詩のページ その2
ナツメさんの庭
ナツメさんの庭には棗の木がある
棗の実はドライフルーツにして瓶の中に入っている
家の前を通ったときナツメさんがそう言っていた
そしていつか食べにいらっしゃい
垣根越しにそう言って棗の実を振ってみせた
ナツメさんの家は早稲田南町にあって
そこでナツメさんは血を吐いた
ナツメさんは人嫌いだったけれど
同時にさみしがり屋でもあったので
ネコを相手に暮らしていた
ナツメさんはとうに死んでしまったけれど
ナツメさんはなにを残したのだろう
文字をたくさん書き付けて
そのなかでいろいろ悩んでみせたけれど
ナツメさんはいったいなにを悩んでいたのだろう
養子になったこととか
兵隊にならなかったこととか
倫敦で偏屈な生活をしていたこととか
書きたかった大論文が書けなかったこととか
長い間人はいろいろ言ってきたけれど
ナツメさんはあれこれ詮索をする探偵が一番嫌いだった
だから足跡を消すためにいろいろ歩いただけで
あれはお芝居のようなもので
本当はずっとあの棗の木のある家にこもって
ひとりでネコを眺めていたかっただけだった
ナツメさんの庭の
棗の実のドライフルーツの味はどんなか
誰も食べずにもう九十年もたってしまった
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ひたいにツノのある冬 ひたいにツノが生えてくるということ 雄牛のように太いりっぱなツノではなく まるで枯れ枝かなにかのように数本 かがみのなかでいったいなんだろうかと 困り果てたじぶんを見つめることになるなどとは 枯れ枝といえばことしの一月は どうしてこんなにも樹々のたたずまいが 繊細でうつくしいのだろうかと 冬がいつもよりも寒くて湖の水があつく凍る そのためだろうかと三本の指を空にたててみる そういえばことしになってまだ餅をたべていない だから餅のすがたがよくみえてこない レンジの細かな網目越しのあかいひかりのなかで 釣り上げたふぐの腹のように餅がふくらんでゆく 七草まで待ってそういう夢を見ていない それでもそれらのツノはすこしづつ成長して ワラビのような渦巻きもこしらえて 二月を待たずして春にそなえるらしく みどりの色素をすこしずつ増しながら 減りはじめた前髪のかわりに前に垂れ下がる かがみのなかのじぶんは何者なのかを考えて 考えることに慣れてくるころに季節がかわり 樹や空をながめるじかんが増える分だけ 木の芽がふくらんで赤みをおびるのがわかり 餅のふくらむ夢など待たなくなるのだろうか いったい春にはひたいのツノはきえているのか あるいはわたしのツノは雄牛のツノのように変化して 聖堂の壁の穴のなかに突進したくなるのだろうか 五月の誕生日をさきどりしてイタリア人たちのいう 「死者のソラマメ」を食べにいくことにして
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皮をはがれたうさぎの肉 ―アントニオ・ロペスへのオード―
世界の果てを巡っていた だがしかし 本当はこの世では どこが世界の果てなのかわかるはずもなく ただ監獄や墓地や砂漠などをまわっていると 紙にかくべき言葉を見失っていた でももしかしたらはじめからわたしには 語る言葉さえなかったのかもしれない かわりに降り注ぐ月のひかりのした 高いへいに囲まれた静かな庭園があって 眠たげな子供たちを集めては話をしていた 若い僧侶のすがたを写した一枚の写真が 忘れられた古い請求書のように カバンの底に残っていた 月のひかりはよほど澄んでいたのだろう 僧侶が語る不可解な言葉のリズムは 夜気をオレンジ色に染めていた なんどもひとりで歩いていたのは 灰色のレンガをつんだ高い壁が どこまでも続く裏道だった そしてまた別の日の夜が記憶に蓋をする 爆撃で破壊された家の前には 人間のからだの倍もありそうな猛禽がいて 「月の代わりにパンを姫とせよ」 大きな目と赤く鋭い嘴の鳥は たぶんそう言ったように思ったが 「次の変わり目にはヒイと悲鳴をあげよ」 本当はそう聞こえたのだろうか もしかしたらこの世界では言葉はいつも 耳の中ですこしづつ変化するのかもしれない ほこりっぽい市場には人が溢れていて いつもハエが飛び交っていて 明るい店先で見たのは売られている 皮を剥かれたうさぎの肉 聞いて初めてうさぎとわかるただの肉の塊 わたしも皮をはがれてそこで売られている ながい眠れぬ夜をぬけでた朝 わたしはとても明るいまぼろしを見ている
