平将門の伝説




○平将門の伝説と言えば、「縁者の成田山忌避」が有名ですが、現在でも
 そういった方々がいるという話しを聞くことができました。

   市の行事で、成田山に参拝するバスツアーが企画されたそうです。
  成田山に着いてみんなバスを降り出すと、一人だけ「私はバスで待っている」
  と言ってバスの中で待っている人がいたそうです。体調が悪いわけでもない
  のに何でだろう、と思って聞いてみると、実は、そのお宅は、平将門に
  縁のあるお宅で、成田山には参拝しては行けないことになっているという
  
ことでした。
    話しには聞いたことはあるが、実際にそうした事例を目の当たりにしたのは初めて
   だったので、驚いたそうです。

○村上春樹さんの「平将門伝説(汲古書院)」を見ると、
  『 将門の埋蔵金    北相馬郡守谷町大柏
      平将門が「困窮の時に、掘り出して使え。」と村人たちに埋蔵金の鍵言葉を
      残した。それは「朝日射す夕陽輝く丘の上、春は花咲く玉椿の下」という。   』
   と書いてありました。

    
大柏に長く住んでいる方に会う機会がありましたので聞いてみましたが、そういう話し
    は聞いたことがない、とのことでした。同席していた守谷市役所の方が、役所で聞い
    てくださったのですが、やはり知っている方はいないようでした。大柏で 『 丘 』 のよう
    な高い場所はあまり見当たらず、西光寺のあたりではないかとのことでした。

    実際に堀ってみようとは思いませんが、もう少し調べてみたいと思いました。


村上春樹さんの「平将門伝説(汲古書院)」を見ると、
 『 
でいつ      北相馬郡守谷町野木崎
      『将門記』に記された相馬郡大井の津は、この地を指すといい、小字「でいつ」
      がその場所にあたるとする説がある。                       』

   と書いてありました。

    平将門が造ろうとした偽都に非常に興味がありますので、この伝説は興味深く見ました。
    野木崎に長く住んでいる方に会う機会がありましたので聞いてみましたが、そういう地名は
    聞いたことがないとのことでした。同席していた守谷市役所の方が、役所で聞いて下った
    ところ、やはり、野木崎には 『 でいつ 』 という小字はないとのことでした。代わりに、野木崎
    の隣の大木というところに、『 出津(でつ) 』という小字があるので、それではないかと
    ことでした。 大木流作のあたりで、今では鬼怒川の河川敷になっているとのことでした。
    出津の正確な場所は分からなかったので、もう少し調べてみることにしました。

    なんにしろ、「 でいつ 」 は 「 出い津 」 ということと思いますので、たぶん大木の「出津」の
    ことで間違えないでしょう。 蘭沼(今の利根川あたり)に対して半島状の台地が突き出し
    ていた地形だから 「 出津 ( 出い津 ) 」 と言ったのでしょうか。




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