記事タイトル:租税法研究ノ−ト(第76回定例研究会)
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お名前: 石川新太郎
「租税法」での理論的研究
先に掲げた引用文の文脈のなかで、金子教授が、「理論的」という表現を入れ
た理由は、どこにあるのであろうか。
先にあげた経済学では、「理論経済学」という表現がよく使われるが、学問
は本来、体系的であり、理論的であるべきだ、という意味で、金子先生が使用
されたものでは無い、と私には思われる。
法律とは、そもそも「理論」が生命線なのだ。
理論をどのように構築するか、これを研究するのが法律学の使命なのだ。
私は、先の一文を、このように理解したい。
ところで、法社会学者の渡辺洋三名誉教授は、法律学入門書でつぎのように
云う、「そして法律制度やその体系は、言語による論理的法則の一貫性にした
がっていなければならない。その意味で、法は言語による論理的体系の産物で
ある。それゆえ、法律学は、法律上のことばの意味を論理的に確定し、法律制
度や法規範を論理的に首尾一貫した矛盾のないものとして説明することを基本
的課題の一つとしている。このことは、・・・・法律学の基本的特質であ」る。
上記は、同教授が、その著書「法を学ぶ」(岩波新書)のなかで論述されたも
のである。
渡辺教授は、おそらく上記記述に際し、租税法を特に意識してはいなかった
と思う。
しかし、私ども租税法を勉強する者にとつては、行政規範たる租税法の裁判
例を勉強するとき、ある条文の法律解釈について、その論理的整合性を原・被
告のどちらが打ち立てることに成功しているか、このことによって、その裁判
の帰趨が決まることを、当研究会の勉強で幾くつも見聞きしている。
この「論理的整合性」というキ−ワ−ドは、ぜひ頭にとどめるべきことだと思っている。
具体的事例を二つほど示し、若干の検討を試みたい。
(1)石井さんの相続税の事案で、私が最初に感じたことは、これほど典型
的な「文理解釈」の事案はない、という印象を受けたことであった。あの条項
について、原被告両当事者の解釈を聞き、これについて文理をもって、その判
断を裁判所が示せばそれで終わりと思っていた。
文理解釈は、租税法解釈の基本的立場であると、各教科書は教えている。
その後の裁判経緯については詳しくは存じ上げないが、かって論客としてな
らした元日住金の社長が、未だ国税庁が発足していない頃、大蔵省担当官とし
てある記述を著したそうだが、それが審理の対象になっているという。
また、民法学者の鑑定意見書が重要な意味をもつと聞く。おそらく本事案の
論理的整合を問うためであろう。
本事件は、単なる文理解釈の争点から論理的整合性を問う訴訟経緯をたどっ
ているように私には、思える。
(2)先に、このサイトに、飛び込みの入力があり、おそらく若い女性の税
理士さんと思われるが、それぞれに関連する通達から、ある税法上の考え方を
導き出そうとされておられた。
これも、演繹・帰納を駆使しての、一つの学問的修学(検証)の一手段であ
ると思われるが、私の個人的見解では、法律・政令について、まず、研究する
ことが肝要と思われた。このことに関する論理的整合性を法律上確認し、
その後に関連する通達をチェクするのがベタ−ではないかと、わたしには思える。
なお、本件のやりとりは、このホームページの「失権」を参照されたい。
雑ぱくなレジュメですが、ここで一応、一区切りいたします。
明日お会いすることを楽しみに !
