202 人生に最善を求めて

●聖書箇所[ローマ人への手紙8章28ー39節]

 二隻の軍艦が霧の中を航海していました。視界が悪いことに気掛かりだった艦長はブリッジに立ち状況を見守っていました。夕方になって見張りがこう報告しました。

「艦首の右舷前方に光が見えます」 「停止しているのか、進行しているのか?」と艦長。信号手の答えは「停止しています」。艦長は考えました、「このままでは衝突してしまう」。以下艦長と信号手との会話。

 艦 長「その船に20度進路を変えるように伝えよ」
 信号手「相手から答えが返って来ました。『そちらの方が20度進路を変えるように』と言っています」
 艦 長「『そちらの方が20度進路を変えるように』ともう一度伝えなさい」
 信号手「相手から同じ答えが返って来ました。『そちらの方こそ20度進路を変えるように』と言っています」
 艦 長「『こちらは軍艦だ!そちらの方が20度進路を変えよ。命令する』と言え!」
 信号手「艦長!『こちらは灯台である』とあちらは言っています」

 霧の中で航海を続けるというのは私たちの人生のようなものです。その場合に大切なのは灯台、すなわち人生の原則。それは神の教え。神さまはあなたを愛しておられ、それゆえにあなたの人生を最善のものにしようと考えておられます。神の下さる灯台である、人生の原則について今回は考えてみましょう。

常に期待する

 28節を見てください。「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と書いてあります。あなたは信じますか。さまざまなことがある、起きる、しかしこれらすべてのものは上手に組み合わされて最後は万々歳で結末を迎える、と約束しています。あなたはこの神さまのお約束を信じますか。信じる人はいつでも、どこでも、どんなときでも自分の人生に期待することができます。さて期待するのですが、いったいだれに?第一に神さまに。だって全能のお方です。無から有を産み出すことのおできになるお方。今あなたが欲しいものがありますか。でも今、それを持っていないのですね。心配しないで下さい。今あなたは問題に苦しんでいるのですね。そして解決策がない!そうですか。心配しないでください。無から有を産み出す方、それは天の神さま。さてもう一人あなたが期待できる相手がいます。それは、あなた自身。あなたはそうしていますか。もしかしてそうしていないかも。つい別の方へ目が行っているのでは。

 六歳と一歳の子供がいる母親が、「最近、上の子供の様子が少し変で、何となくハキハキしないし、言うことを聞かない」と訴えた。そこで先生が、「仕事が終わって家に帰った時、先にどちらのお子さんの顔を見ますか」と聞いた。おお子さんが二人いる母親ならみな同じだろうと思うが、その母親も必ず下の子を先に見るとのことだった。そこで先生はアドバイスした。「今日からは、下のお子さんを先に見たいのを我慢して、まず上のお子さんの顔を見て、目が合ったらにっこり笑ってあげてください。そして、上のお子さんが笑ったら、それから下のお子さんに目を移してください」 その翌々日、お母さんが「驚きました。上の子が下の子の手を引いて歩いてくれたのです。いままで、そんなことしたこともないのに」と涙ぐんで報告されたそうである。(太田典生「毎朝『一話』出勤前に読む本」三笠書房)

 別の方へ目が行きやすいということはよくあることです。ではそれはどこへ向いている?他の人へ、です。つい私たちは目の前にいる他の人へ期待してしまいます。「もしあの人がこういうふうに変わってくれれば……」。どうか自分に期待してください。私も自分に期待して、今からフィリピン語を勉強し始めています。もっともっと新しい世界へ行けるのではないか、新しい自分に出会えるのではないかと期待しつつ。期待するには神の愛を信じなければなりません。「神さまは私を愛してくださっている」とはっきりと心に刻み付けることです。すると一番の敵が退散します。期待して行こうとするあなたにとっての一番の敵はサタンです。サタンはあるものを有効に用います。あるものとは試練。試練は本来はあなたを高めるべきものであるはずなのですが、逆にあなたを破壊してしまいます。ちなみに「サタンがうようよいる」と言う言い方は間違いです。サタンは一人だから。でもその配下にある悪霊は無数。悪霊は人間に強く影響を与えたり、入ったりします(憑依)。悪霊は直接、人の中に入ったりして物理的な力を行使しますが、サタンは物理的な力は行使しません。サタンは心の中をかき乱すのみです。すなわち不安にさせたり、否定的にさせます。「こんなに辛い目にあうなんて、神なんかいるか!!」と思わせたり。こうしてすべての期待は私たちの心の中からは消えてしまいます。有効な対抗策は神さまの愛を信じることだけです。御子を捨てるほどに愛してくださった神、その愛の大きさを知ることです。そうすればあなたの心の中にはいつも期待が絶えることはないでしょう。

