『幽霊』 あるいは SUPERLOVERS IN THE SUN 「ひさしぶりだね」 私が部屋に入るなり、彼はそう言った。一人ぐらしには広すぎる大きな洋館。 早くに両親を無くした彼は、両親の残したその古めかしい館に住んでいる。 「よかったわ、あなたがつかまって。これなの、お願いしたいのは」 私は、バッグからMOを取り出して、彼に渡す。痩せて長身の彼は、少し皮肉 な笑みを見せてそれを受け取った。 「やれやれ、相変わらずだね、君は。これかい、そのメモリダンプとは」 彼はMOを受け取ると、自分のデスクに置いてあるマシンに接続された、ドラ イバへ差し込む。 「まあ、全く会いに来てくれないよりはいいけど、普通、用件の前に世間話くら いは、するだろう」 ディスプレイに十六進のデータが表示される。彼は、思索にふける哲学者の顔 で、覗き込んだ。 「急いでるの、私は」 「判るけどね。さてと」 ディスプレイに表示された数字の羅列を、新聞でも読むようにすらすらと読み 解いていく彼は、私の理解を絶した異能者である。彼の名は朝倉皓平。元、私の 上司であり、私とほぼ同時期に大手コンピュータメーカを辞めた友人である。 そして、相変わらずコンピュータ業界の中小ソフトウェアハウスでトラブルシ ューティングに駆け回っている私は、自宅に引きこもり売れないイラストレータ となった彼に、未だに助けを求めにゆく。 何しろ大手コンピュータメーカで、OSの開発を中心になってやっていた人で ある。大抵のトラブルは、魔法使いのように解決してしまう。 「何、軍事衛星制御プログラムなの?こんなのやってるわけ?」 「別の下請けがトラブって急に回ってきたのよ」 「防衛庁が米軍の軍事衛星でも買ったわけ?」 「そうみたいね。なんか地上にレーザー照射までできる優れものらしいわよ」 「ふうん」  彼は興味なさそうに相槌をうつと、再び解析に集中していく。 彼が解析している間、私は手持ちぶさたになる。相変わらず殺風景な彼の部屋 を見回した。 無造作に壁へ、彼の作品が並べられている。アクリルガッシュで描かれた繊細 な色彩のそれらの絵は、全て同一のモチーフであった。オフィーリア。発狂して 水死した少女の姿を、何が気に入ったのか、それとも気に入らないのか、ひたす ら描き続けている。 「ええっと、システムジェネーションのリストは持ってきたかい?」 私は慌てて、リストを彼に手渡す。彼はデスクから赤ペンをとると、ふんふん と追ってゆく。 「ああ、これだよ、これ。ここの指定が小さいとセッションが大量に開設された 時に、メモリ上に送受信キューが確保できなくなる。ここをこの値に変えれば、 サーバは動くよ」 ひょいと、彼は赤丸をつける。私は、大きくため息をついた。 改めて、彼の顔を見つめる。彫りが深く、日本人ばなれした容貌の彼は、酷く 窶れて見えた。 「痩せたわね、あなた。ちゃんと食べてる?」 彼は苦笑した。 「やれやれ、何を言い出すかと思ったら。ちゃんと食べてるよ。最近、寝不足ぎ みでね。そのせいで、頬がこけたように見えるんだろ」 へぇ、と私は感心した。 「あなたでも、忙しいことがあるの?」 「いや、恥ずかしながら暇でね」 彼は、友人のデザイン事務所で溢れた仕事を、回してもらっている。元々生活 に困らないだけの遺産を相続している彼は、月に数本の仕事しか受けていない。 「寝不足なのは、ゲームにはまってるせいだ」 私は吹き出した。 「何よ、ゲームって」 「コンピュータゲームだよ。よくあるじゃないか」 私はまじまじと彼の顔を、見直した。 「どうしたの一体。あなた私以上に、ゲーム音痴だったじゃないの。ドラゴンク エストを知らない唯一の日本人と、思ってたのに」 「まあ、そうなんだけど」 「で、どんなゲーム?」 「ああ、それがね。よく覚えてないんだ」 私は苦笑する。彼は、困った顔をして言った。 「何しろいつもゲームの途中で寝てしまってね、起きたら内容を覚えてないんだ」 彼らしいといえば、彼らしいのだが。 「どこで買ったの、パッケージとかあるの?見せてよ」 「いや、そういうんじゃないんだ」 彼は、ますます困った顔になる。慣れてるとはいえ、時々彼ののほほんとした 調子に腹が立ってくる。 「じゃ、どういうのよ」 「パソコン通信のサーバからダウンロードして来るんだ、自動的に」 私は、絶句した。 