「…はぁ……。」 溜息をつきながら,自分にあてがわれた机に伏している男。 警視庁の捜査一課に所属し,高校1年の江戸川コナンこと、工藤新一と同居している(実は恋人でもある),服部平次その人である。 彼は今,ひじょーに深い自己嫌悪にとらわれていた。 「なんで,忘れとったんやろ…。」 その原因は,3月14日ホワイトデーという、今日にあった。 「バレンタインデーがあるっちゅーことは,ホワイトデーもあるに決まるっとるやん…。」 そうなのだ。 バレンタインデーがあると言う事は,ホワイトデーもある。 他の国ではわからないが,少なくとも日本という国では,至極当然のしきたりである。 しかし。 事もあろうに。 忘れていたのだ,きっぱりと。めずらしい事に。 「どないしよ……。」 服部平次,一生の不覚であった。 ホワイトデーなるものに気付いたのは,今朝であった。 朝,新一よりも早く起きて,朝ご飯を準備するのは,平次の日課である。もちろんその代わり,夕ご飯を準備するのは,新一の日課であるけれど。 そして今日も平次は、何気なく準備をしながら,テレビを見ていた。 すると,テレビの女性アナウンサーが,にっこり笑って言ったのだ。 「今日は,3月14日!ホワイトデーですね!!」 それを聞いた瞬間,平次の頭の中は,真っ白になった。 ……ほわいとでー、やと?…ホワイトデー……て……。 その単語を、もう一度ゆっくりと呟いた瞬間,平次の顔から血の気が引いて行った。 「な,なんやてぇぇぇぇっ?!!」 そうだ,今日は,ほわいとでーに間違いない。 バレンタインデーに気持ちを伝えられた男性が,お返しをする日である。それなのに。 「忘れとった…。くどーに、なんも,買うてへん……。」 一ヶ月前,自分の身を危険にさらしてまで,チョコレートケーキを手にいれてくれた,新一に。 そのケーキを,バレンタインデーだからと,平次にくれた新一に。 「なんも,準備しとらんやないか……。」 まぁ,新一に正直に言えば,「いらねぇ」の一言で片付けられるのは目に見えているが。 ついでに言えば,「おまえがチョコレートケーキを欲しそうだったから,手に入れてやったんだ。断じて,すすんで手に入れたわけじゃねぇし,好んで贈ったわけじゃねぇ。」と言われるのもわかっているが。 ……せやけど,このまんまでいいワケない…。なんとかせんと…。 しかし。 今から急いでプレゼントを用意するというのも,何かおざなりな感じで気にくわない。 自分の気持ちを表すには,ふさわしくないような気がしてしまう。 かといって,無視を決め込みたくはないし,決め込むつもりもない。 ……どないしよ…。 結局,そこで,行き詰まってしまうのである。 やがて,伏していた机の上で,平次はあることを思いついた。 ……せや,なんも,別の日にやればええんや…。 そうだ。 ホワイトデーというのは,お菓子業界の戦略で決まっている日なのだから。 自分の気持ちを表すのに,その日にこだわる必要はないのだ。 ……簡単な事やん…。 そう思った瞬間,平次の気持ちは,一気に浮上した。 そして,代わりに,数々の‘極秘ホワイトデープラン’が,平次の頭に浮かんできた。 ……いつがええかな…。せや,今度の土曜日にしよか…。確かそん日は,工藤、帰りが遅いて言うてたしな…。次の日は,日曜やから,工藤は休みやし、ちょうど俺は非番やし♪…そうしよ。…で,土曜日は,早よ帰る準備して,花束用意して,ケーキも買うて,工藤の帰りを待っとって…。そんで…そやっ,夕飯の当番を代わってもらって,俺の豪勢な手料理を,工藤に振舞うんや!!したら,いくらあの工藤でも驚いて、そんで喜ぶやろ…。ひょっとして,感激の余り,俺の腕ん中に飛び込んでくるかもしれん…!! ―――そんなことあるわけないだろう。 だが,ともかく平次の頭の中では,完璧なホワイトデープランが出来あがっているらしい。伏していた机からあげた顔は,いかにも笑いが止まらないという感じの、緩みきった表情だった。 ……とりあえず,プレゼントの準備,せなアカンな♪ ―――まったくもって,幸せな男である。 そして,土曜日が,きた。 平次は,朝からいやに機嫌がいい。 