2003年 6月 24日: 謎の依頼

 四国地方のみかんで有名な処の天文台から謎の画像メールが届く。

 先日、地球スウィングバイを行った探査機を地上から撮った画像で、見栄えがいいように画像処理して欲しいとのことだった。一時期、いろんな天文台と多少なりとも縁があったことは記憶にあるのだけど、ココは全然しらん。この程度の事は大した手間もかからないので別にかまわないのだけど、なんかちょっと気になる。しばし放っておいたら、H本先生の仕業だった事が判明した。

 「あそこのメーカに得意な人がいますよっ。」

 や、まぁそれはそれでいいのですが先に一言いって頂ければこんなに悩むことは無かったのに。さぁ、それでは顧客満足度の向上(←じょぜさん、今年の活動目標。)のためサクサクッとね。

閑話休題

 先日応募した、ANAマイレッジの景品は天体望遠鏡だったことが判明しました。今日、宅配ボックスに入っていました。しょぼいヤツだけど、火星程度なら適当によく見えるはず。胴体にがっちりと「ANA」のマークが付いてます。

 ETCカードも来たことだし、あと残るは電動マッサージ器のみだ。

 待ち遠しいぃぃぃ〜〜〜〜〜〜

 2003年 6月 22日: 激!・ヨドバシカメラ

 これからの必要に駆られて、ラジカセを買いにヨドバシカメラへ出かけた。

 MD付きにしようかと考えたけど、ヘッドフォンで耳を塞いで街を闊歩する勇気のない私には必要のないモノだ。あったところで必要ないな。シンプルに普通のSONYのCDラジカセを選んだ・・・という処までは良かった。キョロキョロキョロ・・・店員がいない。仕方ないので探しに行ったが、接客中のを2件。これは仕方ないので、レジまで行くと客一人に店員二人かかっているではないか。「これなら、どっちか一人が相手してくれるかな」と期待して声を掛けた。「あの〜ラジカセが欲しいんですが」。すると、黒縁眼鏡を掛けた店員がとたんにしかめ面をして、「見て分かりませんか?接客中なんです。」

 ブチッ!

 そんなもん百も承知だわいっ!あんたが対応できなくても、他の誰かを呼ぶことくらいできるだろうがっ!

 「他に店員が居なかったからココに来たんですけどねぇ、ラジカセみたいな安物を買う客は眼中に無いって事なんですねっ」。もう一方の店員があわてて取り繕うとしたがもう遅い、こっちはもう点火されてしまったのだ。そいつを無視してレジ打ち中のサービスカウンターへ駆け寄り「どういう事だ!あいつに対応拒否されたぞ!ただ聞いただけなのに、接客中だからあっちいけだと!」。「申し訳ありません、直ちに・・・・・」「やかましいっ!ただ聞いただけでこの仕打ちかいっ!あんたに謝られてもこの憤りが納まるかいっ!こんなところで買う気も失せたし、ヤツの顔も見たくないっ!じゃぁな!」。そのままエスカレータに乗り込み売り場を去っていった。あの場でゴールドポイントカードも投げ捨ててこようかと思ったけど、貯まったポイントがもったいなかったのでやめました。まだまだせこいですな。(^^;)

 店を出て冷静になって考えてみた。甘かった。あのまま売り場責任者を引っ張り出したら2、3割負けさせられたかもしれなかった。

 短気は損気だ。(−。−)

 気を取り直して、ムラウチ電気へ向かう。ココで同じラジカセを買うことにする。お目当てのブツを見つけた。ふとアイコンタクト・・・速攻店員がやってくる。「これ欲しい。」。「はい、この色でよろしいですね?」「うん」。すたたたたた・・・それではレジの方へどうぞ。この間約1分。ヨドバシとは雲泥の差だ。しかも、ヨドバシよりも1000円安い!

 凄いぜムラウチ!

 2003年 6月 21日: くじら講

 最近、”殿下様の沸騰な日々”を見てちょっと触発されてみた。

 "ならず者国家"とは、某米国大統領が自分の意に添わない国を指して呼称したもの。
 ならず者とは? あちらの言葉で rogue
>>はみ出し者、悪漢{あっかん}、ごろつき、悪党{あくとう}、不良{ふりょう}、ならず者、詐欺師{さぎし} また、"道を外した"と言う意味もある。
 まさに、外道ですな。

 最近の報道で、IWCがならず者に占拠されようとしています。(International Whaling Commission(インターナショナル・ホエーリング・コミッション)の略称。日本語では国際捕鯨委員会と呼びます。)
 元々、クジラの乱獲による絶滅を防ぐため、"計画的な捕鯨"を行うために設立された委員会だ。資源保護は確かに大事な事だ。無くなっては大変です。何十年もの間に保護され規制された中でクジラたちは徐々にその個体数を増やしてきている。それは、日本やそのほかの捕鯨国による調査により明らかにされた。にもかかわらず、反捕鯨国の連中は、IWC規約を無視して「保存委員会」なるものまで作り出そうとしている。趣旨は、クジラの完全なる保護、すなわち捕鯨の禁止をもくろんでいる。


 日本を含む捕鯨国が調査を行い、数が増えていることが裏付けのあるデータとして提出されているにもかかわらず、現状維持でもなく禁止にしようとしている。論理的にも、データにもに勝てなくなった奴らは、感情に訴え数と盲目なバカNGOをも利用して捕鯨を真っ向から妨害してくる。そのくせ、自分たちの国にいる少数民族の行う捕鯨はかまわないと言い放つ、もうやりたい放題。めちゃくちゃだよ。これが現代における国家がやることなのだろうか?バカじゃないか?道を外した外道、そうあなた方には"ならず者"の称号を差し上げよう。その昔、さんざん乱獲したくせに、今はいらなくなったから保護しようだと?ぶははっはは、片腹痛いわい。そんな事だから何時までも嫌われてテロが無くならないんだよ!
 さすがの日本もとうとう怒った。即時退席、分担金支払いも棚上げ。よしよしよくぞやった!しかし、分担金を支払わないと投票権を取り上げられるそうだが、このならず者が闊歩するIWCになんの意味があるのだろうか?投票権あったとしても邪なならず者の数と暴力の前に無効にされてしまうだけではないか。そんなら金の払い損。ついでに脱退してしまえばいいじゃん!

