夏真っ盛りの、8月中旬。 今年の夏の暑さは普通じゃないと、誰もが口を揃えて言うほどの気温の中、平次とコナンは1週間ほどの旅行に出かけた。 まあ、旅行と言っても、なんということはなく。 行き先は、大阪で。 つまり、平次の帰省に、コナンが付き合っているだけなのだ。 普段の仕事の忙しさやら、それ以外のいろいろなこと――まあ、大抵コナンのことなのだが――にかまけて、すっかり実家から遠のいている平次にしてみれば、夏休みくらいは、実家に帰らなければならないという気持ちになるのも、当然の事だろう。 それに、これで帰らなければ、親も黙ってはいないだろうから。 だが、どうしても自分のいない間に、コナンを一人にしておく気になれなかった平次は、旅行を兼ねて大阪へ行こうと、無理やりに誘ったのだ。 コナンにしてみれば迷惑な事この上なく、初めはかなり渋った。 しかし、悲しい事に、この‘西の名探偵’と言われた人間が、道を踏み外しまくって東京まで出てきてしまった理由は、99%自分にあると自覚してしまっていたため、「‘自分が保護者やっとる子ぉやったら、いっぺん連れて来い’て親に言われとんのや。」と言われてしまっては、断ることができなかったのだ。 まあ、一言で言えば、‘服部平次の勝利’ということになる。 かくして今は、大阪へ向かう新幹線の中。 平次が保護者をしている事になっているものの、精神は全く同い年のその想い人は、平次の隣の席で、微かな寝息をたてていた。 平次は、その寝顔を見て微笑むと、自分の服を荷物から取りだし、そっとコナンに掛けてやりながら囁いた。 「冷房キッツイしなー…。風邪ひかんといてや?」 コナンは、その声が聞こえたかのように、身動きして掛けられた服を被ると、また規則正しい寝息をたて始めた。 平次は、そんなコナンの仕草を見て、自分が東京に来るきっかけになった出来事を思い出していた。 ちょうど、4年前の夏。 平次が大学4年であり、コナンが小学6年生として過ごしていた頃の事。 大学4年という事からわかるように、平次も一般の大学生と変わらず、自分の就職について悩んでいた。 だが、その内容は、少し一般の大学生とずれていて。 …要するに、彼の悩みはただ一つ。 東京か大阪か、だった。 何になりたいか、というのは、当然決まっていた。 警察官である。 それには、もちろんこれからの公務員試験を受けねばならないが、それに受かるかどうかよりも、東京か大阪かというのは、彼にとって重要な悩みだった。 もちろん、気持ちの通りに動けるのであれば、決まっている。 東京だ。 工藤新一こと、江戸川コナンの傍に居たい。 もう、それは、何物にも代え難い大前提であった。 だが、それだけで東京を選ぶには、決心が必要だった。 はっきり言えば、完全な片思いであり、彼にはちゃんとした想い人もおり、この先も自分の思いを告げる気はなく、かといって彼以外の人間も目に入らないというこの状況で、東京に行くというのは、かなり勇気がいるのだ。 当然といえば、当然ではある。 しかし、だからと言って、見返りが欲しいとか、想いを通じ合わせたいとか、そんな大それた事を思っているわけでもなく。 …まあ、簡単に言えば‘後押し’が欲しかったのだ。 「東京に行く」という、きっかけが。 散々考えた挙句に、平次は、一つの結論に達した。 「…せや、工藤に会うてみればええんや。」 会ってみて、自分が必要とされる事が一つでもあったなら。 もしくは、自分がコナンにとって、親友とかライバルだとか、なにか一つでも唯一の存在になれる部分があるのなら。 …それがあるなら、東京に行けばいい。 「悩むのは性に合わんわ。とりあえず、会うてみてもっぺん考えよ。」 能天気というのか楽天家というのか。 至極簡単な結論に達した西の名探偵は、その持ち前の身軽さで、善は急げとばかりに、旅支度を始めたのだった。 「……なに考えてんだよ、オメェ……。」 平次が、性に会わないほど頭を悩ます原因を作った人物は、それとは知らずに、ひどく不機嫌な顔を向けていた。 