リンが受けたのと同様、いや、それ以上のパニックがパトロール巡洋艦のブリ ッジを、襲っていた。  円筒系のブリッジは、中央に指揮官用のコントロールブースがあり、放射状に 六つのブースが取り囲んでいる。中央のブースに、初老の顔つきの鋭い男がいた。 この船の艦長バセスカである。 「伝説は聞いていたが」 銀河パトロールの少佐であるバセスカ艦長が、呆然として呟く。 「本当にあんな姿とは…」 円筒系のブリッジの壁面は全て、スクリーンに埋められている。そのスクリー ンに、黄金の龍が映し出されていた。 凶悪な深紅の輝きを持つ瞳を双頭に宿し、破滅の羽音を打ちならしそうな黄金 の翼を広げ、その龍は巡洋艦へ向かっている。蒼古の神々が、戦いを繰り広げて いた時代から甦ったような怪物。それは、悪夢というよりは、悪い冗談のようだ。 強固な地球軍の艦隊と死を覚悟した戦闘を繰り返してきたバセスカは、自分が とてつもない悪ふざけにまきこまれた気分になっている。 「それにしても、今時の三流映画すら、あんなふざけた怪物は登場させんぞ」 「メインビームシステムが、ターゲットを補足しました」 オペレータの報告と共に、壁面のスクリーン上にも、ロックオンの表示が出る。 バセスカは、うんざりした声で指示した。 「あのくそふざけたおもちゃを、片づけろ」 「ラジャー」 砲手が応える。メインビームシステムが作動し始め、警告表示がコンソールに 出た。ブリッジの照明が、暗くなる。赤い非常照明の下で、バセスカは侮蔑の笑 みをスクリーンに投げた。 「さよなら、キャプテン・ドラゴン。伝説へ帰るがいい」 轟音と振動が、ブリッジを包む。 「どうしてよ!」 リンが叫んだ。 ビーム砲による極彩色の輝きから開放された後、コンソールには相変わらず黄 金の龍のふざけた姿が、映し出されていた。リンは頭痛がしてくる。 「直撃だったはずよ。戦艦だって沈むのよ、あの主砲を喰らえば」 「あれを、見た目通りに考えないでくれ、嬢ちゃん。だいいち龍が宇宙を飛べる 訳がないだろう」  ヤンが、にやにやしながら言う。 「じゃあ、なんなのよ。魔法の龍なの」 「あれは、むしろ、龍の形をした時空特異点といったほうがいい」 リンは天を仰いで、瞑目する。 「神様の造った魔法のモンスターといってくれたほうが、納得いくわ」 ヤンは、楽しげに続けた。 「亜空間ウィルスというのを、聞いたことがあるか」 「ええ、それのデータは見た事があるわ」 亜空間ウィルスは、ウィルスというより生きた空間の歪みと言ったほうが、い い。自らの意志によって、物理的法則をねじ曲げてしまうという、とてつもない 生き物である。 「じゃあ、あの龍は、亜空間ウィルスに感染した龍だというの」 「正確には、感染して死んだ龍さ」 リンは、目を円くした。亜空間ウィルスは、我々の宇宙とは違う別の宇宙から の侵入者と考えられている。宿主を取り殺すという事は、その存在を別宇宙にと りこんだという事に等しい。 「それは」 「あんたの考える通りだ、嬢ちゃん。あれは、見た目はこの宇宙にあるが、実体 は別の宇宙にある。あの龍の表面は、次元断層に等しい。つまり空間の裂け目だ から、その硬度は無限大。」 「でも、でも、でも、でも」 リンは叫んだ。 「あれに、ビリーが乗ってるんでしょ」 ヤンは涼しい顔で頷く。 「ヤン、あんたの話じゃ、あの龍の中は、別の宇宙って事になるじゃないの。そ んな所でどうやってビリーは、龍を操っているのよ!」 「さあな」 ヤンは、ひきつった笑みを見せた。 「あの人は、常識を超えてるからなぁ」 銀河パトロールの歴戦の勇士といってもいい、バセスカは言葉を失っていた。 「目標は、ビームシステムの補足可能域圏外に出ました」 「目標は、さらに接近、スペースキャノンの射程に入っています」 オペレータの言葉に、バセスカは自分を取り戻す。 (なる程、伝説はまるきりでたらめでもなかったという事か)「全砲門、目標を 補足しました」 スクリーンには相変わらず、龍の姿を映し出されている。黄金の翼を広げたそ の様は、地獄の炎に灼かれて甦った不死鳥を思わせた。 バセスカは、忌々しげに、そのふざけた姿を睨む。まるで、悪戯好きの妖精に、 弄ばれている気分になる。 「目標を撃て、撃ってトカゲの丸焼きにしてやれ」 ビームシステムであれば、バリアのようなもので阻止する事もできるだろう。 しかし、固形弾頭のスペースキャノンであれば、相手の表皮を食い破り、その内 部へ灼熱のプラズマ噴射を浴びせるはずだ。 6門のスペースキャノンが火を吹く。固形弾頭が龍に命中し、白熱の閃光を放 つ。一瞬スクリーンが白く輝いたが、すぐ元に戻った。そこには、相変わらず神 話の中から抜け出たような、黄金の龍がいる。全く砲撃のダメージが無いようだ。 「艦長、私の想定ですが」 オペレータの一人が、たまりかねたように、叫ぶ。 「あれは、新手の電子兵器ではないでしょうか?レーダーやセンサーにだけ反応 し、実体の存在しない架空の存在としか思えない。攻撃すべきなのは、あの輸送 船では?」 バセスカは苦虫をかみ殺したような顔で、答える。 「しかし、それでは龍の姿をしている説明がつかない。おそらく奴は、伝説にあ る通り、生体宇宙船というやつだろう」 「生体宇宙船?」 「宇宙生命体を利用し、宇宙船にしたてるというやつだ。コンピュータでは無く 宇宙生命体の超感覚に基づき航行される為、宇宙船としての回避能力、運動能力 が通常の宇宙船より優れている。