伝説1
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| アワビパワー | 1253(慶長5)年ごろ | 猿島近海 | 日蓮上人とでかいアワビ |
| 何した | |||
| 日蓮上人が千葉から鎌倉に向かって船に乗っているとき時化に合い、船底に穴があいて船が沈みかけた。そのとき日蓮が舳先にたって題目を唱えると海水の浸入が止まった。見ると、船底に大きなアワビが貼り付いて浸水を防いでいたとさ。 | |||
伝説2
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 猿まで言う事を聞く | 1253(慶長5)年ごろ | 猿島近海 | 日蓮上人と白い猿 |
| 何した | |||
| アワビパワーでようやく沈没を免れた日蓮。しかし、時化は収まらずあたり一面真っ暗になって方向までわからなくなった。再度題目を唱えると、こんどは白い猿が現れて無事に島に導いたとさ | |||
伝説3
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| サザエまで反省する | 1253(慶長5)年ごろ | 米が浜 | 日蓮上人と土地の人(石渡左衛門) |
| 何した | |||
| やっとのことで米が浜にたどり着いた一行、遠浅の浜で船が進めない。石渡左衛門という土地の人が日蓮を背負って歩いて上陸しようとした。しかし、そのとき石渡左衛門は浜にあったサザエを踏んで足を切ってしまった。上人が題目を唱えるとサザエの角が無くなってしまったとさ | |||
伝説4
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 鶴の傷が治ったと言う良くある話 | 平安時代 | 阿部倉温泉 | 三浦大介と鶴 |
| 何した | |||
| 三浦の殿様は、傷ついた鶴を城中で治療していた。直りかけた鶴は毎日朝になると飛んでいってある池に体を浸して井戸の水を飲んではお城に戻った。傷をすっかり治してしまった鶴を見て、殿様はその池に湯の花権現を祭り井戸を鶴の井と名づけた。それが阿部倉温泉なんだとさ | |||
伝説5
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 頭痛が治る | 今でも治る | 大矢部の満昌寺 | 行った人はみんな直る |
| 何した | |||
| お寺の山門をくぐって本堂の手前の左側に大きなツツジがある。このツツジは源頼朝が植えたもので、この下を通ると頭痛が治るそうだ。 | |||
伝説6
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 皮膚病が治る | 今でも治る | 平作の笠森稲荷(大蔵寺) | 行った人はみんな直る |
| 何した | |||
| 江戸時代の初め頃、浦賀出身の相撲取り岩男波磯吉(いわおなみいそきち、強そうな名前!)が自分の病気が治ったのに感謝したりして人気があった。 | |||
伝説7
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 身を投げて海神の怒りを静めた | 日本書紀の大和朝廷のころ | 走水神社のあたり | 日本武尊と奥さんの弟橘媛 |
| 何した | |||
| 日本武尊は東国を征伐するために古東海道の走水から房総半島に渡ろうとしたが、船を出すと強風が吹き荒れて大しけになった。すると、奥さんの弟橘媛が「私が海の中にいって海神と話をつけてくるわ。」と言って?身を投じた。海はたちまち静かになってすごい速さの海流で千葉に船を運んだ。と言うわけで日本武尊はこの地を走水と名づけた。弟橘媛の付けていた櫛が稲岡町(ベース内)に流れ着いた | |||
伝説8
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| お坊さんの法力 | 668〜749奈良時代 | 観音崎 | 行基という僧 |
| 何した | |||
| その昔、観音崎の前の浦賀水道は恐ろしい場所だった。浦賀水道を行く船を見かけると必ず鵜が群れをなして襲い、その後観音崎の洞窟から大蛇が出てきて暴れたのだった。日本中を改良して回っていた行基が観音崎にもやってきて法力で大蛇と鵜を退治して、その霊を慰めるために観音像を彫って洞窟に祭った。村人は感謝してこの岬を観音崎と呼んだ。 | |||
伝説9
| 伝説名 | いつ | どこで | 誰が |
| 馬が彫った井戸は百日咳が治る | 800年ぐらい前 | 馬堀中学の横 | 美女鹿毛という名の馬 |
| 何した | |||
| 千葉県の方から鹿毛の美しい姿の馬が泳いで渡って来て小原台で暴れまわっていた。しかし、小原台には水が沸いてなかったので、その馬はのどが渇いて倒れてしまった。倒れたとき夢に観音様が現れてお告げをくれた。お告げのとおり蹄で岩を掘ると清水が湧き出てきた。その水を飲んだ馬はすばらしく良い馬に変わった。この清水を蹄の井戸と呼んでこの村を馬掘と名づけた。その馬は、領主、三浦義澄から源頼朝に献上された。蹄の井戸は百日咳が治るということだ。 | |||