タタモモンポリスへの御案内 1.はじめに  タタモモンポリスの実在については、周知のように様々な議論を呼んできました。 果たして夢の中にのみ存在し、夢を見ることによってしか辿りつくことができない 都市を実在していると言うべきか。このことについてここで考察するつもりはあり ませんし、今までなされた議論をここで振り返るつもりもありません。  ただここでは、フッサール現象学において語られるように、経験的にかつ間主観 的にその存在を本質直感的に認められるのであれば、その実在は妥当であるとだけ しておきたいと思います。  又、タタモモンポリスが都市では無く人間であるという指摘について多少説明を 試みたいと思います。これは古の魔導師エリファス・レヴィの著作において、あた かもひとつの人格として語られていたところからきていると思われ、さらに遡れば シモン・マグスの伝説に関わると考えます。  ただタタモモンポリスという名が示す通り、これが都市であるということが明白 なのは幾度も夢の中で訪れたと語る魔導師ジョン・ディーやローゼンクロイツの著 作の中で示されています。私としてはパラケルススの言うように松果体に宿る都市 であるとでもしておきましょう。 それではさっそく、タタモモンポリスの風景を紹介していきたいと思います。 2.街の風景 (1)北斗宮  北斗宮は古の王の伝説に度々現れてくるように、主に支配者の夢に登場すること が多いようです。この壮大な迷宮はその名が示すようにタタモモンポリスの最北に 位置します。その外観は漆黒の城壁に覆われ、あたかも巨大な丘陵の影が立ち上が ったかのようです。この迷宮の奇異なところは闇色の外観だけでは無く、出口も入 口も存在しない閉ざされた迷宮であるというところにあります。 そして閉ざされているにも関わらず、私たちはその内部に展開されている壮麗な 回廊、巨大な螺旋階段、壮大な礼拝堂、縦横に走る地下通路の存在を感じとること ができます。北斗宮の内部は夢の中の都市であるタタモモンポリスのさらなる夢、 夢中夢のような存在なのでしょう。  この迷宮の中に棲む唯一の生き物は、人類が地上に現れる前から生きている亀だ といわれており、数万年を生き続けたその亀は迷宮の奥深くで眠り続けているとい う伝説があります。 北斗宮を訪れた王たちは、現実の世界でそれを模倣し再現しようとする妄想に取 り憑かれることになります。しかし、夢の中の夢であるその迷宮は決して実現され ることは無く、迷宮を再現しようという試みは常に亡国への道となりました。 (2)水路  タタモモンポリスの中は、無数の水路によって各地を結ばれています。それは人 の体内を巡る血液のように、各地へ物資や人を運ぶ役割を果たしています。水路を 渡る小舟は場所によっては翔ぶように速く移動し、又、別の場所では漂うように緩 やかに進みます。水の流れは常に一定のように見え、色はとても深みのある青です。  水路の底は決して見ることができず、物がその底に沈むと決して浮かび上がるこ とはありません。ただそのようなことは稀であり、水路に落ちたものはたいてい水 がそれを受け入れることを拒否するようにその水面に浮かびます。  水路の水はそれ自体が何か意志を持っているかのようであり、又、この街がひと つの生き物であることを現しているかのように感じさせます。私たちが小舟で水路 を渡るときに時折空中を浮遊するようなとても穏やかで満ち足りた思いを感じるこ とがあり、それはこの街が私たちに示す歓迎の意志表示のようです。 (3)南聖門 八角形をした巨大な建物である南聖門は、タタモモンポリスと他界を繋ぐ通路と して知られています。その建物はタタモモンポリスの南端に位置する湖上にありま す。この透き通って透明なシアンの輝きを持つ湖の水はそのまま水路へと繋がって おり、タタモモンポリスを行き来する小舟は南聖門から現れ、南聖門へと帰ってゆ くようです。  この八角形の建物の八面にはそれぞれ巨大な門があります。その全てが南聖門へ の入口であり出口でもあります。門を通り過ぎる瞬間に私たちは、一瞬幻惑を感じ とることでしょう。そして幻惑が去った後に、全く見知らぬ風景が目の前に開けて いるのを見ることができます。  