死霊の都  黄昏の薄闇が、そっと王宮を覆い始めていた。中原で最も東方に位置する小王 国トラキア、そこは草原の異教徒の度重なる侵略を受けるうちに、その影響を色 濃く受けるようになっている。 廊下の片隅におかれた彫像の中には、異教徒の崇める獣の姿をした神がまざり、 壁を飾る色鮮やかなタペストリも、東方のものらしい。又、私の前を案内する侍 従も、東方系の顔立ちに、黒髪である。 私は冒険者としては、すでに若くない。というより、老いたと言っていいだろ う。その私をこの東方の辺境の地へ呼び寄せたのは、友情というよりも、ノスタ ルジアかもしれなかった。  旅そのものに対するノスタルジアというのも不思議だが、放浪の生活が長すぎ たせいか、一つ所に留まれぬ性分になってしまったようだ。そのせいもあって、 かつての友の招きにのってしまったらしい。  私の前をいく侍従が立ち止まると、厚い布に閉ざされた部屋を指し示した。 「こちらで、王はお待ちです」  私は頷くと、部屋に踏み込む。心を落ち着かせる薫りのする香が焚かれている らしく、紫色の煙と強い薫りに満たされた部屋だ。複雑な幾何学模様の織り込ま れた絨毯の上に、巨大な男がいた。巨大といっても、横幅がの話だが。 「おう、おう、おう」  男は、獣のうめきを思わす声で吠える。 (どう考えても、こいつが王というのは、なっとくいかねぇやな)  と、私は声にださず、呟いた。トラキアの王にして、かつての友であるジーク、 いや、ジークフリート・ローゼンフェルト王が両手を広げ叫んだ。 「久しいなぁ、ケイン。よくぞ、余のために来てくれた」 私はジークの抱擁をサイドステップでかわすと、上から下まで改めて観察した。 朱の洋袴に、濃紺の上着は、かなり上等の生地のようだ。まぁ、王様だから当然 だが。髪の毛は、銀色に変わり、頬の肉も昔にくらべ、弛みがめだつ。ただ、愛 らしいといってもいい、青い瞳だけはそのままだった。 「ますます太ったな、王よ」 「ジークと呼んでくれ、ケイン。昔のように。できれば、また旅にでたいのう、 ケイン。あのころみたいに」 「やめてくれ、あの無頼と殺戮、略奪と強姦の日々は思い出したくない」 「何、ちょっとした、やんちゃじゃないか。豊かな土壌ほど、雑草が茂るという やつじゃよ」  ジークはあい変わらずキラキラ輝く青い瞳で、夢見るように言った。 私は、かってに腰をおろした。傍らにあったポットから、茶をそそぐ。バター 茶のようだ。 「で、わざわざ俺をトラウスから呼びつけたのは、何だ一体?」 「おう、おう」 ジークは、吠えた。これが最近の口癖らしい。 「余の息子、第二王子シュラウトが行方不明なのじゃ。それを探し出してほしい」 「おまえの、息子?さぞできが、いいんだろうな」 「おう、おう」  やたらと、喧しい王が言った。 「かつての余に、よく似ている。たのもしい息子よ」 「ふうむ」 ということは、結構手強いということだ。ジークが王になった事を知って以来、 私のジークに対する評価は大きく変わった。ただの嘘つきの、いかれたやつと思 っていたが、それは自分を高貴の生まれと言っていた事から来たものだ。本当に 高貴の生まれであれば、話はちがう。 そう考えて思い直すと、ジークはあらゆる悪虐非道のかぎりはつくしているが、 あまり嘘はついていない事になる。むしろ、嘘をつけない性格と言っていい。 そのジークが頼もしいということは、それなりのものだろう。 「ま、俺が探してもしょうがないだろ。人使って探せよ。いっぱいいるだろ、家 来が」 「この事は、誰にもいっていない。余の息子は病気でふせっておることになって いるのじゃ」 「なぜ」 「おう、ケイン、考えれば判るであろう。