ただ、この船の装備はあの戦争当時より、遥か に精度が向上している。こんな事は、」 「ありえないですか、しかし、」 「目標、さらに接近。後、120秒後に本艦に接触します」 目の前の現実を否定してみても、話にならない。バセスカは、指示を下した。 「牽引ビームと斥力ビームを照射して、目標を固定しろ」 「了解、目標を補足しました、ビーム照射」 「接近速度に、変化がありません。ビームでは目標を固定できません」 「本艦に接触します」 すでにスクリーン上から龍の姿は、消えていた。巡洋艦に衝撃が走る。スクリ ーンに、無数の警告メッセージが表示された。警報が鳴り響き、照明が非常灯に 切り替わる。 振動は、接触の瞬間以降も続いていた。派手に警告メッセージを表示していた スクリーンは沈黙してしまい、コンソールもひとつひとつ消えていく。そして、 振動は次第に大きくなっていった。 「奴は、船内を移動しています」 「多分、ここを、目指しているんでしょう」 振動は、揺さぶられるような激しさになっている。バセスカは、かろうじて言 った。 「全員退避だ」 轟音。スクリーンが砕け散り、派手に火花を上げる。そこに出現したのは、巨 大な龍の頭だった。 空気が裂け目から、抜けていく。バセスカは、薄れていく意識の中で、龍の口 から一人の男が姿を現すのを見た。 男は、ヘルメットのバイザーを上げる。バセスカは朦朧とした意識の中で、龍 の口から優男が微笑みかけるのを見た。 「やあ、悪いな、あんたの船を壊して。すぐに全員退避させてくれ。その後にエ ンジンをぶち破るから」 (夢だな、これはきっと) そう心の中で思いながら、かろうじて優男に答えた。 「これはきっと、惑星ザルドスでトカゲの丸焼きを食い過ぎた祟りだろうな」 優男はけらけら笑うと、ヘルメットのバイザーを下げ、再び龍の口の中へ消え た。 リンは、うんざりしたような顔で、ブリッジに戻ったビリーを出迎える。ビリ ーは、涼しげな笑みを返した。 「満足したかい?」 リンは、ビリーの言葉に不思議そうに答える。 「何のこと?」 「わざわざ宇宙港でおれの名を出したという事は、おれの手の内を、見たかった んだろ。銀河パトロールのデータベースで、極秘にされているものを検索したと しても、おれの戦い方は判らないはずだ。何しろそんなものは、銀河連邦が押収 した地球軍の記録から、抹消されているんだからな」 リンは不機嫌そうな顔になり、ビリーを見る。ビリーは相変わらず恋人をベッ ドへ誘うような笑みを見せたまま、リンに囁く。 「あんたは、おれの能力を見極めたかった。しかし、よく憶えておけ。あんたの おかげで、死人がでてるという事をな」 「うんざり、させないでよ」 リンは、嘲るような笑みを見せる。 「そんな事は、言われなくても知っているわ。戦争中に何百万も殺したのは、あ なただけじゃないのよ」 ビリーは、リンの脇のブースへ腰を落ち着ける。ヤンが言った。 「エンシェント・ロードへのアクセスポイントへ着きました。超光速空間へ移行 します」 「まかせるよ、ヤン」 ビリーは、投げやりに指示する。 エンシェント・ロードとは、銀河先住民族が作り上げた星間航路であった。星 系間には光の速度を超えなければ、到底たどり着けない距離がある。ただ、銀河 先住民族と呼ばれる種族は、星系間に超光速で移動できる亜空間ネットワークを 作り上げた。 我々はこのエンシェント・ロードにアクセスする事により、一旦この宇宙から 外へ出る。これは、比喩的な言い方であり、むしろ通常の物理法則から解き放た れると言ったほうが、いいのかもしれない。 エンシェント・ロード内は超光速で移動する事が、できる。これは、エンシェ ント・ロード内に『流れ』が存在する為だ。この『流れ』にのる事によってのみ、 エンシェント・ロード内の移動は可能である。 エンシェント・ロードにはアクセスポイントがある。このアクセスポイントに アクセスしさえすれば、後はかってに別アクセスポイントから通常空間へと放出 される。 このアクセス方法であるが、疑似生命体である『ダイモーン』に指示を出す事 によって、行われる。すべての宇宙船の内部にはこのダイモーンが、格納されて いる。ダイモーンは、銀河先住民族の退化した姿ともいわれており、地球人はこ のダイモーンをかつて太陽系の木星上で発見した。 地球人はエンシェント・ロードを辿って、他星系へ植民地を広げていった。そ の結果、各植民星系は独立し、地球政府とは別に銀河連邦を築く。地球政府と銀 河連邦の戦いが、先の大戦ということになる。 ビリーは、眉をしかめた。超光速空間へ移動する時に特有の、奇妙な感覚に襲 われたせいだ。 超光速空間に入り込んでしまえば、パトロール船も追跡する事はできない。基 本的に船は、エンシェント・ロードの流れに入り込むだけで、コントロールは不 能になる。又、エンシェント・ロード上の船は観測不能となる為、他の船がどこ のアクセスポイントへ向かっているかを知る術は無い。 ビリーは、リンに笑みを投げかける。 「ああ、そういえば思い出したよ。大戦中に、地球軍の戦略支援システム『フェ ンリル』にデジタル・ダイブを行った、双子の姉妹がいたとか。確かにあれをや ったのがあんたなら、地球軍が百万近い戦死者を出した戦いの原因を造ったわけ だな」 ビリーは、ジゴロのように悪魔的に優しい笑みをうかべ、リンへの囁きを続け る。 「あれは、あんたが7つか、8つの時の事か?」 