眼下には、目眩を起こしそうなほど、蒼い天空が広がっている。惑星ネメシス の空であった。その思わず哀しさがこみ上げてきそうな蒼い輝きの中に、湖へ投 げ入れられた黒曜石のごとき黒い染みを、彼は認める。 「こんな時間に、入港は聞いてないぞ」 当直の宇宙港オペレータは、そのセンタースクリーン上に浮かんだ黒い染みを 未申請の宇宙船と認識した。手元のキーボードを操作し、目の前のディスプレイ に宇宙船の画像を拡大してみる。それと同時にセンタースクリーン上にウィンド ウが現れ、宇宙船の姿を拡大した。 「これは…」 オペレータの目にはそれは酷く禍々しい、凶兆を知らせる黒い虫に見えた。い かなる光も反射しない、レーダの電磁波にも反応しない漆黒の表面装甲を持つそ の船は、明白に軍事用のものである。 「呼びかけて見ろ」 オペレータは、相棒に声をかける。相棒は肩を竦めた。 「やってるが、回線を開こうともしない」 「パトロールに連絡だな」 地球帝国が、全銀河を敵に回して行った戦争が終わって、もう十年たっている。 通常の惑星には宇宙軍自体が存在しない。せいぜいが、犯罪をとりしまる為のパ トロール船が存在するのみであった。 ただ、軍用宇宙船を犯罪組織のレベルで持つのは、不可能である。当然なんら かの国家が、介在していると考えられた。つまり、パトロールの範疇を越えてい るということだ。 「地球人どもが、また戦争を始めやがったのか?」 「まさかな…」 今の銀河は軍事組織もほぼ解体され、平和そのものである。戦争中は学生であ ったオペレータたちにとって、軍艦を見ること自体、産まれて始めてのことであ った。 突然、スピーカーがノイズを発し始める。水の壁が崩れる時に発するようなノ イズの洪水が、宇宙港のコントロールルームを満たした。 「電子兵器かよ」 「やられたな」 宇宙港は孤立した。他の衛星軌道上の施設や、地上に対しても連絡することが できなくなっている。 漆黒の宇宙戦艦はゆっくりと、姿勢をかえつつあった。涙滴型の戦艦は、その 尖った部分を惑星ネメシスの空へと向けてゆく。 「まさかあいつ」オペレータは、呆然として呟く。 「地上へ降下するつもりか?」 「多分な」相棒が、データを検索した結果を、センタースクリーンへ表示する。 ウィンドウが開き、データが表示された。 「大気圏突入型ベヒーモスクラスの宇宙戦艦だ。地上へ降下し、戦略拠点を制圧 するための戦艦だよ。かつて地球帝国が正式採用していた」 「じゃあ、やっぱり地球帝国のやつらが」 「まさかな。どこにも地球帝国の所属を現す、不死鳥の紋章がつけられていない。 第一ああいった突入型戦艦が単独で行動するなんぞ、聞いたことがない。戦時中 は移動要塞とよばれた、やはり突入型戦艦のギガンティスクラスの護衛艦として、 使われていたらしいが」 「なんにせよ、手の打ちようがないな」 その漆黒のベヒーモスクラスは、蒼い天空に向かって打ち込まれる暗黒の剣の ように、地上へゆっくりと降下を始めた。やがて、その表面装甲は紅く燃えあが り、空を駆ける真紅の凶星となり大地へ向かうこととなる。 惑星ネメシスの地上都市、エクウス。その郊外には、多目的野外スタジアムが あった。  大空の天頂は、微かに闇に覆われつつある。その野外スタジアムの後ろでは、 沈んだ太陽が西の空を紅く燃え上がらせていた。 黄金色の残照に輝く黄昏時の空の下で、野外スタジアムのステージに設置され た無数のディスプレイが、蒼く光っている。スタジアムに訪れた2万の観衆は、 コンサートの開始を待っていた。 戦争が終わり、ようやく復興した銀河の星々で人々に愛されているアイドル歌 手、メイ・ローランのコンサートが、この場所で行われることとなっている。残 照が西の果てへ落ち天空が紺碧の闇に覆われた後、コンサートが始まった。 ステージ上のディスプレイに、無数の鳥たちが湖から飛び立つ様が写し出され る。そして巨大な街が廃虚と化して崩れ落ちていくような、壮大なフィードバッ クノイズの轟音が響き渡った。 2万の観衆が星の瞬く空の下で、波が渡ってゆくようにどよめく。ステージの 上空にスポットライトがあたり、メイ・ローランが姿を現す。それと同時に荒れ 狂う轟音の中に、透明な光をおもわす煌めくような音がはいり込む。 それは、無数の水晶の塔が、陽光のなかでゆっくりと崩壊していくのを、音に したようであった。その音の洪水の中に、静かにメイ・ローランが降りてくる。 彼女は、全身にケーブルを接続し、ホログラム映像投影型のディスプレイを頭に つけ、手には携帯型のキーボードを持っていた。 エルフのようにスリムな身体に、神秘的な美貌を持つ少女は、サイバーネット ワークに取り込まれた機材の一ユニットのようにも見える。彼女は、渦巻く音の 洪水を創り出している装置と文字通り一体化しており、神経組織はケーブルによ り電子装置へとつながっていた。  メイ・ローランは様々な音楽、非音楽的なサウンドをサンプリングし、一つの 音楽に合成するといった全く新しい手法を採用したミュージシャンとして知られ ている。それは、サイバーネットワークに存在する無数のデータ群を、瞬時に解 析し結合させていく天才的な能力があって、はじめて演奏可能となる音楽であっ た。