桜が,ゆっくりと散っていく,春。 新しい環境でのスタートに,胸を躍らせる人達で溢れかえる四月。 めでたく,帝丹高校という,かつて工藤新一として通っていた高校に入学を果たした江戸川コナンは,その桜を眺めながら,そっと呟いた。 「…そっか。もう,3年経ったのか…あれから…。」 あれから。 それは,服部平次と,同居をはじめてから。 「コナンくーん,電話よー?」 「はーいっ!!」 毛利小五郎探偵事務所に居候して,すでに6年が経過していた,三月の末。 つまり、四月から,中学1年となる江戸川コナンは,蘭のその台詞を聞いて,急いで電話に向かった。 「蘭ねーちゃん,誰から?」 「ん?ええと,服部君からよ?」 「……へーじにーちゃん?」 「そう。相変わらず,仲いいのね。」 蘭の,嬉しそうな言葉に,思わずコナンは溜息をついた。 ……仲いい、か・・・…。 外見も中身も同い年であれば,そんな蘭の言葉も気にならないが。 そして,中身だけを取れば,自分と服部は間違いなく‘悪友’なのだが。 ……へーじ、にーちゃん,だもんなー…。 コナンは,‘にーちゃん’という言葉に,もう一つだけ溜息をつくと,保留になっている受話器に手を伸ばした。 「…もしもし?」 「おーっ,工藤かー?元気しとったか〜?」 コナンの一言だけで,受話器からは,とんでもなく元気な声が返ってきた。 「…何か用か,服部・・・…。」 「つれないやっちゃなー。お前が暇しとるんやないか思て,電話したったんやろ。」 「…だったら,ケータイに掛けろよ。」 そう言いながら,コナンは,電話機を子機に変えて,自分にあてがわれている部屋にこもった。 ‘工藤新一’になってしまう服部との会話を,蘭や小五郎に聞かれたくないからである。 「すまんすまん。」 少しも悪びれない様子の平次に,コナンはまたもや溜息をついて、 「…ったく……。」と呟いた。 平次は,そんなコナンの呟きをものともせずに,言葉を続けた。 「ま,そう言うなて。せっかく,ええ話教えたろて思うたのに。」 「…いい話?」 コナンは,そう言われると,思わず真剣な表情になってしまう。 平次が持ってきたいい話、となると。 難解な事件だとか,てこずっているトリックの話である可能性が高いからだ。 現に,今回もそうだと思ったコナンは,すぐに顔を引き締めて,平次に続きを促した。 「なんだよ,いい話って…。」 だが,その期待は,すぐに崩れ去る事になる。 「あんな,今,俺,どこから電話しとると思う?」 「…は?……どこって,大阪のうち,だろ?」 「ちゃうんや。今,東京やねん。」 「……はぁ?」 平次の言いたいことがイマイチわからずに,コナンは首をかしげた。 平次は,そんなコナンの反応を楽しむかのように,笑って言った。 「オレな,四月から,警視庁に勤める事になってん♪よろしゅうな♪」 「……はぁぁぁぁ〜〜?」 初耳だった。 大阪の大学を出た平次から,「刑事になる」という言葉は聞かされていたが。 警視庁に来るとは,一言も聞いていない。 それに。 「……それのどこが,イイハナシなんだよ……。」 唸るように言ったコナンを気にも止めずに,平次は言いつづけた。 「ええハナシやん。これからずっと,近くに居んねんで?」 「だから〜っ,それのどこが……。」 イイハナシなんだよ,とやや大きめの声を出そうとした時、だった。 コナンは,急に喉に異物感を感じて,咳き込んでしまった。 「…ごほっ、ごほ……。」 「…なんや,風邪でもひいたん?」 心配そうに声をかけてくる平次に,コナンは苦笑して返事をした。 「いや…そーいうんじゃねーケド。なんか最近,喉がさ……。」 「…咳がでるん?」 「ああ。やっぱ,風邪かなー。」 「……工藤。お前……。」 そんなコナンの様子に,改まって平次が声を掛けようとすると。 ちょうど同じタイミングで,コナンを呼ぶ蘭の声が,聞こえてきた。 「コナンくーん?ご飯よー?」 「あ…はーいっ!!」 コナンは、蘭の言葉に返事をすると,受話器の向こうの平次に向かって言った。 「じゃあな,服部。近いんだったら,また後でな。」 「あ、おい,工藤!!」 すぐに電話を切ろうとするコナンに向かって,平次は慌てて言った。 「うちの場所教えとくわ!…それとな,何かあったら,すぐ電話よこしや?ええな?!」 「…何かって,ナニがあんだよ……。」 「いろいろや!ええか,ちゃんと,メモっとけや?!」 「…ったく,わぁったよ……。」 平次の強引な言葉に,コナンは面倒くさそうにメモをとると, 「じゃあな」と言って,すぐに通話を切った。 そして,夕飯の用意されている部屋に向かいながら,ふと,呟いた。 「…あいつ,大阪で刑事になるんじゃねぇんだな…。」 6年前から変わらない事だが。 コナンと蘭と小五郎の三人は,必ず夕食を一緒にとっている。 もちろん,一緒にとると決めているわけではなく,別々に食べる理由がないだけなのだが。 今日も,いつもと変わらずに,3人は一緒に食卓を囲んでいた。 「コナン君。服部君,なんて?」 「え?……ああ,へーじにーちゃん,四月から,警視庁に勤めるんだって。こっちに来たからって,それだけ。」 コナンは,蘭にそう答えると,ご飯に箸を伸ばした。 しかし,それを聞いた蘭と小五郎は,少なからず驚いたらしい。 2人で目を丸くすると,交互に言ってきた。 「えっ…?服部君,大阪で刑事になるんじゃないの?」 「…なんだってまた,警視庁なんかに来やがったんだ?」 疑問は最もだと思うが,コナンも,詳しい理由を聞いたわけではない。 