ひたか良・・・Ryo Hitaka
なぜ「うさぎ」なのか? なんかね、お腹がポヨポヨしてる感じがうさぎに似てるんだって(ムカッ)。色が白い事も理由の一つ。そんなこんなで、我が家には「うさぎグッズ」が溢れています。 右はお気に入りの着物。半幅帯は結ぶのが楽。 |
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昔昔… |
デビューしたのは高校を卒業した年(計算すると年がバレる…^^;)。卒業試験の最中に描き上げた。 でも初投稿は実は中学の時だったりする。同じく卒業まぎわに描いた。当時年2回の週マの「まんが研究生」に投稿して、準入選。半年間、研究費頂きました。「ベルばら」とか「エースをねらえ!」とかが連載されてた頃。私の作風もそんなんだった。さすがに「高校位は出とけ」の親の言葉で、高校生活中は、年に1本位の制作ペース。そういや、別マの批評用紙欲しくて、4コマ応募した事もあったっけ(笑。さすがにAクラスだった)。高2の時には夏休みに編集部行ったりしました。高校時代はやっぱり「漫研」活動もしました。 で、デビュー作は「まんがスクール」の努力賞だったんだけど(賞金3万だったかなあ…1万かもしれん。何せ遠い過去の事でのう…ゲホゲホ)、うまくデビューさせてもらえました。 その後は大学(といっても、短大の付属の1年制の予備校みたいなトコ)に行きながら、季刊ペースで描いていた。当時は増刊号とか新人の発表の場があったからねえ。で、1年で田舎に戻って、同様に描いた作品がたまたま「ぶ〜け」の創刊号に流用される事になって、それがアンケートよかったらしくて「ぶ〜けに移らないか」と誘われたんですが、そうなると週マも惜しくなったんでしょう、連載の話が飛び込んできて、以降は週刊連載作家となったわけです。週マで描いてた頃は、当時の絵柄やペンネームのせいで、よく男と思われてたようです。そういえば、2、3年目の頃、北陸の方で「男のひたか良がサイン会をやった」という話を聞いた事があります。誰じゃったんじゃろうね? そんなこんなで、10年程マーガレットで描きましたけど、雑誌改編期に担当替えも重なり、疎遠になり… 2年程、ただ遊んでました。さすがに貯金も底をつき、「このままではヤバい!」と思いツテを頼って、サスペリア編集部を紹介してもらい、ホラーやミステリーを描き続け、ひょんな事から専門学校の講師にもなって、今ではミステリー小説の漫画化の他にガールズエロスも描き始め、取りあえず漫画家と名乗り続ける事が出来てます。 (2002.12.7.補足訂正) |
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