メイ・ローランはまさにサイバーネットワークの無限に近いデータを自在に 操る、天才的デジタルダイバーだ。 金属の獣の咆哮のようなドラムの音がリズムを刻みだし、死せる惑星に捧げら れる挽歌を思わす荘厳なフィードバックノイズが重なっていく。 それは、古代地球の宗教音楽を思わす神秘性を持ち、最新のボディソニックダ ンスミュージックの激しい疾走感を備えた音である。それは限りなく生の、剥き だしの音そのものに近く、又、これ以上ないというくらいに計算され尽くした音 楽であった。 そして、メイ・ローランが歌いだす。少女の囁きのように穏やかに、大昔の地 球のシャンソン歌手のように軽やかに、原始宗教の祭司のように荘厳に。 ステージ上のスクリーンは、音とシンクロして様々な映像を映し出す。それは 幾何学的なパターンが変化していく様であったし、太古のシネマの断片であった りした。それはメイの音楽と同様、混沌とからみあっていくようで、確かに意図 が感じられる。 これは、ある種の麻薬のトリップに似ていた。2万の観衆は皆、自分自身だけ の意味をメイの音楽の中に、見いだしている。それは、生そのものと同じくらい 深い所での理解であった。 2万の人々は一つの生き物のように、呻き、叫んだ。音と光の渦が彼らの上を 天使が駆けぬけるように、走り抜けてゆく。メイ・ローランは2万の人間に固別 の夢を与えつつ、波がひとつの方向へ崩れていくように統合させていた。 空に真白く煌めく銀河の下で妖精を思わす可憐な少女は、サイバーネットから 産みだしたデジタルの轟音に合わせ、やさしい愛の歌を囁くように歌う。人々は 少女と共に、無邪気な愛の夢を見た。宇宙の奈落のような、生の深淵を垣間みな がら。 コンサートが最高の盛り上がりを見せた時、夜空にその凶星が出現した。禍神 の紅い瞳のように、暗い天空に出現した紅い星は尾を引きながらスタジアム上空 を東へ向かい、流れてゆく。その時には、コンサートに熱中している人々は誰も 気がつかなかった。 しかし、メイは見た。頭上を走る、紅い光を。そして魔法の剣が空を断つよう に、地上へ突き立てられた宇宙戦艦の下方ロケット噴射を。 偽りの太陽、死滅の太陽が昇ったように東の空が明るくなり、観衆はようやく 気がついた。自分たちの後ろに、巨大な戦艦が降下しつつあるのを。 それは魔神の漆黒の剣のように、暗黒の夜空よりさらに昏く天空に浮かび上が った。真夜中の太陽のようなロケット噴射を輝かせ、黒い凶星はゆっくり降りて 来る。 闇色の流れるような涙滴型の船は斥力フィールドにより空中に浮かび、アンカ ーを地上へ打ち込み船体を固定した。輝く下方噴射は消え去り、その船は暗黒の 塔のごとく、夜空に聳えている。 人々に、ざわめきが走った。漆黒の船は、甲虫が羽を開くように、静かに放熱 板と兼用の装甲板を開いてゆく。それは暗黒の死の花が、黒い花びらを開く様を 思わせた。 上方の、丸い部分を支点として装甲を開いた船は、夜に咲いた鋼鉄の花のよう である。装甲の下から、スペースキャノンが姿を現す。 ようやく機動警察の武装ヘリが、到着した。しかし、宇宙戦艦の前に、ミサイ ルすら装備していないガンシップは、あまりに非力である。2機のヘリは船の上 空で、待機した。 戦艦のハッチが開く。そこから射出されたのは、やはり漆黒の装甲を持つミリ タリーモジュール(陸戦用の機動兵器)であった。卵型のミリタリーモジュール は尖った部分を下にしてロケット噴射を行い、空中を移動する。上部には、50 ミリ高機動速射砲を装備している。 4体のミリタリーモジュールが射出され、スタジアム上空へ来た。そこでミリ タリーモジュール達は、折り畳まれていた4本の足をだして、ゆっくり降下する。 着陸地となった客席にいた人々が、逃げまどう。 4体のミリタリーモジュールは、ステージを囲む形で着地する。速射砲は、メ イのほうに向けられていた。メイは無言で漆黒の戦闘機械を見つめている。メイ は自分のマイクがまだ生きているのを確認すると、ミリタリーモジュールに向か って叫んだ。 「あなた達は、何者なの。どんな権利があって、私のコンサートを妨害するの」 その叫びに答えるように、戦艦のスペースキャノンが火を吹く。 光の矢がメイの頭上を飛び去る。一瞬、辺りが真昼のように明るくなり、轟音 が響き渡った。威嚇である。建物に直撃したわけではない。しかし、メイの膝が 震えた。 その直後に、ミリタリーモジュールの速射砲が旋回し、火を吹く。2機のヘリ は炎につつまれ、落ちていった。爆発音が響く。会場から悲鳴があがる。メイは 絶叫した。 「もうやめて!」 闇色の鋼鉄の塔から、もう一体の飛行機械が射出された。それは、先に降下し たミリタリーモジュールに比べると、ひどく小さなマシンである。 スタジアム上空に来て、その姿は明瞭になった。それは大型のエアバイクであ る。その黒く塗装された鋼鉄の獣には、夜の闇に染められたような漆黒の髪と瞳 を持つ少年が跨っていた。 その軍用のエアバイクは、メイに向かって降下してくる。その意図に気づいた 警備員たちが、メイをかばう形で、隊列を組む。しかし、彼らの武装はハンドガ ン程度でしかない。しかも、そのハンドガンはソリッドブレットのタイプで、ビ ームガンは誰も持っていなかった。