  ・・・・・・・・・・・・・・・

 ここで、ふと冷静になってみた。よく似た状況を我々日本は何度か経験している。そう、第一次大戦前の軍縮条約、そして第二次大戦前の国連。国連脱退後、あの悲惨な最期を迎える。最も、あの戦争は米国が仕組んだ罠だったのは戦後に明かされた数々の資料によって証明されているが。ならず者のやることに激高して、IWCを脱会するのが果たして正解なのだろうか?クジラはさほど食べたいと思わないが、ならず者達にいいようにされて捕鯨禁止になることは絶対に許し難い。

 日本捕鯨委員会Q&A

 2003年 6月 14日: ポイント還元

 ANAのマイレッジそろそろ切れるんじゃないかな。もったいないので早々に還元しておかねば。沖縄にでも行って来ようかと思ったけど、今年の夏はそれどころではなさそうなので、モノにすることにした。早速、ANAのHPへ行ってモノを見てみるが、手持ちのポイントでもらえるモノではどれもいまいちだった。強いて言えば、「ANA OPEN キャディバッグ」が良かったけど、今のはまだ新しいし、次はNIKEのにすることに決めているので、残念ながら却下。仕方ないので、適当に選んで応募した。

 これがいけなかった。

 適当に選んだモノで、なんと”何を”選んだか覚えていない。(−。−)

 何が来るかは、月末頃に分かることでしょう。

 ついでに、ETCカードを申し込んだ。装置は、ひょんな事から入手できたので、とりあえず夏休み用に準備しておくことにする。そこでふと思った。クレジットカードのポイントもそこそこ貯まっているはず。とりあえずHPへ行って見に行ってみる。結構貯まっていた。しかし、まだこの程度ではそんなにいい物はもらえないようだ。適当に流して見ていてふと目にとまったモノがあった。「これだっ!」。

 その品物は

「電動マッサージ器」

 ポイント消費は半分程度、まぁ全部使う必要は無いのでこの度はこれにしておこう。

 今月はおそらく3つのモノがやってくるはず。

 が、しかし、ANAマイレッジでいったい何を選んだのだろうか?!

 2003年 6月 12日: 孝?!

 大企業の看板を背負うというのは大変な事です。

 立場的には、こちらからお願いしているはずなのが、何故か逆に相手に畏怖を与えてしまっていることもしばしば。その技術を見込んでお願いに上がっているというのに、どうも相手にプレッシャーを与えてしまっているジレンマ。自分も、そういうことが無いように気を使っているつもりなのだけど、やはりそうも行かないようだ。なんだかちょっと寂しい感じもする。

 自分の父親の様な年齢の方に、平身低頭な態度をとられてしまうと非常に辛い。向こうも、息子のようなヤツに偉そうに仕事の指示をされるのはあまり嬉しいことはないだろうな。

 かといって、ぜんぜんそうでもない人もいる。「この小僧が何を寝ぼけたことをいいやがる!」と頑固なオヤジもいる。双方比べてみると、中身はあまり変わらないのだけど、どうしてこんなに違いが出るのだろうか???

 でもまぁ、いろいろ気を遣うけど職人のオヤジとつきあうのは結構楽しいものである。

 2003年 6月 4日: プロジェクト×!

 風の中のすばる〜〜〜♪

       砂の中の銀河〜〜〜♪

   みんな何処へ行った〜見送られることもなく〜〜〜〜〜♪

 ニュース・ステーションの報道に憤りを覚えたじょぜ。その情報の出所へ確認すべく、そして文句を言うために相模原へ向かった。

 じょぜは宇○研へ行った。
 しゅじろ氏とH本先生に会った。
 先日のニュースステーションの件について問いただすと、やはり○宙研の方でもかなり不本意な取り上げ方であると憤慨していた。
 宇宙ものは、厳格な品質管理のもと製造されるものであって、町工場が作ったものをそのまま搭載するような事はまず無い。当社の品質保証プログラムに則って製作依頼し、部品を吟味し製造工程を管理、検査、試験されたものを搭載するのだ。製造してもらっても、その製品の保証は当社が持つのだ。
 零細企業が品質保証できないとは言わないが、町工場で作ったものをそのままフライト品に使っていると思われるのは不本意なのだ。

 その後、しゅじろ氏の某国営放送局からの取材の話に移った。
 ここでも、中小企業ががんばっている事を出したいらしい。
 記者曰く、「なんか、もっと劇的な話は無いですか? 中小企業が設計や製作したものとか・・・」、「そういわれても、世の中に劇的な事が早々あるわけ無いでしょう。町工場の方も、そこで設計して製作してもらっているなんて言う事はないし。」
 なおも食い下がる記者。しかし、ここで中途半端な事を話すととんでもない事を書かれてしまう事を、度重なる経験から熟知しているしゅじろ氏は断固突き放す。が、いい加減堪忍袋の緒が切れていたしゅじろ氏はトドメの一言を放った。
 「世の中にプロジェクトXのようなドラマチックな事がそうあるわけ無いじゃないですかっ!」
 痛恨の一撃だった。
 記者は二の句を継げず引き下がった。
 吉沢とH本先生は、AOSチェック中の管制室で腹を抱えて笑い転げた。
 彼らの脳裏には、第55回 6月5日放送「激闘 男たちのH-IIロケット」 での一件が焼き付いていた。
 N○K記者には余りにもきつい一言だった。

/* これについては、私が語るよりもここを読んで頂きたい。
 宇宙作家クラブ ニュース掲示板 No.717 :射場の風景
 NASDA、ISAS双方からえらい反感を買った一話。
*/

 「いやいや、しゅじろ氏さん。劇的な事は沢山あったでしょ。ただ、話はできないだけで・・・」。「いやぁそうでした、あったあった。あははははははは」。吉沢もつられて笑った。今でこそ笑えるがその当時は笑い事では無かった事を思い出していた。
 やっと  笑って  語る時が  来たんだ・・・・・・・
 打ち上げが 成功して ほんとうによかったっ!


 笑い転げる二人を見つめる吉沢の目から  熱いものが   流れた・・・

 ヘッドライト〜〜♪
    テールライト〜〜〜〜♪
 旅は〜まだ おわら〜ない〜

 2003年 6月 3日: 報道の真実

 探査機が上がって見ると・・・
 何故かいろいろなメディアで取り上げられて、嬉しいやら困ったやら。
 私が開発担当した装置の一つのTM(ターゲットマーカ)が妙に脚光を浴びて、雑誌やTV等で紹介されている。やはり、「星の王子様に会いに行こう」キャンペーンが功を奏しているのかな。しかしながら、どいつもこいつも”町工場”が宇宙開発に関わっている事を強調したい余り、実際には部品はうちが設計して、町工場で部品を作ってもらっているのだけども、それをすっ飛ばして”町工場が作った”としか紹介されていない。エンドユーザとして宇宙研がいるので我々は黒子でいいと思っているのだけど、さすがにこういう報道のされ方は困る。個人的には、プロジェクトXが実はフィクションだったことを考えれば、どうと言う事ではないので放っておけばいいのだけど、実際はそうも行かない。それを見た社の上の方から「あれはうちで作ったんじゃないのか?!どうなっているのだ!」と証人喚問が行われたりする。説明すればわかってもらえるが、実際迷惑な話である。
 むかつきっ!