それを見た新一は,顔をしかめながら聞いた。 「なんだよ,オメー…。」 しかし平次は,何を言われているのかわからず,にやけきった顔で聞き返した。 「あん?…何がや♪」 「なにがって…その…しまりのねぇ顔…。」 自分で気付かないのかと言わんばかりに新一が聞くと,平次はとっさに顔を引き締めて言った。 「そないなこと,ないで?」 「……。」 新一は,『またなにか企んでんな,こいつ…』と思いつつも,あえて黙っていることにした。たとえ何を言おうと,平次相手では,無駄に決まっている。 平次は,そんな新一の思いにはまったく気付かずに,残る問題を解決すべく話しかけた。 残る問題…それは,いかに自然に、新一と,夕飯の準備を代わらせてもらうかである。 「工藤,今日,何時に帰ってくるん?」 「ん?…んー,たぶん,9時には帰ってくると思う…。」 「…9時?ずいぶんおっそいなぁ…?なんの用事や?」 「あぁ,サッカー部の連中に,また助っ人頼まれてよ…。ワリィけど,今日は,夕飯,てきとーに済ませてくれねぇ?」 平次は,その新一の言葉を聞いて,飛び上がらんばかりに喜んだ。 ……な、なんやとっ!!めっちゃええタイミングやっ!! 渡りに船とは,この事だ。 平次は,また顔を引き締めると,いつもと変わらない口調を心がけながら,言った。 「ほならええわ,俺,今日の夕飯作っとく。」 「え…?いいのか…?」 「たまにはええやろ。その代わり,なるべく早よぉ帰って来ぃや?」 「…おう。さんきゅ,服部。」 新一はそう言うと,平次を見てにっこり笑った。 ……たまらんっ!!かわええっ!! そう思った平次が,我慢できなくなって,新一をぎゅっと抱きしめてしまったのも。 それをされた新一が,「朝からひっついてんじゃねぇ,ばーろぉ!」と平次を蹴り飛ばしたのも。 全て,いつもの朝と変わりない事だった。 ―――いつもこんな事やってるのか…? ともかく,平次の‘極秘ホワイトデープラン’も,ここまでは成功らしかった。 職場に行ってからも,平次の機嫌は最高であった。 それはもう,はたから見ていても一目瞭然である。 それに気付いた同僚数人は,こそこそと囁き合っていた。 「…今日の服部は,機嫌がいいな…。」 「いい事ですね。服部さんが元気なだけで,ここの雰囲気が明るくなります。」 「ああ,警視庁という場所を忘れそうなくらいにな…。」 「……。」 「あれはおそらく,彼女がらみか,コナン君がらみだ。」 「…そうですね。今日は早く帰れるように、気を使ってあげたほうがいいですね。」 平次にとっての彼女=コナン、である事などわからない彼らは,口々にそう言って,頷きあった。 平次のコナンに対する過保護ぶりは,そこまで有名なのである。 普段から,いかに「コナン,コナン」と騒いでいるのか,わかろうというものだ。 まあ,そういうワケで,たいていの周りの同僚達は,仕事を平次に押し付けないことで,無言のうちに了解しあっていた。 しかし,世の中には,そういうコトにまったく疎い人物というのも,何人かいる。 悲しいかな,今は一緒の職場で働いている高木刑事も,そのうちの1人だった。 彼は今日1日,平次の機嫌の良さなどにはまったく気付かなかったため、あろう事か終業時間になって,平次に仕事を頼んでしまったのである。 帰り支度を整えて,にこにこしていた平次にとっては,予想だにしないハプニングであった。 「…は?」 まともに聞き返した平次を拝むように,高木刑事は言った。 「頼むよ〜。今日,佐藤さんに,食事に誘われたんだ…。だから,この書類,代わってくれないかな…?」 「ん,んな事言うたかて,俺も、早よ帰らなアカンし…。」 平次は,ちらりと書類の束を見た。急げば,30分程度で終わりそうな量だ,が…。 「後で,ちゃんと埋め合わせするからさ。ね?」 「…せ、せやけど…。」 まあ,高木刑事の気持ちは,平次にはいたいほどよくわかる。 よくわかる,が,こちらにも,大切な用事が…。 どうやって断るか,と悩んでいる平次に向かって,高木刑事はすかさず「じゃ,頼んだよ♪」と,楽しそうに言い,去っていった。 そして,30分の書類束が,平次に与えられていった。 ―――この辺り,年の功である。 「…なんで,こうなんのや…。」 急いで仕事を仕上げた平次の,開口一番はまさしくこれだった。 「バレンタインデーも,そやったよな…。」 そうして,平次は,一ヶ月前の事に思いを馳せた。 あの時は確か,事件がらみで。 新一を人質にまでとられて。 ようやく解決した時には,かなりいい時間になっていたハズだ。 そう考えると,どうやら平次と新一の仲は,本気で神様に妬まれているらしい。 そう思った平次は,しかしすぐに,気持ちを切り替えた。 「いやっ!こんなんでめげとったらアカン!!これから先,くどーと愛を育んでいくための,試練やっ!!」 ―――ちがうと思う…。 ともかく,街の真ん中で,意味不明の叫び声をあげた刑事は,30分の時間を取り戻すべく,スピードを上げて歩き出した。 新一に豪勢な手料理を食べてもらうには,まず,材料から揃えなければならない。…当然の事だが。 そこで平次は,某巨大デパートの地下で,さまざまな食品を物色しはじめた。 「…これ,がええかな…。」 まるで,親の敵でも見るように,野菜一つ一つを吟味していた平次だったが。 そんな平次を,やはり,じっと見つめる子供がいた。 「…なんや?なんか,用か?」 平次は,その視線にふと気付くと,子供の方を向いて聞いた。 顔に,大きな眼鏡を掛けた,男の子だった。 ……なんや,工藤のちーさいころ,思い出すなあ…。 そう思うと,ついついかまってみたくなる。 平次は,そこにしゃがみこみ,子供に視線をあわせて,話しかけた。 「…どないしたん?」 「…別に。にーちゃんこそ、なにやってんだ…?」 その口調に,ついつい新一を想像してしまう自分に苦笑しながら,平次は答えた。 「俺か?買い物してんのや。なんや,用事ないなら,邪魔せんといてや?な?」 すると子供は,何を思ったか,ぎゅっと平次の服を掴んだ。 よく見ると,目には,いっぱいの涙をためている。 平次は,いやな予感を覚えた。 「…まさか,迷子か?ボウズ…。」 その単語を口にしたとたん,男の子の目から,大量の涙がぽろぽろとあふれてきた。大当たり,だったらしい。 それを見た平次は,慌てて子供を撫でて言った。 「わ、わーった!泣くんやない!にーちゃんが,今,ボウズのかーちゃん捜したるから…。」 心の片隅で,「手料理は,パスかもしれんな…。」と思いながら。 案の定というのかどうか。 子供の親が見つかった時には,すでに,‘豪勢な手料理’を諦めねばならない時間になっていた。 というのも、あの後,すぐにデパートの受付のところに走り,迷子である事を話して,男の子を預けようとしたのだが。 男の子は,平次に不思議なほどなついてしまい,平次が離れようとすると,泣き出してしまうのだ。 結局,母親が見つかるまで,デパートの従業員室で,男の子と戯れる羽目になってしまった。 母親には感謝され,男の子には笑って手を振ってもらえたものの、 だからと言って素直に喜べる事ではない。 平次は,少なからず落胆しながら,呟いた。 「…仕方あらへん。なんか、食いモン買うて帰ろ…。」 他にも,花束とか,ケーキとか、買うて帰るつもりやしな…。プレゼントは,準備してあるわけやし…。 手料理ができなくなったのは、かなり残念な事だったが,‘極秘ホワイトデープラン’の小道具は,まだいくつも残っている。 平次はそう思って気を取り直すと,花束を手に入れに,いそいそと歩き出した。 ―――だが,神様に妬まれているやつというのは,これだけでは済まないのだ。 気の毒な話しである。 平次が,急いで歩いていると、その先に人だかりができていた。 その傍には,なにやら,パトカー数台と,数人の刑事がいる。 彼らは,野次馬達を遠ざけながら,道の脇に建っている喫茶店を凝視して,何事かを囁きあっていた。 ……ナンや…? 平次は,そこにいる刑事が,全員同僚である事に気付いて,すぐに話しかけようとした。 しかし。 ……ちょお,待てや。これ以上,こんなんに関わっとったら…。 間違いなく,時間はなくなる。 それこそ,ケーキも花束も,怪しくなるに違いない。 だが。 平次は,そこで,慌てて首を振った。 