[2002/04/18 20:23:59]
お名前: 石川新太郎
「租税法研究ノ−ト(第76回定例研究会)」−3
先の 「・・−2」の11行目の金子教授の引用文「・・・法の体系的・理論
的研究を目的とする・・・」と記載すべきを、「体系的・言論的」と誤って印字
してしまいました。
また、最初に、発信した文書の末尾の「失礼の断」は「失礼の段」でした。
不注意を謝す。
[2002/04/17 18:26:30]
お名前: 石川新太郎
「租税法研究ノ−ト(第76回定例研究会)」−2
当サイト記述の方向性
今回が初めてですので、私自身どういう形式で表現するか悩んだのですが、
このことについてちょっと。
* 章・節を要約し、コメントをつけ、これを掲示する。
* 留意しておいたらいいテキスト上の「文言」を掲示し、コメントをつける。
* テキストで示された裁判例を評釈し、見解を述べる。
* ある事項について、それをテーマとして論述する。
いろいろあると思いますが、それぞれの会員が工夫し、自由に掲載してみ
たら、いかがでしょうか。
私は、あるテーマについて論じることにします。
「・・・租税に関する法の体系的・言論的研究を目的とする法律学の独立
の一分野である。」(同書1頁)
上記は、本著作の冒頭の一節である。
ほぼ9年前に行ったこの部分の会読では、おそらく読み飛ばしてしまったと、
思う。しかし、これからみんなで勉強する租税法とは何か、は、ゆっくり考え
てみる必要がある。
同書では、研究の目的につき、「体系的研究である」という。これは判る。
人文科学でも、自然科学でも、おそらくしっかりした体系的フレーム・ワー
クがとれなければ、学問としての体裁は成り立たないであろう。
次に、著作は「理論的研究を目的とする」とある。この理論的研究は、それ
ぞれの分野でそのおもむきは異なる。
例えば、経済学でいう理論的研究
会計学でいう理論的研究
経済学でいう理論的研究は、おそらくその学派、学派の中での理論的整合性
であろう。そこに整合性が認められれば、学問的評価を得る。
与件をどう評価するのか。 学派、学派の間では、理論的整合性はない。
会計学でいう理論的研究とは、
「複式簿記に関する世界最初の文献は、ルカ・パチョーリによって15世紀
末に著わされたが、彼は当時ひろく普及していたベェニス式簿記法を忠実に解
説したにすぎない。」
上記は、黒沢清博士の簿記学研究書「簿記原理」第7版(昭和31年1月刊
森山書店)の序文の一節である。
ここで、窺い知ることは簿記学の始祖といわれる「ルカ・パチオリ」が表し
た著述が学問的思索物ではなく、当時の会計実践ないしは、その頃に行われて
いた会計実務を解説した点である。この最初の出来事によって、簿記学ないし
会計学の性格を論ずることはもちろん適当ではないが、私の実感では、相当な
部分で理論というよりも会計の実践学という印象をもっている。
実践学のなかでの論理的整合性を問うているようである。
このことについて、後刻いろんな見解を出していただき議論を深めたいが、
ここでは、私が最近気になる点につき二つ述べておく。
一つは、本サイトの「失権」のなかで指摘したが、「企業会計原則」と法人
税法22条との関係で某教授の提案であるが、これは、会計学と租税法の理論
的関係を全く理解していない提案であると、私は感じている。
第二は、やはり同じ学会(同じ時期に開催されたものではないが)での、
シンポジュウムで株主総会議決の要否について、少数株主権を尊重する民主的
制度であるから有用であると主張する某教授がいたが、租税法が、行政規範で
あるとの認識を全く欠落して議論を展開しているように、私には感じられた。
(お二人は、会計学系の学者である。)
次に、極めて高い学問上の議論としては、先の本研究会でも研究対象とした
「権利確定主義は破綻したか」(金子宏稿)の会計学側からの議論提起を聞き
たいと思っている。
(また 続けます)
[2002/04/17 17:10:23]
お名前: 石川 新太郎
「租税法研究ノート(第76回研究会)」 担当者 石川 新太郎
まえがき
このたび、当研究会では、ふたたび金子宏教授著「租税法」を勉強すること
になった。
今回が第8版(平成13年4月刊)で、前回は、第4版(平成4年3月刊)で
あつた。 ほぼ9年が経過した。
この9年間の社会状況・経済事情の変化は、後世にどう映るであろうか。
旧世紀から新世紀への大きなうねりへの微兆であろうか。
政府首脳は、「妥協なき構造改革」をオウム返しに唱え、国会は混乱し、
経済は疲弊している。
ところで、税の分野でも、ここ数年の特に法人税制には、目を見張る変化が
あり、その前段階に位置する企業会計実務も、取得原価主義から時価主義へと
急カーブがきられた。
士族も、これら流れとは無縁ではない。最近も、東京会役員等には、他の士
族から任意団体の新聞の体裁をもって、職域論争を仕掛ける文書が送付されて
いると、仄聞している。
いずれにしても多事である。
しかし、私ども品租研の会員は、原点を踏まえたい。
補佐人制度も法制化されたが、これら制度の成就をみたので勉強するのでは
なく、税理士制度の健全な発展には、税理士各々の資質向上への地道な努力が
もっとも肝要と考えている。
最近の東京地裁民事3部判決や、これを受けた高裁段階での興銀事件等、司
法が我々税理士の間にも、身近な話題となっている。その話題を単なるトピックス
としてではなく、専門的議論へと参画するには、不断の研鑽が必須となってくる。
いろいろ饒舌を申しましたが、これは私が開講第1番目のくじに、たまたま
当たり、今月の当番担当となったからであります。
失礼の断は、ひらにご容赦下さい。
(また 続けます)
[2002/04/15 18:08:48]
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