2人と同じように首をかしげながら, 「僕も,詳しい話は聞いてないんだ。」としか,言えなかった。 「そう。じゃあ,それを言いたくて,コナン君に電話してきたのね?」 「そうみたいだよ。だからさ,住んでるところを……。」 教えてもらったんだ…と,コナンは,蘭に答えようとした。 ……が,それを最後まで言う事は出来なかった。 またもや,喉が詰まり,声が出ずに咳き込んでしまったからである。 「……ごほっ!…ごほ,ごほっ……。」 「ちょっと,コナン君,大丈夫?最近,よく咳き込むわよね?」 「風邪でもひいたんじゃねぇのか?」 コナンは,心配そうに覗きこんでくる蘭と小五郎に笑いかけると,うまく出ない声を絞り出すように言った。 「そんなじゃない,から,大丈夫……。」 その声は,喉が詰まっているせいか,いつもよりも低めの声で。 それを聞いた蘭は,一瞬動きを止めて,戸惑ったような様子を見せた。 そして,恐る恐ると言う感じで,コナンに声を掛けてきた。 「コナン君て……。」 「なぁに?蘭…ねーちゃ……。」 「……似てきたわね,新一に……。」 「……え?……」 蘭のいきなりの言葉に,コナンは驚いて,箸の動きを止めた。 だが、幸いにも,蘭はそんなコナンを不思議には思わなかったらしく,続けて言った。 「最近,そう思ってたんだけど。体格とか,しぐさとか,さっきの声とか……。ほんと,そっくり。」 蘭がそう言うと,小五郎もまじまじとコナンを見て,言った。 「そういや,そうだなぁ……。」 「ね?そう思うでしょ?」 ふたりの,その視線に耐えかねたコナンは、すぐに答えた。 「そ,それは,ほら,僕,新一にーちゃんと,遠い親戚だから…!」 それを聞いた蘭は,その言葉にほっとしたように微笑んだ。 「…そうよね。親戚って,似るって言うし…。」 そして小五郎は,その事について特別気にもしていなかったのだろう、自分の箸を動かしたまま言った。 「あぁ、そういや、遠いほど似るってぇ話も,聞いたことあったっけなぁ。」 ……今まで何度も言ってきたけど,今回も,なんとかごまかせそうだな。 そう思ったコナンは,二人に気付かれないように,そっと溜息をついた。 ……似るも何も,本人なんだからよー…。 思わず,そう呟きたくなってしまうが,もちろん,そう言ってしまうわけにはいかない。 似ているのは当然だが,気付かれるのは困るのだ。 しかし、そんなコナンの気持ちを知らない蘭は,同じような溜息をつきながら,ぽつりと呟いた。 「…ほーんと,なにやってるのかしら,アイツ……。最近,連絡すら寄越さないんだから…。」 コナンの動きを止めるには,充分な言葉だった。 それから,数日後。 3月が終わり,4月に入ると,新年度がスタートした。 コナン達学生は,未だ春休みの最中であるが,学生を卒業した人達は,社会人としての第一歩を踏み出す時である。 3月に,大学を卒業した平次や蘭なども,もちろんその中に入る。 刑事になった平次同様,蘭も,新しい環境でOL1年生としての1歩を踏み出していたのだ。 しかし、そんな二人の姿を見ていると,コナンの中には,どうしてもやりきれない気持ちが募っていく。 本当ならば,自分も…と,考えてしまうのだ。 そのため、暇を持て余す春休みの最中だけは,極力,探偵事務所にいないようにしていた。 そんなコナンに,阿笠博士から電話があったのは,4月に入って最初の土曜日の朝だった。 「哀君がな,君に話があるそうなんじゃ。」 「…灰原が?…例の,薬の事か?完成したのか?!」 「……とりあえず,わしの家に来れんか。」 いつになく歯切れの悪い阿笠博士の言葉に,コナンは顔をしかめた。 「…なんだよ…イイコトじゃないのかよ……。」 「…ともかく,会って話した方がええじゃろ。待っとるから,早く来てくれよ。」 「…ああ……わぁった……。」 ……なんだってんだよ……。 灰原の話であれば,ほぼ99%間違いなく,この体と薬の話だ。 ということは,解毒薬が出来たとか,そういう話ではないのだろうか? しかし,薬が出来たのなら,阿笠博士の言葉は,もっと明るいものでもいいはずだ。 なのに,さっきの博士の言葉は,ひどく言いづらい話をするような言い方だった。 ということは,何か,よくない事でもあるのだろうか…。 ……考えててもしゃあねぇな。行ってみっか……。 そう思ったコナンは,社会人として初めての休日でのんびりしている蘭に、出かける旨を伝えて,探偵事務所を後にした。 ―――不安な気持ちを抱えたまま。 コナンが阿笠博士の家に着くと。 そこには,悲しげな面持ちをした博士がいた。 だが、哀は,博士とは対照的に,全く冷静な表情でコナンを迎え入れる。 そして,自分の向かい合わせのソファーに座るようにすすめると,待ちかねたように,話を始めた。 「単刀直入に言うわ,江戸川君。…いいえ,工藤君のほうがいいかしら?」 「…んだよ。そんなのどっちでもかまわねーから,さっさと話ってのを聞かせろよ…。」 少し苛立っているようなコナンの様子を,しばらく見つめていた哀は,やがて静かに口を開いた。 「…出来たのよ。薬が。あなたと私のこの体の,解毒薬がね。」 「……ほんとか?!!」 それを聞いたコナンは,喜びよりも先に,驚きの表情をした。 そして,ゆっくりと喜びの表情を浮かべようとすると,鋭く哀に止められた。 「…待って。喜ぶのは,はやいの。」 「…なんでだよ……。」 そういうコナンの表情は,哀に向かって疑問をぶつけるものではなかった。むしろ,確認するものに近い。 それはつまり。 