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(医療論序章)

 

 

その1 誰が医療について正当に語ることができるのか

 

 10代で医療者を目指し、20代で医師になり、その後長らく医療に正面から携わってきたので、その間いつも医療について何か

を語りだしたいという思いがあった。 しかし、一方でいざと語りだそうとると、問題点は次から次へと関連し、さまざまな分野、

さまざまな立場からの視点が浮き上がってくる。それで、実は自分はその任ではないのではないか、と考えこんでしまうことことも

多いかった。そのうち時間ができたらいろいろ勉強してうまく語れる日が来るかもしれない、そう思ってはいた。

 医療の問題は広く、多岐で、複雑に関連している。現場で働いていると、誰が医療を語っても、何かたくさんのものが抜け落ちて

いくように感じる。論理的思考は常に問題の断面を明らかにし、ひとつの切り口を検証するが、複雑系のシステムの機能を解析

するのには今のところあまり力がない。そのことは分かっているつもりだ。

 そして医療は人間の社会や個人の生存にとってとても基本的問題、たとえば、経済、軍事、教育、道徳、権力、などと同様、

非常に根本的でしかも複雑な問題なのだ。 ところが一方で大きく異なるのは、医療以外の問題は古くから研究し、議論され、

多くの政府がその結果をいかに現実化するかを、多大な労力で追求してきた問題であった。ところが、こと医療に関してはつい

最近まで社会はそれを医師という特別な職業人に付託して足れりとしていた点なのだ。

 人が最小単位であれ「社会」を構成して生活していた頃から、グループ内の人間の病気や死はあった。そして当然それらの仲間

を癒すための機能をそのグループ社会は持っていたはずなのだ。だから医療を行うものと、それを受けるもののシステムはおそらく

原始の時代からあった。原始の社会ではそれをシャーマンが行ったかもしれないし長老や族長が行ったのかもしれない。

 ヒポクラテスの生きた時代よりかなり昔から医師という職業はあったようだ。対価をもらって人の病気を治し、あるいは癒し、死や

回復を予言する。そういう仕事に就くためには先人の長い経験智を学ぶ必要があり、それを目前の患者に適用可能かどうかを

判断する洞察力が必要であり、多くの社会では知的選良がそれを行い、命のゆくえに関わるものとして尊敬を受け特別の報酬

ないし待遇を受けていた。

 しかし、それらが高々経験知であった時代、物理学や化学、解剖学などの科学的思考が導入され、実験医学の手法が医学

をより厳密な科学としていった時代でさえも、麻酔下手術、抗生物質、静脈注射などの近代医学の成果が現れるまでは、医学

は人の生死に対してそれほど力を持っていなかった。であるから、それまでは医療の問題は誰が考えていようと、どう考えて

いようと、「医は仁術」程度の標語があれば、悪意を持って患者にあたらない限り、人々の生命にはあまり影響がなく、悪い結果

があったとしても医師の「仁術」の範囲内のこととして許容され、医療はむしろ避けえぬ不幸な運命を甘受するために尽くす癒し

の手順といった感があった。

 第二次世界大戦後、医学は、特にその治療学の方面で急速に進歩を始めた。今ではごく当たり前に行われている、静脈注射

法や輸血が盛んに行われ始めたのも戦後である。抗生物質の相次ぐ開発、循環器薬、ホルモン剤、抗がん剤、近年の分子標的

薬に至るまで、適時に一回使用するかしないかで生死を分けることになる薬剤が多数開発された。また麻酔法と手術法の進歩

により、体内でメスの及ばぬところはなくなるほど外科学は進み、さらに人工臓器や臓器移植、あらゆる再建手術、またそれを

カテーテルや内視鏡を用いて低侵襲で行う方法などが次々に考案された。

 こうなると、医師が身に着けるべき医学は戦前に比して遥かに高度化し、専門化し、複雑化して、その知識・技術量は日々

幾何級数的に増加し続けている。 医療はかつてのような「避けえぬ不幸な運命を甘受するために尽くす癒しの手順」などでは

なく、最適な医学知識・技術を最適な状況で駆使することにより、人の生死を変え、人生を変える、まさしくかつては神しかでき

なかった行為そのものとなった。

 一方でこうした医師の医療行為を評価判断するものとして、昔のような患者や家族だけでなく、マスコミ、そして刑事・民事

裁判における裁判官の出現は状況を一変させてきた。 かつては医師と患者の関係は信頼と庇護というパターナリズムに

よって表現される私的な関係の色彩の強いものであり、人格と人格が出会う一期一会の関係でもあった。ところが第二次

世界大戦後の人権擁護の思潮が、1980年代からアメリカを中心に患者の権利尊重を第一優先順位に押し上げ、そして前述の

パターナリズムを批判し、代って患者すなわち医療の消費者というアメリカ資本主義の市場原理を医療の世界にも援用して、

医師を単に病院という工場で規格的な作業を行う、人体修繕技術者であるかのような立場に据えなおした。この流れが日本

では情緒的平等主義から来る医師へのやっかみから、非常に過激にマスコミや裁判官による無意識の医師への攻撃に結び

ついていったのだった。