 ニュース・ステーション!(-.-")凸"

 今日、TBSから取材申し込みがあった。
 聞いてみると、”やはり”だ。
 実際部品を作った町工場を取材したいらしい。
 お前ら、他に思いつかないのか?
 とにかく、”零細企業”が良いらしい。一件紹介したところは、従業員18名と聞いてトーンダウン。従業員フタ桁いると多すぎるらしい。知り合いの某印刷屋さんのティー○ロセスは規模的にぴったりなのだけど、いかんせんお仕事してもらっていないのでいけません。いずれ、ご縁があればお願いします。(笑)
 今度の取材は、うちが設計・製造を行った事をちゃんと出す事を条件に了承したけど、実のところあやしいものだ。
 本当は、もう一つのFLAの方がいろいろ波瀾万丈の物語があっておもしろいんだけど、全然見向きもされない。

 無理矢理FLAも見せちゃおうかな。(笑)

 2003年 5月 22日: 木ドラ

 風邪引いてだいぶ経ちます。

 結構夜のドラマも見られるようになりました。と言っても、そんなにみている訳ではありませんが、木曜日は「動物のお医者さん」と「婿ドノ2003」があるので、これは欠かせません。

 動物のお医者さん、これはかつて無いほど原作に忠実に作られていて、原作派にとっては嬉しい限りです。佐々木ワールド全開ですね。チョビが回を追う毎にグイグイ大きくなっていくのがおかしいけど。しかし、キャストをあそこまでクリソツを持ってくるなんて・・・やはり世の中は広い。

 動物ワールドが終わると、今度は「婿ドノ」である。これは何で見ているかというと、それは簡単 のりピー が出ているから(はぁと)。彼女の一喜一憂に、思わず心を奪われていくのでした。特に、悲しく切ない思いに苦しそうな表情を見てしまうと、悶絶三回転半! これはやはり、「星の銀貨」の影響を未だに引きずっているのかなぁ??今週は特に悲しい表情がてんこ盛りだったので、危うく窒息してしまう処でした。

 危険な木曜日。

 来週が楽しみだぁ〜

 2003年 5月 21日: おいしいどんぶり

 体の中から元気になるために、おいしいモノを食べなくては!

 ふと、こないだ読んだ「おせん 其ノ三」にあった親子丼を作ってみることにした。いろいろ当たったが、このような親子丼は未だに見たことがない。とりあえず、ハンズで鍋を買い込み、材料をそろえる

 フタ付きどんぶりは持っていないので、お皿を上にかぶせることで代用した。鶏のモモ、卵、ネギはそろった。おニューの鍋はとりあえず一回煮立ててコーティング処理をした。ネギを細切りに刻みさらしておく。どんぶり、皿を熱湯の中につけ込む。割り下を鍋に入れて煮立て、鶏肉をぶっこむ。お湯の鍋からどんぶりと皿を取り出してメシを盛り、その上に細切りネギを敷き詰める。もう一度鍋が煮立ったところで粗く掻いた卵をざっと垂らし、少し火が入ったところでどんぶりにぶっかける。素早く皿でフタをして、バスタオルでくるみ保温、そのまま20分ほど待つ。

 待つ・・・ 待つ・・・   待つ・・・

 待った!

 バスタオルを開き、フタを取る。

 半分成功だった。

 成功した部分は、とろりとして固まらず生のままできらりと光っている。しかし、ちゃんと火は通っている。何とも言えない柔らかな感触で、下のご飯に絡みとってもおいしいのでした♪

 嗚呼、至福の一時でした。

 こんな献立の時は、もちろん日本酒ですねっ!

 2003年 5月 17日: 元気系

 朝一番から休養日です。

 何となく片付けしていたら、古いCDが出てきた。懐かしさと嬉しいやらで今日は一日これを掛け続けた。

 その名も 永井真理子

 残業でヘボヘボの時や休出で沈んでいた時には、彼女の歌声に何度助けられたことだか。今流行の「癒し系」とはちょっと違って何というか、元気をくれる歌なのだ。アップテンボのリズムになぜだかジンと来る歌詞。聞いているウチに、「やってやるぜっ!」と気合いが入ってくる。

 しかし、彼女が結婚してからスタイルががらりと変わってシットリとした感じになってしまい、それから疎遠になってしまった。今は何をしているんだろうか?

 ついでなので、アルバムからいろいろ引っ張り出してCDを焼いてみた。

 仕事でヘボヘボになっているあの御方にあげよう。

 2003年 5月 15日: 恐るべし!

 星は来ませんでした。 

 いままで、とりあえずまだ海の向こうの出来事だったSARS。今日、私自身に大いなる影響を及ぼしました。

 東アジア選手権延期!(涙)

 せっかく、日本対韓国戦のチケットをゲットしたというのにぃぃっ!!

 アイゴー!

 2003年 5月 14日: Y+5です。

 明日はニビル星だかなんとかいうのがやってきてしまうらしい。 信じている人の処だけに訪れるのでしょう。これで一段落すればいいのだけど、事後の言い訳はやはり、「私が天使さまにお願いして助けてもらいまた。」とか言うんだろうか?

 先日上げた探査機とは別に、2005年に月へ行くのもやっています。いろいろ際物ばかりやってきた私にとっては、珍しくまっとうな仕事だったはずだったのだ。先日、製造スケジュールの確認と手配の承認をもらいに増すさんの処へ行ったときだった。「じょぜくん、こないだ上がったヤツに載っけたTMをやっていたよねぇ。」「ええ」「アレに、署名シートとか載っけたでしょ、どんなものなの?」「ああ、あれはですね・・・云々」「そうか、実はこれにも載せようかという話が客先から来ているんだ。」「またのっけんですか?!」「とりあえずどう載せるか考えておいて。」

 ・・・私のやるのはこんなんばかりです。

 そうそう、天文雑誌の「星ナビ6月号」でMUSES-C特集をしています。珍しく、ロケット結合リング側(おしりの方ね)から撮った写真が載ってたりします。この写真では、私が開発担当した装置3つが見えます。3台全部正解した人には豪華景品が出るかもしれません。(笑)

 〆切は5月26日(月)まで。

 2003年 5月 10日: Y+1

 探査機は、順調に航行しております。

 そして翌日。

 可視は、19:10から始まります。

 とりあえず、20時過ぎに宇宙研へ行ってみると、管制室はがら〜んとしている。というか、管制卓のオペレータ以外誰もいない。昨日は数十人がひしめき合っていたのに。しかし、今日もそんなに人がいることはそれこそ問題なので、これはこれでいいことだ。今日は姿勢制御のマヌーバテスト。なので、相模原には上司のバビさんが詰めていた。ちょうど、少し姿勢を動かしていところだったが、その姿勢のまま3時間放置して様子見。つまらん。自分の担当した装置のテレメトリデータを引き出してお持ち帰りしました。どれも問題なし。

ほっ!