このそれぞれの門は常に一定の異世界へと繋がっている訳では無く、日によって、 あるいは時間によって違う世界へと繋がるようです。又、その門を通る者の精神状 態も繋がる世界の決定に影響があるようであり、在る種の法則性は存在していると 言われています。ただ、その法則を知るタタモモンポリスの住人以外にとってまる きり恣意的に異世界へと繋がっているとしか思えません。  ごく稀に異世界との接触が断たれ、南聖門の内部を見ることができる時がありま す。そういうときに門をくぐると、宇宙のように高く昏い南聖門の天井を見ること ができます。その天井には炎のように深紅の羽を持つ鳥が棲むといわれており、そ の鳥こそがタタモモンポリスの真の支配者であるという伝説があります。 (4)塔  タタモモンポリスの東部には、湿地帯が広がっています。青ざめた龍が棲むとい う伝説のあるその湿地帯はいつも霧につつまれていますが、時折その霧の合間から 聳え立ついくつもの塔を見ることができます。この塔は魔法使いの塔と呼ばれます が、その呼び名にある魔法使いと出会うことはまずありません。  湿地帯に聳える塔は霧につつまれていますが、蒼白い闇のような霧は在る種の空 間の歪みとして知られており、塔が存在する時空間自体がとても不安定なものであ ることを示しているようです。  この塔を昇っていったとしましょう。私たちが塔の窓から見る風景は、タタモモ ンポリスの湿地帯ではなく見知らぬ異世界の風景となります。そしてどんな時間に 塔へ昇ったとしても、そこから見える風景は夜の世界となります。  もしも運がよければ、塔の窓から異世界の星空を見ることができます。その深い 藍色に輝く夜空に見える星たちは私たちの知らない星座を形成しており、ひときわ 大きく輝く惑星たちは、私たちの知らない軌道を進んでゆきます。  私たちが塔の頂上に辿りつくことは、めったにありません。たいていは昇ってい たつもりがいつのまにか元の地上へ戻ってしまうことになります。塔は私たちの理 解を越えた輪を形成して閉ざされているからです。でも時折その頂上に辿り着くこ とがあり、その時には壮大な闇が頭上に広がっているのを見ることができます。  塔の中で流れている時間は速さが外の世界とは異なっている為、塔から戻ったも のは自分が数年後の世界にいるか、数分後の世界にいるのかをまず確かめねばなり ません。やっかいなのは過去に戻ってしまった時であり、そうした場合はいつのま にか自分の存在自体が希薄になって消えてしまわないよう、因果律を狂わせないこ とに最大の神経を使うことになります。 (5)集合住宅  タタモモンポリスの南西部には広大な住宅地があり、何層にも重なり合って存在 するその地域は広大な迷路のようでもあります。大通りには無数の市場が開かれ、 この街の住人が大勢行き交います。  市場の立つ場所やそこで売られるものは一日のうち何度も変わり、ほんの数時間 で街の風景が一変してしまうこともあります。ここに集う人々も入れ代わりが激し く、しかし、皆古くからここに住む住人のようです。この住宅地は生きた街である タタモモンポリスの中でも特に活動が激しい場所になります。  ここはたんなる迷路のような場所では無く、本当に生きた迷路であり、ここに迷 い込むとほんの数時間で変わってしまう街の風景の中から出られなくなってしまい ます。そのうち心の中まで街にとりこまれてゆき、うっかりすると自分の過去すら 無くしてしまうことさえあります。  一度この地域に迷い込んだ場合は、とにかく水路を探し出して船にのること以外 に出る方法はありません。どんなに心を取り込まれていたとしても、水路の水を見 つめているうちに必ず過去を取り戻すことができます。  この住宅地の中心には巨大な獣神の神像があります。この住宅地の中からであれ ばどんな場所からでも見ることができる程、高く聳えています。この変化の多い街 の中で唯一不変のものは、この神像のみと言っていいでしょう。  ただ、この神像の側に近づくことは不可能と言われています。どんなに神像に向 かって歩いていっても、いつのまにか遠ざかっていくことに気がつきます。むしろ 意識せずに歩いていると、思い掛けぬほど近くに見えることがあると言われますが、 それも稀にしかありえないことです。 (6)工房 タタモモンポリスの西には白亜丘陵と呼ばれる丘があります。この丘には純白の 翼を持った虎たちが棲んでいます。そしてこの虎たちと共に暮らしているのが、工 房に住む工芸家たちです。  この丘に棲む翼を持った虎たちは、卵を産みます。工芸家たちは卵を回収して自 分の工房へ持って帰ります。この卵は思念を吸い込んで育ちます。その思念の力が 強い程、卵は大きく育ってゆきます。  やがて虎の子どもが孵った時、それまで卵に吸い込まれていた思念は一つの形を 持って残ることになります。それは固定化された幻影とでもゆうべきものであり、 或る種の感情を付加された風景ともいえます。  それらは一見ただの卵の形をした黒い影のように見えます。それを見つめ続けて いるうちに、一つの思念が心の中に湧きあがってきます。  そしてその感情に付随した風景が、その影の中に見えてくるのです。それは古の 神の姿であったり、日の沈む湖の輝きであったり、流星が流れる夜空の風景であっ たりします。工芸家たちはその風景とその風景に魅せられた感情を一つにして、幻 影を造り上げるのです。  この幻影をじっと見つめ続けるといつか心が完全にその風景と同化し、気がつく とその風景が現実のものとなっていることがあります。その幻影を造り出す元とな った場所へ、時間と空間を飛び越えて辿り着いてしまうことがあるのです。  たとえその場所にたどりついてしまったとしても、たいていはしばらく目を閉じ ていれば元にいた場所に戻ることになります。 (7)墓地 タタモモンポリスの北東には、黒蛇山と呼ばれる山がありその山の中腹には墓地 があります。その墓地は死んだ物語の墓地とでもいうべき場所です。  そこに去来するのはもう誰も思い出すことのなくなった伝説たちであり、行き場 を失ったそれらの伝説は墓地の中を吹き荒ぶ風のように満たしています。その死せ る物語に触れてみると、触れた者の心はその物語にとりこまれます。例えば、復讐 の為に生き殺戮だけを繰り返した伝説の騎士の心が甦ったりします。  しかし、その死んだ物語は決して支配力を持たず、訪れたものを一瞬惑わせるこ とはあってもその心の中にとどまり続けることはできません。それが物語の死の意 味です。ただその死せる物語たちの中に長い間とどまり続けると、心が疲弊し世界 に対する意欲を失ってしまいますので誰もその墓地を訪れようとはしません。  死んだ物語だけが永遠に、その誰も来ることの無い場所にとどまり続けます。時 折この墓地に訪れる黒い翼を持った鳥たちが、その物語を運んでゆくことがありま す。タタモモンポリスの街中で突然虚しい気持ちに襲われることがあれば、近くに 黒い羽の鳥がいないか探してみることです。たいていは、その鳥が運んできた死せ る物語の仕業でしょうから。 3.おわりに  タタモモンポリスの風景の一部を紹介しました。この夢の中にだけ存在する街は、 様々な人々の夢の中に現れ、その存在を示してきました。ここに語った風景は、そ の夢の中でタタモモンポリスに訪れた人たちの話を総合したものですが、タタモモ ンポリスはここに語られていることが全てでは無く夢みる人それぞれに違った側面 を見せる街です。  ただタタモモンポリスに辿り着いた者は、必ずそこが伝説の街であることを確信 することができます。それはおそらく万人の心の中に存在するという集合無意識の 中に存在する街であるからと語られています。そこは大地ではなく夢の元型の上に 築かれた街であると考えることができるでしょう。  タタモモンポリスを訪れることは、それほど危険なことではありません。ただあ なたがその街で経験したことを誰かに語りたいと思ったなら、細心の注意を払う必 要があるでしょう。街はあなたが語る言葉を通じてあなたの心を支配しはじめ、い つしかあなたは自分が語っているのか自分が街に語らされているのか判らなくなっ てしまうでしょうから。  それでもあなたが語ることをやめなければ、あなたは完全にその街に支配され街 の住人になってしまうでしょう。例えば、私のように。 *タタモモンポリスは架空の存在であり、タタモモンポリスについて言及している  ような文献は一切実在していません。