「どうもファームウェアのレベルでタイマー監視しているらしくて、夜中の零時 を回ると自動的にパソコンが立ち上がって回線を接続してダウンロードしてくる。 ダウンロードされたゲームは、これがまた自動起動されてくるんだ。すごい事に、 電源を落としていても、電源が自動で立ち上がるんだよ」 さすがに、私は蒼くなった。 「ちょっと、呑気に構えてる場合じゃないわよ。それってやばいウィルスにやら れてるのよ。あなたらしくないわね、早くなんとかしないと」 彼はいまいましい程ぽよんとした顔で、答える。 「うーん。でも、ログを見るかぎり、妖しげなところにアクセスしてる訳じゃな いんだけどな。多分僕が自分で、変な設定したんだろう」 「とにかく。うちの会社にウィルスに詳しいのがいるから。ダウンロードしたデ ータを貸してよ。調べてみるわ」 彼は面倒くさそうに、MOへデータをコピーする。私は自分の持ってきたMO と合わせて2枚受け取ると、バッグに収める。慌ただしく立ち上がった。 「じゃ、いくわ」 「やれやれ、お茶くらいださせてよ」 「急いでるの、ごめんね。今度は仕事抜きでくるわ」 「といいながら、トラブル抱えて半年後にくるんだろ、ま、いいよ。期待しない で待ってるから」 私は彼の部屋を出る。そして愛車のハンドルを握ると、機嫌を損ねたサーバが 待つ客先へと向かった。 「お帰りなさい」 疲れ果てて、マンションの部屋へ変えるとルームメイトの樹理がエプロンをつ けて待っていた。 「つったく、あのゲーハの課長。障害報告朝いちでいいからって。午前3時にい うな、ぼけ」 樹理はくすくす笑いながら、言った。 「ねえ、ご飯食べるんでしょ。豚の角煮、うまくできたのよ」 私は午前4時に食べる食事を夕食というのか、朝食というのか考えながら、樹 理に声をかける。 「それより、ビール!」 私は最後の気力を振り絞って、パソコンを立ち上げる。ワープロソフトを起動 すると、障害報告のための文章をうち始めた。樹理からビールの五百ミリリット ル缶を受け取ると、ごくごく呑む。傍らにいる樹理を見て、ふと思ったことを口 にする。 「樹理って、お嫁さんみたい」 「ばかね」 ふふん、と笑うと、樹理はキッチンへ戻った。売れないながらもミュージシャ ンをする傍ら、占い師をやって暮らしている樹理が、ストーカーから逃れるため に私の部屋へ来てからもう半年がたつ。 真性のレズビアンを自称する彼女をルームメイトにするのはいくら部屋があま っているとはいえ、どうかと思っている。しかし、一緒に暮らしていると樹理は 変な話私を、同性として認めていないことが判った。 樹理は女の子が好きなのだ。日曜日にはレモンパイを焼き、魔法のような薫り のするブレンド紅茶を飲みながら、一緒に彼女の愛するアイリッシュトラッドを 聞けるような。 私は週末には朝まで飲み続け、カラオケとゲームセンターでストレスを発散し、 休日には泥のように眠る生活である。聞く音楽も間違ってもトラッドではなく、 デッド・ケネディーズや、プッシー・ガロアのようなジャンク、ガラージュ系統 でヘッドバンキングをしながら踊るパターンが多い。 ようするに、樹理とは世界が違う。私たちは、互いに交わることのない世界で 暮らしていながら、妙にうまがあった。それに、樹理は料理が上手い。 突然、食器の割れる派手な音がした。私は、手を止めて振り返る。 樹理が、幽霊のように蒼ざめた顔で立っていた。パニックが私にも、伝染する。 「ななな、何よ、一体、どどど、どうしたのよ」 豚の角煮や鰺の開きが床に、散らばっている。普段なら樹理はそういうのに我 慢ができないはずだが、気にも止めていない。樹理は私のバッグを見つめていた。 「明美、あなたいったい」 明美とは私の名前だ。 「何を持って帰ってきたの」 へっ?となった私は、バッグの中を覗く。持って帰ったといえるのは、MOが 2枚。私は、彼からもらったMOを取り出して見る。 「それよ」 樹理は、私が今まで見たことのない表情で言った。多分、占い師としての樹理 が、そこにいるのだ。 「それは、よくないものだわ。とても」 「そういっても、ただのゲームよ。ウィルスに汚染されているかもしれないけど」 樹理はちょっと待ってというと、手早く散らかった食事を片づける。