ミリタリーモジュールを目の前にしては、武 器とすら呼べないような、貧弱な装備である。 エアバイクが風を起こし、ステージ上に降りた。少年は、地上に降りる。死の 大天使の羽のごとく黒いコンバットスーツに身をつつみ、携帯型のビームガンを 腰だめにしている。 その顔は野に潜むコヨーテのように、精悍で鋭かった。その痩せた肉体は研ぎ すまされたナイフのように、鋭利な緊張感を漂わせている。 黒い鬣のように漆黒の髪を風に靡かせ、少年は狼のように笑った。その殺戮へ の欲望を体現するかのように、ビームガンの銃口が熱で揺らめく。 ソリッドブレットタイプのハンドガンを抜いて構えている警備員に対して、少 年はやさしげと言ってもいい口調で、語りかける。 「あんた達の命は別に欲しくない。メイ・ローランを渡せ。しかし、邪魔をする なら…」 「さがって下さい」 メイは少し掠れた声で、しかし、毅然として回りの警備員に対して言った。 「あなたの言うことに従うわ。だから、これ以上、人を殺さないで」 少年は獲物を前にした獣のように、歯を見せて微笑む。 警備員たちは、後ろにさがる。メイは荒野に咲く雛菊のように、ひとり少年の 前に残った。 少年は歩みでる。開いた右手でメイの腰を抱くと、軽々と肩へ担ぎ上げた。花 束を抱えるような、手軽さである。そのまま、エアバイクへ乗ろうとした。 その時、ハンドガンの銃声が響く。警備員の一人が発砲した為だ。少年は喉の 奥で笑った。まるで、飢えた獣のように。メイは、少年の肩の上で叫ぶ。 「やめて!」 少年は、無造作に暗黒の空へ向かい、ビームガンを発射した。夜の闇を貫いた 光の矢を合図として、ミリタリーモジュールの一体が機関砲を撃つ。ステージ上 に絶叫と、炸裂音が響きわたった。 メイの悲鳴を乗せたまま、エアバイクは宙に浮かぶ。そのまま、黒い鋼鉄の塔 である、戦艦へ向かった。 「なぜ」メイの問に、少年は馬鹿にした口調で答える。 「あんたに当たる危険があるのに、発砲した。死んでもしかたないやつらさ」 メイはため息をつく。少年の肩の上で見上げれば、空を覆う星々が回っている。 メイは少年に尋ねた。 「あなたは一体、何者なの」 「ガイ、ガイ・ブラックソルだ。憶えておけ」  メイと少年を乗せたエアバイクは、静かに戦艦へ収納される。同時に、ミリタ リーモジュールも速やかに、撤収していった。 漆黒の戦艦は装甲を畳むと、宇宙へ向かい上昇してゆく。スタジアムの観衆た ちは、空へ消えてゆくその闇色の船を、暗澹たる思いで見送った。 かつて、地球人がすべての銀河系内の恒星系に住む人間に対し、人間の文明の 発祥の地としての地球の重要性を主張し、地球中心の体制を造り上げようとした。 その運動は、星間戦争として銀河じゅうに広まっていった。 そして今、その戦争が終わり十年が過ぎている。戦争が終わり、平和になった ということは、別の言い方をすれば戦争が非合法化したということだ。 戦争は匿名のテロルとして、依然継続している。むしろ、戦争が国家のレベル を離れ、テロル化したことを平和と呼んだというべきであろう。 テロルの組織は大ざっぱにいって、合法、半合法、非合法の三つに分類できる。 カウンターテロルの組織も、同様だ。これらの組織は、相互に依存しあっている。 いいかえれば、法が曖昧になってしまう部分でテロル活動が行われている。単純 にいえば、今の戦争は公認犯罪者によって行われているということだ。 こうした現代的戦争の執行者達は、別に地下に潜伏しているわけではない。宇 宙港へいけば、いくらでも会うことができる。彼ら、あるいは彼女らは、十年前 の戦争経験者であることが多い。彼ら、あるいは彼女らにとって、十年前と今の 違いは雇い主が軍事機関から種々雑多な組織へと変わったくらいのことである。 むろん、仕事の供給量はかなり減ってはいるが。 宇宙港のバーは、大体においてこうした人々の溜まり場となっている。仕事の 依頼もけっこうこうした場所で、お手軽に行われてしまうケースが多い。一千万 単位の人間を殺戮する仕事を、ウィスキー片手でヌードショウを見ながら請け負 う人たちもいる。 ようするに、宇宙港のバーは法の外にあるいかがわしい場所である。ここ、惑 星ヒエロスムス上にある、連絡艇離着陸用宇宙港のバー「サチュルス」も、典型 的ないかがわしい治安放棄地区の中にあった。 ここでは殺人が起こっても、警察が介入することは殆ど無い。ここでの殺人は たいていテロルという名の戦争行為であり、刑事上の犯罪とはいい難い為だ。 ここで人々は思い思いに寛いでいるが、その腰には必ず高出力の軍用ビームガ ンが提げられているし、利き腕は大抵自由に遊ばせている。 店の中は薄暮の世界のように薄暗く、不定型の生き物のように麻薬の煙が漂っ ていた。裸体に派手なペインティングを施した売笑婦たちが、原始社会のシャー マンを思わす目付きで、物憂げに歩き回っている。 そこは、激しい金属質の音楽に満ち溢れているが、なぜか海の底のように昏く しん、としていた。そこにいる人々は、原色の絵の具を溶かしたような酒を飲み ながらディオニュッソスのように笑ってはいるが、その瞳は冥界から帰ってきた 者のように、昏く沈んでいる。 この、妙に心地よく、陰鬱な騒々しさに包まれたバーの中で、その一角だけは 木漏れ日が射し込んでいるように暖かく静かだった。