「ばかばかしぃっ!」 ジュリは、眉間にしわをよせ、とんと、足を踏みならす。 「何が真実よ。こんな言葉の羅列には、何の意味も価値もないわ。そんなことも 判らない馬鹿になりさがったの、あんたは」 ジュリはきらきら光る目で、シュラウトを睨みつける。 「いいこと、何が真実かですって、教えて上げる。私が真実なのよ。私の中に真 実があるの。私がリアルと認めないものに価値なんて無い!」 シュラウトはせせら笑った。 「ジュリ、じゃあ、あなたのリアルとは、偽の女性として生きることなのかい?」 ジュリは軽蔑したような目でシュラウトを見る。 「ジュリ、あなたの言いたい事は判るよ。僕にとってもこんなことは、どうでも いいことだ。要は、星船が現実に存在し、王国を破壊し尽くすだけの力を持って いるということだよ。僕にとってのリアルとはそれだ。 オーラも、トラウスも、すべての国家、すべての都市が破壊し尽くされ、剥き 出しの大地で人々が剥き出しの生と向き合う瞬間にこそ、僕のリアルがある」 ジュリが鼻で笑った。 「どうやってそんな事をやるつもり?ここは、ただの死者の都だわ」 「ああ、ここは仮想現実空間だ。星船の電子頭脳が見せる夢。元々は、長期間の 星間航行を行う際に、巨人たちは仮死状態で眠り続けるばずだったが仮死状態で も夢を見ることが判り、彼らの精神に異常をきたすのを防ぐ為に、仮想現実空間 がつくられた」 私は、思わずシュラウトに尋ねる。 「じゃ、あのクイック・デッドとかいう麻薬は星船で旅をする巨人が飲むための ものだったのか?」 「まぁ、そうだ。クイック・デッドを飲んだ巨人の精神を星船が感知して、その 精神を仮想現実空間へ組み込む。ただ、この仮想現実空間は多層化されていて、 今いるのは居住レベルの空間になる。ここはゼータ機関によってプログラミング され二十世紀末のある都市をモデルとした仮想現実だ。これが、作業レベルの空 間になると星船のコントロール機能へのアクセスが可能となる」 ジュリが疑わしげに言った。 「あんた、そのアクセス権を手に入れたの?セキュリティコードがあるはずよ」 シュラウトはにこにこと微笑む。 「手に入れたのさ。だから、みんなで行こうといってる」 ぱん、とジュリが手で腰を打った。 「おーけぃ、判った。行きましょう。ただ、ひとつだけ、なぜ星船の巨人たちは めざめることなく眠り続けるわけ?星船は地球へくることが目的ではなかった の?」 「事故があったはずだ。よくは、判らない」 「事故があったはずね。おそらく、星船が金星を脱出する際にウロボロスの輪を 越えようとして事故にあった」 シュラウトは苦笑する。 「神話だろ、それは」 「こういう解釈もあるっていうこと。本来、ユーベルシュタイン教授の唱えた計 画が実現していれば、地上に魔法が溢れた状態にはならなかったはずね。でも、 神々や魔族が横行する世界になったのは、なにか不測の事態が起きたって事でし ょう。神話にも、原初の神マクスルは全てを把握していたにも関わらず、女神フ ライアの侵入だけは予測できなかったとしている。フライアは神話の中の特異点。 そしてフライアの死によって創り出されたウロボロスの輪を超えるときに起こっ た事故。  それが何であるかを理解せず、星船を操れると思う?」 「くだらない。行けば判ることさ」 そういうと、シュラウトは部屋を出ていく。私たちは、彼の後に続いた。 シュラウトは、エレベータに乗る。階を指示するボタンを、シュラウトは立て 続けに幾つも押す。エレベータは、上昇し始めた。 「なあ、あんたの部屋は、塔の天辺にあるんじゃなかった?」 私の問いに、シュラウトは上機嫌で応える。 「見せてあげるよ」 シュラウトは、扉を開けるボタンを押す。私たちの目の前に広がったのは、昏 い湖に、宝石を散りばめたような夜の街だ。光の川のような幹線道路が縦横に走 り、十三のガラスの塔が天空を目指す。 私たちを乗せたエレベータは、夜空に向かって上昇していった。私は、上を見 上げる。そこにあるのは、光の円盤だった。輝く光が、漆黒の夜空に穴を穿った ようだ。 エレベータはその穴へと吸い込まれていく。私たちは、光の世界へと入り込ん だ。光の世界に入り込んだ瞬間に、エレベータである鉄の箱は姿を消した。足下 に開いていた、暗黒の穴である下界の夜空も閉じられる。 私たちは、光でできた巨大な塔の内部へ入りこんだようだ。上方はどこまで高 いか見当も付かない。光の壁は、めくるめく水晶の螺旋で構成されている。無限 に変化していく色彩が、透明な血液のように絶えず螺旋を高みへと駆け昇ってい く。 