コナンとしても,覚悟しているということだろう……薬の副作用を。 きっと,長年,覚悟しつづけてきた事なのだ。 そう悟った哀は,間を置かずに話し始めた。 「…いい?この解毒薬は,完璧よ。副作用の恐れも,大きくはない。これから,いくら時間をかけて研究しても,これ以上のものは作れないって、断言できるわ。…でもね,2つだけ,覚悟して欲しい事があるの。」 「…なんだよ……。」 そう言ったコナンの視線は,哀からそれる事はない。 それを充分に受けとめた上で,哀は話を続けた。 「1つ目は…。…この薬を使って体を治したとしても,体が,いつの頃に戻るのか,わからないって事よ。」 「……どういうコトだ?」 「つまり、この解毒薬を使ったとき。あなたが,あなたのお友達と同じ,本当のあなたの体になるか。それとも,それよりもずっと手前で成長が止まってしまうか。あるいは……薬を飲まされた時点の体にもどってしまうのか。それが,全くわからないのよ…。」 「…あんだと?」 哀の言っている事は,要するに、コナンの体が何歳のものになるのかわからないと言う事だ。 平次や蘭と同じ年のものになるのか。 その手前の,何歳かのものになるのか。 …あるいは,毒を飲まされた高校2年生当時のものになるのか。 「……ちょっと待てよ…。毒を飲まされた時点って…。…そんなの,解毒薬を飲むより,成長した方が早いぜ…?」 すでに,あれから6年たっている。 あと4年もすれば,飲まされた当時の年齢に戻るのだ。 そのコナンの言葉に,哀も素直に頷いた。 「そうね。その通りよ。そうなると,薬を使う意味がなくなってしまうし、わざわざ副作用の恐れのある解毒薬を,飲む必要はないわ。…だけど悪い事に,覚悟して欲しい事は,それだけじゃないの。言ったでしょう?2つあるって…。」 「…なんだよ,あと1つって…。」 落ちこみながら,それでも哀を見つめつづけるコナンを,哀も真正面から見つめると、言った。 「たとえ,あなたが運良く,本当の年齢の体に戻れたとしても……。」 「…戻れても?」 「……あなたの‘ばしょ’は、どこに、あるの……?」 「……なんだって……?」 何を言われているのか全くわからないコナンは,まともに哀に聞き返した。 それを知った上で,哀は,あえて容赦のない言葉で言いつづけた。 「あなたの,居場所,よ。……工藤新一がいなくなって,もう6年がたったのよ?あなたと同い年のお友達は,今,何をしているの?高校を卒業して,大学に行っていたり,社会人になっていたり…。それぞれ,新しい道が出来てしまっているのよ。…なのに,あなたは,この6年間,過去の復習しか出来なかった。あなた自身の新しい道を,探す事は出来なかった…。」 「……!…それは…っ!」 「いまさら工藤新一に戻って,それでもあなたを待っていてくれるものは,一体,なんなの…?」 「………」 そう言われたコナンの脳裏には,一瞬,二つの顔が浮かび上がった。 未だに帰りを信じて待っていてくれる毛利蘭と。 工藤と呼ぶ事を辞めようとしない服部平次。 だが。 それ以外に,‘工藤新一’の居場所が,あるだろうか…? 6年も経ってしまえば,‘工藤新一’よりも,‘江戸川コナン’が求められる方が,多くなってしまう。 むしろ、‘江戸川コナン’の居場所の方が,あって当たり前なのだ。 そして。今の哀の話しからすれば。 悪い事に,‘工藤新一’に戻れる保証もない。 もし,中途半端な体になってしまって,‘工藤新一’にも‘江戸川コナン’にもなれなかったら,それこそ居場所も何もなくなってしまうだろう。 しかし。それでも。 自分の中にある‘工藤新一’は,‘工藤新一である事’を求めてしまう…。 ‘工藤新一’を望む気持ちを,抑えられない…。 だけど……。 はたから見ても,悩み続けているとわかるコナンに向かって,哀は,そっと聞いた。 「…どうするの,江戸川君?…いえ,工藤君?この薬,使ってみる…?」 迷いを許さないような哀の声に,コナンは,かすれる声で呟いた。 「…少しだけ…待って,くれ……。…時間が,欲しい……。」 「……わかったわ……。」 哀はコナンの言葉に,それだけを答えると,あとは何も言わずに,その部屋を出て行った。 二人の様子を黙ってみていた阿笠博士は,肩を落としてうなだれるコナンに近付くと,そっと声を掛けた。 「…新一…。…ワシも,なんと言ったらいいのかわからんが……。」 だがコナンは,博士の言葉を,片手を上げてさえぎると,独り言のように呟いた。 「…わりぃ,博士…。今は,ちょっと,一人にしてくれねぇか…。」 「…そうじゃな……。」 博士は,そんなコナンにかける言葉など見当たるはずもなく,黙ってその部屋を出て行った。 やがて一人になったコナンは,ゆっくりと立ちあがると,玄関に向かって歩き出した。 そして,ドアノブに手をかけて,ゆっくりと押し開けた。 急に射し込んだ外の光にもなにも感じないコナンの心には,一つの目的しか浮かんでいなかったのだ。 ……家に,いかねぇと……。 なぜか,‘工藤新一’の家に,帰りたかった。 工藤新一の家は,何も変わっていない。 門の扉も,家自体も,6年前と同じように,家主の帰りをずっと待ちつづけている。 コナンは,重い足取りで門の扉を開けると,鍵がかかったままの玄関に座りこんだ。 「…なっさけねー…。家にも,入れねーのかよ…。」 家の鍵は確か,博士に預けたままだ。 当然の事ながら,その鍵を預かってこなければ,家の扉は開けられない。 だが,そんな鍵がどうであるかより,扉を開けられない事で,家にさえ‘工藤新一’を否定されたような気持ちにになってしまう。 