「なに、て‘会いたいから来た’て、さっき言うたろ?」 だが、そんなお出迎えには既に慣れきっている平次は、ひるみもせずに言ってのける。 「ひっさしぶりやなー、工藤♪ なんや、またちょお背ぇ伸びたな?」 成長期やし、しゃあないなーと言い放つ平次に向かって、コナンは、呆れた以外の何物でもない表情を作った。 「うるせぇっ!大体なあ、いつもいつも突然すぎんだよオメエはっ!!」 「せやけど、今回は、大事な用があってん。しゃあないやろ?」 「…んだよ、大事な用事って…。」 大事な用事と言われれば、コナンとしても興味が湧く。 ‘事件’の二文字が、目の前に浮かんでくるからだ。 しかし、平次の答えは、そのコナンの期待を(当然だが)思いっきり裏切った。 「あのな?」 「ああ?」 「お前に会いにきたんや。」 「………………。」 「聞いとる?」 「………はっとり。オメェ、本当に‘西の名探偵’なんだよな?」 「ああ。それがどうかしたか?」 「それがどうして、そーゆーワケのわかんねぇ事を言うようになっちまうんだ?!」 「ワケわからん事ないやん。オレは、お前に会うっちゅう目的があって、わざわざ来たってんで?おかしないやろ。」 「充分おかしいっ!!!」 まあともかく、そんな押し問答があった末に、平次は‘毛利小五郎宅一泊宿泊権’を勝ち取る事に成功したのだった。 実際に平次が東京に来た理由は、本当にコナンに会うためだけだったので、どこに行きたいとか何をしたいとか、そういう希望は全くなかった。 コナンは、その平次の様子をやや不審げに思ったのか、蘭と小五郎に「僕、今日は平次にーちゃんと一緒に寝たい♪」と言うと、わざわざ自分の部屋に平次用の布団を用意してもらった。 そして、完全に聞く態勢を整えてから、どこか落ちつかない平次を布団に座らせ、話しかけた。 「…おい、服部。オメェ、ほんとの事言えよ?今回来た目的は、なんだ?」 しかし、平次にしてみれば、それどころではなかった。 当然だ。 二人っきりの部屋である。 しかも、自分の想ってやまない、コナン(新一)の部屋である。 そこかしこにあるもの見るもの、全てコナン(新一)のモノばかり。 そこに、並べて敷かれてある、二枚の布団。 ―――拷問ちゅうのは、こういう事言うンとちゃうやろか…。 更に言えば、今回は、コナン(新一)に会う以外の目的など、ない。 集中するための推理も事件も、何もないのだ。 ―――オレ、耐えられるやろか…。 もちろん、耐えてもらおう、服部平次。 仮にも相手は、小学生だ。 そんな事をぐるぐると考えていたせいか、平次は、コナンの問いかけに、全く気が付かなかった。 それに焦れたコナンは、平次の目の前に顔を突き出すと、その目を覗き込むようにして言った。 「おいっ!!聞いてんのかよっ!!」 その声に、やっと我にかえった平次は、目の前にあるコナンの顔に驚いて後ずさりながら、慌てて答えた。 「あ、す…スマン!聞いとらんかった!なんやて??」 「だからっ!本当に、今回来た目的はなんなんだよっ!!」 「…せやから、工藤に会いにきたんやで?何度も言うとるやん。」 「………。」 その平次のこたえを聞いたコナンの表情は、だが、明らかに納得がいっていない様子だった。 平次は、その顔を見て苦笑すると、先程よりも小さな声で、話し始めた。 「…実はな、くどー?オレ、悩んどることがあんねん。」 「…オメーが?…なんだよ?」 急に雰囲気の変わった平次に、コナンは少しだけ顔をしかめると、先を促した。 「…あんな?俺、東京に出てくるか、大阪におるか、悩んでんのや。」 「……東京?おまえが?」 「せや。驚いたか?」 「………それは…まあ…。けど、どうして急にそんな事考えたんだ?」 「うーん…まぁ、いろいろと、な。」 あまりはっきりしない平次の言葉に、コナンは少しだけ首をかしげると、そっと聞いた。 「…オメェ、刑事に、なるんだろ?」 「…そのつもりやけど。