「そうよ」 リンは、平然といってのけた。 「私とメイが生き延びる為なら、銀河系じゅうの都市を廃墟に変える事だって、 やってみせるわ」 「やれやれ、とんだ疫病神に見込まれたね。なぁ、ヤン」 「何言ってるんですか、キャプテン」 ヤンは、コンソールから手を離し、くつろぎながら言った。 「疫病神はお互い様でしょ。私にとっちゃ、キャプテンも嬢ちゃんも似たような もんですよ」 「冗談じゃない」 ビリーとリンは、ほぼ同時にそういうと顔を見合わせ、そっぽを向く。 メイは、ガイ・ブラックソルから与えられた部屋にいた。そこは、惑星グラン ノアール上に設置された移動要塞と呼ばれるギガンティスクラスの戦艦の、一室 である。 士官用の居住スペースとして造られた部屋らしく、それなりの調度は整ってい た。無機質的ながらも、設置されているベッドやソファ、デスクは高級ホテルに 置かれているもののように、上質の家具だ。ただ、窓のかわりのように壁に設置 されたスクリーンに映し出されている地表の風景は、荒涼としている。 惑星グランノアールは、生物の住まない星であった。その地表は、砂嵐の吹き すさぶ灰色の大地が延々と広がるばかりである。 荒れ果てた風景を見つめるメイは、ドアをノックする音を聞いた。メイが答え る前に、扉を開き黒い革のバトルスーツを身につけた男が入ってくる。年は若そ うだ。黒く長い髪をグリースで固め、痩せており、どこか飢えた獣を思わす顔を したその男は、不良少年といった雰囲気を持っている。 「迎えにきたぜ、メイ・ローラン」 メイは、無表情な瞳でその不良少年を見つめる。そして、うんざりしたように 言った。 「一体、あなたたちは、私に何の用があるの。私をどうするつもり?」 「ああ、そいつは、ボスがこれから説明する。来れば判るよ」 「ボス?」 「ガイ・ブラックソルさ」 メイは、立ち上がると言った。 「ようやく、ボスとお話ができるわけね。いいわ、行きましょう」 メイは、不良少年の後を続く。 二人は、昇降機に乗った。それは、どんどん下へと降りていく。おそらくこの 巨大な戦艦の最下部へついたと思われる頃、二人は昇降機を降りた。 二人のついた場所は、巨大な工事現場を思わせる空間だ。高い天井と広大なフ ロアに、大地を掘削する機械が、設置されていた。おそらく、元々は船底にあっ た倉庫なのだろう。そこに建築機材を設置し、船底を穿ち、さらに地下へと掘り 進んでいるようだ。 幾つかの端末が設置されており、その端末から建築機材をコントロールしてい るらしい。端末の前に座っている男たちは皆若く、組織の人間というよりは、街 のチンピラふうであった。 一人の男が、メイを見つけ近寄ってくる。その男に、見覚えがあった。ガイ・ ブラックソルと名乗った男だ。 コンサート会場で見た時よりもその男は若く、野性的に見えた。漆黒の瞳が、 黒い炎のように輝いている。メイにはその少年が、黒い火焔に覆われているよう に見えた。 ガイは、メイに向かって狼の笑みを見せる。 「行こうか、メイ・ローラン」 メイは、うんざりしたように言った。 「どこへ行くというのよ。それに、一体私になんの用があるの」 ガイは、昏く光る瞳でメイを見つめたまま、言った。 「ついてくれば、判る」 ガイは振り向くと、歩きだした。メイはため息をついて、後に続く。ガイの向 かっているのは、掘削作業の行われている現場の中心だった。そこには、ワイヤ ーで吊されたゴンドラがある。そのゴンドラで地面に穿たれた穴へ、降りていけ るようだ。 ガイは、無言でゴンドラに乗った。メイはそのゴンドラに乗り、ガイを真っ直 ぐ見つめる。 「この惑星の、地下に降りるの?」 ガイは、無言で頷く。メイは、月の精霊のように神秘的に輝く瞳で、ガイを睨 む。 「そこに何があるかは、行ってのお楽しみというわけね」 ガイはげらげら笑いながら頷くと、端末の前に立つ男へ指示を出した。ゴンド ラはゆっくり降り始める。 そこは、液体のような闇の中であった。ゴンドラの内部だけが、微かな照明で 照らされている。メイは、漆黒の宇宙に浮かぶ黒い天使のようなガイを、見つめ た。 この闇の世界では、ガイと自分自身の二人しか存在しないような気がする。圧 倒的な重量感を持つ岩盤に周囲を覆われ、深海のような闇をゴンドラは静かに降 下して行く。 メイとガイは無限の宇宙のような闇の中で二人きりであった。そこは、原始宗 教の儀式の前のように、神聖に静まりかえっている。 天上に輝く月のような地上への口が、しだいに小さくなっていき、ついには消 えた。二人は完全な闇の中に居る。メイは、随分長い間、闇の中に居るような気 がした。 「随分、深い所へ行くのね」 メイの言葉に、ガイは嘲るような笑みを見せて答えた。 「心配するな。もうすぐ着く」 メイは、やれやれといったふうに、肩を竦めた。ガイの言葉とはうらはらに、 ゴンドラはさらに降下を続ける。その降下は、惑星の中心部についてしまうかと 思う程続いた。 突然、闇が途切れる。メイは、眼下に広がる景色に、息をのんだ。 「これは…」 そこに見えたのは銀河であった。壮大な光の渦。銀色に煌めく光点が、無数に 広がっている。それは、荘厳な地下の暗闇に浮かぶ、巨大な星の集合だ。よく見 ると、その星と見える光点は銀色の透明な枝に繋がっていた。 輝いているのは、銀色の大樹である。それはおそらく、一つの巨大な山脈に匹 敵する程の大樹であった。 