余の息子は第一王位継承者じゃよ。そ の息子が護衛もつけず、一人で出ていったと知れれば、あっというまに暗殺者と か余の政敵の手のものが、群がってくる」 「待てよ、おまえの息子は誰にも知られずに、おまえにだけ出ていくといって、 出ていったのか?誘拐じゃないのか、そもそも」 「おう、おう」  ジークが叫ぶ。多少、哀調をおびてきた。 「余の前に現れて、旅に出るといったのじゃ。余がたった一人の時を狙って」 「おまえ、止めれなかったのか。歳をくったな」 突然、魔法のようにジークの手刀が私の喉元に、出現した。私は手を払いのけ る。 「やめろよ」 「のう、ケイン。余の早さは衰えたかの」 「いや」私はしぶしぶ、認めた。「変わっていない」 「いったであろう、余に似ていると」 私は、立ち上がった。ジークに背を向ける。 「どこへ行く、ケイン」 「やめとけって、王様。おまえによく似た男がかつてのおまえのように、王国を 捨て旅に出た。おまえに責める権利は、無いと思うな。好きにさせとけよ」 「おう、おう」 ジークは、殆ど泣き出しそうに叫んだ。 「とても哀しい事を、伝えねばならぬのじゃ、ケイン」 私はあまりの悲痛な叫びに、足を止めた。 「何だよ、早く言えよ」 「おまえが、さっき飲んだバター茶な」 私は自分の顔から、血が引いていく音を聞いた。 「毒をいれておいたのじゃよ」 私は激しくせき込んだ。 「吐いてもむだじゃよ、短時間で吸収する毒じゃ」 私はすばやく動き、ポットを手にとる。 「余が自から調合した。他人には、解毒剤は作れぬであろう」 私は、覚悟を決めた。 「何日もつ」 「まあ、一週間じゃの。それから、内蔵の全てが溶け出す。全身の穴という穴か ら血を吹き出し、死ぬことになる」 ジークは、からからと笑った。 「なあに、解毒剤をのめば、二三日嘔吐と下痢だけで済むから」 私は、自分の途方もない愚かさ加減を呪った。私は、この世でもっとも油断の ならない男と話していたのに! ジークは昔と変わらぬ、天使の無邪気さを持った瞳で笑いかける。 「引き受けてくれるな」 「一週間で、この広い王国中を探せというのか。無理だ」 「なぁに、行った場所は判っておる」 私は、ため息をついた。 「どこだ、それは」 「デルファイという街じゃよ」 ふと、思った事を私は尋ねた。 「そういえば、さっき第一王位継承者といってたな、でも、第二王子なんだろ」 その時、突然後ろから声をかけられた。 「あら、思ったよりいい男ね、お父様」 私は、あわてて振り向く。そこに絶妙の肢体を持った、女性が立っていた。そ の女性は、豊かな胸と腰の曲線がはっきりと判るような、身体に密着した黒い革 の服を身につけている。 彼女の黒い瞳は妖艶で、憂いを含んでいた。その紅い唇に浮かぶ笑みは、挑発 的である。ケインは、背筋に熱いものが走るのを感じた。 「おう、おう」 ジークが、吠える。 「我が息子、第一王子ジュリアスよ、ちょうどよいところに来た」 「おい」 私は、首を振っていった。 「言い間違えたぞ、王子じゃない、王女だ」 「そうよ、お父様」 女は、そっと微笑む。 「私はあなたの娘、ジュリアナ・トキオ・ローゼンフェルトよ」 「おう、おう」 ジークは、哀しげに首をふる。 「余に娘は、おらんのじゃ」 「しかし、ジーク。あの胸はどう説明するんだ」 ジュリアス王子とよばれるその女(?)は、胸ぐりの深い服を着ている。豊満 な胸は、隠しようがない。 「説明すると長いがの、股ぐらを触ってみれば、すぐ判る」 「下品な事、仰らないで、お父様」 私は、悪い夢を見ている気分になった。 