逢坂の関

794年、都が平安京にうつされると、大津は、京と東国・北陸を

結ぶ交通の要所として重要な地位を占めた。

逢坂山は、別れと出会いの象徴であり、歌枕の地となった。

蝉丸が「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬもあふさかの関」

(小倉百人一首)と逢坂の関を叙情豊かに歌った。



逢坂関

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【アクセス】JR大津駅から徒歩20分