同僚が働いているのを,見過ごすわけにはいかない。 それに,彼らが出ているという事は,自分に呼び出しがかかるのも,時間の問題だろう…。 平次はそう考えて自分を納得させると,その輪の中に入っていった。 …涙をのんで。 「ナンや,これ?何があってん?」 そう言って,手近な刑事に話しかけると,声をかけられた刑事は,服部の姿を見て,安堵したように言った。 「服部さん!!よかった,今,呼ぼうと思ってたんですよ!」 そのセリフを聞いて,辺りに散っていた刑事達が,平次の周りに近付いてきた。 「おお,服部!いや,よかった!」 「偶然通りかかったのか?!」 刑事達が,次々と声を掛けてくる事に不安を覚えた平次は,質問を無視して,聞き返した。 「…どないしたん?」 その言葉に,最初に声を掛けた刑事が,答えた。 「…実は,たてこもり,なんです。」 刑事が話すには,事件の発端は,亡くなった資産家の老人の遺書を公開するため,老人の持ち物であったこの喫茶店に、親戚一同が集まっていたこと、らしい。 ところが,その遺書の中に,老人の次男の名前がなかった。 金に困っていた彼は,腹を立て,持っていた拳銃を発砲して,親戚と共に閉じこもった,というわけだった。 どうやら,親戚一同に,財産を回すように脅迫しているらしいのだが…。 「…要求もなんも…。そんなん、説得すんの,めっちゃ難しいわ…。」 「はい,そうなんですけど……。」 そこまでいって,言いづらそうにしている刑事の隣から、年上の刑事が出てきて,言った。 「服部。今日,コナン君,何をしてる?」 その質問に,平次は,一瞬,心臓が止まりそうになった。 「…何,て…。ガッコに…。」 「今も,か?」 「……なんです?なんぞ,ありました…?」 平次は,震えそうになる声を,必死で押さえながら聞き返した。 この話の展開の仕方は…。 「…あそこの店に閉じ込められてる人の中に,コナンくんがいるように思えるんだ。」 「……!!」 余りにも予想した通りの言葉に,平次は,息が詰まるのを感じた。 「たまに,2階の窓から,あそこにいる人達の顔が見えるんだが…。どうも,その中の一人が,コナン君に似ているんだよ…。」 平次は,それだけ聞かされると,黙って店の2階を見上げた。 すると,いいタイミングで,ひょっこりと1人の顔が現れた。 「…くど…コナン…!!」 平次はそこに,間違いなく,新一の姿を認めた。 平次がそれだけを言うと,辺りには,今まで以上に緊迫した空気が流れ出す。 「やっぱりそうか…!!」「どうします…?!」 しかし,周りの言葉は,平次には聞こえて来なかった。 その代わり,どうしようもない焦りが,平次の心を占めていく。 ……今日,ガッコやて,サッカーやて,言うてたやんか…!ったく,人の心配も知らんと…っ!! だが,今はそんな事を言っている場合ではない。 平次は,大きく深呼吸すると,自分を落ち着かせた。 そして,刑事達に向かってこう言った。 「コナンは,ただ捕まっとるよぉな奴やない。なんとか連絡とれんか,やってみますわ。」 「…そうしてくれ。」 先輩の刑事の言葉に頷くと,平次は携帯電話を取り出した。 だが。 ここで,ヘタに電話などを鳴らしたら,新一の立場が危うくなるのではなかろうか。 いや,新一だけでなく,中の人全ての…。 そう思って,平次が一瞬ためらった、その時だった。 平次の手に握られた携帯電話が,鳴り出したのだ。 着信履歴を見ると…工藤新一。 平次は,何も言わず,電話を通話状態にした。 「もしもし?!くど……。」 平次が思わず‘工藤’と言ってしまうその前に,電話から,有無を言わせない新一の声が聞こえてきた。 「おっそおおおおおおいっ!!!」 いきなりの新一の反応に,平次があ然としていると,それにお構いナシの電話の相手は,続けて言い放った。 「なぁにやってたんだよっ!!来んの,おせーんだよっ!!」 その言葉に平次は,条件反射的に謝りそうになって,ふと,思いとどまった。 …ちょお待てや。なんで俺が,怒られなあかんねん…。 そう思うと,ふつふつと怒りがわいてくる。 平次は,大きく深呼吸すると,新一に向かって話しかけた。 「あんな?