知っとったん?」 話したことないのになーと、不思議がる平次に向かって、コナンは微笑んで言った。 「んなの、みてりゃわかる。」 「そ…か。そら、おおきに。」 「…なんで、そこで‘おおきに’がでてくんのかわかんねーけど…。」 平次にしてみれば、それだけコナンが自分のことを気に掛けていてくれた、と言うだけで嬉しい事で。 だからこそ、おおきに、と言ったのだが。 とりあえず、その場は何も答えず、ただ笑ってみせた。 すると、コナンは、先を促す笑顔だと受け取ったのか、また話しだした。 「…オメーさ。自分のやりてぇこととか、そういうものはしっかりしてるだろ。…意外と。だから、オレに、そんな事言うのって、実はすげー驚いてんだけどよ。でも、そのおまえが悩んでんだったら。」 そこで、コナンは、平次の瞳をまっすぐ見つめた。 濁らない、歪まない、眼差しで。 「…一番、おめーらしい道を選べ。おめーが、絶対後悔しない事を、そして、いま、絶対しておきたい事をしろ。」 「………。」 「後悔すんのも悩むのも、オメーらしくない。だから、そういうオメェは、なるべく見たくねぇ。…わかったか?」 不思議な事だが。 平次は、その瞬間に、目の前が開けたような気がした。 何一つとして、自分の欲しいと思っていた言葉は貰えなかったけど。 でも、それ以上の言葉を、聞かされた気がした。 「…工藤。」 「…なんだ?」 「凄いわ、おまえ…。なんや、凄い奴やな、ホンマ…。」 「…なんだよ、急に…。」 「…外見は小学生やのに……。」 「…喧嘩売ってるのか?叩き出されたいのか??いい度胸だな。」 その後の平次君がどうなったかは、定かではない。 だが、外に出された形跡もなく。 そして、コナンの様子も変わった事はなかったので。 一晩、拷問を耐える事ができた事だけは確からしい。 その翌日の、東京駅。 名残惜しげな平次を無理やり引っ張って、コナンは、彼を新幹線に押しこめるために、見送りに来た。 もちろん、現在の保護者であるところの、蘭や小五郎も一緒である。 「今度は、ゆっくり遊びに来てね?和葉ちゃんも一緒に。」 「その前に、連絡の一本もよこせよ。…ったく、毎回、突然来やがって。」 蘭と小五郎の言葉に、適当に相槌を打つと、平次は、コナンに視線をうつして言った。 「またな、ボウズ。」 「うん、またね、へーじにーちゃん。」 ―――ホンマ、ええ子供っぷりや…。 いかにも屈託のなさげな笑顔を向けるコナンに向かって、視線だけで気持ちを託すと、それを了解したらしいコナンも、一瞬だけ鋭い視線を送ってきた。 だが、その後には、すぐに子供に戻ってにっこり笑っている。 平次は、それを見て微かに苦笑を浮かべると、軽く片手を挙げて言った。 「ほな、またな。」 「またね、服部君。和葉ちゃんによろしく。」 「おう、じゃあな。」 「またねー、へーじにーちゃん♪」 平次は、3人3様の声を聞きながら、軽く手を振って改札口をくぐった。 たぶん、自分は、東京に来るだろう。 自分がしたい事はそれで、後悔しない事も、やりたい事も、東京に来る事なのだから。 そう考えて、昨日のコナンとのやり取りを想いだした平次は、何気なく、改札口の外の3人を振りかえった。 その瞬間、平次は、信じられないものを見た。 既に、こちらに背中を向けて、並んで歩いている3人。 コナンは、左手を、蘭と繋いでいる。 だが、その空いている右手を、ひじから上にあげて。 振っているのだ。 蘭にも、小五郎にも気付かれない様に。 その瞬間、平次の胸に、何かが落ちてきた。 コナンは、平次が気付くと思って、手を振っているのだろうか。 気がつかなかったら、どうするのだろうか。 だけど、コナンは、そんなことは関係なく手を振っているような気がした。 いつも、こういったしばらくの別れの時に、絶対に寂しそうな気配を感じさせないコナンが。 名残惜しそうな気持ちすら見せないコナンが。 今まで、毎回、同じ事をしていたのだろうか。 