「私が説明しますわ、えっと」 「ケインだ」 「ケインさん。この国トラキアは、昔から政情が不安定な国です。特にお父様が お祖父様に勘当されてから、お祖父様がそうとう年老いたころの混乱状態は、酷 いものでした」 「勘当?」 「私はお父様の后ではなく、お祖父様の后を母とし、生まれたの」 あきれかえった、話である。 「なるほどな」 「私の立場は、常に微妙なものでした。そして最後には、私はお祖父様の政敵の 暗殺者の手におちてしまった。私の体は、濃硫酸を満たした水槽に突き落とされ た」  私は、ジュリアス王子を見直す。その肌には火傷の後はなく、新雪のように清 らかで白い。 「いったい」 「全身が焼けただれた私が死ななかったのは、ラブレスと言う医者のおかげ。た またまこの小さな王国を通りかかったラブレスは、私の体を治療した。ある、奇 妙な方法でね」 私は、首をふった。 「治療など、ありえまい」 「それがあるのよ。ある種の不定形生命体は、他の動物の四肢を模倣する性質を 持つ。それをギミック・スライムと呼んでいるわ。ふつうギミック・スライムは 動物の肉にとりつき、その肉を喰らいながら、自分の体をその肉と置き換えてい く。ラブレスは、そのギミック・スライムを魔法によって制御する方法を見つけ た。 人間をギミック・スライムと共生関係に置き、義肢の変わりに使用できるよう にした。私の体はギミック・スライムで出来ているわ」 「それは、判った。しかし、なぜ女に」 「私が、ラブレスに頼んだからよ。女にしてくれと」 ジュリアス王子は、華やかといってもいい笑みを見せる。 「男にはうんざりしたのよ。こんな小さな国の小さな権力を奪い合って、くだら ない殺し合いを繰り返している男どもにうんざりしたの」 「それでの、ケイン」 ジークが、割って入った。 「こともあろうにジュリアスは、成人の儀式の最中に宣言しおった。男を捨てる とな。おかげで、王位継承権を剥奪されたのじゃ」 ジュリアス王子は、高らかに笑った。私も、つられて笑う。意外と似ているの かもしれない、この親子は。 「その後、お祖父様が亡くなってすぐ、お父様が帰ってきたの。この抜け目無く、 したたかで残忍、逆らうものに容赦のない、この国の王にぴったりの太っちょが」 ジュリアス王子は、肩をすくめる。 「そのころには、とっくに私はこの国からおさらばしてたのにね」 「なぜ、戻った」 「ほっとけないわ」ジュリアス王子は、ため息をつく。「弟のことですもの。そ れに」 私は、ジュリアス王子の漆黒の瞳の中に、怯えが隠されているのを感じた。 「あの子、シュラウトは、とんでもないことをしそうな気がするの」 「おう、おう」 ジークが吠え、首を振る。 「余の息子じゃ、めったなことは無い。それでの、ケイン。このジュリアスがお まえをデルファイへ案内する。よいの」 私は一瞬、毒で死ぬほうを選ぼうかと思った。しかし、考え直し頷く。この奇 妙な王子につき合って見るのも、悪くないと思った為だ。 私とジュリアス王子は、ローズフラウという街に来ていた。交易で栄える街で あり、東方の辺境にしては、かなりのスケールの街である。この街で、私たちは、 ジュリアス王子の友人であるツバキという名の魔導師と合流した。 ジュリアス王子の話では極めて有能な魔導師らしく、今回の探索には不可欠ら しい。そこで、私たちはローズフラウの酒場でツバキと落ち合った。 「なあ、魔導師殿」 魔導師ツバキは、私に顔を向ける。 「なんだ」 「よく食うな」 ツバキの前には、大量の皿が積み上げられていっている。酒は大きな瓶が、二 三個は空になっていた。それでもまだ、食う勢いは衰えない。 