 2003年 5月 9日: 打ち上げ日

 朝から晴れ渡った空

 風は少し肌寒い

 宇宙研A棟1Fロビーに設置された中継モニタは、ランチャに固定されたM−Xロケット五号機を映し出している。管制室は緊迫感が漂っていてちと居心地が悪いのでこっちへ逃げてきたのだ。打ち上げ30分前になると、ワラワラと人が集まってきた。「X−30分、M台地待避開始」。さぁ、もうすぐだ。「X−15分、衛星マクロコマンド開始」。おおおおおおお、緊張してくるぅぅぅ。気がつくと、ロビーはもう一杯だ、学生、教授、技官、秘書さん、私を含む関連メーカ担当者、皆期待と不安の表情を浮かべている。

 「X−5分、QL立ち下げ。」おーいよいよだぁ

 秒単位のカウントダウンが開始した。

 60、59・・・・・・・元同僚のゆーさんに携帯で電話する。「カウントダウン、始まった、約束の生中継開始〜〜」「わおー待ってました」

 30、29・・・・・・10、9、8、7、6、5、4、3、2、1

 ドゴォォォォォォォ!!!

 ものすごい轟音がスピーカーから響く。

 まっすぐに、白い煙の筋を残してロケットが一気に上昇してゆくっ!

 「いった、まっすぐ昇っているよ。」

 ぱぁっと白い煙がふくらむ、第一段ロケット切り離しだ!まもなく、また新たな光が見えた、第2段ロケットに点火した。すばらしぃ!映像が、ロケット追跡用の赤外線カメラに切り替わった。もうロケットは小さな光点でしかない。そろそろ第3段に切り替わるころだがもう見えない。「そんじゃ、生中継おしまーい。」「ありがとねぇ、がちゃ」。打ち上げから610秒後に第4段ロケットから衛星が切り離されるのだがもう見えない。

 本当は、ココまでで良かった良かったといきたいのだけども、実は予定した軌道に衛星が投入した事が確認できた時点で打ち上げ成功なのだ。それが確認できるのは、打ち上げ後40分、米国のゴールドストーン局で入感してからの事だ。ドキドキして待つ、太陽電池パドル展開、姿勢3軸確率確認できました!よかったぁ!!!

 さぁ、衛星屋さんの本番はこれからです。

 打ち上げの情報に関しては質、早さ共に国内最高を誇るここが楽しいです。

 宇宙作家クラブ ニュース掲示板

 2003年 5月 8日: 前日のブルー

 さて、MUSES-Cの打ち上げがあと1日と迫りました。

 打ち上げは5月9日13:29です。

 作業報告からとりあえず、打ち上げに問題はなさそうなので、予定通り上がりそうなのですが、何が原因で延びるかは分かりません。毎日ドキドキの日々ですが、あとはもう射場の様子を見守るだけです。こんな事なら逃げないでフライトオペに参加しておけば良かった。

 2003年 5月 6日: ヤンキー対決

 今夜のプロジェクトXは、ハレー彗星探査の話。
 前回の再接近の時は、じょぜは飛行機屋になりたい航空学科の学生だった。 日本でこんな探査機が上がる事も知らなかった、まして「宇宙科学研究所」なるものの存在すら知る由もなかった。

 ある夜、じょぜはふと思い立ち、東京の外れ高尾山の隣にある陣馬山へハ
レー彗星見物に向かった。家のボロハイエースを駆って山道を目指した。
山頂はかなりの人出で駐車場も結構入っているた。山頂は外灯などと言うも
のは無く真っ暗だった。そんなところで事は起こった。

 車を空いているところにしずしずとバックで入れていた時

 ガツンッ

 軽いショックが伝わった。
 車にぶつかったのだ。

 後ろにあった車から出てきた人影が大声で罵声を浴びせる
 ばかやろー どこみているんだ 免許持っているのか!
 ヤンキー風のにーちゃんが、ものすごい勢いでこちらの運転席に向かってきた。

 ぶつけたのはこちらなので、とりあえず車から降りてわびる。
 「どうもすみません」
 下りたとき、相手の態度が変わった。
 明らかにビビっている。
 この時、ボロい一見営業車風のハイエースから出てきた男の容貌はちょっときついパーマ頭、スタジャンの上に綿入り半纏を羽織ったサンダル履きで図体のでかい、いかにもアレな風体だった。相手のにーちゃんよりもきている。そう、このころの八王子ではこの手のスタイルはアンタッチャブルだった。

 「凹んだ? 傷はある? みてみよう。」
 ぶつかったところを確認しに行く。
 この時、じょぜは確信していた。
 「勝てる」
 バンパーを見てみると、何処にも傷は見あたらない。言葉は丁寧に、そして尊大に振る舞うことにした。

 「傷も無ければ凹みもない、問題ないよね。」
 「ええ、いえ、あの・・・・・・」
 「体、大丈夫?」
 「はいっ、大丈夫です。」
 「ぶつけたのは申し訳なかった、でも無傷だったね。」
 「でもぶつかったし・・・・・・」
 「お金欲しいの?」
 「え、ええっと・・・ええ・・・・・・・」
 「なんか、たかりみたいだよねそれって、傷もなければ凹んでもないし」
 「山下りて、警察いこうか?」
 「いえ、けっ結構です。」
 「じゃあ問題無いよね。」
 「・・・・・・・・はい」
 一件落着。

 事なきを得たが、じょぜは何となく悲しさを感じていた。
 老け顔も善し悪しだ。

 たまたまですよ、こんな恰好していたのは。

 2003年 4月 26日: ラベル作り

 以前買っておいて、そのまま放っておいたCDライティングソフトがあったのを思い出して使ってみた。開けてみると、ラベル作成ソフトがついていた。とりあえず使ってみると、これがまた楽にできるではないですか。さっきまでPhotoshopで位置決めに四苦八苦していたのが馬鹿らしくなり、こっちでラベル作りをすることにした。

 デザインを決めて、さぁ印刷してみると見事に切取線にはまったラベルができあがりました♪ すばらしい! そして、ラベル張り器を使ってぺたっとCDに貼る。こりゃええわ。

 なんだ、こんなに楽にできるならもっと早くやれば良かった。(^。^)

 2003年 4月 24日: メディアプレイヤー2

 最後の一曲を入手し、いよいよ編集!

 まずは一通りライブラリに放り込んで組み上げた。そこで、メニューの「CDにコピーする」キーを押下する。

 ウゴウゴウゴウゴ〜〜〜

 おー焼いている焼いている♪ ガー 書き上がって、テーブルが出てきた。とりあえずまた中に押し込んで、出来具合をチェックした。エクスプローラーで見てみると・・・・・・・・・・・・・データのコピーじゃん、ミュージックCDじゃないジャン! やはり、世の中そんなに甘くないようです。

 仕方ないので、気を取り直してとりあえずWinCDRで一枚焼いてみた。

 今度はCDのラベル作りだ。

 2003年 4月 13日: メディアプレイヤー

 最近、友人からモー娘。の動画ファイルを頂いてメディアプレイヤーで見ることが多くなったのですが、使ってみるといろいろなことができてとても便利なことが分かりました。(今さらだけど。)格納した動画ファイルを登録して、順次再生させたり、MusicCDから欲しい曲を適当にピックアップしてディスクに保存して再生できたり。今まで、この手の機能には余り興味が無かったので放っておいたのですが、いざ気がついてみるととても便利ですな。

 ただいま、「思い出のFIFA 2002W杯アンソロジー」を編集チュウ♪

 あと一曲手に入れれば完成なのだけど、これは再来週にならないと手に入らない。GW中には完成させたいぞな。CDのラベル貼り器も準備したし!