「天使でも、降りてきそうな感じだな」 私は思わずつぶやく。 「シュラウト、ここが星船のコントロール用仮想空間だというの。なにもないじ ゃない」 ジュリの馬鹿にしたような発言は、シュラウトに黙殺された。 「見たことがあるな、これは」 沈黙していたツバキが、突然呟いた。 「ここによく似た場所が、オーラのクリスタル塔の内部にもある。神々と一体化 できる場所だ」 シュラウトとツバキは無言で見つめ合う。 「あなたは、判ったようだね、ツバキ。いや、あなたがここへ来るときどう考え ていたかを、言ってあげよう。あなたの考えはこうだ。デルファイへ来るという ことは、魔道の言い方を使えば、星船に憑くということだ」 シュラウトは満足げに、微笑む。 「さて、星船とは何かと考えた場合、魔道の表現を使えば、神の憑坐だともいえ る。ここに憑いている神と、ここに憑いている僕は、一体化することも可能だ」 ツバキは、何も応えない。おそらく彼女の考えていることは、シュラウトの考 えとほぼ同一なのだろう。 「で、あなたはこう考えた。憑いているのなら、祓うこともできる。僕と自分自 身、そしてケインとジュリを祓うことにより、地上へ帰ることができると。その 考えは正しいよ、ツバキ」 ジュリは叫んだ。 「シュラウト、あんた神に喰われる気?」 シュラウトは、歓喜の笑みを見せた。 「馬鹿あんた、神に喰われて神の意識を支配しようというの。無理よ。なぜそん なことを?」 シュラウトは、喜びにあふれた顔でいった。 「ジュリ、あなたの言ったように、僕がリアルと認められない世界は、何の価値 もない。僕のリアルを実現する為の手だてが、神に喰われることだったのさ。 クリスタル塔や、トラウスの聖樹の元でも神は降りてくるだろう。しかし、ヌ ース神聖教団の管理下にある所でそんなマネはできない。ここだ。ここだけが、 僕に侵入できる唯一の場所だ」 「ちがう」 ジュリは昏く目を光らせる。 「そうじゃない。あなたは結局のところ、怨念しか持っていないのよ。テロルで 母親を殺されたあなたは、幼い頃から自分から母親を奪った世界に対する憎悪だ けを糧にして育った。でも、怨念とリアリティは違う」 シュラウトは、笑った。楽しげな笑いだ。 「破壊はすべてを超越して、神聖なものだ。もちろん、怨念など、リアルとは違 う。破壊の為の破壊。それこそ神に至る超越の道だ」 「神なんて」 ジュリは吐き捨てるように言った。 「ただの、世迷いごとじゃない」 「そうだ」 シュラウトは厳かに頷く。 「だから僕が神になるのさ」 ツバキが口を開く。 「それだけしゃべれば、気がすんだろう」 ツバキは冬の月光のように冴えた眼差しで、シュラウトを貫く。 「始めようか、私がおまえを祓えるか、おまえが神を召還できるかの戦いだ」 ツバキの言葉が始まりの合図となった。ツバキの瞳が紅い光を帯びる。彼女の 中に、別の人格が生成されていくのを感じた。おそらく、彼女の兄。  そして、シュラウトも又、瞳に金色の光を宿す。星船のコントロール機能への アクセスを行ったようだ。  無数の光の点が、ツバキとシュラウトの周りで渦巻く。色彩の嵐が二人の周り を荒れ狂った。二人の居る場所がガラスの中のように、歪んで見える。 「見ろよ」 私は、上方を指さし、ジュリに声をかける。 「何かが近づいてるぜ」 「神が降りてこようとしている」 光の塔の高い所に、暗黒の渦巻きが生じた。その黒い不定形生物のような渦は、 ゆっくりと下降しているようだ。 「あれが降りてきたら、私たちはおしまいね。見なさい、シュラウトを」 シュラウトのいた場所の、光の渦が薄くなりつつある。 「この仮想空間から意識のチャネルをずらされていってるわ。どちらが早いかね。 あの黒い固まりが降臨するか、シュラウトの光が消えるか」 「神と一口にいっても、何が降りてくるんだ?いわゆる邪神か?」 ジュリは首を振る。 「星船を憑坐とする神なんて、一人しかいない。グーヌ神だけよ」 私はあきれた。最も邪悪で最も強大な神グーヌ、聖なるヌース神と数億年戦っ ても決着のつかなかった神をシュラウトは支配しようというのか。 「無茶苦茶だな」 「普通ならね。でも、星船は本来グーヌ神を制御することにより、動かされてい たものよ。星船の機能を本当にシュラウトが理解して使いこなせるなら、勝ち目 はあるわ。ただ、問題は」 「女神フライアか」 「シュラウトは女神フライアが、ただの伝承の中にのみ存在するということに賭 けた。伝承の中でもフライア神は殺された存在だしね。ただ、…どうかしらね」 「おい、見ろ」 暗黒の雲が、黒い雷を打ち下ろした。