「羊一頭ぶんくらいは、食ってるぜ」 「何か問題が?」 ツバキは、真っ直ぐこちらを見る。黒い宝玉のように、艶やかに輝く瞳。まっ すぐな長い髪。顔立ちは整い美しかったが、稟とした眼差しが中性的な印象をも たらす。男性であるはずの、ジュリアスのほうが遥かに妖艶である。 ツバキは僧侶の着る純白の修行着を身につけている為、よけい男性的に見えた。 両手、両足にはやたらと重そうな、鋼鉄の武具をつけているが、まったくそれを 感じさせない軽々とした身のこなしだ。 「いや、」 「心配するな、金はすべてローゼンフェルト家からでる」 ツバキの言葉使いは、全く男のものだ。 「そうだな」 私は、頷く。問題は、むしろジュリアスのほうだ。 「おい、ジュリアス王子」 「やあねぇ」紅く頬を染めた、ジュリアスがこちらを見る。明白に酔っていた。 「ジュリって呼んでって、いったでしょ」 私は、ため息を付く。ジュリは相変わらず露出の多い、黒革の服を身につけて いる。やたらとベルトやらストラップやら鎖のついた、奇妙な服だ。 「ジュリ、さっきから何をしている」 「なぁんにも、してないわよぉ」 ジュリは飲む量は、ツバキより少ないが、普通なら泥酔していてもおかしくな いだけ飲んでいた。問題は、それよりも別の事である。 「さっきから、向こうのテーブルに流し目を送っているだろう」 酔った勢いなのか、ジュリははす向かいのテーブルの男たちに、死人でも悩殺 できそうな強烈に悩ましい秋波を送っていた。はす向かいの男たちは、絵にかい たような、ならずものたちである。派手な色の服を身につけ、原色の赤や黄色に 染めた髪を、逆立てていた。その目は麻薬を常習しているものに特有の、昏い翳 りがある。 「向こうの男たちも、おまえに興味を持ってるぞ」 「おっけぇー、でぇーす」 ジュリは手をあげる。振った手に、向こうも答えた。私は、ツバキのほうを見 る。彼女は当然だというように、涼しげな目で見つめ返す。 ひとりの男が、こちらのテーブルへ来た。体格を見ると、かなり逞しく鍛えら れている。髪をピンクとオレンジの二色に染め分けており、深紅の生地に、金色 の糸で刺繍の施された上着を着ていた。 けっこういい男であるが、麻薬の為か目の回りに隈ができており、眼差しの焦 点があっていない。男は、ジュリの横に手をついた。 「おれ、ギランていうんだ」 「かっこいいわね、あんた」 ジュリの言葉に悪い気はしないらしく、ギランはにやにや笑う。 「向こうで一緒に、飲もうぜ」 「悪いが、こいつは俺のつれだ」 私の言葉を聞いたギランは、私を見ずジュリに聞く。 「このおっさん何?あんたの保護者?」 「関係ぇ、ねぇっす。ただの通りすがりのおやじよ」 ギランは、焦点のあってない無感動な目で、私を睨みつけた。 「むこういってろじじい、まじ殺すぞ、こら」 私は、あまりの陳腐な言葉に苦笑をかみ殺した。 「行ってもいいが、君、ギラン君か、重大な誤ちを、ひとつ教えてあげよう」 「なんだよ」 「君がくどこうとしている私のつれだが、男なんだ」 「ぼけてるぜ、こいつ」 「そうよねぇ、失礼しちゃうわ」 私は、肩をすくめると続けた。 「今晩ベッドの上で、きっと君はいいものを見せてもらえるよ」 「構わないわよねぇ、あなたについてるのと、同じものがついてるだけですもの」 ギランは、しげしげとジュリを見直した。そして、悪い夢を見たというように、 首を振ると立ち去ろうとする。 「まちなさい、君」 意外にも声をかけたのは、魔導師ツバキである。ギランはツバキの顔を覗き込 んだ。 「私が相手をしてもいい。私は正真正銘の女だ」 私がなにか言おうとするのを、ジュリが目でとめる。