片づけが 終わると、樹理は私の隣に座った。 「ねぇ、見せてそれを」 樹理の催促に、私は躊躇した。ウィルスに汚染されてるかもしれないものを、 見せろといわれてもねぇ。結局、樹理の気迫におされた形で、私はデータをイン ストールする。 そのゲームは、十のファイルに分かれていた。ようするに、十回ダウンロード したのだろう。 私は、インストールしながら、大体の事情を樹理に説明した。樹理は心を別の 場所に置いてきてしまったような顔で、言った。 「憑かれてるわね、その人」 「どういうこと?」 「とにかく、ゲームを起動してみて」 私ため息をつくと、ゲームを起動する。初期画面が立ち上がってきた。 「あら、ヴェルセヴァルクじゃないの。新作は久しぶりだわ」 樹理の言葉に私は少し、驚いた。 「知ってるの、このメーカ」 「ええ。結構有名よ。ちゃんとしたゲームを造ってるメーカだわ」 ゲームはどうやら、まともなものらしい。私は少し安心した。名の通ったメー カの商品が、ウィルスに汚染されている可能性は皆無だろう。 ゲームは、どうやらアドベンチャー形式である。ラファエロ前派ふうの流麗な 絵によって、物語が展開してゆく。 まず、主人公の探偵である匂鳥のところへ、一人の女性がくるところから、物 語は始まる。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■GAME START■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ > >「私を調べてほしいんです。匂鳥さん」 > 黒衣の女性は、そう私に告げた。仮面を被ったように表情を崩さない彼女に、 >私は少し肩を竦める。 >「意味が、判りませんね」 >「二重人格というのは、ご存知?」 > 私は、ため息をつく。 >「あなたが、それだと?」 > 彼女が頷く。 >「残念だが、この仕事はうけれませんね。それは、精神分析医の仕事でしょう」 > 彼女は首を振る。 >「私の中にもう一人の自分がいる事自体は、構わない。私が恐れているのは、も >う一人の自分がしようとしている事です」 >「具体的に言ってみてください。あなたは何を恐れています?」 >「もう一人の私が犯罪を犯すことを。いいえ、すでに犯しているであろう事を」 > 私は立ち上がった。彼女は怯えているようにも見えず、不安がっているように >も見えない。むしろ舞台にたつ大女優のように、毅然としていた。 >「あなたは、自分を裁いてほしいのですか」 >「いいえ」 > 彼女はなぜか、微笑んだ。 >「ただ、知りたいだけです。私、もう一人の私が、したこと、そしてしようとし >ている事を」 > 私は彼女の傍らに立つと、彼女が腰掛けている椅子の背に手をおいた。 >「引き受けましょう、この仕事」 > 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>り、甘い吐息を吐き付けてくるように。 > 私は、扉をあけた。そこに彼女がいた。一糸纏わぬ、生まれたままの姿で。部 >屋の中は、空気が渦巻いている。 > シルフィールドが乱舞するように、部屋の空気が蠢いた。きらきらと月長石の >ような月の光の破片が、舞い散る花びらのように振りまかれる。 > 部屋は全裸の彼女を中心とした、メエルシュトロオムのようだ。彼女の後ろに >何かがある。蒼く暗い水、水槽であった。 > その中に何かが、沈んでいる。私は、それを見なければならない。しかし、私 >の前には、彼女がいる。魔族の女王のように威厳をもち、妖精のように神秘的に >美しい彼女が。 > 私は、彼女から何かを受けとる。 > ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■GAMEを中断します■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■DATAをSAVEしますか?