貝塚沼について

 


 
昔から、貝塚沼はどこにあったのかと疑問に思っていました。貝塚の稲荷神社を訪ねるのを良い機会として、貝塚沼の場所も調べてみることにしました。

 
9月末とはいえまだまだ暑く、森に入ると蚊の大群がいたり草が深かったりと、なかなか奥まで入っていくことができませんでしたので、冬に再び訪ねてみようと思いました。また、事前の調査が足りず、南貝塚沼の場所を勘違いしてしまい、あった場所を確認することができませんでした。

 



 図書館にあった古地図です。分かりやすいように色鉛筆で色を塗りました。地図を見ると、半島状台地の上下に沼がありますので、分かりやすいように、仮に「北貝塚沼」と「南貝塚沼」と書きました。半島状台地の先端のほうに稲荷神社が載ってます。小さくて分かりにくいですが、鳥居のマークがあります。
 左のほうには守谷城と古城沼も載ってます。







上の古地図と航空写真を比べて、現代の地図に鉛筆で書き込みを
しました。地形も描きました。ただ、この地図は取手市の地図でした
ので、みずき野の描写が甘く、現地で場所を掴むのを間違えました。






貝塚沼周辺の航空写真です。
真ん中に見える半島状台地の南北に沼があったようです。
半島状台地の中ほどに稲荷神社があります。



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上の写真の一部分をアップしたものです。
真ん中の茶色の地面の中に、周りと比べると色の薄い
楕円形っぽい部分があります。南貝塚沼のソイルマーク
かもしれません。ソイルマークという表現が合っているか
分かりませんが・・
※グーグルマップの航空写真が更新されてしまい、ソイル
マークらしきものは分かりづらくなってしまいました。



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市之代からみずき野へ向かう道から撮った写真です。
上の現代地図に、撮影地点を赤い矢印で記入してあります。

北貝塚沼があったであろう場所に色を塗ってみました。






上記と別の古い地図に貝塚沼が載ってました。
北と南が繋がってます。この辺全体が湿地で、
その時により沼の大きさが変わっていたのでしょう。





「取手ところどころ」という本に貝塚沼のことが書いてありました
ので、主なところを抜粋させていただきました。

○八町八反沼と呼ばれていたので大きい沼だった

○底なしと言われていた。

  「貝塚にきた婿さんが沼に苗穂えに行ったきり、帰ってこ
   ないから、行ってみたら帽子だけが水面に浮いていたん
   だって伝説もあるんだ」

○沼に苗を植えてお米をとっていた。

 ・沼底に木を沈め、水面の上に綱を張り、木の上を歩きなが
  ら綱につかまって苗を植えた。
 ・苗は水面から70センチ下に植えるから、普通の苗より長く
  なったものを使った。
 ・胸まで水に浸かったので、夏でも冷たかった。
 ・誰でも苗を植えられるようにするために沼を埋め立てた。

○魚がたくさんいた。

 ・鰻がたくさんいて、一年中捕れた。貝塚の鰻は焼くと膨れ
  た。鰻を東京に売りにいくと、「貝塚から持ってきたのな
  ら」と高く買ってくれた。
 ・エビもたくさん捕れた。食べきれない分は、塩茹でにして
  干して取っておいた。
 ・冬には鮒も捕れた。鮒を捕って売ったお金を貯めて牛を買っ
  た人がいた。


 


貝塚にお住まいの方にお話を聞く機会があったので、
沼のことを聞いてみました

○よく釣りに行った。ブクブク泡が立ってた。

○埋め立てたのは戦後。

 埋め立てたうち、守谷市側にあったところは、今、みずき野に
 なっている。

○舟に乗っていたら、岸に知り合いの子供がいたので、
 「なにやってんだぁー」と声をかけたら、ドプンって沼に落っ
 こちゃったんだ(笑)