酔っている目ではなかっ た。 「ただし、条件がある」 「ほう」 「私は自分より弱い男の相手をするのは、御免だ。私と腕相撲をしてもらおう。 それに勝てば、相手をしよう」 「ふん」ギランは鼻をならす。 「いいぜ、やろうじゃねぇか」 ギランは腕まくりをして、右腕をあらわにする。そのジュリの太股くらいの太 さがありそうな腕には、犬の姿の刺青があった。いや、尾の太さからすると、狐 だろうか。 その刺青を見たジュリとツバキは、素早く目配せをする。 「そういや、名を聞いていなかったな」 「我が名はツバキ、ツバキ・ロンドンナイト。ロンドンナイト家の十三代当主だ」 ギランに魔道の知識があれば、そこで引いたろう。魔導師の女に、手を出す馬 鹿はいない。しかし、ギランはツバキの前に手を出した。 ツバキは、鋼鉄の手の甲までを覆う頑丈そうな籠手をつけた手をだす。がちゃ りと、防具の音がした。 ギランは、誇らしげに胸の筋肉を蠢かせてみせる。ジュリが二人の手をとり、 あわせた。ジュリの手があがる。振り下ろすと同時に叫んだ。 「レディ、ゴォ!」 みちり。 とても、嫌な音がした。ギランの手が、紙でできているかのようにあっさりと 握りつぶされた音だ。原型をとどめぬまでに破壊された手を抱え、のたうち回る ギランの頭をジュリが黒い革のブーツで素早く蹴った。 頭蓋骨にひびの入る音がし、ギランは気絶する。私は、ツバキに素早く言った。 「意神術か」 ツバキは頷く。 「戻れなくなったな」 ツバキはもう一度頷く。意神術とは、東方のある種の拳法の秘伝として伝えら れている術だ。陰陽拳とよばれるその拳法は、身体の中にある太一真君と呼ばれ る宇宙エネルギーの受信器官を目覚めさせ、常人にはないパワーを発揮すること に極意がある。 意神術は、太一真君からもたらされるエネルギーを全身に回し、体力を通常時 の数十倍に高める術だ。しかし、時としてこの術に失敗し、目覚めさせた太一真 君を封印できなくなる事がある。おそらく、ツバキはそうした状態になったもの と考えられる。 必要以上のパワーを抑制する為に、鋼鉄の重い武具を手足につけているのだろ う。 「終わったわね」 ジュリが立ち上がり、ツバキに言った。ツバキも頷き、立ち上がる。ジュリは 完全に、素面の表情になっていた。 私たちは、ギランのつれが、ギランを介抱するのを横目でみながら、怯えた目 で見る店長へ支払いを済ませ、店を出る。 ここは、ローズフラウの歓楽街であった。夜も遅いが、結構人通りがある。私 たちは店を出ると、裏通りに入った。その時、後ろから声をかけられる。 「待てよ」 さっきのギランと一緒にいた、男たちである。皆、ギランと同じように、派手 な服装であり、髪も鮮やかな色彩に染め、逆立てていた。 人数は、3人である。私は、ジュリとツバキを制すると、一歩前に出た。男た ちは、皆体格がいい。戦場で活躍してきた、男たちなのだろう。手にしている武 器も、ロングソードではなく、メイスである。 戦場では剣は、役にたたない。鎖帷子を身につけた相手に斬りつければ、刃が こぼれる。又、打ち合えば折れてしまう。戦場で戦ってきた男たちは、剣ではな く、棍棒に鋼鉄をつけた武器のほうが手になじむ。 「さっきのギランのつれだな」 私の言葉に、男たちが頷く。昏い目に、殺気を漲らせている。私は懐から金の 入った袋を出すと、男たちの前へ放った。金貨が何枚か、こぼれる。ジーク王か らたんまりと、路金をいただいていた。 「持って帰れ。ギランの治療費にしてやれ」 男たちの目から、殺気が薄らぐ。一人の男が金に、手を伸ばす。その瞬間に、 微かな煌めく風のようなものが、男の手首のあたりを走り抜けた。