■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■YES OR NO ■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■YES■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 主人公の匂鳥は、その後記憶を失う。翌朝、彼は自分の部屋に、剣が置かれて いるのに気付く。そしてニュースでは、連続殺人事件が再び行われた事を伝えて いた。 毎夜一人の女性が殺される。殺された女性は、必ずからだの一部を切除されて いた。 主人公の探偵は自分にまとわりついた血の匂いに気づきながら、再び依頼主の 尾行を続ける。 「なんだかねぇ」 私はため息をついた。私の好みのゲームではない。むろん、問題はそんなとこ ろにあるのではない。 一ファイルが一夜の構成になっているようだ。毎夜匂鳥という探偵は依頼主の 女性を追って色々なところへゆく。その様を幻想的に描いてゆく趣向らしい。 樹理がいった。 「道を作っているのよ、このゲームが」 「みちぃ?」 「そう、あなたの友達の魂を冥界につれさる為の道」 私は死んだ。 「冗談。たかがゲームでしょ」 「呪符に決まった形があるわけじゃない。形態としてはプログラムであってもい いの。ある特定の作法にのっとれば、プログラムに霊魂を憑依させることができ る」 私は、くらくらする頭を押さえて言った。 「樹理、ひょっとしてこういうこと?パソ通のサーバに展開されたソフトウェア に、幽霊がとり憑いている。その幽霊は、私の友達である朝倉皓平の魂を手に入 れようとしている。 そこでゲームソフトという使い魔を彼の端末にダウンロードして、彼の魂と自 分自身の間にネットワークを張ろうとしている?」 「あたり。いい勘してるじゃない」 「いっとくけどね、樹理。信じた訳じゃないのよ」 きょとんとした樹理に、私は指をつきつけた。 「今のはあなたの妄想を、説明してあげただけ。そんなの戯言だわ」 樹理は、怒らなかった。そういう態度には、なれているのだろう。 「じゃあ、見せてあげる」 樹理は自分の部屋から水晶球を、取ってきた。彼女の商売道具。きらきら光る その球体を抱いて、彼女は端末の前に座った。 「じゃあ、呼ぶから」 樹理の言葉に、何をと問い返す前に、それは起こった。ずん、とマンションの 上に巨大な鯨でも墜ちてきたように、部屋が揺れたのだ。 「な、何?今の」 少し蒼ざめた私に、平然と樹理が言った。 「ただのラップ現象よ」 突然、部屋の照明が落ちた。暗闇の中にふっと樹理の姿が、浮かび上がる。彼 女の前にある端末にのみ、電源が入った為だ。 薄く輝くディスプレイに、ぼうっと影がうかび上がった。それは、女性の顔に なってゆく。 端末に接続したスピーカーが、ノイズを発する。やがて、ノイズの中に声のよ うなものが混ざり始めた。 「…なぜ、私を呼び出した…私に、何の用だ…」 ディスプレイの女性が、語った。樹理が答える。 「あなたに、聞きたいことがある」 「…何を、聞くというのだ…既に、死者である…私に…」 「なぜ、死者であるあなたが、朝倉皓平の魂を望むの?」 ぐん、と部屋の闇が濃さを増す。温度が確実に、2度は下がった。そしてディ スプレイの映像は、激しく揺れ動き、スピーカーのノイズは狂的に高まる。  地の底から響くような声が、言った。 「…それは、愛しているから、…愛している…愛している…愛している…愛して いる…愛している…愛している」 無限に続くかと思われたリフレインが、突然とまる。 「…おまえは、何を考えている…まさかおまえ…」 樹理が高らかに言った。 「帰るがいい、こちらの用は終わった」 そして水晶球をディスプレイへ突きつける。再び、どん、と部屋が揺れた。 唐突に部屋の照明が、元に戻る。端末は電源が落ち、沈黙していた。 「な、何、いまの」 私は、半ば腰が抜けていた。樹理がふふんと笑う。 「終わったわよ、豚の角煮食べる?」 私は、がくがくと頷いた。 「じゃあ、このままだと朝倉皓平の魂はあの幽霊につれさられる訳ね」 食事をしながら、私は樹理にいった。樹理は頷く。 「でも、彼の端末を心霊的に祓うことはできるわ」 へぇ、と鰺の開きをほうばりながら、私は感心する。 「どうやるの?」 「呪符のプログラムを、彼の端末へインストールすればいい。そうすれば心霊的 ネットワークは断たれ、道が閉ざされる」 「ふうん。