そこに居るのは一人の少女 である。このいかがわしいバーの片隅で、まるで自分の家のテラスで寛いでいる ようにホットミルクを飲んでいた。 誰も少女には近づこうとせず、少女の回りには目に見えぬ結界が張られている かのようだ。しかし、皆、どこか視界の片隅にその少女を捕らえていた。その少 女の表情は無邪気であり警戒心のかけらもないようだが、なぜか声をかける事を 躊躇わせるものがある。その場にいる者たちほとんどは、女であろうと子供であ ろうと躊躇わず、殺して犯してきたというのに。 それはおそらく、少女の茫洋した瞳のせいであろう。彼女の妖精を思わす美貌 は、何か得体のしれぬ神か悪魔に支配されているかのように焦点が定まっておら ず、その瞳はここにはない彼方の景色を、見つめていた。その少女は、ここにい ながら、どこか別の場所に魂を置き忘れてきているようだ。 「あんた」 一人の若い、といっても顔に残った傷跡が男の経歴を物語っているが、店の客 が少女に近づき声をかけた。 「メイ・ローランに似てるな」 少女はどこか遠くを見ているような目で、にっこりと笑った。 「よく、そういわれるわ」 男は、少女の横に腰掛ける。麻薬の香りのする煙草を燻らせ、長期間飲み続け ると神経に障害のでる麻薬の混じった酒を、手にしていた。 「誰かを待っているのか?」 どこか淫靡なものを忍ばせた声で、男は問いかける。少女は、無邪気な笑みを 見せて答えた。 「ええ、もうすぐここに来るのよ」 「誰が」 「キャプテン・ドラゴン」 バーの中の空気が一瞬、凍りついた。数秒後には、再びざわめきが戻る。 「やつは、死んだと聞いたが」 男は蒼ざめた顔で、言った。 「まさか。私、彼にこれから仕事を依頼するのに」 無邪気に微笑み続ける少女を残し、男は幽霊を見たような表情をして立ち去っ た。キャプテン・ドラゴンとは知らないもののいない、伝説の、しかし、間違い なく実在した男である。 十年前の戦争を終結させたのは、実際にはそのコミックヒーローじみたふざけ た通り名を持つ男の為と信じられていた。全銀河を敵に回してなお、無敵を誇っ た地球帝国の艦隊を、七度に渡ってたった一隻の船を操って敗走させ、かの古の 魔導師達に支配された銀河西部に赴き地球帝国との密約を破棄させた、悪い冗談 としかいいようのない経歴の持ち主である。 それだけの英雄にもかかわらず、戦後姿を消したばかりか超A級犯罪者として 指名手配をうけており、その身柄を生死に関わらず銀河パトロールに引き渡した 者には、一千万クレジットという国家予算並の賞金が支払われることとなってい た。ただ、いかなる罪を犯したのかは、誰も知らなかったが。 バーに居合わせた人々は、自分たちが伝説の人物が十年ぶりに人前にでる現場 に立ち会うこととなった事に気づき、畏れつつも、期待に震えた。その男を殺し て手に入る、一千万クレジットは実に魅力的である。 その時、一人の男がバーの中へ入ってきたのに、殆どの者は気がつかなかった。 その男は、シルバーグレーの薄汚れたマントを身に纏っており、髪は輝く金髪で ある。 男は、冬の晴れた青空のような蒼い瞳であたりを見回すと、少女に目をとめ、 無造作にその前に座った。まるで恋愛映画に登場する男優のような、甘いマスク の優男である。 バーの中に一瞬、緊張が走った。少女が、静かに尋ねる。 「あなたがキャプテン・ドラゴンね」 男は、夢みるような笑みを見せ、物憂げなすこし掠れた甘い声で言った。 「そういう通り名もあるようだ。おれは、ビリー・サドラー。あんたが、リン・ ローラン?」 「ええ」 バーの中は王が崩御した宮廷の中のように、静寂につつまれた。ビリーと名乗 った男は、映画俳優が恋人にみせるような笑みを口元にはりつけたまま、バーテ ンに声をかける。 「彼女と同じものを」 その少女、リン・ローランは少し驚いた顔をする。 「これはホットミルクよ」 ビリーは白い歯を見せ、涼しげに笑った。 「まあ、いい。そんなことは。おれは迷惑してるんだよ、ミス・ローラン」 ビリーは恋人に囁くように、静かに言った。バーの中に、再びざわめきが戻る。 それは、どこか浮ついた、熱にうかされたようなざわめきであった。 「リンでいいわ」 「オーケイ、リン。おれは、現役を引退して十年になる。今は静かな生活を送っ ている」 「あなたの居場所をマスコミに公開してもいいわ。銀河パトロールでもいい。私 はその静かな生活を台無しにできる」 ビリーは、真っ直ぐで柔らかそうな金色の前髪をそっとかきあげ、澄んだ湖の ように青い瞳でリンを見つめる。そして、まるで、恋人のわがままに困らされて いるかのように苦く甘い笑みを見せ、言った。 「ここであんたを殺してもいいぜ、ミス・リン」 「その結果、どうなるか判らない程馬鹿なわけ?残念ね」 ビリーは冬の木漏れ日を感じさせる、暖かい微笑みを口元にはりつけたまま言 った。 「十年前の戦争では、何百万人殺したか判らない。もう一度それをやってもいい。 しかし、おれも若くはない。そんなことも、億劫だ」 リンはそっと頷く。 「私の仕事をうけてくれれば、あなたの情報は、もう一度ネットの奥深くに隠し ておくわ」 ビリーはそっと首を傾げる。