return

本当にどうでもいい話

 私のコンピューター、「はくち」を「白痴」に一発変換してくれない。「気狂い」もだめ。差別語だからだろうか。友人に言ってみたら機械があほなんじゃないかといわれた。わざわざ確かめてみる気は無いのでどっちでもいいんだけど、私「気狂い」をずっと「きぐるい」と読んでいた。それだけでなくその響きをかなり気に入っていた。友人に指摘されるまでずっと。20歳くらいまで。もうここまでくると直らない。というか直す気は実は無い。
 この種の覚え違いが私はかなりある。自覚してないもののまだあるだろう。グラムシも結構ながいことグラシムだと思ってた。気を抜くといまでも危うい。ツァラトゥストラはまだ覚えられない。
 きぐるいのほうが語感がいいと思うんだがなあ。実はこういう読み方あったりしないかな。家の国語辞典にはのってなかったが。まあそれはそれとして、日本語の小説、まあ戯曲やマンガの台詞でもいいのだけれど、全然別の読みかたを当てることがままあるでしょう。その場合意味は大きく外れてはいないのだけど。何でこんなことをいきなり言うかというと、今目の前にある泉鏡花の「高野聖」のなかで白痴に「あほう」ってかなをあててるからなのだが。同様の例としてはしゅ儒(字が無かった。なんでだ。ちなみに「しゅ」は人偏に朱。)に「こびと」とあてたり。一昔前の翻訳小説に多い気がする。今じゃ誰もいわんが…というかわからんが。いつごろからこういう事してんだろ? 「高野聖」は明治時代か。もしかすると当時はそう読んでいたとか… こればっかりはわからんか。調べようにも何をあたればいいんだか。英語だったらOEDという便利なものがあるのだが。ああいう辞書日本語でつくれないかな。↑の疑問誰か知ってたら教えて。