コナンはそう思って,かすかに笑うと,そこにころりと横になった。 「…どうすっかなー…。」 コナンを選ぶか,工藤新一を選ぶか。 「…って言っても,工藤新一に戻れる保証はねーんだケドな…。」 そう思ったとき,コナンの脳裏に,またあの二人の顔が浮かんできた。 「なんて言うかな,アイツら…。」 今でも新一の帰りを待っている,蘭はなんというだろう。 そして。 「なにかあったら,連絡寄越せ」と言った平次は,なんと言うだろう……。 そこで,コナンは,ふと気がついた。 「…そういや服部,なにかあったらって言ってたよな…。これって‘なにか’に入んじゃねーのか…。」 正直なところ,何かきっかけがないと,この事をきちんと考えられそうにない。 気持ちも思考も,前向きにならないのだ。 だが、平次と話せば,たとえくだらない話でも,気分転換になりそうな気がする。 この事を説明しなくても。 そう思ったコナンは,携帯電話を取り出すと,服部の家にかけた。 「…アイツ,今,家に居んのかなー…。」 コナンがそう呟くのと同じくらいに。 コール音が2回なり終わった受話器の向こうから,聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「もしもし?」 コナンは,それを聞いただけで,なぜか安心してしまった。 そして,同時に,平次の声にすら,すぐに答えられなくなっている自分に気がついた。 「もしもし?…だれや?」 応答のないのを不審に思った平次は,もう一度だけこちらに問い掛けてきて。 そしてすぐに,断定するように言った。 「…工藤か?工藤やろ?なんや,めっずらしいなあ,お前が電話くれるやなんて♪」 能天気に電話の相手を決めつけて。 …しかもそれが当たっているとは。 コナンは,驚きと喜びがない交ぜになった表情をしながら,それでも声だけはぶっきらぼうに,言い返した。 「…たまにはな。オメー,暇なんじゃねーかと思ってよ…。」 「おう,やっと暇になったとこや♪ここんとこ毎日歓迎会で,大変だったわ♪」 「…オメーの腕の見せ所じゃねーか…。」 「あほ言うなや。歓迎されて早々に,見せてどうすんねん。とりあえず今回は,おとなしく歓迎されとかなあかんやろ♪」 …そうは言うても,2〜3人つぶしたけどな。 そう言って笑う平次の声を聞くと,コナンの顔にも自然と笑みが浮かんできた。 「オメーは,さ……。」 「おう,なんや?」 「ん…いや……なんでも,ねえ…。ワリィ…。」 平次になにかを聞こうとして…でも,何を聞いたらいいのか,何を聞くつもりだったのかもわからない。 コナンは,全く役に立たなくなってる自分の思考回路に,自嘲した。 だが,そんなコナンの様子を敏感に感じ取った平次は,すぐに聞き返した。 「…なんや,どしたん?工藤?」 「…あ……?」 「何があったん?」 しかし,そんな平次の問いかけに,素直に答えられるわけがない。 …と言うか,なんと答えたらいいのかわからない。 コナンはそう思って,即座に否定の言葉を口にした。 「…別に。なんも,ねーよ…。」 「嘘ついたらアカンで。言うてみ,お前が考えとること。」 平次は,コナンから,その言葉が帰ってくるのを予想していたらしく,すぐに問い返してきた。 コナンは,余りにも敏感で,気の効き過ぎる平次に苦笑すると,努めて明るく言った。 「なんもねーって言ってんだろ。テメーが暇してると思って,電話かけてやっただけだ。じゃな。」 「あ、おい,ちょお待て,工藤……!!」 何かを言いつづけている平次の言葉を最後まで聞かず,コナンは電話を切った。 というのも、これ以上話を続けていると,いろんな事を言ってしまいそうでこわかったからだ。 泣き言とか。 悩みとか。 どうしたらいいのか,とか。 明るく言ってはいるが,新しい生活で自分の事も手一杯であるはずの平次に,これ以上負担はかけたくなかった。 「は〜ぁ…。」 そしてコナンは,そこに横になったまま,そっと目を閉じた。 ……そろそろ,帰んねーとな…探偵事務所に。 このままいたら,間違いなく,蘭が心配するだろう。 もう,陽もおちて,いい時間になっている。 だけど……。 ……帰りたく,ねーな……。 こんな気持ちのままでは,蘭の顔を,笑って見られる自信がない。 それどころか,ますます心配をかけそうだ。 ましてや,最近の蘭の視線は,コナンには痛いことがある。 というのも,たまに‘コナン’ではなく,‘新一’を見るような視線になっているからだ。 ……けど,博士んトコにも,戻りたくねーしよー…。 博士には悪いが,今は,博士の顔も,もちろん哀の顔も,見たくはない。 イヤだとか,そういう事よりも,意味もなく冷たい態度をとりそうで怖いのだ。 そこまで考えたコナンは,自分自身に向かって,ただ笑うしかなかった。 「居場所がない,か……。」 確かに,その通りだ。現に,今,帰る場所すら見当たらない。 ―――もちろん、親のいる,ロスにでも行けば,また違うだろう。 居場所の心配もなければ,工藤新一でも江戸川コナンでも同じ事だ。 だが,そうしたら,今までの6年間の意味がなくなってしまう。 日本に居て,黒の組織を追いつづけた6年間の意味が。 それを思うと,ロスに向かう気にもなれない。 結局、そうして悩んでみても,コナンの頭の中には,一つの疑問しか残らなかった。 ……俺は,一体,誰なんだ? 「…どう…工藤て……工藤!!」 「…ん……?