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バラを育てる
道に面した庭の垣根を低くしたので風通しがよくなった でもなんだかすこし物騒だわと家人がいい それがきっかけでバラのフェンスを仕立てることになる 近所に空き巣が多いというのも近頃よく聞くので 鉄条網のかわりのバラのトゲは役に立つと信じることにして 園芸店に行けば必要なものはなんでもそろっている 早春の日に汗をかいて穴を掘り牛糞を土になじませて施し 根やけを防ぐために一層の土を重ねてから苗を植える 緑の鉄柵のいくつか並べ苗ごとにバケツ一杯の水をかければ それで泥棒のかわりにバラのフェンスがイメージできる リルケはバラのとげを刺して破傷風になって死んだなんて だから私もまねてバラではない 昔から庭にはバラを植えたものだ 若かった父は多摩川園をまねて庭の入り口にバラのアーチを作った 私は横でその木製の工作物に白いペンキが塗られるのを見ていた たしかあのころはすでにベトナムで戦争が始まっていた 一九六八年二月一日、ベトコンへの総攻撃の際に 捕虜となったベトコン兵士グエン・バン・レムを、 サイゴン警察庁長官グエン氏は自ら短銃をとって路上で 報道陣を集めたうえで頭を打ち抜いて射殺した そのAP通信の写真は世界中に配信されて人々の目に触れた 人を人の目の前で殺している人が存在し 人の脳を銃弾が通過する瞬間にシャッターをきる人が存在し 世界は写真でばら撒かれたひとりの人間の死を消費した グエン長官のほうは戦後アメリカに逃れてピザ屋さんになり 素性が知れると殺人者と非難されながら癌で死んだ バラの枝の剪定は冬の間に翌年の春を想って行う 三年たってやっとそれがうまくできて今年はずいぶん枝振りがいい それに害虫にも黒点病やうどん粉病にも負けないのは 毎週黒酢を丹念にまくことをおぼえたからだ そして私は破傷風の予防注射であるトキソイドも注射した 注1 多摩川園は一九七九年まで東京都大田区にあった東急電鉄経営の遊園地で、大井町で育った 私には至近な遊園地だった。花壇にはカラフルな花があふれていて、小学生の私にとって 戦後高度成長期を象徴する風景のひとつである。 注2 現在住んでいる住所に近い八千代市には京成電鉄の関連の京成バラ園がありバラの苗は求めやすい。 郊外の私鉄はいつもそうしてバラの花咲く平和な街のイメージを人々の夢うえにまきちらす。
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朝霧を歩く青い羊 まだだれも目覚めていない しずかな街に霧が流れて ゆるゆると車を走らせる朝には 目の前を青い羊が横切ってゆく 猫よりもひとまわりは小さな羊は全身が青く 柔らかでふさふさとした長い毛に包まれていて 口も目もその存在が 青い毛に埋もれて定かではない 羊は道路を横切ってゆくと たいていはいつも近くの店の中に消えてしまう 朝早く店の入り口はまだ暗く閉まっているのに 喫茶店や楽器店や時にはレストランへと 霧のように消える 羊はどんな壁でも通り抜けられるのか 侵入して行く先はそのたびにまちまちで ふたたび現れる場所も日によって異なるし 羊が何度も現れることに とくべつな意味があるとも思えない 羊がなぜ青い毛をまとっているのか 羊がなぜ私の走る前を渡るのか いくら考えてもわからず それが吉なのか凶なのかさえわからない しかしある朝青い羊が一匹ではなく 肩を寄せるように二匹で並んで 誰も歩いていない街を 人目を気にするようにこそこそ道を渡って 角にあるポルノショップの前に止まり すこし周囲を見回してから 一目散に壁のなかに飛び込んでいった 私はといえば 地平線に向かって走りながら 久しぶりにラジオのスイッチを入れて音楽を聴き ひとりクスクスと笑い続けた
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