return

小林多喜二とフランク・ノリス

 特になんという理由も無いのだが、小林多喜二の「蟹工船」を読んでみた。昭和4年(1929)に出版された、日本プロレタリア文学の最高峰とされている作品として高校時代文学史で覚えたぞ。確かに、労働者の悲惨さとか描いてるんだけど、ある種男達の世界的な感じもする(友人曰く、「僕はあの作品はホモ小説として読んでた。」とのこと。なんかよくわかる)。口語使用とか描写のリアルさとか、いかにも自然主義。これ中高生の国語の教科書に入れられないかな。まあ入ってるのがあったとしても共産主義との関係で読んではいないと思うけど。しかしこの作品、暗いだけかと思ったら結構面白い。個人的には前半のロシア人との会話。そこでは、所謂「赤化」しようとするロシア人のいうことに警戒しつつも、彼の言ってることっていうのは実は、当たり前なのではないかと思い始める労働者が描かれている。うーん、プロパガンダ。あの国の行く末を知っている4分の3世紀後の人間としては笑いなくしては読めません(小林多喜二がみたら激怒しそうだなこの文)。
 でも、私が一番興味深く読んだのは別の部分。話の本筋ともあまり関係が無い。版権の問題が怖いが、多分大丈夫だと思うので引用しちゃう。
 "北海道では、字義どおり、どの鉄道の枕木もそれはそのまま一本一本労働者の青むくれた「死骸」だった。築港の埋め立てには、脚気の土工が生きたまま「人柱」のように埋められた。―北海道の、そういう労働者を「タコ(蛸)」と言っている。蛸は自分が生きていくためには、自分の手足をも食ってしまう。これこそまったくそっくりではないか。(引用終わり)
 なにが興味深いかこれだけでは多分誰にもわかんないでしょう、それは蛸に関する文章なんですねえ。ちょっと補足しましょう。
 アメリカにフランク・ノリス Frank Norris(1870-1902)という作家がいる(た)。アメリカ自然主義の代表的作家(何故かアメリカのこの分野の作家って若死に多し)で、日本ではMcTeague(1899)という小説が岩波から、「恐怖の谷」だか、「死の谷」だかの邦訳で出てた。数年前までは増刷されてたが、いまは不明。それは遺伝によって(正確には、先祖代々受け継いでいる獣性によって)破滅する医者の話で、典型的っちゃあ典型的な自然主義小説。彼はその後、「小麦叙事詩」(特に慣習的な邦題は無いと思うので直訳)という3連作に取り掛かる。内2作は完成するのだが、最終作が未完だったはず。それは小麦農家(自然)と資本や鉄道会社(機械文明)という対立を描いているんだけど、その一作目の題が'The Octopus'。つまり蛸なのである。農地を農民の手から、蛸が触手を伸ばすように奪っていく鉄道会社の比ゆとして蛸が採用されているのである(デビルフィッシュ!)。ともに、資本(鉄道会社ってとこも共通)に搾取される下層の人間を描いていて、そこに同じ動物を比ゆとして採用する。しかし、一方は被害者の比ゆに。他方は加害者の比ゆに。この対象が興味深い。アメリカ人はB級ホラー映画に出てきそうな大蛸なのに対して、日本人はやっぱり(自分の手足だけど)食ってるし。こんなところにも両国間の文化の違いが垣間見えてしまう(あまり本気でとらないで)。深い、深い。