まるで日差しを浴び、音楽を聞いている詩人のよ うに、穏やかに笑っていた。 「わかった。この仕事うけよう」 そういい終えたビリーは、ふっとあたりを見回す。二人の回りには、人垣がで きている。半径十メートルほどの、人の輪に囲まれていた。 その輪の中に、三人の屈強の男達が入って来る。男達は対弾・対刃兼用のバト ルスーツを身につけており、装甲車のボディ程度なら楽々と撃ち抜ける、大口径 のビームガンを手にしていた。 ビリーは立ち上がった。物憂げに尋ねる。 「おれに用か?」 真ん中に立っている、身体のでかい髭面で巻毛の男が言った。 「くじでおれ達があたってね、とりあえずあんたを殺す権利を得た」 男の持つビームガンの銃口が、熱でゆらめく。 「バイバイ、キャプテンドラゴン」 三丁のビームガンが、同時に光を放つ。ビリーの目の前の空間に、極彩色の壁 が出現した。力場により圧縮され放出されたビームの粒子が、ビリーの回りにあ るバリアで、分解し拡散した為だ。ビリーの身の回りに巡らされたバリアの出力 は、個人携帯用の限界を越えたパワーを持っている。並の装甲車を灰にしてしま うようなパワーのビームを、楽々と分解していた。 カレイドスコープのような光の乱舞が、散っていく。男たちは、ビームガンを 腰に戻し、替わりの武器を出そうとする。 ビリーは物憂げな甘い笑みを浮かべたまま、腰の銃を抜き、射った。ソリッド ブレッドタイプ(個体弾頭)の銃特有の、火薬の爆発音が響く。排出された空の メタルカートリッジに床に落ち、乾いた音を立てる。 男たちは、膝をついた。銃弾は、バトルスーツを貫通したわけではない。しか し、ビリーの射った銃は、15ミリ口径の12連リボルビングサブマシンガンで ある。貫通しなくても命中すれば、銃弾のパワーで骨が折れる。 ビリーは優しい笑みを浮かべたまま、給弾チューブをリボルビングサブマシン ガンに接続した。銃についている、12発装弾可能な螺旋式輪胴型弾倉に空きが できると、給弾チューブより自動的に給弾される仕組みである。 「まいったよ」 射たれた男が、蒼ざめた顔で言った。 「そんな馬鹿でかい口径のソリッドブレッドハンドガンを速射するなんざ、人間 わざじゃねぇ。やっぱりあんたに手をだしたのは…」 もう一度、銃声が響く。男たちは眉間を打ち抜かれ、死んだ。後頭部に拳大の 穴が空き、血と脳漿が床へ飛び散る。 「いい腕だ」 顔面の半分を、強化セラミックの装甲で覆われた2メートル以上の身長を持つ 男が人垣から現れ、言った。 「おまけにどこで手に入れたのかはしらねぇが、パワードスーツ用の対ビームバ リアを装備してやがる。しかしな、」 その大男は、戦闘サイボーグらしい。バトルスーツの下は、セラミックと金属 のボディがあるようだ。 サイボーグの男は、1メートル以上はあるビームライフルをビリーにむける。 「対戦車ビームライフルだ。あんたのバリアでも、ふせげないぜ。ついでにいっ とくが、おれの身体にソリッドブレッドを撃ち込んでも、無意味だからな」 巨大なビームライフルの放出する熱で、陽炎ができている。サイボーグの男の 姿が、ビリーの視界の中で歪む。ビリーは甘い笑みをうかべたまま、言った。 「どうしたいんだ?」 「降伏しなよ、キャプテンドラゴン。ここを抜けでても、あんたはもう、無事に 自分の船へはたどりつけないよ。それなりの手配を、おれの仲間がしている。ま ぁ、あんたも相応の準備をしてここへきたんだろうが」 「いいや」 ビリーは、楽しげといってもいい口調でいった。 「おれの武器はこいつだけさ。他にはなにも用意してない」 サイボーグの男は、笑って言った。 「好きにいってな。とにかくおれはあんたを生きたまま、パトロールへ引き渡し たい。そのほうが、なにかと都合がいいんでな。どうだい、死ぬか、降参するか、 どっちだ?」 「降参するよ」 ビリーは、あっさりといった。 「オーケイ、まずその銃をこっちになげろ」 ビリーは、無造作に銃を投げる。サイボークの男は、足元にきた銃を見て叫ん だ。 「てめぇ、これはダミー!」 男が引き金を引く前に、ダミーの銃が炸裂した。大した爆発ではないが、男は 膝をつく。 「貴様…これ…は」 「AEE弾(アンチ・エレクトリシィティ・イクイップメント弾)だよ。あんた の身体を維持しているサイバーシステムは、機能を停止しているはずだ。AEE を至近距離で喰らうと、電子装備はおしゃかになるからな」 ビリーは涼しげに微笑んで言った。その手には魔法のように、本物の銃が戻っ ている。リンが、感心して言った。 「なんて、器用なの」 「特技なんだ」 「サーカスにいっても、手品師で食べていけるわ」 「ありがとう」 ビリーは、弾倉をスイングアウトさせて銃身からはずすと、銃弾を一発抜く。 かわりに腰のサックから、徹甲弾を取り出し補弾した。  ビリーは優しく微笑むと、動きの止まったサイボーグの男へ、徹甲弾を撃ち込 む。特殊金属で被甲され、火薬量を増量された銃弾は、サイボーグの男の身体を 貫いた。サイボーグの男は完全に機能を停止され、死んだ。 ビリーは手にした銃を、天井へ向かって連射する。轟音が響き、空カートリッ ジが煌めきながら、床に撒き散らされた。 「次は誰が死ぬんだ?」 人垣から出てくるものは、いなかった。