……」 いきなり,肩を揺さぶられて,大きな声をかけられたコナンは,ゆっくりとその目を開けた。 すると,目の前に,見知った関西人の顔が現れた。 「あほう!!なんちゅーところで寝とんのや!!」 「…服部?なんでこんなとこに居るんだ?……あ、俺,寝てたのか……。」 いろいろと目を閉じながら考えていたせいだろう。 どうやら,自分の家の玄関先で,眠ってしまったらしい。 思わず苦笑するコナンに向かって,平次は呆れたように怒鳴りつけた。 「なんでて…。…あんな電話の切り方されてみぃ!気になって,あちこち探しまわるに決まっとるやん!…ったく,いらん心配させんなや!」 「わぁったって…そんなに怒んなよ…。」 「怒らずにおれるかいっ!こんの,ドアホっ!」 どうやら,平次は本気で心配してくれたらしい。 話しを聞けば,蘭のところにも,阿笠博士のところにも,電話をかけたらしかった。 コナンには,そんな平次の様子がおかしくて,思わず笑いながら言った。 「心配してくれて,ありがとな。」 「…ったく,お礼を言うておけば許されると思っとらんか,自分?」 平次は溜息をつきながらそう言うと,何を思ったか,いきなりコナンの腰を両手で抱えて,持ち上げた。 「あ?おい?何しやがるっ?!!」 「…とーぜんやけど,成長したなぁ,お前…。」 「なんの話だっ!!!降ろせっ!!!」 「イヤや。心配かけたバツや,このまま俺んちに連れてったる。」 「な、なんだとおおおっ?!よせええええっ!!」 必死になって暴れるコナンを,いとも簡単に背中に背負うと,平次は,鼻歌でも歌いそうな雰囲気で歩き出した。 「安心せぇ,近くの公園に,バイクが停めてあんのや。そこまでの辛抱や♪」 「よせっつってんだろっ!!!」 「イヤやて,言うとるやろ♪」 平次は,コナンの抵抗に即座に切り返すと,嬉しそうに公園に向かった。 当然の事ながら。 平次に背負われたコナンの機嫌は,最高潮によろしくない。 そしてそれは,平次の家についてからも,ずっと継続されていた。 「…まぁだ,怒っとんのか?」 恐る恐る声をかける平次に向かって,コナンは,条件反射のように間を置かずに答えた。 「ったりめーだ!なに考えてんだよ,オメー…。」 「せやかて,ああでもせんと……。」 「あん?」 「……なんでもないわ。」 「はぁ?!あんだよ,気になんだろ,言えよ。」 このとき平次は,「冷えきった工藤を暖めるのに,あれが一番いいと思った」らしいのだが。 「絶対,楽しんでやってたよな」というのは,それを聞いた時のコナンの台詞である。 まあその会話は,2人が‘コイビト’という立場になってからの話であって,とりあえず今は,「バツや,言うとるやろ」という平次の台詞に,コナンもしぶしぶ頷いていた。 やがてコナンが,ほっとしたようにソファーに身を沈めると,平次はその様子を見ながら,コナンの隣に腰を下ろした。 そして,すぐに聞いてきた。 「…で?聞かせてもらおか。なんであないな所で寝こんどったんか。」 「…眠かったからだろ。」 「ジョーダンはナシやで?」 「…悪かったよ…。」 話したくなくて,会話を逸らそうとしたコナンの言葉は,ストレートで返される。 もう,話さないわけにはいかないと悟ったコナンは,ポツリポツリと,最近の自分に起きた事を,話し出した。 蘭と小五郎に‘新一に似ている’と言われた事。 蘭の,自分を見る目が,時々変わる事。 解毒薬で,工藤新一に戻れるかどうかわからない,と哀に言われた事。 戻れても,‘居場所はあるのか’と問われた事。 平次は,そのコナンの話を,頷きながら,黙って聞いていた。 やがて,コナンは、一通り話し終えると、最後に,自嘲気味に呟いた。 「…俺,自分がどうしたいのかも,わかんなくなっちまってよ…。」 平次は,そのコナンの言葉に,なにも答えようとはしない。 だが,自分の腕をそっとコナンに伸ばすと,その体をぐいっと自分のほうに引き寄せた。 「……服部?どうしたんだよ?」 いきなりの事に,驚いているコナンに向かって,平次は「ええから」とだけ言うと,コナンの頭を自分の肩に乗せた。 そして,ゆっくり撫でながら,そっと言った。 「なぁ,工藤?」 「…ん……?」 普段のコナンであったら拒むであろう平次の行動も,今のコナンには,安心にしか結びつかないようだった。 その証拠に,平次に返って来るコナンの声は,落ちついたものになっている。 平次は,それに,安堵したような,でも,普段と違うコナンに悲しいような気持ちになりながら,言葉を続けた。 「…しばらく,俺と,暮らさへん?」 「……え?……」 「俺んとこに,おれや。」 「……どうして。」 コナンが,言われている言葉の意味すらわからない,というような顔で平次を見上げると。 そこには,優しげに微笑んだ平次の顔があった。 「コナンか工藤か、なんて,すぐに出せる答やない。せやから、悩んどったらええ。…けど,毛利のねーちゃんのトコも,薬を作った女のトコも,居心地悪ぃやろ。」 「……」 「俺んとこなら,誰も居らんし,好きにしたらええ。で,悩むだけ悩んだらええんや。」 「……けど,お前,邪魔じゃねーのか?俺が居たら。」 「…なんでそうなんのや?」 「だって,仕事,始まったばっかりだろ。自分の事だけで大変なのに,俺がいたら…って,おい、服部,聞いてんのかよ。」 コナンの言葉が途中で変わったのは,平次が,コナンを引き寄せる腕に力をこめたからである。 そして、そのまま,コナンの耳にだけ届く様に囁いた。 「邪魔やったら…こないな事,言わん。せやから,ここにおれや。」 