ちょお待てや,お前…?なんで俺が怒られなあかんのや…?そもそも,今日,サッカーの助っ人って言うとらんかったか…?なしてそこにおんのや…?」 「そっ,それはっ……,あ、後で話す…。…それよりっ!…待ってたんだよ,オメーが来んの…。そうすれば,なんとかなるかもしれねぇって思ったから…。」 新一の言葉に,平次は微かに笑うと,続けて聞いた。 「待ってた…て,俺を、か…?」 「…そうだよ,ワリィかよっ!!」 「悪いわけあらへん♪そうかぁ,くど…コナンも……。」 そこからの会話を果てしなく脱線させていきそうな平次に向かって,慌てて新一は言った。 「わーかったから!その話しは,後でしようぜ…。それより,今,時間ねーんだ…。」 新一の言葉に,平次も,慌てて現実に戻った。 「…せやったな,悪い。ほんで?今,電話しとって,平気なんか…?」 「…トイレからかけてる。トイレに行くって言えば,犯人の前から抜けられんだ。といっても,5分以内に戻らねーと,誰かを撃つって脅されてんだけどよ…。」 「…縛られたり,とかは?」 「誰もしてねーよ。ただ,今も言った通り。誰か一人でも欠けたら,その分,残ってる人間を撃ち殺すって言ってやがる…。」 撃つ,という言葉に微かに顔をしかめながら,平次は続けて聞いた。 「…閉じ込められとる人数は?」 「犯人を除いて,犯人の兄弟3人と,その夫・妻会わせて3人。それと,長男の子供一人に,俺一人。合わせて8人だな。」 冷静に伝える新一の声。 平次は,それに少しだけ安堵した。差し迫った危険はなさそうだと。 だからと言って、早く助けたいという焦りは,もちろん消えないが。 そして、その気持ちの表れでもある,具体的な平次の言葉が,新一に届いた。 「ほか…どや?突入,出来そうか?」 その平次の気持ちを知ってか知らずか、またも新一は,冷静に分析をした。 「出来ねぇ事はねぇかもな…。犯人は、階段を上ってすぐのところに立ってるから…。ただ,安全とは言えねぇ。何しろ,拳銃を持ってるだろ。発砲されたら,終わりだからな。」 「そか…。」 「でさー…服部…?」 「あぁ?」 「拳銃,俺が何とかするってのは…だめか?」 平次は,恐れていた言葉が聞こえてきた事に,更なる焦りを覚えた。 そしてすぐに,新一の言葉を拒否した。 「く…コナン、なに言うとる…!!」 しかし,そんな平次の反応をすでに想像していた新一は,説得するように言い募った。 「それしか方法がねーんだよ,わかるだろ。俺なら,大丈夫だから…。」 「……。」 「…いいか?携帯,いれっぱなしにしておいてくれ。で,中の様子を確認しながら,タイミングを見計らって突入してほしーんだ…。」 「…せやけど……。」 「…オメーにしか,頼めねーんだよ…。」 「……。」 平次は,しばらくの間何も言わず考え込んでいた。 しかし、やがて意を決したように,新一に告げる。 「…わぁった。好きにしぃ。こっちは頼まれたる。」 「…サンキュー,服部…。」 「その代わり、ええかっ!…ケガなんぞしおったら,許さへんからなっ…!!」 「…わかってる。頼りに,してっから…。」 新一はそれだけ言うと,そろそろ時間だから,と平次に告げて,犯人のそばに戻った。 携帯を,通話状態にしたまま。 「ねぇ,おじさん?」 犯人の元に戻った新一は,少しの間を置いて,犯人に話しかけた。 高校生と言うよりは,更に幼い子供のような言葉遣いで。 しかし,それが犯人を安心させたらしい。 犯人は,特に身構えるでもなく,聞き返した。 「…なんだ?」 「あのねぇ,僕のお兄さん,刑事なんだ。今,外にいるんだよ。」 「……なんだと?」 とたんに,犯人の目の色が変わる。 新一は,あえてそれに気付かないフリをして,言った。 「どの人だか,教えてあげようか?」 そう言って,窓際に犯人を誘い出す。 犯人は,何も考えずに,その傍に寄って来た。 そして,新一にに目線を合わせずに,窓の外を覗きながら,聞いた。 「…どいつだ?」 「うーんと,あれ,見える?あのね……。」 新一は,自分の指を窓の外に向けて,‘お兄さん’とやらを教えるフリをしながら,そっと呟いた。 「…こんなことしても,何も解決しないぜ。