手が切断され、 地に落ちる。悲鳴が上がった。 後ろの男たちも、メイスを振り上げようとして、自分の片手が切り落とされて いるのに気づく。白い蜘蛛が降りてきたように、地面に手首が落ちる。男たちが、 悲鳴をあげた。血が錆びた鉄のような色を放ち、地面にこぼれていく。 私の手には、水晶剣があった。長さ10センチ程の水晶の剣。透明な三日月の ように、涼しげな光を放っている。私の学んだユンク流剣術は、この剣を放ち、 エルフの紡いだ絹糸で操るものだ。 私が踏み出すと、男たちが後ずさりし、逃げ出した。私は、彼らの背中に声を かける。 「命が惜しかったら、腕を縛って血を止めておけよ」 私は、手首につけた鞘へ水晶剣を戻すと、金を拾った。後ろでジュリとツバキ が囁きあっている。 「なんだかねぇ」 「やりかたが、せこいな」 「金やっとけば、黙って帰ったんじゃないかしら」 「うるさい」 私は、不機嫌にいった。ジュリは、妖艶であるが少女のあどけなさを備えた瞳 を、輝かせている。 「なぁに、怒ってんのよ」 「おまえら、何を考えている。やつらは、あの入れ墨からすると東方の犯罪結社 黒狐団だろうが。どういうつもりだ」 「あぁら、入れ墨ですって。ツバキ、知ってた?」 「さあ、気がつかなかったが」 「偶然よ、偶然」 「わかったよ。好きにしろ」 私は、ようするに信頼されていないらしい。私は、宿に向かって歩き出した。 二人に向かって、手を振る。 「後は、まかすぜ。おれは宿で寝ているから、終わったら結果を教えにきな」 「やぁねぇ、僻まないの、仲間はずれにしたからって。さあ坊や、ママの胸にも どっておいで。キスしてあげるから」 「あのなぁ、おれはもう疲れたんだよ」 「狐というのは、東方では神格化されていて、信仰の対象になる」 ツバキが、語り始めた。 「しかし、それは白い狐のことだ。黒い狐は別の意味を持つ。それはすなわち、 歓喜天」 「歓喜天?」 「そうだ。快楽、特に男女の交合の際の快楽により、解脱を得る事ができるとい う信仰により支えられる神。それが、歓喜天だ」 売笑婦の笑みを浮かべたジュリが、後を続ける。 「歓喜天には、もう一つの意味があるの。それは麻薬。黒狐団は、麻薬を扱う組 織。ひとつは、麻薬を売買することにより、利益をあげる。もう一方で、麻薬に よっててなづけた兵士を使った、犯罪結社としての顔」 私は、うんざりしたように、言った。 「それくらいのことは、大体知ってるよ。いったいなぜ、黒狐団に手を出したん だ」 ジュリは、あはは、と笑った。 「言ってなかったっけ。デルファイという街はね、伝説の街なの。実在している かどうか判らない、麻薬の夢の中でのみ、辿り着けるという街」 私の目が、点になる。ジュリがさも面白そうに、私の顔をのぞき込む。 「麻薬といっても、色々あるわ。戦場で鎮痛剤として重宝されているマハの葉、 魔導師が、精神の深部を探索する時に使うといわれるブラックロータス、貴族が よく嗜むケシの実鞘、これも戦場で使われる、恐怖や不安を取り除くというクラ ックやスピードといった類の精神高揚剤。 デルファイが、どの麻薬による幻覚なのかは判らないけど、ひとつの街という 固定的なイメージを持たせるような麻薬なんて、聞いたことが無い」 ツバキが、頷く。 「麻薬の専門家に聞くのが、一番早いだろうと判断した」 私は、心の中でジーク王をさんざん罵った。 「しかし、それなら、もっと平和的な方法もあるだろう」 「冗談、時間がないわ、私たちには。あの糞デブの王は、あと一週間シュラウト の不在を隠すのが精一杯」 私は、頷いた。そして、歩き出す。 