目標を持っている

 28節から30節をご覧下さい。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。

 「計画」と「あらかじめ」(三回)という語が目を引きます。神さまは事前に計画をお立てになる方です。ご存じでしたか。思い付きとか、ずさんさとかとは無関係のお方ですよ。あなたの人生にもしっかりと計画を持って臨んでくださっています。その計画性の中に目標の設定という課題があります。目標を設定することは非常に大切です。もし目標が失われたならば死さえあり得ると言えるほどのものです。

 精神医のV・E・フランクルは、アウシュビッツでの体験を綴った『夜と霧』の中で自分自身の未来を信じることができなくなった人間が内的に崩壊し、身体的にも心理的にも滅亡していくようすを書いている。たとえば、収容所にいたある脚本家は、戦争が5月30日に終わる夢を見たという。その夢を語った時の彼は希望に満ちており、夢の中の声が言っていたことは正しいと確信していた。ところが、解放の可能性のないことが明瞭になった五月二十九日、彼は突然、高熱を出して発病し、翌々日の三十一日に死んでしまうのである。また、それまでと何の状況変化もないのに、一九四四年のクリスマスと翌四五年一月までの間に、収容所でいまだかつてないほど大量の死亡者が出た。それは、収容されていた人たちの多くが胸に抱いていた、「クリスマスには家に帰れるだろう」という希望的観測が現実によって踏みにじられた結果であるという。(太田典生「毎朝『一話』出勤前に読む本」三笠書房)

 目標をそのつど確保して金メダルを獲得したのが里谷選手。
 2002年は年初にソルトレイクシティ・オリンピックがありました。……特に印象的だったのは、メダルを取ったフリースタイル・モーグルの里谷多英選手です。彼女は、他の日本人選手が苦戦している中、長野オリンピツクに続いてメダルを獲得しました。前評判では、今回、里谷選手のメダル獲得は難しい、という声が大勢を占めていました。無冠に終わった上村愛子選手のほうが、事前の世界大会などで好成績を収めていたこともあり、評価は高かったのです。けれども、里谷選手はオリンピックという大舞台で結果を出しました。……オリンピックメダリスト里谷多英選手のコーチ、スティーブ・ファーレン氏も、長年の指導経験から、……2002年ソルトレイク・オリンピックの競技本番前、塁谷選手に次のように指導したのです。「スタートの20分前になったら、お父さんのことをできるだけ考えなさい。頭の中から追い出そうとせずに、とにかくお父さんに関するすべてのことを思い出しなさい」彼女にモーグルの楽しさを教えてくれた父親は、実は数年前に肝臓ガンで他界していました。さらに、スティーブ氏は言葉を続けます。「15分前になったら、友達やお母さんのことを考えなさい」「10分前には、ここ数日間のトレーニングでよかったことを考えなさい」「5分前になったら自分の目指す滑りを頭に描き、そして1分前になったらすべての意識をコースに向けなさい」そして直前には「一つ目のこぶまでの滑り方だけを考えなさい」スティーブ氏は、これらの言葉を3週問前から準備していたそうです。(辻 秀一『ほんとうの社会力』日経BP社)

 目標とは目当て、的のことです。ではどのようにして目標を生活の中に得ることができるでしょうか。
 1)目的を明確にする。
 最近『「成功おじさんの最優先ルール」』(チャ−リー・ジョ−ンズ著 PHP研究所)という本が出版されました。その中に「何のために人生を送るか」という問いが出て来ます。なんとその答えが、「神のために」。その後「主イエス様のために」と。あなたはこの答えに「アーメン!」と唱和なさいますか?「私は何をするにも主に喜ばれるようにします」と割り切ることです。そうすれば人生、ふらふらする必要はなくなります。目的地と現在地との間に一本の紐を結んでその中間に目標はあります。目的と目標の関係がしっかりしていないとどうなるのでしょう。