おっさん。」 その言葉に驚いた犯人は,無防備なまま新一を見た。 新一はその隙を逃さず,一瞬のうちに犯人の拳銃を蹴り上げる。 やがて宙を舞った拳銃は,窓ガラスを派手に割って,窓の外に飛び出した。 すぐに,異変を悟った刑事達が,騒ぎながら喫茶店に突入してくる。 「このガキ…!!!」 新一に計られたと知って、怒りに燃えた犯人は,新一にすかさず掴みかかって,その体を床に蹴倒した。 いきなりの衝撃に,新一は,一瞬身動きが取れなくなる。 犯人は,そのまま,新一の首に手をかけると,容赦なく締め付けてきた。 「…!…は…っと……!!」 首を締められて声の出ない新一が,わずかに抵抗を見せながら,最も頼れる人物の名前を呼ぼうとすると。 その名前の主は,突然現れて,大声で犯人を威嚇した。 「貴っ様…コナンに,何しとんのやっ!!!」 そして,言うが早いか,犯人に殴りかかっていく。 慌てた犯人は,すぐにコナンの首から手を離して逃れようとしたが,逃れられるものではなかった。 あっさりとその顎に,平次の拳が決まる。 当然のことながら,犯人は,即座に気を失った。 しかし,平次は,そんな犯人を放り出すと,慌ててコナンを抱き起こして,言った。 「だいじょぶか,コナンっ!!」 新一は,血相を変えて聞いてくる平次に苦笑しながら,その腕に凭れて,言った。 「…へーき,だって…。…オメー,突入すんの,早いじゃねーか…。一番に,入って,きやがって…。」 「…あん?そんなん,当たり前や。階段の下に潜んどったからな。」 ほかの奴らと一緒になんて,待っとれんわ…。 平次はそう言うと,新一を抱きしめながら,安心させるように笑顔を向けた。 そのまま事情聴取やら,何やらと時間を取られて,結局二人がマンションに帰りついたのは,夜の10時頃だった。 「はー…つっかれたよなー…。」 新一は,いかにもだるいと言わんばかりに,ソファーに身を沈めたが,平次は,あえて何も話しかけなかった。 むしろ,自分が怒っていることを強調するかのように,難しい表情を崩さない。 それを知った新一は,溜息をつきながら,話しかけた。 「あのよー…。…怒ってんのか?服部…。」 「当たり前やん。」 即座に,返事が返ってきた。 「なんで,あんな嘘ついてん…?ガッコにいる,なんて…。なして,あそこにいたんや…?」 半端な答えは,許さへんで,という平次の無言の声が伝わってくる。 新一は,またも溜息をついて,素直に答えた。 「…だから,悪かったって…。…あそこにさ,長男の息子が,一人だけいたろ?あれ,俺の同級生なんだ。」 「…ああ,一緒に閉じ込められとった?」 「そ。…実を言うと,あいつに頼まれたんだ。暗号めいた事を言ってから亡くなった、じいちゃんの遺書を探してくれって。」 「せやったら,なんで,最初に俺に言わんかったん?」 「…だから…たいしたことじゃねぇと思ったし…。それに,お前が,また心配すると…思って…。」 人の家に行って遺書探しをやる,なんて言ったら,お前,仕事を早帰りしてでも,付いてくるって言いそうだろ…。 そう言いながらうつむく新一に向かって,平次は,そっと微笑んだ。 「…せやけど。ホンマの事,言うてくれんかったら,意味ないやろ。」 「…だから,悪かったよ…。」 平次は,そんな新一の隣に座ると,抱き寄せて言った。 「…こん次からは、ナシやで?」 「…うん。ごめん…。」 いつになく素直に謝る新一に,平次は笑いかけると,抱きしめる手を離して言った。 「実は俺もな…謝らなあかんねん。」 「…何を…?」 「…俺,お返し,せんかったやろ?」 「…なんの。」 「バレンタインデーの。」 「……は……?」 新一は,まるで言われている意味がわからないという顔をすると,まともに平次の顔を覗きこんだ。 平次は,その新一の視線に苦笑しながら,囁くように言った。 「チョコレートケーキの,お返し。ホワイトデー。してへんやろ?」 新一は,その言葉の意味を理解するや否や,顔を真っ赤にして,怒鳴った。 「いらねぇっ!!」 「そう言うと思ったわ…。」 「第一,あの時は,おまえがチョコレートケーキを欲しそうだったから,手に入れてやったんだ!