ビリーは、リンに声をかける。 「いこうか」 「待ってよ」 「なんだ」 「ホットミルクを飲んでないわよ」 ビリーはうんざりした顔をすると、一息でホットミルクを飲み干す。 「これでいいか」 リンはにっこりと微笑む。ビリーはリンを盾にする形で、出口に向かう。出し なに、バーテンにコインを投げると、ビリーは甘い声で言った。 「次からは、ミルクに砂糖をいれたりするなよ」 ビリーとリンは、外に出る。ビリーは、そのまま宇宙港の施設の外に出た。外 は真夜中であり、静まりかえっている。道端に止めてあるジープに近づくと、運 転席に座っている、痩せた目付きの鋭い男に、声をかける。 「ヤン、依頼主をつれて来たよ」 ヤンと呼ばれた運転席の男は、リンの姿を見て目を丸くした。ビリーはリンを 後ろに座らせると、自分は助手席につく。ヤンが言った。 「依頼主って、まさか仕事を受けたんじゃ…」 「受けたよ」 ヤンはため息をつくと、ジープのエンジンをかける。 「まぁ、いいすけどね、私としちゃ最近の生活に退屈してたから。ただ、宇宙港 で、派手なことをしなかったでしょうね」 「しない、しない」 ビリーは、手を振りながら言った。 「派手なんてことは、しちゃいない。ただ、4人ほど殺したけど」 ヤンは絶句した。 「まさか、キャプテン・ドラゴンと名乗ったりは?」 後ろでリンが言った。 「私がいったわよ」 ヤンはジープを発進させると、大きなため息をついた。 「どうして、そんなやっかいばかり起こすんですか!キャプテン、あんたはいつ も事をややこしくする。だいたいですよ」 「落ちつけよ、ヤン」 「そうよ、落ちつきなさい」 「あんたに、言われる筋合いは無い!」 ヤンは後ろの席の、リンに向かって怒鳴った。 「キャプテン、我々はお尋ねものなんですよ、戦後最大級の。銀河パトロールの 巡洋艦が、百隻ほどこの星の軌道上に待機してたらどうすんですか」 ビリーは夢見るように、微笑んだ。 「おれたちは、もっとタフな状況だって切り抜けてきただろ」 「そりゃ、あのころは戦争中だったから」 「そういうなら」ビリーは優しく笑う。「もう一度戦争をおこせばいい」 ヤンは絶句して、天を仰いだ。 「はいはい、好きにしてくださいよ、もう。あんたと組んだ、おれが馬鹿なんで すよ」 「いや、ヤンには悪いとは思っている。一応ね」 「はいはい」 「今だってほら」 ビリーは、前方を指さした。そこにはバリケードが築かれ、道路が封鎖されて いる。その前には、4体のパワードスーツが待機していた。 「こういう状況を引き起こしたのは、おれのせいといわれてもしかたないからな ぁ」 ヤンは、車を止めると下を向いて、首を振った。 「まぁ、いいっすよ、どうでも。とことんやりますよ、こうなりゃ」 ヤンは、傍らに置いていた、グレネードランチャーを取り出す。AEE弾を装 填し、照準をパワードスーツに付ける。 4体のパワードスーツのほうでもこちらに気が付いたらしく、ビームライフル の銃口をこちらに向けていた。ビリーは、ジープにとりつけてあるバリアのスイ ッチを、入れる。 ヤンが発砲したのと、ジープが7色の光に包まれたのは、ほぼ同時であった。 ジープの回りで、無数の宝石が砕かれまき散らされたように、極彩色の光が跳ね 回る。 ジーブの回りの地面が乱反射したビームのエネルギーを受け、炎の地獄のよう に煙を上げ気化してゆく。ジープの前面は、狂気に犯された画家の造ったホログ ラムのように、原色の光が乱舞する。ジープのバリア発生装置が過負荷に耐えか ねて悲鳴をあげるころに、AEE弾が炸裂した。 一瞬にして、光の乱舞が消える。回りの地面は、灼熱地獄のように沸騰して煙 をあげてはいるが。4体のパワードスーツは、足元で爆発したAEE弾の発する 一時的な時空間の歪みの影響を受け、コントロールシステムが停止し、立ちすく んでいる。 「つっこむぞ、ヤン」 ビリーは、宇宙刀を抜くと叫ぶ。 「がってんだ」 ヤンはジープのエンジンをかけて、急発進させた。パワードスーツにはAEE 弾に対する自己防衛機能が組み込まれて入るため、システムがダウンしても数分 後には再起動される。 ビリーは、宇宙刀のスイッチを入れた。宇宙刀自体は長さ20センチ程のロッ ドであるが、中には特殊チタンクローム製ワイアーを鉄の結晶体であるホイスカ ーの刃でコーティングしたワイアーソウが、収容されている。スイッチを入れる ことによってワイアーソウが放出され、パワードスーツレベルの装甲であれば楽 に切り裂くことができた。接近戦では、これ以上強力な武器は無い。 ビリーは、車体をスライドさせながら急停車するジープから、飛び降りた。棒 立ち状態のパワードスーツへ向かって、宇宙刀を薙ぐ。 胴体を両断されたパワードスーツの上半身が、地面に転がる。その勢いで、も う一体のパワードスーツに宇宙刀を、叩きつけた。前面装甲が地面に落ち、中の パイロットの両断された上半身が、その上に落ちる。こぼれた内臓が白い蛇のよ うに、のたうちながら蜷局を巻いた。 残りの2体のパワードスーツの機能が、回復してくる。急激に動作させている 為、駆動モータが悲鳴を上げるパワードスーツに、ビリーは斬りかかった。 ビームライフルの銃身を切断し、宇宙刀を下から上へ切り上げる。 