 最後の一曲は、「オリー・カーン」だったりする。

 2003年 4月 1日: 新人?

 昼休み、体育館の横を歩いているとダークグレーのスーツを着たのっぽの一段が出てきた。7〜8人ほどだけども、見事に同じスーツなのだ。ユニフォームなんだろうか???
 バレー部の新人も入社式に出たんかのぉ〜
 横浜はレッドロケッツの入社式?! まぁいいか

 しかし、ずっとスポーツウェアしか着てこなかったであろう彼女達は、見事なまでにスーツに着られている。しかたない事なんだろうけど、もっと見物は、履き慣れない”若干”ヒールの高い革靴で、ペンギンみたいにヨタヨタと歩く姿である。コートに立てば、弾丸のように唸りをあげるボール操る彼女たちも、ヒールの靴には敵わないらしい。
 ダークグレーのスーツでヨタヨタ歩く、何となくかわいく見えます。

 2003年 3月 24日: アカデミーShow!

 うだうだとアカデミー賞授賞式を見ていたのだけど、受賞した俳優はプレゼンターにキスしてもいいのだな。(うっとり) いやはや、Showほどすてきな商売はないなぁ・・・・・・・

 はっ!

 プレゼンターが、ウーピー・ゴールドバーグだったらどうしよっ!

 むぅ

 気を取り直して、ではプレゼンターになったらゴージャスなオスカー女優にキスされてしまうのだなっ!(^。^)すばらしい♪

 はっ!

 受賞者が、ウーピー・ゴールドバーグだったらどうしよっ!

 むぅ

 あのおっきな胸に抱きしめられるのも悪くないかも。

 

 2003年 3月 23日: 午後のネット散策

 実際に動き回れないのでネット散歩していた晴れた午後。

 何処も彼処も戦争の事ばかりで、いささかうんざりしている。しかし、現行で体験している貴重な経験かもしれない。12年前の湾岸戦争では、米軍の提供した記録映像ばかりで「TVゲームの戦争」みたいな感覚だったけれども、今回はリアルタイムでの実画像を目の当たりにしている。光る閃光、立ちのぼる黒煙。時差6時間あまりのところで起こっている。ついこの間のアフガニスタン侵攻ではいまいちだったけど。

 さて、話は変わるけども、このたび国産ロケット「H2」の打ち上げ失敗など、科学技術分野の事故や失敗例を集めたデータベースを、科学技術振興事業団が作成し27日からインターネットで公開すそうな。これから新たに挑戦する人たちにとっては宝の山だろうな。私も社内でこういう不具合事例の有効活用をしようと試行錯誤しているので、参考にしてみようとおもう。が、しかしだ、このURLはちょっといやかも。(^。^;)

http://shippai.jst.go.jp/
 2003年 3月 17日: お手入れ

 

 髭の手入れについてちょっと調べていたら、こんなのめっけました。

http://www.kikasete.net/marketer/mk_tw61.php

 いやはや、こんな事を調べているなんて。
 眉毛の手入れの理由で「やらないと右と左の眉がくっつくから」なんてのは、思わず吹き出してしまいました。

 「女性を意識する人」、「女性を意識しない人」で微妙な違いが納得。
 さてさて、では「じょぜを意識する人」は?(笑)

 どうでもいいけど、探していたのはこれ。

http://store.yahoo.co.jp/handsmall/a0237-01.html

 髭用トリマー、さすがハンズです。

 実を言うと、じょぜさんは2月終わりからニョキニョキと無精髭を伸ばしておりまして、そろそろどうしようかと思案中だったりします。これ以上放っておくと、そろそろ切りそろえなければバッチくなってしまうので、いっそ剃ってしまおうか、それともいい道具があればそれを導入するのも良し。
 運命の分かれ所。

 2003年 3月 3日: 素泊まり3000円

 

 「素泊まり一泊3000円」
 こんな看板を時々目にするだろう。

 一泊3000円
 入ってみると六畳の板の間で、一畳300円
                  座布団100円
                 テーブル500円

 なんだこりゃ?

   ポット150円
   急須セット200円
   テレビ1000円

 おいおい

      布団三点セット800円
      目覚まし50円

 とうとう7600円

 こんな宿あったら怖い。(−。−)

 2003年 2月 26日: 購春

 久しぶりに早めに帰ることができた。

 ルミネの前を通り過ぎようとしていたら、花屋の看板に「桃の花あります」と書かれていた。季節柄にもぴったりで、早く帰れたことで気分が高揚していた私は気がついたら桃の花を買っていた。しかも菜の花までいっしょに。

 人混みの中を気分良く「ちょっ蔵」まで足をのばし、おいしい鶏料理に舌鼓を打つ。ふと、店長が私の横にある桃に気がついて、非常に感心して眺めている。桃の花はとても珍しいのだ。梅、桜はその辺にいっぱいあるけれども、桃は早々見ない。気がつくと、店員達が代わる代わる見に来ては感心してゆく。桃の花にこんなに興味を持つなんて・・・またまたこの店を好きになってゆくじょぜなのでした。

 とりあえず、桃の花を平エ門の空き瓶に生けて、菜の花は少し短く切ってコップに生ける。金に物を言わせて春を呼び込んでみた。

 しかし、花を持って歩いてるとお声がかからないのだ。なんだかとても面白くないので、仕事帰りに花を買うのはやめようと思った。

 2003年 2月 23日: CDを買いに

 モー娘。のCD・DVDを買いに行った。

 買ってきたのは「ちょんまげ天国(TV時代劇音楽集)」だった。

 でも満足♪

 2003年 2月 20日: モーニング・フィーバー

 会社の友人から、モーニング娘。のDVDを借りた。

 ノリのいいリズムと新種のGSのような歌声は結構気に入っていたのだけども、歌を聴くばかりで歌っているところはほとんど見たことがなかった。

 見始めてからはもう目は画面に釘付けになってしまった。なんと言っても、次から次へとめくるめく動きに惹かれて食い入るように見入ってしまった。バラエティ番組では見ていて気に入らなかった辻・加護も輝いているではないですかっ!輝ける彼女たちを見ているウチに静かな感動が込み上げてきた。ここしばらくふさぎ込んでいた私の心に、光を注ぎ込まれているような・・・そう、厚い雲間を切り裂く剣のような光が差し込んでくる。目頭が熱くなった。

 いい気持ちだった。

 そして今は

 ひょっこりひょうたん島っ! <振り付けも覚えたらしい

 2003年 1月 28日: ある日、傭兵

 