ゴンドラは、銀色に薄く煌めく大樹の枝の中を、降下していく。星の海の中を、 宇宙船で航海しているようだ。 「これは、一体?」 メイの問いかけに、ガイは堅い表情で答える。 「銀河先住民族の遺跡さ。説明は目的の場所についてからだ。もう少し待て」 銀の枝は複雑に絡み合いながら、光の束のような幹へ繋がっている。大樹の幹 は、降りるにしたがって太さを増し、光も強くなっていった。 メイは、銀色の星空の下へ入り込んだと思えるようになった頃、それが姿を現 す。それは、まるで、銀色の幹に貼り付けられた暗黒の天使のように見えた。 それは、星の海の中に広がる黒い闇の亀裂のような巨人である。おそらく、ベ ヒーモスクラスの宇宙戦艦くらいの大きさはあるだろう。その黒い体を持つ巨人 は、漆黒の羽を8枚広げ、銀色の大樹の幹に絡みついている。 その四肢は、人間のそれとは異なり、蛇のようにくねり、枝へ絡みついていた。 そしてその胴体には、もうひとつ銀灰色の小さな巨人が絡みついている。その大 きさは、小さいといっても巡洋艦くらいの大きさはあるようだ。 銀灰色の巨人は、漆黒の巨人とほぼ同じ形態である。ただ、漆黒の巨人は強固 な肉体を持つ男性に見えるのに対し、銀灰色の巨人は曲線的な肢体を持つ女性の ようだ。 その銀色に輝く海の中に沈んだ、闇色の堕天使のような巨人の表情が、降りる に従ってはっきりと見えてくる。その頭部は滑らかな卵形であり、凹凸は殆どな い。ただ、その中央に、アーモンド型の単眼がある。 漆黒の巨人のほうは、金色に煌めく単眼を持ち、銀灰色の巨人は、サファイア のように輝く青い単眼を持っていた。 ゴンドラは、金色と青色に輝く二つの瞳の前を通って、下っていく。やがて下 方にプラットホームが見えてきた。宇宙港の離着陸場一つぶんくらいの広さだ。 どうやらそこが、目的地らしい。 銀色の海に浮かぶ、青灰色の船のようなそのプラットホームには、幾つかの端 末の他に、黒い棺が置かれていた。棺には、様々なケーブルが接続されている。 ゴンドラは、海へ沈んだ船が海の底へ沈むように、プラットホームに着いた。 メイとガイは、プラットホームへ降りる。 メイは、巨人を見上げた。遥かに高い山の頂きのような所から、満月のように 黄金に輝く漆黒の巨人の瞳と、宝石のように青く輝く銀灰色の巨人の瞳が見下ろ している。メイは畏怖の感情が、立ち上ってくるのを感じた。 「こいつはかつて、地球軍からユグドラシルと名付けられた古代の人工知性だ」 メイは、黄金の瞳を見つめたまま言った。 「この巨人のこと?」 「いや、あれはこの人工知性のマン・マシンインターフェースとしての、端末に すぎない。人工知性としては、この銀色の木全体から構成される」 メイは、ガイに視線を戻す。 「まさか、あなたこの人工知性を…」 「動かすのさ」 メイは、ため息をついた。 「無理よ。一体どうやってアクセスするつもり?」 「巨人は2体あるだろう。黒い巨人は、銀河先住民族の造ったものだ。銀灰色の 巨人は、あの黒い巨人を一部切り取って地球軍が模倣して作り上げた、インター フェーサだ」 「インターフェーサ?」 「そう。あの銀灰色の巨人へは、通常のサイバーネットワークへアクセスするよ うに、入り込むことができる。そして銀灰色の巨人をコントロールすれば、あの 黒い巨人も制御できるという訳だよ」 メイは、真っ直ぐガイを見つめる。 「ユグドラシルと名付けられた人工知性のデータは、見たことがあるわ。地球軍 は色々実験した結果、コントロール不能の結論を出したはず」 「できるさ」 ガイは、世界そのものに向かって、戦いを挑むように微笑んだ。 「おれと、あんた。二人が力を合わせればね」 「趣味の悪い部屋ね」 リンが、可憐な妖精を思わす顔の眉間に、皺をよせる。そこは、宇宙船オダリ スクの居住ブロックであり、ブリーフィングルームも兼ねている部屋のようだ。 居住区域は全体が回転し、遠心力による人工重力を生み出すようになっていた。 その部屋は、壁、床、天井すべてをピンク色に塗装されている。ソファに深々 と腰をかけ、足を組み、肘掛けに頬杖をついたビリーは、夢から目ざめたばかり のように物憂げな声でいった。 「こういうところが、落ち着くんだ」 「あなたも、同じ意見なの?」 お茶とホットミルクを運んできたヤンに、リンが聞いた。ヤンがあきらめたよ うな声で、答える。 「もう、慣れたよ。慣れればどうってこたぁない」 ホットミルクを受け取ったリンに、ビリーが気怠く言った。 「で、おれに何をさせたい?」 「妹を救いたいの」 「双子の妹か。名前は、メイだったな」 「そう、メイ・ローラン」 ビリーは頷いた。 「だろうと、思ったよ。で、どこまで調べた?あんたの妹をさらった奴が何者か は、判っているのか?」 リンは、遠い彼方を見つめるように不思議な目をして、ビリーを見つめた。 「惑星マルスは知っている?」 「ああ、知ってるよ。地球と同じ恒星系にある惑星だろ」 ビリーは、相変わらず茫洋とした表情で答えた。 『軍神』の名を持つかつて紅い荒野に覆われていたその惑星は、人類の手により 居住可能な星に改造されている。地球帝国はあらゆる軍事設備の研究と開発を、 その星で行っていた。 「確か、終戦後も封鎖されたままのはずだな。生物・科学兵器のプラントが連邦 軍の攻撃で破壊され、惑星全体が汚染されてしまったとか」 「ええ、封鎖された時点であの星に4億の人間が残っていたのは知ってる?」 