下半身を縦に切られたパワードスーツは、膝を付き機能を停止した。残った一 体のパワードスーツは、ビームライフルにエネルギーのチャージを行っている。 ビームライフルの強制冷却装置が、エアを吹き出す。白熱した光が、夜の闇を 貫くのと同時に、ビリーは地面へ身体を投げ出していた。 宇宙刀で、パワードスーツの足を薙ぐ。足を切断されたパワードスーツは、後 ろに倒れた。その胴体をビリーは宇宙刀で両断し、とどめを刺す。 ビリーは宇宙刀のスイッチを切りワイアーソウを収納すると、ジープへ飛び乗 った。ヤンは、ジープを発進させる。バリケードは、跳ね飛ばした。 「この程度で終わりってこた、ないでしょうね」 ヤンがうんざりしたように、言う。ビリーが物憂げに、頷いた。 「第2ラウンドが、始まりそうだな」 その言葉を裏付けるように、背後の空に黒い影が三つ現れた。瞬く間に接近し てきたその影は、ガンシップである。20ミリ機関砲を装備した、戦闘ヘリだ。 サーチライトが凶悪な輝きで、地上を舐め回す。 「豪勢だな」 ビリーは、小春日和のベランダで日光浴をしているような呑気さで、言った。 ヤンは、ジープのスピードを上げながら叫ぶ。 「キャプテン、後ろにあれがあります」 「やっぱり、あれか」 ビリーは、ため息をつく。リンが尋ねた。 「あれって何よ」 「D.D.C(デジタルデストロイキャノン)だ」 ビリーが平然と言った言葉に、リンの表情が凍りつく。 「D.D.Cって宇宙戦艦とかが、装備しているやつ?」 「正確にはパトロール艇だが、まぁ、そう考えていい」 ビリーは、漆黒の無反動砲のような形をした筒を、とりだす。ケーブルをジー プのジェネレータへ接続していく。ターゲットスコープが蒼白い光を放った。ビ リーはD.D.Cを肩に担ぐ。 「D.D.Cって空間に歪みを作りだして、情報エントロピーを増大させて、シ ステム上にバグを自然に生み出すんでしょ。そんなの地上で使えるの?」 ビリーは、ヘリに照準を合わせながら言った。 「地上では使えないんじゃなくて、使われていないんだ」  形態認識型追尾装置がガンシップの中から一機を選択し、ロックオンする。ガ ンシップはサーチライトでジープを捕らえ、20ミリ機関砲を発射した。ヤンが 蛇行させるジープの周囲に20ミリ弾が着弾し、土煙が上がる。数発が車体をか すめ、火花を散らした。  ビリーは揺れるジープの上で、D.D.Cを撃つ。D.D.Cの砲口が閃光を 放ち、後部射出口から爆煙が噴出された。D.D.Cの砲弾はガンシップの近く で炸裂する。3機のヘリは一瞬燃え上がったように光に包まれたが、物理的被害 はなくそのまま飛行を続けた。しかし、砲撃は止まっている。  D.D.Cの砲弾は炸裂と同時に、肉眼では見ることのできない数ミクロンの 大きさの半人工生命体ナノマシンであるワームを空中に散布していた。ワームは 自らの意志により周辺のあらゆる集積回路内へと入り込んでゆく。ワームは自己 の周囲の空間の場の性質を変動させ、情報エントロピー値を増加させる。その結 果、集積回路は異常をきたす。  3機のヘリは蛇行し始めた。 ヘリは空中を迷走した末、近くの林に落ちる。燃料タンクに引火したのか、火 柱が上がった。 「何か」リンが呆然として言った。「向こうのほうの街の明かりが消えたみたい だけど」 リンは、D.D.Cの射線の先にあった街を指さしていった。その街は、黒い 布を被せたように、闇に閉ざされている。ワームは爆風にのってかなりの距離に 渡って散布されていた。通常半径一キロ圏内はワームによる汚染地域に指定され る。ワームは散布後約十分間で死滅するが、その間に全てのシステムは起動不能 に陥った。 「街をコントロールするコンピュータが、死んだようだな。ま、D.D.Cの有 効範囲を制御するのは難しいからね。しょうがない」 「地上でD.D.Cを使うと、近くの街が壊滅するといってるわけ?それはやっ ぱり使われていないんじゃなくて、使えないのよ」 ビリーは、恋人を口説く時のように、優しくいった。 「感性の違いだね。戦争に犠牲はつきものさ」 リンは、自分の呼び出した男が何者であるか、理解し始めていた。 「あんたに、高い賞金がつくはずだわ。キャプテン・ドラゴン」 ビリーは、楽しげな笑みをみせる。 「離発着場ですぜ、キャプテン」 宇宙港は、一般旅客用シャトルの離発着用の施設と輸送船の離発着用の施設を 別の場所に設置してある。ビリーたちのジープは、フェンスの破れ目を抜け、輸 送船用の離発着場に入り込んだ。 やがて、離発着場の片隅に停泊している古くて、くたびれた輸送船が見えて来 る。ジープはその輸送船に向かった。 リンは、うんざりしたように言う。 「あのしょぼい船に、のって来たの」  ビリーは頷く。 「あれが我が、オダリスク号だ」 その輸送船は、ちょうど卵を縦に断ち切ったような形をしている。平らな面を 上にしたその船は、後部にあるハッチを開いていた。ヤンの運転するジープは、 ハッチから輸送船の中へと入る。 ビリーとヤンはジープから飛び降りると、ハンガーへジープを手早く固定した。 そして、ハッチを閉じブリッジへ向かって駆けていく。リンは慌てて後に続いた。 ブリッジにビリーとヤンは飛び込む。ブリッジは、正面にセンタースクリーン があり、4機のオペレーションブースがあった。