「ちょっと、どこ行くのよ」 「朝まで時間がある。黒狐団が、しかけやすい場所に行こう。その為に手を出し たんだろ」 ジュリとツバキは頷くと、私の後に続いた。 私たちは、ローズフラウの街の深部に入り込んで行く。この街は、トラキアの 街らしく、雑多な宗教が共存している。街角におかれた、神への贄も、獣の頭や、 鳥の死体といった奇妙なものが多い。 壁に蒼ざめた神が、生け贄の処女の腸を引き裂く壁画の描かれた、路地を歩く。 そこ、ここに、異教徒の目印らしい記号や、呪文を組み合わせた札が貼られてい る。 地面には汚物や、血の後が残っていた。時おり、怒号や悲鳴が聞こえる。又、 気のふれたような、笑い声も。道端にうくまるおそらく麻薬が病に体を侵され た男や女が、うさんくさげな目で、私たちを見送った。私はともかくとして、い ったいジュリやツバキはどう見えるだろうか。 ジュリもツバキも全く平然として、この剣呑な裏通りを歩く。ジュリはむしろ 楽しんでいるようだ。 ポン引きらしい男や、フッカーらしい女が佇んでいるが、私たちには声をかけ ない。黒衣の妖艶な笑みをうかべた美貌の女と、白衣の冴えた瞳をした真冬の夜 のような冷たい美しさを持った女。この二人の悪魔と天使のような組み合わせは、 彼らの理解の外にあるのか、黒狐団が狙っているという情報がすでに回っている のか。 おそらく、回答は後者のほうらしい。私は、監視の視線を、感じていた。やが てそれは、殺気に高まる。 「来たようだな」 ジュリが、ごちそうを前にしたネコ科の肉食獣のように、にんまりと笑う。 「そうね」 道の先には、憤怒の顔をした神が、交合している姿を彫った壁がある。その前 に、灰色のマントを纏った男たちがあらわれた。 「ここは、まかすぞ」 私は、ジュリに囁きかける。ジュリは頷くと、ツバキにいった。 「後ろにあと、三人いるわね」 「ああ。前を私がやろう。後ろはまかせる」 ジュリは、頷く。前方の三人の男たちは、全くの無表情だ。しかし、殺気は彼 らの体から陽炎のようにたち上っている。隠す気は、全くなさそうだ。 「はぁーい」 ジュリが、陽気に手を振った。男たちは、それに答えるように、マントの前を 開く。私は、路地に入りこみ、身を隠した。 マントの下に隠されていたのは、オーラ製らしい火砲だ。火砲とは、陶器の筒 に火薬と金属片を仕込んだものを発射する武器で、男たちの手にしているものは 口径20ミリの16連弾倉が付けられたものである。 マントの下に男たちがつけている黒衣は、着膨れて見えた。おそらく、鎖帷子 を下に付けているのだろう。 ツバキが両手をあげる。そして、叫んだ。 「降参だよ。そんな物騒なもの、ここで撃つなよ。話あおう」 その時、ツバキの足下に木の筒が落ちた。10センチほどの長さの筒だ。ツバ キは、それを蹴飛ばす。 その筒は、蹴られた衝撃で先端についた雷管に火が付き、火花をあげながら飛 んでいく。筒は、男たちに判断する間を与えず、突然破裂した。真昼のような光 があたりを包み、落雷のような音響が、男たちを襲う。 その破裂と同時に、ジュリは後ろに飛んでいた。同じような、筒を放る。ジュ リの投げた筒は、光ではなく黒煙を発した。後ろの路地が、刺激性の臭いを持つ 煙に包まれる。 ツバキは、筒の発した光の中を走っていた。男たちはもろに光を目に受け、動 きが止まっている。ツバキは10メートル程の距離を一瞬で駆け抜けた。 一番手前の男が、閃光と衝撃音のショックから立ち直った時、目の前にツバキ を見る。ツバキは地を蹴った。ツバキの胴回し回転蹴りが、男を襲う。 重い鋼鉄の具足を付けた足が、男の側頭へ叩き付けられる。