あ、角煮美味しいわよ」 「ありがと」 「でも、誰がその呪符プログラム作るの?」 樹理は、にっこりと笑う。 「5万円でどう。端末は、明美のを借りなきゃいけないけど」 「げえーっ、金とるかぁ、友達なのに」 「その朝倉さんは、友達じゃないもの。きっと色々困るわよ、その人がいなくな ったら」 「まあ、しょうがないか。でも、だめだわ」 「なによ、だめって」 「彼はこんな話、信じないよ。私以上に唯物論者だから、彼。物理学ファンダメ ンタリストと呼ばれてたくらいだし」 「何その物理学ファンダメンタリストって?」 「物理学の教科書に載っている事が、世の中のすべてなの」 樹理が死んだ。私はごちそうさまをする。 「彼が信じなくたって問題じゃないわ。とりあえず、ウィルスのワクチンだとか なんとか言って、インストールしちゃえばいいの」 復活した樹理がいう。ふーんと、私は納得した。 三時間ほど仮眠をとった私は、再び愛車のハンドルを握って職場へ向かう。心 の中でゲーハの変態野郎と呼んでいる課長とトラブルの後始末をして回る。 今日はサーバも順調に動いており、さすが朝倉皓平と心の中で、手を合わせた。 やはり、救ってやらねばなるまい。 樹理から私の携帯に連絡があったのは、一通り後始末の終わった午後5時くら いである。一息ついて睡魔と戦っている私に、樹理が言った。 「できたわよ」 「何、晩御飯?」 「ばかもの。起きなさい。朝倉さんのとこへインストールにいくから」 「おっとぉ」 久しぶりに定時に退社した私は、車でマンションへ戻り、樹理を拾う。そして 彼のもとへと向かった。 助手席で樹理が言った。 「あのゲームは全部で12ファイルになるようね。主人公の探偵が、一夜に一人 づつ女性の体の一部分を切り取ってゆき、その体を水槽のなかで結合させてゆく。 13の体の部品を全て繋ぎ合わせた時、一人の女性が死から甦り、探偵の男を連 れ去ってゆく」 「詳しいじゃない」 「ヴェルセヴァルクには友達がいるの。昨日の夜、11回目のダウンロードが終 わっているはず。今晩、最後のダウンロードがあるわ。それが行われてしまった ら、もう取り返しがつかなない」 うーんと私は唸る。ぎりぎりだった訳ね。 「もう一つ、判ったことがあるわ」 「何?」 「あのゲームを作った人、九堂秋穂という女性なんだけど、3年前に朝倉皓平と 知り合っている。かなり親しかったみたい」 「へぇ」 「秋穂の個展に、朝倉が訪ねていったみたい。でもすぐに別れている。その後、 秋穂は例のゲームの原型を作ったのち、22才の若さで他界しているの」 「自殺?」 「よくわからないけど、自殺ともとれる死にかたみたいね。冬の湖にボートから 落ちて水死とか」 わたしは、どきりとした。 「秋穂が死んだのが2年前。それから2年かけて、ゲームをヴェルセヴァルクが 完成させている。秋穂は自分自身をゲームの中で再生するようにプログラムを組 んだようね」 2年前。丁度私と彼が会社を辞めたころ。そして彼が水死した少女を延々と描 き始めたころ。私はうーんと唸った。 「秋穂がオフィーリアだったのね」 「なによ、それ」 「オフィーリアには、渡さないわよ、大事な彼を」 「酔ってる?明美」 樹理が変な顔をして、私を見る。 午後8時に、彼の住む洋館についた。彼は脳天気に私たちを出迎える。その妙 な陽気さは、一層すすんだ窶れと相まってとても不自然に見えた。 「うれしいな、こんな美人の友達をつれて来てくれるなんて」 ばかめ、樹理はビアンだよ、と心の中でせせら笑いながら、シナリオ通りの説 明を彼にした。樹理は私の同僚で、ウィルスバスターのプロである。 彼にもらったゲームを調べたところ、とてもたちの悪いウィルスが見つかった ので、あわててきた次第。ワクチンをインストールして端末を掃除し終わるまで、 8時間はかかる。その間、電源は落としておいてくれと。 「えっ、電源落とすの?でも、ワクチンプログラムは走行するんでしょ」 樹理は涼しい顔で言った。 「不揮発性メモリのクリアは電源を落とした状態のほうがいいんです。とても特 殊なウィルスで、ファームウェアの情報も書き換えてますし」 「うん、そうだろうねぇ、OSレベルのチェックは僕もさんざんやったから、そ れで見つからないってのは大したウィルスだよ」 へへんだ、と心の中で思う。