ビリーは片方の眉だけ、ひょいとあげ言った。 「聞いたような気は、する」 マルスにいた地球人の技術者や科学者たちは、地球帝国崩壊寸前に脱出してい る。残された4億の人間は他星系より連行され、強制労働を強いられていた人々 であった。彼らは生物・科学兵器により汚染された危険を持ち、他星系への移住 を禁止されている。 地球軍の開発した未知のウィルスは、惑星マルス全体を覆っていた。閉鎖後の 数ヶ月で、4億の人間の99%は死んでいる。しかし、数万の人間は、かろうじ て生き延びた。 「あの星に、生き延びた人々がいる。そして、あの星が完全に閉鎖されていた訳 ではないの」 「まさか」 「物理的な意味では、無いわ。サイバーネットワークの抜け道を通じて、外の世 界と繋がっていたのよ。軍用の極秘通信回線が、一部生きていた」 生き延びた人々は、外の世界と交易を始めた。地球帝国が惑星マルスの中に隠 蔽していた軍事技術を売り、その見返りとして外の世界の物資を投下してもらう。 この惑星マルスの軍事技術を、密かに輸出していた者たちは一種の秘密結社のよ うな組織を形成していた。その組織の名が、ブラックスローター団である。 「惑星マルスをブラックスローター団により支配し、失われるはずだった地球帝 国の軍事技術を手に入れたのは、一人の少年だったの。その少年の名は、ブラッ クソル。私の妹をさらった男よ」 ヤンが驚いて、言った。 「じゃあ、ウィルスに感染してるのかよ、そのブラックソルは。あんたの妹はや ばいんじゃないのか?」 「その危険性はあるわ。でも、ブラックスローター団が生き延びて、マルス上で 生活しているということは、彼らは汚染から免れる方法を知っていたのよ」 ビリーは、話を聞いていたのかどうかよく判らないような、夢見ごごちの目で リンを見つめる。例によって、物憂げに口を開いた。 「要するに、ブラックソルとかいう小僧がマルスに残った開発プラントを利用し て戦艦を作り、マルスを脱出してあんたの妹をさらった訳だな」 「ええ」 「よく判らないな。連邦軍の封鎖を、どうやって抜け出したんだ?」 「元々ブラックソルの使っている戦艦は、連邦軍が命じて作らせたものなの」  連邦軍にしても、マルスに残された地球軍の軍事技術は、魅力的なものだ。と いって、汚染された惑星上におりる危険は犯したくない。そこで、ブラックスロ ーター団との取引を思いついた。 「ブラックソルは、連邦軍が研究の為に作らせた戦艦を、乗っ取ったのよ。連邦 軍は、ブラックスローター団との取引が発覚すれば大きなスキャンダルとなると 判断した為、公表しなかった。ブラックスローター団はとてつもない戦力を持っ てしまったので、連邦軍もへたに手出しができなくなった」 「そいつは、判った。しかしな、判らないのは、なぜその小僧は、そんなふざけ たまねをしたんだ。単純にマルスを脱出するのなら、もっとうまい手はあるだろ うが」 リンは、少し息をつく。その瞳が深みのある輝きを、見せた。 「ブラックソルの狙いは、ひとつの惑星を手に入れる事だったの。その惑星は、 グランノアール」 「聞いたような、名だな」ヤンが呟く。 「銀河先住民族の遺跡がある惑星として、一時注目されたわ。ただ、調査が打ち 切られ、人々の記憶から消えた」 「ああ、なるほど」 「ブラックスローターの必要としたのは太古の人工知性、ユグドラシル。ブラッ クソルはユグドラシルに眠る、太古の秘術を手に入れようとしているのよ。私の 妹、天才デジタル・ダイバーのメイ・ローランを使って」 ビリーはラブロマンスを演じる俳優のように、甘い笑みを見せる。まるで、恋 人に愛を囁きかけるように、言った。 「それは、それとしてだ。なぜ、メイ・ローランなんだ?デジタル・ダイバーは そう大勢いる訳ではないが、金をだせば雇えるだろう。おれの推測では、おそら くそのブラックソルという小僧だって、かなりの能力を持ったダイバーだぜ。そ うでなければ、連邦をだしぬいてマルスを脱出するなんてまねはできない」 リンは、少し嫌そうに答える。 「デジタル・ダイバーは一人よりも二人組んでダイブした時のほうが、遥かに高 い能力を発揮できる」 デジタル・ダイブとは、特殊な能力である。それはオペレーティング・システ ムやアクセス・メソッドを一切介さず、直接デジタル化された情報へアクセスす る事だ。メモリ上、あるいは外部記憶媒体に展開されたビットのオン/オフにす ぎない情報を脳内に展開し、そこから意味を見出す。それは、超能力といっても いい才能である。 デジタル・ダイブの前にはセキュリティシステムは、全く意味をなさない。セ キュリティで制限できるのは、アクセス・メソッドの使用権までである。それを 介さず、ある種の直感に近いもので情報をとりだすデジタル・ダイバーに必要な ものは、ハードウェアのチェック用ユーティリティと同レベルのソフトウェアだ けであった。  ダイバーは、誰でもなれるものではない。訓練したところで、そのまねごとす ら、できない。ダイバーは先天的な、異能者といえる。 二人でダイブした場合、一方の人間がメモリの役目を果たし、もう一方の人間 がCPUの役割を担う。情報を脳内に展開するのはどちらかといえば、右脳の能 力であり、それを解析し意味を見出すのは左脳の能力である。一人の人間がその 二つの事を同時に行うのは、困難だ。分担したほうが、効率がいい。 ビリーは、物憂げに質問を続ける。 「確かにそれは、聞いた事がある。