「服部……。」 「さっきな,心臓止まるかと思ったわ。玄関先で寝とる工藤見て。こいつ,このまま死んでもうたらどないしよ,思てな。…あんな思い、もう嫌や。せやから,一緒に住も。お前がここに居ったら,俺はいつでも,全力で,お前の事護ったれるんや。頼むわ。」 切羽詰ったように言う平次の言葉に,コナンは驚きながら言った。 「ばぁーか,そういう台詞は,和葉ちゃんに言ってやれよ。」 「…なんでそこに和葉が出てくんのや……。」 「…あれ?違うのか?オメー…。」 「工藤にとっての毛利のねーちゃんと,一緒にすんなや。和葉は,幼馴染でしかあらへん。」 そう言って微笑んだ平次の表情が,コナンには,寂しそうに見えた。 「…なんか,オメーも,大変なんだな……。」 その表情から,きっとなにかあるのだろうと悟ったコナンが,そう言うと。 平次は,複雑な表情をうかべながら,答えた。 「まぁなぁ…。」 もちろん,平次に複雑な表情をさせているのは,平次の隣に座っている江戸川コナン,その人なのだが。 そうとは気付かないコナンは,黙ってしまった平次の顔を,心配気に見上げた。 平次は,そのコナンの視線に気がつくと,慌ててもとの微笑を作りながら言った。 「せやけど,お前ほどやないで?」 「…ふぅん……」 コナンは,平次の慌てぶりが,少々気にかかったものの,それ以上追求するつもりはなかったらしい。 先ほどの平次の言葉に、とりあえず頷くと,自分の頭をぽてっと平次の肩に乗せなおしながら,言った。 「…服部。」 「なんや?」 「ワリィけど…オメーの言葉に,甘えさせてくれ。」 ―――しばらく,ここで,暮らしたい。 コナンの言葉は,間違いなくそれを意味する言葉だった。 平次はそれを聞いて,にっこり笑うと, 「そのほうが,俺も,嬉しいわ。」と言った。 ほんとに,その時は‘しばらく一緒に暮らす’だけのつもりだったのだ。 だが,予定が大幅に変わったのは,その翌日の事だった。 コナンは,とりあえずその日,探偵事務所に連絡をして,平次の家に泊まった。 荷物の事やら,平次と一緒に暮らすことやらは,全て日曜日に相談しようということになったのだ。 だが,その日曜日。 コナンは,すっきりした表情で平次の前に現れると,こう言った。 「俺さー…。江戸川コナンに,なる。」 「…なんやて?」 「だから…工藤新一は,諦めるっつってんだよ。」 「……って,ええんか,ホンマに?」 「あぁ…。なんか、一晩,考えてさー…。」 今から工藤新一に戻っても,6年間は取り戻せない。 とすれば,高校生からのやり直しだ。 大学だって出たい,と考えれば,社会人になるために,どう少なく見ても,5・6年はロスする事になる。 「お前らに追いつくのが,すっげー時間かかるんだよな。…それに,工藤新一に戻れる保証もねぇ。また新しい人格で,一からやり直しなんて,それこそごめんだぜ。」 「……ええんやな?」 平次は,その考えに,いいとも悪いとも言わなかった。 ただ,それで本当にいいのかどうか,確認しただけだった。 それに対してコナンは,満面の笑みを浮かべると,言った。 「あぁ。…たとえ江戸川コナンでも,推理はできっからな。それで充分だよ。」 「…そか。それなら,なにも言わん。」 平次は,そう言ってにっこり笑い返すと,やや残念そうに呟いた。 「…せやけど,残念や。せっかく工藤と,暮らせると思うたのに…。」 口調だけは冗談を装って,だが,明らかに残念そうに聞こえる平次の声に,コナンはあっさりと返した。 「ああ,その事なんだけどよー。‘しばらく一緒に暮らす’じゃなくて,‘当分一緒に暮らす’にしてくれねぇ?」 「………は?………」 目を丸くしている平次に向かって,コナンは笑いながら言った。 「だからさー…。言ったろ,蘭の視線が痛いって。どっちにしろ,探偵事務所に居るのも,限界なんだよな。で,一人暮らししてもいんだけどよー…。俺,一応義務教育中だろ。そういう訳にもいかねーかな,と思ってさ。それに……。」 「……それに?」 「…オメーといんの,楽だし……。」 コナンのその言葉を聞いた瞬間,平次の顔には,幸せそうな笑顔が広がっていた。 「…そう言うて貰えると,嬉しいわ♪」 「…いいのか?」 「いいもなにも,誘ったんは俺やろ♪ずーっと一緒に暮らそうなー,く・ど・う♪」 「…気持ちワリィやつ……。」 コナンも,にっこりと笑顔になると,思い出したように「ああ」と言って,話し出した。 「一つだけ,頼みがあんだけどよー。」 「なんや?」 「昨日の和葉ちゃんの話じゃねーけど。俺とオメーの年の差を考えれば,どう考えても,人生のイベントを先に向かえるのはオメーだろ。」 恋人が出来たり。仕事で,異動があったり。 結婚したいとか,そういう事だって,あるかもしれない。 「そうなったら,我慢しねーで,ちゃんと‘邪魔だ’って,言って欲しいんだよ。オメーのことだから,きっと,我慢しちまうだろうと思ってさ……。」 平次は,コナンのその言葉に,呆れたような顔をして言った。 「あほやな,ホンマ。……それで工藤が安心すんなら,いくらでも頼まれたる。せやけど,俺がお前を‘邪魔’に思うやなんて,一生,ないで?」 「…なんでそう言い切れんだよ……。」 「なんでもや♪理由は,聞かんほうが,工藤のためやぞ?」 「…そーかよ……。」 聞かないでくれ,と言われているものを,無理に聞くつもりはない。 コナンは,一つだけ溜息をつくと,諦めたように微笑んだ。 そして,その顔を少し俯かせると,そっと言った。 「あと,問題は,一つだけなんだよなー…。」 