日和見をし、祭日の天気を守護するといわれている。


【からくり】
さくらの精が曳山の左前古木より現れ花道を進みでて奥にいる西行法師と 和歌問答をする様を表している。





( 2)『郭巨山  』 かっきょやま

古代中国の故事二十四孝の一人で、郭巨の話にちなんだものである。 郭巨は漢の隆廬の人で、妻と老母を養うのが精一杯という貧しい生活 をしていた。 やがて子供が三歳の食べ盛りとなると、老母は孫かわいさに自分の 食べ物まで分け与えるようになった。 そこで郭巨は妻に「子は、再び得られるも、親は得られず」と相談し、 老母の食べ物を減らさないために子供を埋めることを決意した。 そして郭巨か穴を掘っていると地下より黄金の釜が出現し、その中には、 「天、孝子郭巨に賜う」と記され、天が彼の孝心を誉めて与えたものである。


【からくり】
郭巨か鍬で地面の高い所を掘ると黄金の釜が出現するところをあらわしている。





( 3)『源氏山  』 げんじやま 

紫式部が石山寺において想い練り、「源氏物語」を書いたという伝承ちなんだものである。


【からくり】
紫式部が源氏物語の構想を練る様子を表したからくり。





( 4)『月宮殿山 』 げっきゅうでんざん 

能楽「鶴亀」のうち、喜多流の「月宮殿」にちなんだものという。


【みどころ】
この曳山の見送幕は、鯉山と同じく、ベルギー製の毛綴織で、国の重要文化財である。 トロイの落城の情景を、あらわしている。





( 5)『西王母山 』 せいおうぼざん  

西王母は、古代中国の伝説上の仙女で、中国の西方で、こんろん山に住む人面、虎歯、豹尾 の仙人であるという。 一般的には、不死の薬を持つ仙女として伝えられている。


【からくり】
中央奥の台に唐風に正装した西王母が端然と控えている。下手屋形柱の内側に桃の大樹があって、 大桃が見事に実っている。 この大桃が「バッ」と二つに割れて、中から唐子衣装の童子が右手で軍配を持って出てくる。 童子は幹を前方に進み膝を上下させ、くるりと身をひるがえし、また元の桃の中に戻る。





( 6)『殺生石山 』 せっしょうせきざん    

能楽の殺生石より名付けられた。鳥羽院の寵愛を受けた玉藻前という女官いた。実は玉藻は、白面 金毛九尾の狐の化身であり、帝の生命を奪い、国を亡ぼそうとしていた。見破られ退治され、殺生石 といわれる石となった。


【からくり】
玉藻前は手に扇を持っており、その扇で顔を隠す、玉藻前が扇をのけると顔だけが狐に変わっている。 また、狐が扇で顔を隠し、扇を下に降ろすと顔が玉藻前に変わるというものである。





( 7)『龍門滝山 』 りゅうもんたきゆま    

中国の黄河上流の、竜門山には魚が遡り得ない難所の滝があった。この滝を遡り得ることができた 鯉は昇天して竜になるという故事にならい龍門滝山と名付けられた。


【みどころ】
この曳山の見送幕は、月宮殿山と同じく、ベルギー製の毛綴織で、国の重要文化財である。 トロイの落城の情景を、あらわしている。


【からくり】
曳山全体が竜門山を模し、天は一面雲を表した彫刻をほどこして天をあらわし、中央には大きな 滝がある。鯉はこの滝を尾やひれを左右に振り動かしながら難度も滝を上下し。次第に上へ上へ と登ってゆく、金色に塗られた鯉は滝の上部にかかると突然翼を左右に広げることが鯉から竜へ の変身を表している。





( 8)『湯立山  』 ゆたてやま        


【からくり】
巫子が笹葉を上下に振り釜でお湯を立てる身振りをしている横で、飛屋が首を左右に振って 鉦を「おちゃんぽ、ちゃんぽ」と打ち、天孫神社に湯を奉る神楽の舞を納める。 お多福顔で目は細く、口元は舌を「チョツ」と出し、受け口で、えくぼがあるという、可愛く 円満な福相をしている。





( 9)『神功皇后山』 じんぐうこうごうやま   

神功皇后は、夫の仲哀天皇の急死後、遺志を次いで朝鮮出兵し、しらく新羅、百済、 高句麗の三国を征服したという伝説上の人物。


【からくり】
皇后が右手にもった弓を左手で支え、体を岩の方に向け、弓の先で、岩の左上に 「三」の字を書くと、岩に黄金色に輝く「三」の文字が現れる。このようにして 「三韓之王者」という五つの金文字が、次々と岩上に現れる。





(10)『猩々山  』 しょうじょうやま     

中国の金山の麓に高風という親孝行な若者が住んでいた。ある夜「揚子の町に出て 酒を売れ、必ず富貴の身となる」という夢わ見、この教えに従い酒売りをしたところ、 次第に富貴となった。


【からくり】
高風が前の壺より酒を汲み、猩々が持っている盃に注ぎ、猩々は、盃の酒を飲み干 して手に持った扇で自分の顔を隠す、猩々が扇をのけると、酒がまわって真っ赤に なった顔が現れる。





(11)『西宮蛭子山』 にしのみやえびすやま   

別名鯛釣山とも呼ばれている。


【からくり】
蛭子が岩の上に座り釣り糸を悠然とたれている。 蛭子の表情は絶えず微笑を忘れず美しく気高い。 その左手に魚篭を持った太郎冠者がいる。 蛭子の前に二匹の鯛が泳ぎ回り。この鯛は下で人形方が直接手で泳がせている のであるが本当の鯛が水面を泳いだり、跳ね上ったりするように見える。





(12)『孔明祈水山』 こうめいきすいざん    

中国の三国時代の蜀の軍師諸葛孔明の故事よりその名を取ったものである。


【からくり】
遣車に乗った孔明がおり、その左に鎧兜をつけた武将趙雲が鉾を構えて立っている。




(13)『石橋山  』 しゃっきょうざん     

文殊菩薩の愛獣である獅子が現れ牡丹の花にたわむれているのを見たという物語 から来ている。


【からくり】
所望囃子が始まると岩の下方が割れて岩戸が開き、大きなドングリ眼の唐獅子が 現れて、少し前に進み跳ねて、回り岩戸の中に入る。