 東芝と宇宙事業部門が合併して早2年。先日、その昔一緒に仕事した人にばったり会いました。それまですっかり忘れていたのに。

 98年のそろそろ春がやってこようかという季節。
 私は、ETS−Zの初期運用のため、筑波宇宙センターに詰めていました。
 この衛星は、宇宙ステーションミッションを見込んだ、「ランデブードッキング(RVD)実験」と「ロボット(BRT)実験」のための技術試験衛星で、衛星のシステムインテグレータとRBTが東芝、RVDが三菱電機、そして我が社はC&Cだけあって通信系(COM)と「視覚系(VIS)」をそれぞれ担当していた。
 VISは衛星に搭載されたカメラシステム全般で、特にロボット実験には必要不可欠であった。そして、ロボット実験の地上システムは東芝が担当していた。VISのデータは、ロボットの地上装置経由で受け取るので、東芝さんの技術者とはいろいろ接触がある。そこで、ちょっと変わった人にあった。

 彼は、Oえさんという。ひょろっとした細身で背丈は私とほぼ同じくらいの175cmくらい。見た感じは、ガリガリに痩せたのっぽの菅原文太だ。VISのインタフェースは彼が担当している。ある日、ふとみると彼の腕には「Sin]のクロノメータがはまっているのに気がつく。ちょっと聞いてみると、やはり「飛行機野郎」だった。それからは、話が弾んでいろいろ聞いてみると、なんと防衛大出身で空自パイロットコースを進んだエリートだった。ひとは見かけに寄らない。しょぼくれた感じだけど凄いジャン。しかん、戦闘機パイロットへの転科で適正不適格だったため空自を辞めて現在に至るらしい。よくわからん。
 そんなこんなのある日、ふと彼の左胸がいつもふくらんでいる事に気がついた。おそるおそる訪ねてみると、「ああ、これね。」と、セーターの裾をまくり上げて、そこからすらりと黒光りする刃渡り30cm近いコンバットナイフが出てきた!
「なんですとっ!!」驚く私を尻目に、Oえさんは軽くナイフを振りながら「こ
れを付けていないと体のバランスが取れないんだよ。斜めになっちゃう(くすっ)」

 あぶねぇ

 あぶねぇよこいつ!

 その後、そのいきさつを聞いてみるとなんと、学生時代、夏休みになると傭兵やりにアフリカまで出かけていたそうだ。儲かるのかなと思ったら、ほとんど給金は出なくて、毎度交通費だけで赤字だそうな。「エリア88」と現実は全然遠いようです。空軍の傭兵部隊があるわけでなく、陸軍だったわけで小銃抱えて突撃じゃなくて、ライフル構えての狙撃兵をやっていたそうだ。お金ではなくて、その環境に浸りたいのだ。防衛大、傭兵、空自・・・・・・
 この人には逆らってはいけない!
 本能が警告する。
 いろいろな人に会ってきたけど、傭兵上がりの人に会ったのは初めてです。

 時々社内で見かけるようになったのですが、彼の左胸がどうしても気になって仕方ありません。

 

 2003年 1月 24日: 不細工犬

 撮ってやろうと思って早2ヶ月、やっと撮ることができました。

 世にもダサイ「ブサイク犬」のブッチ(仮名)。

 鴨居駅から鶴見川を越えて会社に向かう途中の道路に、自由気ままに散策するワンコです。

 不細工な上に、しっぽもすら振らない愛想無し。今までで、これほどブサイクなイヌは見たことがありません。こんなんでも飼い主はいます。(笑)

 最初は慣れなくてダメでしたが、だんだん「こんなのもアジがあっていいかも。」なんて思えて来ました。美人は3日で飽きると言いますが、ブサイクは33日で馴れますな。(わはははははは)

  

 2003年 1月 22日: 更新のこと

 休暇を取って、免許の更新へ行ってきた。

 2年前、痛恨のレッカー移動によって今回は府中試験場での更新になってしまいました。朝、少し早めに出かけて高幡不動へお参りし、お昼から試験場入りです。久しぶりに、甲州街道を府中まで走り、小金井街道へ入る。このコースは、高校の頃よくバイクで通った道。何となくノスタルジーに浸りながら、走り抜けてゆく。しかしまた、高校のころからほとんど変わってないんだよな。

 用紙を受け付けでもらって印紙を自販機で買っていると、隣のおやじは3350円だ。わたしのは3950円、600円の差はなんだ??おやじの用紙を見てみると、「一般運転者」と書いてある。私のは・・・・・・・・・・・・・・

 違反するとここまで差別されるのですか?(涙)

 よくよく聞いてみると、優良ドライバーは30分、一般は60分、そしてキズモノは120分の講習を受ける事になるって。げげーん。30分で済ましてさっさと帰ろうと思ったのに。仕方ないので、教室に入って始まるのを待つのだけど、ここでいま自分の置かれている状況が非常に危ういことに気がつくのだった。そう、季節柄そこいら中でゴホゴホと咳をしている。風邪菌出しまくり!(涙)嗚呼どうか移りませんように。(祈)

 講習は、新しく施行された道交法の説明と一般的な安全運転の心構え。そして、できの悪いイヤな後味を残す映画を見せられて解散。なんだかげんなり。そして、できあがった免許を受け取って帰るのだけど、ふと見ると次の更新が「H18年2月28日まで」と書いてある。はて?わたしの誕生日は30日なのだけど・・・もしかして間違いか?・・・・・・・ではなかった、新しく、誕生日の前後1ヶ月で更新できるようになったため、翌月まで有効期間がのびたようだ。しかしだ、2月は28日まで、30日生まれの私は絶対2日損する事になるのだ。むむぅ〜

 そして、最後に写真を確認してみるとそれなりにうまい具合に写っているではないか。しかし、一つ気に入らない。やはり、今ひとつツメが甘かったらしい。

 そうだ、次回は寄り目で写ってやろう。

 

 2003年 1月 21日: 日本語の妙

 

 最近、日本の小説がとてもおもしろい。

 
 小説なんて、ストーリーが良ければそれでいいジャンなんて思っていたけれども、先年ふとしたことから池波正太郎著「食卓の風景」を読んで以来目から鱗が落ちた。この作品は、池波正太郎が自分の思うままに、また小説から特に食事に関わるところをつまみ食いしていいとこ取りしたベストアルバムみたいなモノでしょうか。
 当初、美味しいモノに惹かれて読み進むうちに、食べ物の描写からそれを取り巻く情景の表現に興味が移り、とうとうあちこちのものを読みあさり始める始末。言葉の言い回し、それぞれが「これは日本に生まれて、日本に育ち、日本のご飯を食べた」ならではの、心に訴えるモノがあります。「ああ、日本人に生まれて良かった。」などと、アホなことを考えてみたりもしました。
 嗚呼、なんて日本語って素晴らしいのだ。
 そもそも、こういう事を思ったきっかけがもう一つあります。
 「ハリー・ポッター」(日本語訳)
 これを読んだひとはよくわかると思いますが、元々英語の韻を踏んだ表現を苦労して日本語にしているのがあちこちに出てきます。原文を対比してみると、なるほど英語はこういう韻の踏み方を好むみたいだなと納得できます。英語を話す国の英語の文化で育ち、暮らす人々には英語の情景が、仏語にはフランスに、独語にはドイツに暮らす人々が心に刻まれているモノを思い描かないと良さを感じ取るのは難しいのだろうなぁ。ハリー・ポッターをもっと楽しむには原文を読まなければ。(やる気全くありませんが。)
 たぶん、私が感じた感動は、日本人以外には理解し難いモノだと思うけど、生まれ育った国の、なじんだ言葉、そして良く吟味された文章はそれだけで感動を与えるのかもしれない。