断じて,すすんで手に入れたわけじゃねぇし,好んで贈ったわけじゃねぇ!!」 平次は,余りにも予想通りな新一の台詞に,一瞬言葉を失った。 しかし,そのうち我慢できなくなり,はじける様に笑い出した。 「な…なに笑ってんだよっ!!」 新一は,平次のその様子がますます面白くないらしく,本気で怒り出している。 平次は,涙を流しながらひとしきり笑うと,そんな新一をなだめるべく,その頭を撫でながら言った。 「いや…すまんすまん。工藤の反応が…予想通りで…!」 「…ったく!!」 新一は,顔を真っ赤にしながら怒りつづけている。 が,頭を撫でている平次の手は,振り払おうとはしなかった。 平次は,それを知って満足げに微笑むと,新一に言った。 「せやけどな…ホンマは,今日,お返ししよて思てたんや…。」 平次はそう言いながら,今日1日あった事を,全て新一に話した。 一通り話し終えた所で,平次は,「そうや」と言って立ちあがる。 新一が何事かと思って見ていると,やがて,小さな包みを持って現れた。 「これ,やるわ。」 「……なんだよ,これ……?」 「開けてみ。」 新一が,平次に促されるまま開けた,包みの中身は…帽子だった。 「…これ…?」 きょとんとしている新一に向かって,平次は恥ずかしそうに言った。 「結局,ホワイトデーは,これしか残らんかったわ。せやけど,外に出る時は,そろそろ帽子かぶった方がええんちゃうか,て思てな…。」 「…どうしてだよ……。」 不思議そうに問い掛けてくる新一に向かって,平次は,真剣な顔で言い聞かせた。 「どうして,て…。…最近,お前,‘工藤新一’に戻りつつあるやろ…。せやから、そろそろ,組織の連中の目ぇも,警戒した方がええ。‘江戸川コナン’が,いつまで通用するか,わからへんしな…。」 平次は,そこまで言うと, …まあ,そんなに意識する事もないケドな。 と付け足して,安心させるように笑いかけた。 新一は,そんな平次の言葉に,何事か考え込むような顔をしたが,すぐに,ポツリと呟いた。 「服部…。」 「なんや…?」 「…さんきゅ、な…。」 心からの,感謝。 それが,充分に感じられる呟きだった。 平次は,少しだけ目を丸くした後,すぐににっこりと笑って言った。 「そう言うてもらえれば,苦労したかいがあったわ♪」 「…ん……。」 しかし,そこで止めておけばよいのに,その後,ついいたずら心を起してしまうのが,服部平次という男の特徴である。 平次は,新一の頭をそっと引き寄せると,耳元で,意地悪く言った。 「できれば、態度で示してもらえると,めっちゃ嬉しいんやけどなぁ…?」 平次の言葉に,またも顔を赤く染めた新一は,手元にあった枕をぶつけて,大声で言い放った。 「ふっっざけてんじゃねえ,ばーろぉっ!!!」 「俺は,めっちゃ本気やで♪」 「〜〜〜〜!!」 しかし,この後の新一の行動は,平次にとっても意外なものだった。 まさか,本気で,態度で示すとは,思ってもいなかったのだから。 態度で示す…つまり。 なにを思ったのか新一は,いきなり目を瞑ると,平次の頬に,自分の唇を押し当ててきたのである。 「………!!!………」 平次が,驚きのあまり固まっていると,新一は,吐き捨てるように言った。 「きょうだけ、とくべつ,だからなっ!!」 まあ,かたちだけは‘キス’かもしれないが。 どう考えてもあれは‘押し付けた’ようにしか思えない。 …そうは言っても,新一からの‘キス’である。 平次は,その事実を,時間をかけて受け入れると,やおら新一を抱きしめて,言った。 「かわええ,工藤♪」 「かわいい言うなっ!!」 「ホンマ,かわええ♪…できたら,もっぺん,してくれん?」 「こんの…変態っ!!!」 そう言って,平次の腕から逃れようと抵抗を試みた新一であったが。 やがて無駄だとわかると,ぶつぶつと文句を言いながらも,おとなしくその腕に納まった。 平次は,そんな新一をぎゅっと抱きしめながら, …妬む神あれば,応援する神もあるんやな♪ と,まったく意味のない考えに浸っていた。 ======fin |
written by もえ
またまた長くなってすいません・・・