電源を入れさせないのは、たんにダウンロードさ せない為なんだよと。電源がはいると、既にダウンロードされたプログラムが立 ち上がり、いくら心霊的ファイアーウォールで端末を防御しても、内側から破壊 されてしまう。 わたしたちは、てきぱきとインストールを終え、ひきとめる彼を後に残してひ きあげた。それが午後9時。樹理が絶対安全圏とよぶ午前5時まで後8時間ある。 樹理は私のマンションの部屋へ戻ると、今度は私の端末に細工を始めた。よう は、朝倉皓平の端末としてサーバにいる幽霊から見えるように、細工するつもり らしい。器用なやつだ。 2重の施策を講じて、午前零時を待つ。そして狙い通りに彼女は私の部屋へ来 た。 昨日のように、どん、と部屋が揺らぐと、照明がおちる。濃い闇が部屋を埋め 尽くし、端末のディスプレイだけが淡く輝いた。 「…なんの…まねだ…」 水晶球を抱えた樹理が、話かける。 「せっかくだから、遊んでいけば」 私はキーボードを操作し、樹理の作った呪符プログラムで秋穂に戦いをしかけ た。樹理の作った半AI的呪符プログラム護法童子シリーズは、サーバに昇って ゆき、後方攪乱をする。 こいつらは、逃げ道を断つ訳だ。さらに、強力な霊獣シリーズが秋穂に戦いを 挑む。護法童子はプロトコルを攪乱してサーバとの接続を困難にし、霊獣たちは、 メモリ領域から秋穂を追い落とし、ディスク上へ逃げ込ませる。 ディスク上には魔導師シリーズが待ち受けており、どんどん圧縮をかけて秋穂 を凍りつかせてゆく。秋穂の幽霊は次第に動きが鈍っていった。 「すごいわ、樹理。あんたって天才」 しかし、樹理はうかぬ顔だ。 「おかしい。こんなはずじゃない」 「え、でも、全部予定通りだよ。樹理の思惑通りに進んでるんじゃない」 「違うわよ。こんな程度で封印できるような存在なら、苦労はしないわ。なにか を隠している」 「え、そうなの?」 そういえば、妙な事に私も気付いた。 「あれ、こいつ、へんなとこへ逃げ込んでいくわ。軍事衛星制御プログラムですっ て?」  私は青ざめた。彼に解析依頼したプログラムが残っていたようだ。 「えーっと、これって、パソ通のサーバ以外のところにアクセスしているみたい」 「ええ?どういうこと」 樹理が驚きの声をあげる。私はキーボードを操作して、秋穂の動きをトレースした。 「これはえっと、インターネットに接続してるわ。それとこれは、官庁ね」 「官庁?」 「えっ、ひょっとして、これって防衛庁に入ってる」 私は焦った。タスクを殺そうとしたが、手遅れである。秋穂の幽霊は私と戦う ふりをして、防衛庁の軍事コンピュータをハッキングしていた。 樹理が、半ばあきらめた声でいった。 「彼女は、何をするつもり?」 「軍事衛星をコントロールしてるわ。地上にレーザー照射するつもりね」 朝倉は久しぶりに熟睡した。いつもなら深夜零時にダウンロードされるゲーム も、今夜はされなかった。 ふと、目が醒めると、外が明るい。 「もう、朝か」 そう呟くと、いつものように、端末へ向かう。彼への仕事の依頼はいつも、メ ールでくる。朝一番にメールを確認するのが、日課であった。 端末の電源を入れる。そこに現れたのは、少女の顔であった。彼の知っている 少女、九堂秋穂。 「待っていたわ」 「ああ」 朝倉は呟くように答えた。 「僕も、待っていた」 時間は午前3時。防衛庁の軍事衛星が彼の家の庭へ、レーザー照射しているな ど、知る由もない。 「持ってかれたわね」 「あーあ」 私はため息をつくと、ぶっ倒れた。疲労がどっと、押し寄せる。 「考えてみれば、秋穂と朝倉って相思相愛というやつじゃなかったのかしら。ど うして、こんなややこしい事になったの」 私の問に、樹理はめんどくさそうに答える。 「朝倉さんは、秋穂の中に自分を破滅させるような深淵を見たのよ。それで怖く なって逃げたんだわ。でも、その後の人生はただ、破滅を待つだけのようなもの だった。なるべくして、なったのね」 「愛から逃げたっての?判らないな」 「男なんてそんなものよ」 ふん、と樹理は鼻で笑う。そういえば樹理は、ビアンだっけと私は思う。 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