 

 2003年 1月 20日: ストーブのある風景

 そういえば、私の母校である小金井工業高校では、冬の暖房はとても貧相なモノでした。かなりボロでしたが、鉄筋の校舎はガスストーブが主な暖房装置だった。各クラスに1台、教壇横入り口そばに置かれます。そして、そこは私の指定席なので、目の前がストーブのためとても暖かい快適な環境がしばしば眠気を誘います。そして、お昼近くになると、何処からともなくみんながお弁当を持ち寄り、教室はすさまじい臭気にさらされかなりきついモノがありましたが、暖かい弁当を食べられる効果に比べれば、何のこれしき。(笑)ただ、時々ストーブの下に足を突っ込んで暖を取っている時に油断して、上履きのゴムを焦がすともう、耐えられない臭さが充満して一時授業が中断なんて事もあったり。

 その他、敷地内に点在する実験室がいろいろあるのですが、どれも木造で石炭ストーブが据え付けられていました。見た感じでは、レトロな雰囲気が和ませてくれるのですが、いざ使うとなると話は別です。特に風が強い日は、煙突から煙が逆流して部屋の中が真っ黒になってしまったりして、とても気の抜けない処でした。

 いまでは、ぼろい鉄筋校舎や木造実験室はすべて取り壊されて新しい校舎が建っていて、その昔の面影は全くありません。

 エアコンや、石油ストーブに慣れた生活にいろいろ刺激を与えてくれた学校だったなぁ。(笑)

 ついでにいわせて頂くと、小学校の完全冷暖房化は大反対です。暑さ寒さを身にしみて育たなければバカになってしまいます。

 2003年 1月 19日: まんてんの夢(U)

 父の一言に、自分のスタンドを再確認したじょぜだったが、それでなにかが発展するわけではなく、時は新しい年度へと移ってゆく。

 プータロー生活は楽しかった。でも、ぶらぶらしていても仕方がないので、そのまま研究室に出入りして研究を手伝っていたりもしたが、とりあえず近所の工場でコンピュータ機器の修理・調整のバイトをすることにした。よく、駅前とかで窒素酸化物〜PPMとか表示している奴の測定器や、なんかの試品の成分を測定するやつを扱っていた。実は、ここでの経験が後に大変役に立つのであった。

 研究生として残った八木と一緒に、学会へ出かけたり実験装置の制作をしたりそれなり楽しい日々を過ごす。ある夏の日、やはり就職は考えておかねばならないだろうと、就職課の会社案内をばらばらと覗いていたら・・・

これだっ!

 名前もいいが、内容も申し分ない。元々やりたい航空関係に防衛、宇宙開発とはっきり言ってどこに配属されても悔いはない!早速、申し込むと、「2週間後に採用試験の案内をお送りします。」と答えてきた。しかし、3週間経ってもなしのつぶてだった。しびれを切らして電話してみると、「あ、少々お待ちください・・・・・・・・・・・・・・・あ、来週木曜日9時に来てください。」(む、さては忘れていたな)このことは、後の総務の担当に聞いてみたらやはり忘れていたらしい。しかしまぁなんといってもバブル終盤、売り手市場なのだ。全く落ちるなんて毛ほどにも思っていない。試験は、性格診断のテストとプログラム開発を意識したよくわからんテストが筆記試験としてあり、その後面接へと進んだ。5人ひと組で行われた。やはり、卒論に関する質問がメインだった。特に社長が執拗に聞いてくるが、一度学内で揉まれているので回答はすでにできあがっている。楽勝である。もちろん、程なく採用の通知がやってきた。が、ここで一つ問題があった。私はプータローなので、即刻出社せよとのことであった。実は、私は3月まではふらふらしているつもりだった。とりあえず交渉して、1月からにしてもらった。そして、バイト料をつぎ込み、12月にヨーロッパ放浪の旅へ出かけた。

 1月10日、初出社。

 いきなり配属のの辞令をもらう。「・・・・・・これって何の部なのだろ?」実は、会社の組織構成は把握していなかった。前田主任のグループへ配属された。ここは、人工衛星の姿勢制御系の開発を主にやる処らしい。卒論が「大規模宇宙構造物の振動制御」と偉そうな名前だったので、関連するところに配属されたらしい。

 まずい 非常にまずい!

 こんな処に配属されたら、数学物理バリバリじゃんかっ!

 いくら何とか単位を獲得してきたからって、これはついていけないぞっ!

 入って早々、脂汗をかく羽目になる。しかし、グループの面々はとてもよくしてくれましたが、今考えると歓迎会やってもらってないし!(-.-)

 まぁ入った処にいまだに移動も無くこのままやっているのは、はっきり言って自分でも不思議に思うのと、よくやったモノだと感心します。その後、正式に担当作業が決まる。放送衛星3号(BS-3)のAOCS(姿勢軌道制御)を担当することになった。ちょうど、詳細設計の段階から入る事に。それから2年後、AOCS担当として、筑波宇宙センターの衛星管制室に席を構える事になった。夢が現実になった年だった。

 BS-3はa,b共に無事打ち上げ成功。

 一つ目標達成。

 そして、次の夢の達成のため新たな野望を燃やすじょぜであった。

 次の実現まであと8年。

 2003年 1月 18日: まんてんの夢

 朝ドラを久しぶりにみたら、とうとう満天は宇宙へいく目的を見つけたようです。

 時々見ては、どうなるんだろうねぇと心配でしたがやっと目標が具体的になったみたいですね。夢を持ってそれに突き進んでいく。途中あちらこちらに寄り道していても、結局それは夢を実現するために土台になっていきます。満天が、私よりも苦労しているのは考えなくても分かるけど、何となく一歩一歩宇宙飛行士へと近づいていくのを見ているとうれしくなります。

 私も、飛行機好きの父の影響で、飛行機が好きでパイロットになるのが夢でした。そして、小さい頃から何度も繰り返し見てきたアポロ11号の功績。宇宙飛行士に、そして管制室のスタッフに憧れていました。しかし、中学で視力が低下して職業パイロットへの道は絶たれました。そこで、高校では興味がある電子工学をやろうと工業高校へ入学し行く末は電気屋さんかなと思っていたところ、大学工学部への推薦制度があることを知りました。リストを見ると、まさにこれだっ!というところで「航空機体工学科」を目指して進学を決定。まずは内申を上げるため、裏工作を始める。各教科の先生に、「推薦を受けて大学へ進学したいから内申を上げてください!」と頼んで回った。いや、やはりこういう事は確実にして行かないとね。(笑) 怒られるかと思いきや、どの先生も快諾してくれました。もっとも、追加レポートや追試などいろいろ要求されたけど。おかげさまで、なんとか推薦で進学が決まり、航空機体工学の道へ進めました。