きっと、それは、唯一工藤新一に戻って、気がねなく本当の自分が出せる時間とも、別れているに違いない。 ―――阿呆や、オレは……。 阿笠博士とか、灰原とか、そういう‘事情を知っている’だけではなくて。 ‘事情を知っている’上に、同じ‘探偵’で、なおかつ‘同い年’の自分。 もちろん、これから‘刑事’になる予定ではあるけれども。 だが、今のコナンに対して、これ以上の‘唯一の存在’があるだろうか。 ―――ホンマ、阿呆や。ちょお考えれば、わかる事やった。気付かんやなんて、どうしょうもないわ……。 自分に対して呆れるばかりだったが。 口に自然と浮かんでくる笑みと。 胸いっぱいに広がる幸せな気持ちは、止めようがなかった。 オレは、絶対、東京に来る。 東京に来て、工藤の傍におる。 「くしゅん!」 隣で、小さなくしゃみの音がして、平次はすぐに目を開いた。 「…なんや、オレも寝とったんかい…。」 そう呟いて身を起すと、隣で寝ていたコナンも、たった今目を覚ましたようだった。 「…おはようさん。よう寝れたか?寒うないか?」 「…ン、平気。…服部、サンキュな?この服。」 コナンは、そう言うと、眠そうな目をこすりながら笑った。 「…なあ、工藤?いっこだけ、聞いてもええか?」 先程まで、4年前の夢を見ていたせいか、あの時と同じ台詞を聞いてみたくなって、平次はコナンに言った。 「…ん?…なんだよ?」 「オレが、悩んだり、後悔しとったら、おまえ、どうする?」 あの時と同じく「見たくねぇ」と言ってくれるだろうか。 それとも、全く違う答えが返って来るだろうか。 どういう言葉を言われるか、かなりわくわくして待ちうけていた平次の耳に入ってきた言葉は、しかし、そのどちらでもなかった。 「…んだよ、ずっと前にも言ったろ。忘れちまったのか?」 ―――忘れるわけ、ないわ…。せやけど…覚えとってくれたんや…。 あの時の、会話を。 「忘れておらんけど…なんや、また聞きとうなってん。な、言うて?」 「…べっつに、いいけどよー…。……オレは、オメェが、悩んでるのも後悔してるのも見たくねぇ。…いいな?」 「………かなわんな……ホンマ…。」 「…は?…なんだよ、それ?」 こういう時。 自分は、絶対、彼にはかなわないと思うのだ。 平次は、そう考えてそっと笑うと、コナンの耳元にそっと囁いた。 「…なあ?キスしたら…アカン?」 「……はぁ??…」 照れるよりも、いきなり突拍子もない事を言われて驚いているコナンに向かって、平次は、もう一度聞き返した。 「なあ、アカン?」 「…なっ…!…ばっ……!!」 やがて、言っている事が理解できたのか、すぐに顔を真っ赤にしてコナンは平次を睨んだ。 だが、控えめに俯くと、ぼそっと呟くように言った。 「…誰かに…見られるような…ヘマ、すんじゃねーぞ…?」 「…ったりまえやろ……。」 平次は、にっこり笑うと、俯いてるコナンに、そっと唇を合わせた。 「…なぁ、工藤…?」 唇が離れた瞬間に、平次はコナンに話しかけた。 「…ん…?」 「…一緒の家に帰れるて、ええな。」 「…だな…。」 後ろを向いて、誰にも見つからないように手を振る必要がない。 手を振る彼を見て、胸をいためる必要もない。 いつでも、服部平次の傍には、工藤新一がいる。 いつでも、工藤新一の傍には、服部平次がいる。 「…それとな、工藤。」 「…んだよ?」 「オレのオヤジとオカンに、お前の事、紹介してもええ?」 「…え?……そのつもりじゃなかったのか?」 「紹介してもええんか?!」 「え、だって、そのつもりで…?」 「よっしゃ!!これで、オレら二人は、親も公認の仲や!!」 「え…お、おめぇ、まさか、紹介するって…!!」 「オレの大事な人や、将来を約束しあったって………痛ったいわ、何や、いきなり殴らんでもええやろ!!」 「うるせェっ!!この、恥知らずっっっっっっっ!!!」 二人が、親も公認の仲になるのは、まだもうちょっと遠かったり、する。 fin |
written by もえ