二人はコンソールのついたブー スに入り込み、到底宇宙船のシートとは思えないような粗末な作りのシートに、 身体を固定する。リンも、空いているブースへ飛び込むと、シートに身体を固定 した。 ヤンが、エンジンを起動する。アイドリング状態だったらしく、レスポンスは 驚く程速い。ヤンが、コンソールを操作しながら叫んだ。 「コントロールセンターから警告が来ました」 ビリーは物憂げに応える。 「撃ち落としたければ、かってにしろといっとけ」 船は、巨大な手に捕まれ持ち上げられたように上昇する。メインエンジンの轟 音がかん高い悲鳴へと高まっていき、ついには物理的な衝撃に変わる。船は、上 空目指して加速していった。リンは、強烈な加速に呻きを漏らす。 暗い穴へ落とされたように視野が狭くなり、気が遠くなってくる。リンは闇に 押し潰されるように、気を失った。 リンは、暗い海の底から藻掻き出るように意識を取り戻す。加速は終わってお り、無重力状態になっていた。現在の状況を確認するため、センタースクリーン を見る。船はヒエロスムスの重力圏から離れ、星間航路へ向かっていた。 「ちょっと、女の子が乗ってるんだから、もう少し操船を考えなさいよ!」 リンの叫びに耳を貸さず、ヤンとビリーはコンソールに集中している。よく見 ると、センタースクリーンにも警告の表示が出ていた。 リンも、手元のコンソールを操作する。そこに表示されたのは、船が接近して いるというメッセージであった。さらに情報を要求すると、カブト虫のような甲 虫を思わす形をした船が表示される。 船首にカブト虫の角を思わす細長い主砲があり、船体には防御用可動装甲板を 兼ねた放熱板が装備されていた。放熱板は、通常航海中であれば、熱放射の為、 広げられているものだ。しかし、コンソールに表示されたその姿は、放熱板を閉 ざしている。臨戦態勢にあるらしい。 その船の情報をさらに要求すると、メッセージが表示された。 「ケルベロス級銀河パトロール巡洋艦ですって!」 リンの叫びは、再び無視された。リンは通信ログを、コンソールへ要求する。 そこにあるのは、パトロール船からの発砲の警告ばかりであった。 「ちょっと、どうするのよ」 リンの問いは、無視される。ケルベロス級巡洋艦の主砲であれば、一撃でこの 老朽化した輸送船を沈めるだろう。しかし、ヤンもビリーも忙しく手は動いてい るが、落ち着いている。 一瞬、ブリッジの照明が消えた。センタースクリーンも手元のコンソールも、 暗くなる。そして、地鳴りのような衝撃が船に走った。 照明が戻ると同時に、警報が狂った叫びのように鳴り響く。センタースクリー ンに赤字の障害メッセージが延々と表示されていった。手元のコンソールは沈黙 したままだ。 ヤンが警報と障害表示を打ち切ったらしく、ブリッジに静寂がもどる。 「一発喰らっちゃいましたね。まだ、バリアは保ってます。それとキャプテン、 もうでれますよ」 「了解」 ビリーは、体を固定するハーネスを外し、ブリッジのハッチへ向かう。リンは、 慌てて自分もハーネスを外し、ビリーを追った。 剥き出しのケーブルやパイプが縦横に走る通路に出て、リンはビリーに向かっ て叫ぶ。 「ねぇ、どこいくのよ!」  ビリーが物憂げに応える。 「ブリッジに戻ってろ。次弾がきたら、怪我するぜ」 「怪我するって、それ以前に吹っ飛んじゃうよ、こんな船」 ビリーはジゴロが情婦に見せるような笑みを、リンへ投げかけた。 「心配するな。対ビーム砲バリアは戦艦並みのを装備している。 「そのわりには、システムがストールしてたじゃない」 「それは、航行システムが安物だからだ」 リンは、絶句した。ビリーは、スクリーンの中で俳優が見せるようなウィンク を、リンに投げかける。 「まぁ、ブリッジのコンソールで見てろって。おれが巡洋艦を沈めるところを」 「って、武器があるのこの船?」 「ないよ」 ビリーはもう移動し始めている。その背中へリンが叫んだ。 「そんな説明じゃ、あんたにぞっこんの恋人だって、納得しないよ!」 リンはブリッジに戻ると、ブースに入り体をシートへ固定する。リンは、忙し そうにコンソールを操作しているヤンに向かって、叫ぶ。 「ねえ、ビリーは一体武器もなしで、どうやってあの巡洋艦を沈めるの?」 ヤンはぶっきらぼうに言った。 「決まってるじゃねぇか」 ヤンは、ちらっと目をリンに向ける。その目は、まじめだった。 「体当たりだよ」 「聞いた私が、馬鹿だったわ!」  その瞬間、ずん、と振動が走る。着弾のショックとは別物だ。 リンは、コンソールを操作する。コンソールに、船が何かを射出したという表 示が出ていた。リンは、その射出物を表示するように、指示する。 「なにこれ?」 リンは、我が目を疑う。そこに現れたのは、黄金に輝く双頭の龍の姿であった。 それは、お伽噺に語られる英雄や騎士と戦った龍、そのままの姿。長く蛇のよう にくねる首。深紅に輝く4つの瞳。大きく広げられた金色の翼。長いのたうつ尾 が二つ、体の後ろに延びる。その異様な姿は、リンの思考を停止させた。 「コンソールが狂ってるわよ、ヤン」 「そうじゃねぇ。知らなかったのか?」 ヤンは、狼のような笑みを見せる。 「キャプテン・ドラゴンと呼ばれる訳を」