おそらく、メイス で殴られた以上の衝撃があったはずだ。男は、横へ一回転して、地面に倒れる。 気絶したらしく、痙攣していた。 残りの男たちは、あわただしく火砲を捨て、剣を抜く。火砲は炸裂すると、半 径2メートル以内にいる人間を戦闘不能へ追い込む。至近距離では、射手も危険 である為使えない。 ツバキは立ち上がると、剣を青眼に構えた男にむかって、鋼鉄の籠手をつけた 腕を叩き付ける。あっさり剣は、折れた。ツバキの右足が跳ね上がり、男の側頭 を襲う。 ツバキの足が走り抜け、男の首は、がくんと横に倒れる。首の骨が折れたよう だ。男は、どさりと前に沈む。 最後に残った男は、上段から斬りつけてきた。ツバキはすっと後ろを向く。そ のまま、一回転して裏拳を切り下ろされる長剣に併せた。 青い火花が跳び、長剣はあっさり折れる。裏拳の勢いは止まらず、そのままの 速度で鋼鉄の籠手で覆われた拳が、男の顔面にあたった。 赤い果実を地面に落としたように、男の頭が炸裂する。男の体は後ろへ一回転 して、地面に落ちた。血が赤い花が開くように、地面を彩る。 ツバキが3人を片づけるのに要した時間は、ほんの一瞬だった。 一方、ジュリのほうは、手首の鞘に隠していたらしい、推刀を取り出す。推刀 は刃渡り15センチ程の、針のように細い刀身の剣だ。刀身は、そのまま金属の 糸につながっている。 路地に隠れていた3人の男が、姿を現す。男たちは、火砲を手にしているが、 煙に目と喉を刺激され、発射する余裕がない。 ジュリは、手にした金属の糸を、鞭のように振った。推刀が凶風と化し、男た ちに襲いかかる。死の風となり走り抜けた推刀は、ジュリの手に戻った。 ようやく涙と咳の収まった男たちの顔に、朱の線が走る。丁度、目の真上あた りだ。その線のあたりから、ゆっくり男たちの顔がずれていく。 カランと三人の男たちの頭が、地面に落ちた。白いプティングを盛った鉢のよ うな頭が三つ、転がる。目から上を失った死体が、崩れおちた。 ジュリは、ごちそうを食べ終えたネコのように、舌なめずりする。推刀を皮で 拭い、刃についた脂を落としているジュリに、私は声をかけた。 「おまえたちは、都市傭兵か」 「そうよ、今頃気がついたの」 傭兵は大ざっぱに分けると、二種類いる。いわゆる、野戦の為の傭兵。これは、 一般的な戦争を、職場にする者たちのこと。都市傭兵とは、主として平和な時に 活躍する傭兵である。 彼らは、要人の暗殺、誘拐のスペシャリストであると同時にその逆、つまり要 人警護、誘拐された要人の奪回のスペシャリストであった。確かに都市傭兵であ れば、女性のほうが有利な場合もあり、女性でもなりやすい。 ジーク王の筋書きが、大体読めてきた。あのデブは、ジュリたちだけで、シュ ラウト王子を見つけられると踏んでいる。おそらくシュラウト王子は、麻薬に魅 せられて、黒狐団といった類の犯罪結社に軟禁されているのだろう。 であれば、ジュリたちが助け出すのは、簡単なことだ。問題はその先だ。ジュ リがただの傭兵であれば、問題ないだろう。しかし、ジュリはシュラウト王子の 兄である。シュラウト王子がジーク王の元に戻ることを拒否すれば、どう動くか 信用できない。そこで、私をジュリたちに張り付け、最後にシュラウト王子を自 分の元につれてこさせようという肝らしい。 ジュリが、私を信頼しないはずだ。ジュリにとって、私は敵にまわるかもしれ ない、ジーク王の手先と映っているのだろう。 ジュリが、ツバキに声をかける。 「ひとりは、残しといた?」 「ああ、一人だけ気絶させた」 「おっけー、ずらかりましょう」 ツバキが気絶している男を担ぐと、私たちはその場から逃げ出した。