 大学へ進むと、まず最初に大ショックを受けました。数学の初講義、先生が何を言っているのかわからん!黒板に書いているのは何?工業高校では英数国の時間はかなり削られているので、ダメダメでした。しかしまぁ、こんな事でめげていてはいけないので、友達や先生の処へ押しかけては分からないところを聞きまくり、なんとか単位だけは取れました。しかし、いまでもよく単位取れたなぁと感心してたりして。

 一般教科はいっぱいいっぱいだったけど、専門教科に入るともう面白くて面白くて、時間が許す限り講義を取りまくっていたけど、どこまで身になったやら。(笑) 最終的に、研究室に入るときふと魔が差したのか藤井研究室。じつは、この先生、以前実家のそばに住んでいてよく家のワンコと遊んでいました。妙な巡り合わせですね。もっとも、この縁は後日さらに変な方向へ繋がります。入ったときは全く知らなかったけど、この先生、宇宙の運動制御については意外と大家でした。いろいろ迷惑をかけてきましたが、ずいぶんお世話になりました。おかげでちゃんと卒業できましたし。

 在学中、まだ自分の行くべき方向が定まっていなかったとき、やはり世間並みに就職はしないといけないかなと思い、なんとなく大手のF電気の内定を取ってきた晩だった。父にそのことを話すと、「おまえ、それでいいのか? それで満足できるのか?」と聞かれた。衝撃が走った。流されてしまったがF電気は自分のやりたい処ではない。ふらふらしていた心に、新たな道筋がしっかりと見えた。もう迷わない。内定を断ったら、学生課のおっちゃんが怒って、次の就職用の書類を作ってもらえなくなった。(笑) こうして、就職浪人が決まった。その晩、父に話した。「自分の進路を見つめ直したい、だから、一年間プータローさせて欲しい。」 父は行った。「わかった、好きなようにやってみろ。」

 こうして楽しいプー生活が始まったのだった。

 

 2003年 1月 13日: 神々の血脈

 何となく、成人の日でしたね。

 今年は大きな騒動は無かったみたいで。

 成人式に関してはいろいろあるようですが、騒動を起こしている連中の映像にモザイクをかけるのは間違っていないだろうか?成人式に出るくらいなのだから、もう子供ではない。しょっ引くものはしょっ引いてしまえ!

 さて、大人と言えば子供。親から子へと血脈は受け継がれていきます。それは長い長い月日を経ていろいろな形になって現れてゆきます。それはもういろいろな形で・・・・・・・

 今日、まじまじと鏡の前で自分の顔を眺めてみる。右向き、左向き、正面。

 そして  くわっ としてみる。

 やはりそうだ、間違いないと思う。

 前からそうじゃないかと思っていたが、いざやってみるとどうにも納得しなくてはならない。認めるしかないだろうか。

 西川きよしとは、どこかで血が繋がっているのではないかっ?! 

 2003年 1月 9日: 発明とは

 新春のある日、じょぜはkim課長と身の回りにある生活エネルギーの中から発電ができないかと話し合っていた。これで特許もしくは実用新案を取って、100円ショップのダイソウで家庭内発電機として売り出そうというもくろみだ。(100円というのがミソね。)しかしながら、家庭内から日常生活で消費された余剰のエネルギーでは、発電システムを動かすだけのエネルギーにするには弱すぎる。

 計画は詰まった。単純な構造でかつある程度の電力を発生させるにはどうすればいいのだろうか?

 そして、今日iida課長と新しい衛星搭載用の駆動システムについて語っていた時にふと思いついた。

 これだっ! これはいける!

 iida課長との話もとても興味深いそそられる話ではあるが、これはまた宿題として、じょぜは具体的な構想を組み立て始めた。

 急いで帰宅した。

 単純ながら試作品を作ってみた。

 ダメだ。

 少し構造を変えてもう一つ試作品を作ってみた。

 これもダメなようだ。

 では、大胆に変えてみた。

 動いた!

 不完全ながら、着眼点は間違っていないようだ。試作品は、じょぜの気持ちに答えるかのように動いている。

 これで世界は救われる。

 エネルギー革命を起こせる。 

 じょぜは妄想の世界へと足を踏み入れた。

 

 2003年 1月 5日:今日で終わり、明日から始まる

 明日から仕事始めです。

 やはり、持って帰ってきた宿題は前日にならないとやらないようですね。

 31日に、無理矢理スキーに出かけました。同期の薄衣を引っ張り出して、白樺湖あたりへ・・・30分遅刻したのは寝坊です。すんまそん。ガラガラの高速を快調に飛ばして白樺国際スキー場へ。ここがすばらしいところは、スノボ禁止だということ。白樺湖畔のカフェ・モンテローザでゆっくりランチを取って午後券で滑り放題♪おニューのウェアも調子よく、とりあえずカービングの練習をする。カービング・スキーはふつーに曲がるには楽なのだけど、その特性を生かしたカービングはそれなりに技量がいるのだった。2、3回ほどみっちり滑り込んでふと脇を見ると、「スノーラフティング」の看板が目に入った。タイヤチューブに乗って、上からバンクを作ったコースを落っこちてくる。「これは楽しそうだわい」ワイヤーで引っ張っていって、てっぺんに来ると、自動的に外れてラフティングが始まる。「これはやるしかない!」薄衣とはこういうところでよく意見が合う。すっげー楽しんだけど、おしりをチューブの穴に入れて、引っ張り上げてもらうとき非常にケツが冷えるのがちとしんどいかもしれない。「今度は、スノボ用のケツパットを持ってこよう。」。リフト運転が終了して、温泉入って、メシ食ってゆっくり帰っても紅白ラスト4人を見ることができました。いやー、やはりスキーはこれくらい余裕でないとね。

 2日には、ナイキショップの福袋をゲットするために、朝早くから起き出して並びに行くのだったけど、おりしも前夜からの雪/雨で路面は厳しい凍結状態でした。そこかしこで事故っていて、身を引き締めてゆく。途中、鶴見川源流のそばを抜けていく峠道では、思った通りツルツル状態でスキー場よりも質が悪い。そんな苦労をしながらラ・フェット多摩に到着すると、駐車場へのなが〜い列がもうできているではないですか。やっとこ駐車場に放り込んでナイキショップへ駆け込むと、すでに長蛇の列。250個限定なのでちとやばいかと覚悟はしていたのだけど、寒い中並んだ甲斐あって入手。1万円でそこそこ満足のいくモノでした。サッカーボールも入ってたし。(笑)ただ、アディタスの福袋もちと気になりましたけど、心を鬼にして振り切りましたとも。

 冬休み、特筆すべきはこの程度かな・・・後は、まぁそんなこんなでゴロンゴロン。

 

 

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