しかし、ダイバーが二人でダイブできるのは、 相当シンクロ率が高くないと無理だ。たとえば、あんたとメイのように、双子だ とかね」 リンは、頷く。その妖精のように美しい瞳に、凍てついた極北の夜空のような 冷たい光がうかぶ。 「私たちもいたの。その惑星マルスに」 ビリーは、愛の告白を聞いたように、優しく頷いた。 「私たちの父は、帝国の技術者だった。あの戦略支援システム、フェンリルを設 計したのは父よ。体制に対して批判的だった父は、秘密警察にマークされていた。 そして…」 「消されたか」 言い淀んだリンの言葉を、ビリーが補った。リンが頷く。 「そうよ。私たちは、母と共に逃亡し、マルスを脱出する事にした。でも、追い つめられた」 「そこで、フェンリルにダイブした訳だな。データを改竄し、帝国軍を混乱させ た」 「ええ。私たちは、脱出に成功した。けど、母は終戦を待たずに死んだわ。それ と、父には母以外に愛人がいた。その愛人にも私たちのような、双子の子供がい たはず。ただ、男女の双子だった」 ビリーは、満足げに頷いた。 「その男のほうが、ブラックソルか」 リンは、何もいわずに頷く。リンは透明な、なんの感情も宿していない瞳でビ リーを見つめると、言った。 「私の物語は、終わり。ブラックソルは、グランノアールにいるわ。私は、リン をブラックソルに渡すつもりはないの。奪い返して」 ビリーは、どこか投げやりに言った。 「ヤン。やっと行き先が決まったよ。クリステヴァ星系のグランノアールだ」 「了解、キャプテン」 ヤンは席を立ち、ブリッジへ向かう。それを見届けると、リンが言った。 「今度は、あなたの話を聞かせて、キャプテン・ドラゴン」 「なんだい?」 「あの龍は…一体何?」 「ヤンから聞かなかったのか」 「聞いたけど、納得した訳じゃないわ。一体どうやってあの龍を手に入れたの」 「銀河先住民族によって封鎖されたエンシェント・ロードは知っているか?」 「ええ。確か…龍の道?」 「戦争中、帝国軍がその封鎖を突破する方法を、見出した。そのころおれは、連 邦軍の調査局の一員だった。おれは帝国軍を追って、龍の道の奥へと入り込んだ」 「そこに、あの龍がいたわけ?」 「ああ。そこには、閉鎖惑星ケルダーがあった。先住民族が作り出した次元渦動 の奥にあったのは、亜空間ウィルスに汚染された星、ケルダーだったんだよ。先 住民族は亜空間ウィルスと接触した時に、その危険性を認識し星系ごと封鎖した。 その結果、ケルダーは異常な世界になった。おれがあの龍に出会ったのは、その 狂気の星、ケルダーでだ。 おれは、龍に呼ばれたんだよ。やつは死んでいる。やつには、魂が必要だ。お れはやつが望むまま、魂になってやった」 「なんていう名前なの?」 「あ?」 「あの龍の名前」 「マンダだ」 リンは少し笑った。 「原始宗教のマンダ教では、造物主は狂った存在であり、人間の魂を地上に縛り 付ける専制者としている。マンダ教における龍とは、太古に楽園にいた人間を誘 惑し、造物主に背く為の英知を授けた蛇と同一視されている。 マンダとは、救い主としての龍という意味?」 ビリーは、苦笑する。 「難しく考える事、ないんじゃないの?」 漆黒の地下に広がる、銀色の星々。その煌めく銀河が広がる、地底の宇宙の中 に浮かぶプラットホーム。メイ・ローランは金色の単眼に見下ろされながら、暗 黒の天使のような少年にいった。 「私とあなたで、デジタル・ダイブをするっていってるの?」 ブラックソルは昏く輝く瞳を、メイに向けて答える。 「そのとおりだ」 「無理よ。シンクロが成功する可能性は、ほとんどないわ」 ブラックソルは獲物を追いつめる獣の笑みを見せ、言った。 「あんたとおれが、兄妹だったとしてもか?」 メイは息を呑んだ。 「どういう事?」 「おれの父親は、ジェイ・ローラン。あんたの父親と同じ男だ。おれは惑星マル スで、あんたの母親とは別の女を母親として生まれた。いや、おれたちは、とい うべきだろうな」 「おれたち?」 「ついてこいよ」 そういうと、ブラックソルは棺に向かってあるき出す。漆黒の棺に接続された 端末が、聖壇に灯された火のように鈍い光を放っている。棺に接続されたケーブ ルは、棺を大地に繋ぎとめる為の根のようだ。 ブラックソルは、無造作に棺の蓋をあける。巨人達の黄金と青色の眼差しに、 蒼ざめた肌の死体が晒された。それは眠れる天使のように美しい、全裸の少女の 死体である。それは巨人達の眼差しの下で手折られた白い花のように、儚げに見 えた。 「これは…」 メイは、絶句した。これは私の死体?といいそうになった為だ。眩惑が生じて いた。自分の魂は肉体を遊離して漂っており、本当の自分は死体として棺の中に 横たわっているような気がする。まるで、自分の死がリアルな現実のように、記 憶の中に甦った。ここは、もしかすると、冥界?そして目の前の漆黒の少年は、 冥界の使者? ブラックソルの瞳は、手負いの獣のように狂おしげに輝いている。 「紹介しよう。あんたとおれの姉、リンダ・ローラン。改めて名乗らせてもらう と、おれはガイ・ローラン」 メイは、宙に浮いているような眩暈をこらえつつ、ブラックソルを見つめる。 「リンダとおれは双子として生まれた。リンダはおれの唯一の肉親であり、恋人 であり、おれ自身の一部であり、おれはリンダの一部だ。おれはリンダを取り戻 さねばならない」 メイは、ブラックソルの言葉を自分と双子の姉、メイとに置き換えてみる。