「ん?なんや?」 「…蘭,だよ。ちゃんと,けじめ,つけねぇとな……。」 2時間後。 毛利探偵事務所の電話が鳴った。 「はぁ〜い」 小五郎は,マージャン大会とやらに出かけていて,不在である。 そのため、蘭は,慌てて受話器を取り上げて,明るい声で言った。 「はい,毛利探偵事務所です。」 しかし,その電話は,調査の依頼とか,そういうものではなかった。 「……蘭、か?」 蘭の耳に,しばらく聴くことのできなかった,幼馴染の声が届く。 「…え…し,新一?!新一なの?!」 一瞬耳を疑った蘭は,思わず問い返していた。 だが,その声は,間違いなく新一本人のもので。 「あぁ…ワリィな,長いこと連絡もしねぇで……。」 「…ばかっ!あたし、相談したい事が,たくさんあったのよ…っ?」 そういいながら,蘭の目には,涙が浮かんでいた。 その蘭の表情をわかった上で,コナンは,更に冷たい言葉を言わなければならない。 受話器を握る手に,力がこもった。 「…ごめん。でも,俺,もう,オメーの傍にいけねーから,さ……。」 「…え……どういう事?」 コナンの言っていることが,自分にとって悪い言葉だとは,蘭は決して思っていない。 なにも考えずに聞き返している様子が,ありありとわかる。 だがコナンは,それを感じながらも,決して話すのをやめようとはしなかった。 「前から手がけてる事件が,さ…。…ちょっと,予想外の事になっちまって。これから,外国を飛び回るようになるんだ……。」 「え…って,ちょ,ちょっと……!」 「たぶん,もう,日本には,戻ってこない。…今まで待たせておいて,今更だけど…ごめん。」 ひどく,残酷な言葉だと,コナンもわかっている。 だが、これ以上,蘭を‘工藤新一’に縛り付けておくわけにはいかなかった。 「……馬鹿っ!!馬鹿,ばかぁっ!!!」 「…ゴメンな,ほんとに。」 「こんなに…散々,待たせておいて…、ひどいよ,新一…!」 「…わかってる。俺も…できたら,戻りたかった……。オメーのところに。」 そう答えるコナンの声も,微かに震えている。 蘭は,それに気がつくと,静かに聞き返した。 「…そんなに大事な事件なの?」 「大事,とかじゃねぇんだ。ただ,俺にしか扱えねぇ事件で,放っておくわけにいかねぇ事なんだよ……。」 コナンの言っていることは,ひどく抽象的で,わかりづらい。 だが,それだけで,蘭には伝わるものがあるらしかった。 蘭は,少しだけ考えると,ぽつりと言った。 「…一つだけ,聞いてもいい?」 「…なんだ?」 「あたしの事,大切だった?」 「…あたりめーだろ。一番,大切だった。」 「…そっか。」 「…ごめん……。」 「…ううん。覚悟はね,してたの。きっと,いつか,こういう日が来るんじゃ…か……って……。」 蘭の言葉が途切れがちなのは,涙が止まらないせいだろう。 コナンはそれを思って,唇をかんだ。 「頼むから…泣くなよ……。」 「…っ、誰の…せいだと…思ってんのよっ…!」 「……ごめん……。電話でしか,言えねぇのも,ワリィと思ってる…。けど,もうそろそろ,出発なんだ……。」 苦しそうな声を出すコナンに向かって,蘭は,必死で涙を止めようとしながら,聞いた。 「ねぇ…新一?」 「…ん?」 「…あたし、他の人,好きになっていいの…?」 「…え?」 「今ね,…そう言ってくれる人が,いるの。でも,あたし…新一が…どうしても…っ!」 「蘭!」 蘭にそれ以上言わせるわけにはいかなかった。 ‘新一’への思いを断ち切ってもらうためにも。 コナンは,蘭の言葉を鋭く制すると,優しく言った。 「……変な奴に,引っかかんなよ…。…幸せに,なってくれ……。」 「……新……っ……!!」 「じゃあな,蘭。大好きだったよ。」 「しんいちっ……!!」 蘭の言葉を,最後までは聞いてやれない。 これ以上会話をするのは,自分自身も限界だ。 コナンはそう思うと、蘭の‘新一’を呼ぶ声に目を瞑って,ゆっくりと受話器を下ろした。 そして,静かに,後ろに立っている人物を見上げた。 「……服部……」 なにかを言って欲しいとか,そんな事ではなく。 ただ,自分には‘誰か’がいる,と,実感したいだけだった。 そのコナンの気持ちが,平次には,充分伝わっていたらしい。 平次は,何も言わずにコナンに近付くと,そっと抱きしめた。 「…別れ際に告白するんは,ひきょーやで?」 「……ばーろぉ……。他に,言う事,ねーのかよ……。」 平次の言い方にくすりと笑うと,コナンは,そっと目の前の男にしがみつく。 平次は,コナンの痛さが伝わって,ひどく辛い表情をしたが,そんなことは決して口にはしなかった。 「…せやから,言うたろ。お前の咳は変声期のもんや,て。蝶ネクタイの機械なんぞ使わんでも,毛利のねーちゃん,気ぃつかんかったやないか。」 「…オメー,それを知ってたから,あの時‘なにかあったら連絡寄越せ’って言ったんだな…?」 「せや。ねーちゃんにばれるんも,時間の問題や,と思うてな。」 平次の言い方に,少しだけ笑うと,コナンは言い返した。 「この,極悪人……。」 「…聞き捨てならんな,その言葉は。」 だが,そういいながらも,平次は,うまく笑うことが出来なかった。 コナンは,そんな平次の様子を知って,その胸に顔をうずめながら言った。 「ばーろ…。オメーが,俺の分まで辛そうにして,どうすんだよ…。」 「…お前の辛さなんて,ちゃんとわかってやれるわけない…。それが,一番,悔しいわ……。」 「いんだよ。俺,オメーが居てくれて,助かった。」 