 アメリカの患者の権利尊重という思潮は、その前提となる宗教、社会システムや契約の概念、医療費の負担方法などアメリカ

医療の諸条件はぬけたまま、インフォームド コンセントや、医療のサービス業への分類という技術論として輸入された。マスコミ

はこうした輸入品を例によって無条件で正当とし、医療事故においては患者=弱者=被害者、医師=強者=加害者といった

定型的図式と、おかしなことにその前提となっていたパターナリズムは攻撃され排斥されたはずなのに、従来の医師患者関係

の理想的部分、すなわち「医は仁術」思想だけは赤ひげの物語のフィクションをものさしにして、現代の医師にも課するという、

非常に矛盾した姿勢で報道することが、ジャーナリズムの正義と勘違いしていた。

 またアメリカでは、医師と患者は契約によって医療に入るのであって、当然どちらにもその契約を拒否する権利がある。また

医療行為の結果起こった不測の事態には医師によほどの悪意がない限り刑事訴訟されないのに対し、日本では患者が死ね

ばそれは誰かが殺したからだという観点から医師を訴追し、刑事裁判にかけようとする動きが相次いだ。

 バブル崩壊後、政府は主に財務省や産業界の進言にのって、医療費の削減という時代的要請にも諸外国蛾採った方向にも

反した政策を取り続けた。医師の資格制度やコメディカルスタッフとの業務分担の制度などには手をつけず、医師数を減らし、

日本の医師が労働基準法からかけ離れて働く献身を制度の中に取り込んでしまい、その上まだまだ働けるとばかり、医療安全

の制度や、病院管理の制度を「病院機能評価」という省外機関にやらせて、医師の負担を頂点にまで増やしていった。

 政府はさらにそのようにして「準備された」最悪の労働環境の中に、医師研修制度を組み込み、大学医局が持っていた医師の

配置調節機能を破壊して地域の病院での医師不足を決定的にしていった。これらの経過は残念ながら、多くの医療関係者が

予測していなかったし、政府ももちろんそうなるとは思っていなかった。しかし、上述ような医療に起こった事件を並べていって

みれば、そしてここに上げていないさらに多くの近年の医療に関わる問題を考えてみると、すべて医療というものがその発生から

抱えていて、近年の医学の進歩、政治の判断、社会の思潮などが絡み合って起こった、一種必然の問題であったことが分かる。

もし、医療が、経済や軍事、教育といった問題と同程度に、大学などで専門家により研究されていれば、新聞や雑誌などでさまざま

な論戦が行われていればもう少し早くからましな政策が打てたであろう。

 そして、現場で働いてきて、もっとも日本に足りなかったと感じる議論は、社会は人をどうやって生かしどうやって死なせるか。

人はどのように死を迎えることが、そしてそれをどのように社会や周囲の人が支えるのが、今の日本社会で好ましいのか。その

議論なのです。

 進歩した医療資源は当然ハイコストです。今後も医療が進めばハイコストの医療はさらに増え、その医療で生き延びた人はさらに

ハイコストの医療を受ける患者候補になります。 これからの医療保険制度を考える場合、それをいかに安く供給させるかばかり

ではなく、無差別無制限に医療費を使い資源を使うことは財政的にできないし、本来それが人間や社会のあり方として本当に

好ましいのかという問題を議論することが何より先に必要なのです。。

 この議論は非常に重要だし、もう避けて通れないものだと考えています。勿論、短絡的に議論すれば、高齢者には高度医療は

使用しない、ということになり、これは後期高齢者を別保険にする議論で「差別」まがいに呼ばれ、盛んに攻撃された潰される方向

の議論です。しかし、今この問題に現実的な解答を国民は出さなければならないのです。アメリカではオバマさんが公約に掲げ

医療保険制度改革を行い、アメリカの医療の方向性が議論されたと思います。しかし日本では、民主党が自民党と違って大幅に

医師数を増やすとしていますが、長期的にはそれで解決する問題ではありません。

 今後医学はさらに進化しますがその分高額化するでしょう。できるからといってどこまでも長寿を追求するのではない、もっと賢明

な社会形成が必要であり、そのための哲学、人生をかんがえる必要があります。そのためになにをどう考えたらいいのか。これこそ

医療問題の核心です。そしてそれを語れるのは誰か。それをくまなく語り人々の共感を得ることができるのは、どういう経験をした人、

どういう学習をした人なのか、それが私にできるのか、そんな考えが脳裏を去来する。

 勿論私は医療を語れる一人になりたいと思っている。

 これからこの一連の文章で、わたしなりにこの問題にできる限り真剣にアプローチしてみたいと思っている。私は長らく医療の

最前線にいたという自負もある。三次救命救急、循環器疾患治療、血液疾患治療、輸入感染症対策、がん診療、病院経営、新人

医師指導、院内リスク管理、大学での医学研究、病院における医学研究、などなど医療のあらゆる場面に関わってきた。

 さらに、一方で詩を書くという行為で、ものを新しく本質的に眺めるという訓練をしたという自負もある。であるから、私ほど現在の

医療について語れる立場にいる人はそう多くないと思っている。だが、それでもまだ私に医療を語る見識があるのかどうか考え

込んでしまいがちになる。