ブ ラックソルのいうことは、痛い程よく判った。 「じゃあ、あなたは、ユグドラシルを作動させて、死人を生き返らせようとして いるの?」 「そうだ。地球帝国はかつて部分的にユグドラシルを作動させ、エントロピーの 逆転が発生する事を確認している。ここでは、生体の中の時間軸が逆転し、老い た者は若返り、死んだものが生き返る。むろん、帝国軍がそこまでの実験を成功 させた訳ではない。しかし、おれとあんたが、完全にダイブに成功すれば、死者 をこの世に呼び戻す事も可能だ」 メイは、横たわる死者と同じくらい蒼ざめた顔で言った。 「断ったらどうする気?」 「人格矯正システムを使うよ。しかし、シンクロ率が低下する恐れがあるのと、 あんたの能力が著しく低下する危険性がある。あんたが、拒否すればしかたない だろうな」 人格矯正システムはパーソナリティーとそれに付随した記憶を破壊し、ある一 定のプログラムにそった人格を作り直す洗脳機械である。人格矯正システムを使 用されるという事は、メイにとって死ぬことと、等しい。 「協力したらどうなるの?」 「あんたの世界に、帰ってもらう。相応の謝礼はするよ」 メイは、不安げにブラックソルを見つめる。 「考える時間を頂戴」 ブラックソルは凶天使のように、笑った。 「二十四時間待とう。それ以上は、だめだ」 うねるハウリングの響きに、掠れた声で投げやりに歌うボーカルが被さる。ギ ターはフィードバックノイズの轟音に飲み込まれ、ベースがゆるやかにメロディ を刻んでゆく。 薄暗いそこは、ライブハウスでは無く、電子装備に埋め尽くされた宇宙戦艦の ブリッジであった。そこにいるオペレーターは、三人の少女である。少女たちは、 ブリッジを満たす音楽に身を委ねながら、それぞれのコンソールを操作していた。 ブリッジの中心には、球形のホログラムが蒼白い光を放っている。その周囲に コンソールブースが放射状に配置され、12あるブースの内、0時、4時、8時 の場所に少女たちが収まっていた。 ホログラムの中心には、四角錐の形をした宇宙船の映像が、浮かんでいる。そ れは今彼女たちの操っている船、オベロンクラスとよばれるタイプの戦艦の映像 であった。 オベロンクラスの船は殆ど武器を装備していない、人工知性の集合体のような 船である。直接戦闘を行うのではなく、他の船を制御したり、作戦の立案、解析 を支援する為の船であった。 ホログラムの中のオベロンクラスの映像を中心にして、その周りに、2枚の放 熱板兼用の装甲板を装備した巨大な槍のような形態を持つ宇宙戦艦の映像が、レ ンズ状に展開されている。その縦長の蜻蛉を思わす形態の戦艦は、シルフィール ドクラスと呼ばれる戦艦であった。 シルフィールドクラスは、オベロンクラスと反対に、武器以外殆どなにも装備 されていない戦艦である。居住ブロックは極度に小さく、無人であっても外から の制御により動かす事のできる船であった。 このオベロンとシルフィールドは対になっており、オベロンクラスの船によっ て、シルフィールドクラスの船が操作される。今、30隻の無人のシルフィール ドクラス戦艦が、3人の少女によって操られていた。 少女たちは、皆、黒い革のコンバットスーツを身につけている。袖とパンツの 腿から下が切り取られ、手足を露出させていた。 銀色の髪の少女が、深紅に髪を染めた少女に言った。 「アグネス、そろそろ時間よ。音楽を止めて」 「判ったわ、ソフィア」 アグネスと呼ばれた、深紅の髪の少女がコンソールを操作すると、ブリッジを 包んでいた音楽が打ち切られ、静寂が広がった。黄色い髪の少女が、ソフィアに 向かって言う。 「ソフィア、目標がアクセスポイントからログアウトするのは、約360秒後よ」 「了解、クララ」 ソフィアがコンソールを操作すると、ホログラム上に輝点が浮かびあがる。ア クセスポイントからのログアウト位置を、示すらしい。 「アグネス、クララ、各シルフィールドの照準を、最終チェックして」 ホログラム上の輝点に向かって、輝線が走る。シルフィールドたちの映像から 発せられたオレンジ色に輝く線が、一カ所に集まった。 「こっちは、OK。いつでもいけるわ」 「こっちも問題なし。ビームは、ピンポイントに集約される」 ソフィアは、自分のブースのコンソールをチェックした。ディスプレイの発す る光が、銀色の髪を輝かせる。ソフィアが頷くと、言った。 「ロックオン完了ね。システムの自動起動を、セットして。それとエナーシャル アンカーをセットして、全艦の位置を現状で固定」 「目標のログアウトまで、あと120秒」 クララの言葉と同時に、ホログラム上にタイマーが表示され、カウントダウン が始まる。 「セット完了。ログアウトと同時に、全シルフィールドのメインビームが作動す るわ」 そう言った後に、アグネスは不思議そうに、尋ねた。 「それにしても、龍の表面はそれ自体が時空特異点としての性格を持っているか ら、電磁的ないし、熱力学的なエネルギーを与えても反射するだけなんでしょ。 こんな攻撃意味あるの?」 ソフィアが、微笑みながら答えた。 「龍はその表面を、時空特異点としての皮膜に覆われていると考えたほうがいい わ。つまり、龍そのものは質量を持っているし、慣性もある。シルフィールド3 0隻分のメインビームシステムをピンポイントで直撃すれば、力学的に龍は加速 される。 理論的に龍に与えられるポテンシャルは、100Gを超えるはず。