コナンは,微笑みながらそういうと,口調を少しだけ悪戯っぽくして,言った。 「でもな,一つだけ,忠告しとくぜ?」 「…なんや?」 「オメー,女にモテるだろ。で,友達にまで,ここまでしてくれるだろ。ってことは、女にもこんな事したら,絶対勘違いされるからな?好きでもねー女には,極力,手加減しろよ?」 そういいながらくすくす笑うコナンに向かって,平次は,あからさまな溜息をつくと,ぼそりと言った。 「…誰にでもするかい,こんな事……。」 「なに?」 「…なんでもないわ……。」 「…んだよ,変な奴……。」 いつまでもくすくす笑いつづけるコナンと,それを複雑な表情で見つめる平次。 二人が,改めて新しいマンションを探し,同居を始めるのは,それから数日後の事だった。 「なーに笑ろとるん?きしょいやっちゃなー。」 桜を見つめながら,くすくすと思い出し笑いをしているコナンに向かって,平次が聞いて来た。 「んー?いや,さ,ちょっと思い出して……。」 「何を?」 「んー…。」 不思議そうな顔をして自分を見る平次を見て,コナンは,笑いを止めずに言った。 「オメーさ,あの時,ちゃんと言わねーんだもんな…。」 「あん?」 「想いってのは,口に出して言わねぇと,伝わんねーんだぜ?」 そのコナンの言葉を聞いて,しばらく考え込んでいた平次は,「ああ」とばかりに呟いた。 「3年前の事か?…あれは,お前が鈍いんとちゃうか?」 同居して,3年。 コナンが平次に抱く想いも,あの頃からずいぶんと変わってきた。 最初は,‘悪友’だと思っていたのに。 「…俺がワリィのかよ?」 「…せやかて,蘭ちゃんにフラれて落ちこんどるお前の隙に付けこんで,告白なんてできるわけないやろ。」 そういう平次の声は,あくまで優しい。 「蘭かあ…そういや,手紙が来てたな,博士んとこに。」 「蘭ちゃんから?なんて?」 「…俺の事待ってなくて,正解だったとさ。」 コナンの,少し複雑そうな言葉に,平次ははじける様に笑った。 「それはその通りやな!」 「…んだよ,テメーまで…。」 「せやかて,待っててもらっても,困ったんとちゃうか?」 その平次の言葉は,暗に,自分と平次の関係の事も示している。 コナンはそっと溜息をつくと,答えた。 「…ま,確かにな……。」 平次はその答に満足したような表情を作ると,そっとコナンに近付いて,抱きしめた。 「…なにしてんだよ,昼間っから……。」 「ええやん,たまには♪」 「…バーロォ……」 否定の言葉を口にはするが,あからさまな拒絶は返ってこない。 平次は,そのコナンの様子に微笑んだ。 すると,コナンは思い出したように平次の顔を見上げて聞いた。 「そういやさー…。お前,どうする気だったんだよ。あの時。」 「あん?」 「もし,俺が,工藤新一になるって言ったら。」 「…べっつに,どうもせぇへんけど。」 「…だって,コナンだから,一緒に暮らしたわけだろ。」 「工藤新一だって,一緒に暮らしたで?」 「…工藤に戻ったら,蘭のとこに帰っちまったかも知れねぇぞ?」 「そんなん,元から覚悟しとったわ。…イヤやけど,それは,しゃあないやろ?」 平次の,けろっとした反応に,コナンは頭を抱えた。 「わっかんねー…。なんでオメー,そこまで,俺にしてくれんだよ……。」 「好きやから。」 あまりにもあっさり返って来た答えに、またもやコナンは頭を抱える。 これだから,この男には,勝てないのだ。 自分がいくら頑張っても。いくら,わがままを言っても。 自分が,いつでも主導権を握っているようでも。 絶対に,最後は,服部平次に負けてしまうのだ。 「ったく,ほんっと、馬鹿だよなー。お前……。」 「誉め言葉や♪」 コナンが何を言っても聞きそうにない。 そう悟ったコナンは,もはやなにも言わずに,平次にしがみついた。 平次は,そのコナンのしぐさを見て,にっこりと笑いながら言った。 「…ホンマはな。イヤやったで?工藤が,毛利のねーちゃんとこに行くんは。でも,自信があってん。」 「…自信?俺が,お前のとこに来るってコトか?」 「ちゃうわ。そんなんやのうて…。…工藤が,工藤新一でも,江戸川コナンでも,たとえだれであっても,絶対に俺だけは,お前を見失わん,て。お前を,お前として受けとめられんのは,俺だけや,て。」 そう言いながら,平次は,コナンを抱きしめる腕に力をこめた。 コナンは,それを聞いて,一瞬驚いたような顔をした。 しかし,すぐに平次を見つめ返すと,幸せそうな笑顔を浮かべて,言った。 「…そいつは,強力だな。」 「せやろ?」 そして,平次も,幸せそうな笑顔で笑い返した。 「どんな姿でも,お前はお前や。俺にとってはな。…いつまでも,傍におってぇな…。全力で,護ったるさかい。」 「…わぁってる…。俺の居場所は,必ずここにある。お前んとこに。」 もう,なにも悩む必要はない。 工藤新一でも,江戸川コナンでも。 …服部平次という居場所さえ,あれば。 「その代わり,オメーの居場所も,俺んとこにあんだからな?忘れて,他に作ったら,承知しねーぞ?」 コナンの言葉に,平次は,驚いた表情になって言った。 「…俺が,工藤以外に居場所作ると思うか?」 「…ねぇな。テメーの‘工藤馬鹿’は,不治の病だ。」 「…俺もそう思うわ。本人望んでやっとるんや。処置なしやん。」 そう言って,お互いみつめあい,笑いあう。 いつまでも、いつまでも。 自分達の居場所は,そこにある。 お互いの,いるところに。 fin |
written by もえ
お付き合い頂きありがとうございました