ツバキを覆った光の球が、薄らぐ。 「やばいだろ、ありゃあ」 「やったわね。シュラウトはグーヌ神を制御している。見事だわ」 「呑気なことを」 ツバキは、立て続けに黒い閃光に貫かれる。シュラウトの光球は、激しく輝き だす。一方ツバキの光は力を無くしていた。 「負けるな、こりゃ」 私は観念した。 「馬鹿ね、奥の手があるじゃない」 「何のこった?」 「ケイン、あなたよ、あなたが最後の奥の手」 私は、開いた口が塞がらなくなった。 「おれ?おれに何しろってんだ」 「出してよ、あれを」 「あれ?」 「ジーク王に、餓鬼玉の卵飲まされたんでしょ、バター茶に混ぜて」 私は、真抜けな顔で、ジュリを見る。ジュリは、ん、もうっ、と呟くと呪文を 唱え、印を結ぶ。突然嘔吐感に襲われた。 私は、膝をつく。その口からわらわらと、黒い粒がでる。苦しくて涙が出た。 涙と鼻水をたらし、胃を炎で灼かれるような苦痛に耐えながら、私は黒い粒を吐 き続ける。 ジュリが印を解くと、黒い粒は止まった。黒い粒は、漆黒の風となり、シュラ ウトを襲う。シュラウトの光は力を失った。 「ジーク王に飲まされた毒とは、あれのことだったのかよ」 「あと数日すれば、あなたも、食い尽くされるわ」 私は、うんざりした顔になる。 「トラキアに戻ったら王に祓ってもらいなさい。多分、王しか祓えないはず」 結局のところ、私はジーク王の手の上で踊らされていたようだ。  突然、ツバキとシュラウトを覆っていた光が消える。シュラウトは、膝を突き、 ツバキは醒めた瞳で力つき死人の顔色になったシュラウトを見ていた。決着はつ いたようだ。上方の黒い渦も姿を消している。 「大したものだ」 ツバキが呆然と呟く。 「私の攻撃をうけ、それに加え、餓鬼玉の攻撃もはね除け、神の召還に成功する とはな!」 突然世界が暗黒につつまれる。黒い液体の沈められたように、闇がすべてを覆 う。ぬばたまの闇の中に、私は破壊の意志を感じる。すべてを無に帰そうという ような、凶悪の意志。それは、邪悪な咆吼のように、あたりを荒れ狂った。私た ちは、破滅の想念がもたらす、狂乱の嵐の中にいる。  闇は出現した時と同様に、突然消えた。元の光の塔へ戻る。 そして、そこに立っているのは、身長4メートルの純白の鎧をつけた、女の巨 人であった。美貌の巨人は青い冴えた瞳で、シュラウトを見る。 「おまえか、私を召還したのは?」 シュラウトの口からは、苦鳴が漏れる。力つきたように、シュラウトは意識を 失った。 巨人は肩を竦める。 「そうまでしなくても、呼べばきたんだがな」 私は、巨人に問う。 「あんたは?」 「フライア神の化身と言っとこうか。何の用だ。呼び出したやつは気絶してるが」 ジュリが、疲れた声でいう。 「私たちを地上へ帰してください」 「なんだ、そんなことか。私は又、地上の破壊でも頼まれるかと思ったよ」 フライア神の化身は、けらけら笑った。私たちは、げっそりと女神の化身を見 る。 「じゃあな、人間たち。又来るがいい。言っとくが、死力を尽くして召還するこ とはないぞ。呼べばくるからな」 突然、私は目の前が闇に覆われるのを感じる。意識が遠くなっていった。 私は、トラキアの宮殿で、ジーク王の前にいた。ここは、私がジーク王からシ ュラウト王子の探索を、依頼された部屋だ。  ジーク王は、満足げに笑いながら、床の上に座っている。その前に立つ私の手 の中には、水晶剣が握られていた。 「おい、ジーク王、仕事は済ませたぞ」 「おうおう、美しい友情ほど尊いものは無いの、ケイン」 私は怒りで眩暈を感じたが、必死で自制する。 「祓ってもらおうか」 「何をじゃ?ケイン」 私の頭の中で、白い光がはじけた。怒りで胃が、ちりちりと灼かれている。私 は怒鳴っていた。 「おれの腹にある、餓鬼玉だよ!」 「おうおう、案ずるな。余が呪文で抑制したから後一ヶ月は大丈夫じゃ。ところ で、ケイン。頼みがあるのじゃよ。まだ、余に逆らう貴族がおっての。邪術をし かけて来ておる。おぬしの厚い友情はよく判っておるぞ、ケイン」 私は、冷静になる。そして言った。 「殺す」 「え?」 「おまえを殺して、おれも餓鬼玉に喰われる」 「待て、ケイン、祓ってやる。すぐにじゃ」 「おまえを信用できん。殺す」 「いやいや、ケイン」 「いやいや」 「いやいや」 「いやいや」 以下、無限反復。 「死霊の都」 完  一部、黒百合姉妹の詩を引用しました。  擬似科学的説明を行っているところがあります。この作品はSFではなくファ ンタジーですから、科学的整合性を無視しています。  量子力学の概念は事実と大幅に異なります。