龍が平気だ ったとしても、中にいるキャプテン・ドラゴンは轢き殺されたカエルみたいにペ ッチャンコだわ」 「目標のログアウトまで、あと60秒」 クララのカウントダウンと同時に、ホログラム上に表示されていた数字の色も 紅く変わった。ここからはマシンボイスが無機的な声で、カウントダウンを10 秒単位でしていく。 「メインビームシステム作動まで、あと50秒」 ソフィアは、ログアウトポイントの映像を自分のコンソール上に映し出す。ロ グアウトポイントは、空間の揺らぎが発生しており、画面上無数の虹の輪がかか っているように見えた。龍が現れるのは、もうすぐである。 ソフィアは、龍を見たかった。伝説の怪物の姿を、自分自身の目で見てみたか ったのだ。 「メインビームシステム作動まで、あと30秒」 ログアウトポイントの光が、激しくなる。まさに何かが現れようとしていた。 「メインビームシステム作動まで、あと10秒」 ログアウトポイントに黄金の輝きが、出現した。無数に螺旋を描く虹の輪の向 こうから、夜明けの黄金の輝きが、暴力的な力を宿して出現する。 「目標、ログアウトしました」 「全、メインビーム作動します」 ソフィアは間違いなく、一瞬、龍の姿を見た。金色に輝く、双頭の龍。世界の 破滅を告げ知らせに来たような、凶悪な姿をしたその怪物は、ほんの束の間、ソ フィアのコンソールへ姿を現した。 ソフィアには自分が見たものが、幻に思える。その姿は、破壊の意志を具現化 したように凶暴であり、それでも尚、美しく思えるものがあった。 幻想の中にだけ、存在が許されるはずの怪物。それは、すぐにシルフィールド の放った白熱の光の矢へ、のみ込まれた。 ログアウトポイントは地獄のような、灼熱のエネルギーの渦に満たされる。そ こに戦艦が存在していたとしても、一瞬にして消滅しただろう。ただ、神が破壊 の為に使わしたような金色の龍は? 「目標が消えたわ」 クララが、当惑した声でいった。 「どういう事よ?」 クララは、コンソールを操作しながら答える。 「消えたのよ、物理的に。いえ、ちょっとまって、アクセスポイントが新たに出 現しつつあるわ」 ソフィアは、眩暈を感じた。 「何をいってるの?」 「新しいアクセスポイントが、できつつあるのよ!推定できるのは、龍が一度ア クセスポイントへログインしなおして、もう一度、別の場所からログアウトしよ うとしているという事だわ」 ソフィアは、その常軌を逸した事象を、言葉で理解できても、頭で理解しきれ なかった。アクセスポイントは太古に銀河先住民族が作り出したもので、その位 置が変わったり、数が増えたりするような類のものでは無い。それでも、ソフィ アはアグネスに向かって、指示を出す。 「新しいログアウトポイントにシルフィールドの照準を合わして、メインビーム システムを作動させて」 アグネスは、素早くコンソールを操作する。 「計算をやりなおして、照準を変えてロックオンするまで、240秒はかかるわ」 「目標がログアウトするまで、後180秒」 クララの言葉に、ソフィアの青い瞳が曇った。終わりだ。 「全速で退避。シルフィールドには、目標の自動追尾をセット。体当たりさせて 時間をかせぐのよ」 オベロンクラスの戦艦は、加速を始めた。加速したとはいえ、巨大なその船が 戦域を離脱するには、時間がかかる。間に合わないのは判っていた。 再び龍が、ソフィアのコンソール画面に出現する。伝説の中の怪物。金色に輝 く翼を広げた双頭の龍は、この世の終わりを告げる為に現れたように思えた。 黄金の龍は、シルフィールドには目もくれず、真っ直ぐオベロンへと向かって くる。シルフィールドたちは、死に魅せられた妖精のように、龍に向かって身を 翻す。 龍は回避運動を全くせず、正面からシルフィールドへぶつかった。閃光が走り、 シルフィールドが双頭の龍に噛み砕かれたように、破壊される。 立て続けにおこる、熱と光の繰り広げる破壊の饗宴は、龍の速度を変える事は 無く、その進路は真っ直ぐオベロンに向かっていた。双頭の龍は、シルフィール ドたちの破壊によって発せられる光と熱を受け、さらに凶悪に金色の光を増す。 それは、地獄の火焔から甦る、狂った不死鳥のようだ。 「いかれてるわ」 クララはホログラム上に繰り広げられる破滅の宴を目にして、怯えた声でいっ た。 「回避できないはずがない、あの龍の運動能力なら」 ソフィアは、言葉を失っていた。おそらく、龍は自らの凶悪さを誇示している のだろう。地上で見ている、ブラックソルに対して。 「目標が本艦に達するまで後、20秒」 アグネスが知らせたが、ソフィアにうつ手は残っていなかった。 「全員、脱出するわよ。本艦は放棄します」 ソフィアは、コンソールブースが閉鎖され、脱出用コクーンに向かってブース ごと射出される直前に、もう一度龍の姿を見た。シルフィールドの爆発する光を 受け、輝く黄金の翼を広げた龍の姿は、黙示録の中で語られる世界を滅ぼす獣で ある。 それは、崇高さの頽落であり、神話の戯画化であった。そして輝く黄金の龍は、 馬鹿げているが美しい。輝く宇宙を、無意味に翼を羽ばたかせ、長く延びた優美 な曲線を描く首を官能的にくねらせて飛ぶ姿は、感動的ですらある。 やがて龍は、コンソールから姿を消し、船体に衝撃が走った。龍は船内に、入 り込んだらしい。ソフィアは脱出用コクーンに向かいながら、龍がオベロンの船 内を喰い荒らす姿を想像した。