 小学生とその母親の会話。「お母ちゃん、僕、なんで塾にまで行つて勉強せなならんの?」「それは、ええ中学に入るためや」「なんで、ええ中学に入らなあかんの?」「そら、ええ高校、ええ大学へ行くためや」「なんで、ええ高校、ええ大学へ入らなあかんの?」「そら、ええ会社に勤めて、ええ嫁さんもろうて幸せになるためや」「そやけどな、お母ちゃん、いま僕、勉強せんほうが幸せなんやけどな……」(太田典生「毎朝『一話』出勤前に読む本」三笠書房)

 2)分析あるいは細分化。
 私の開拓した勝利教会グループははじめから独立した教会グループですが、現在9つのチャペル(教会)を擁しています。たとえばグループがもし自立していない場合に、独立することを目指すとすれば、分析すると言うのは一つ一つのチャペルが自立しているかをチェックして行くことを指します(実際にはチャペルを開設して2、3年後には自立できます)。自立とは二つの要素で構成されます。一つは経済的。もう一つは役員会の自立性。勝利教会の場合には、母なる教会としての大宮チャペルを除けば私は役員会には出席しません。チャペル長が議長になり、教会運営をして行きます。細分化された対象にそれぞれ適切な目標を設定します。

 3)スケジュール化。
 短期、中期、長期に分けて設定します。とぎれないようにします。あなたのタレント、時間、お金はそれぞれ神さまから預かったものですから、上手に振り分けて使って行きましょう。スケジュールに従って。適切に設定された目標を一つ一つ達成して行けば、目的地に到達できます。それはあなたにとって最善の地です。

種を蒔いている

 種を蒔かないと刈り取りは期待できません。しかしただ蒔けばいいのではなく、正しく蒔かなければなりません。種とはことば、正しくとは肯定的に、です。今回の聖書のテキストは全体的に肯定的なトーンで語られています。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださる……神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。……私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。……私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

 正しく蒔かないと先が心配になります。次のようなことば使いをしていると子どもの未来が少し心配になりますが、あなたはいかがお考えでしょうか。

 ぼくがテレビを見ていたら、お母さんが「みきお、はやくお風呂に入りなさい」といいました。ぼくはいやだなと思って返事をしました。するとお母さんが「はやくはいれ」と、またいいました。しかたがないので、風呂場にいくと、お母さんが「はやく洋服を脱ぎなさい」といいました。お風呂につかっていると、「はやく出て身体を洗いなさい」とお母さんがいいました。身体を洗っていると、「いつまで洗っているの、はやくお風呂の中につかりなさい」とお母さんがいいました。またお風呂の中に入っていると、「はやく出て洋服を着なさい」と、お母さんがいいました。いそいで外へ出てシャツ着ていたら、反対になっていました。それを見て、お母さんが言いました。「このあほう、ゆっくり落ちついて着ないからだ」。ほくは何が何だかわからなくなりました。(太田典生「毎朝『一話』出勤前に読む本」三笠書房)

 蒔く者が刈り取る、これは当然の権利です。しかも神さまによる約束であり保証です。安心して正しく蒔き、刈り取りを楽しみましょう。秘訣はこつこつ。からし種の信仰。

 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』(マタイ25:23)

 コツコツやっていれば、いつかブレイクする時が来るものです。人々は驚きますが、決して驚くべきことではありません。当然のことです。

いつも感謝している

 あなたはいつも感謝していますか。感謝しているといいことが起きますよ。でも現実の生活の中でそうは簡単には感謝できないことも少なくありませんね。たとえばいじわるされた、とか。それでも感謝することをお勧めします。憎しみを持ったりしないで。またライバルが祝福された時とかもそうかも知れません。なぜ感謝した方がいいかをお話しましょう。ミラーイメージの法則があります。目の前にいる人は自分を映す鏡、という考えです。たとえば「あの人、私を嫌ってる!」と思う人は、実は自分がその人を嫌っているのです。その「嫌い」という悪いイメージは発した人自身が悪影響として自ら受け取ってしまいます。壁に向って投げたボールが跳ね返って来て自分の顔に当たるといったことです。この法則を知っている、世界で一流と呼ばれる人々は決して他者の悪口を言いません。ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズについてはこういう話が伝わっています。あるトーナメント、数千万円の賞金がかかっていました。彼はすでに一位でホールアウト。後続の選手たちの結果を待っています。ライバルが一打差で4メートルのパットを残しています。それを沈めればプレーオフ。ゼロから戦いをしなければなりません。外せばその瞬間に数千万円が転がり込みます。さあ、ここで彼は祈りました。どのように祈ったと思いますか。もしあなたならどのように祈りますか?「パットを外すように。失敗するように」でしょうか。タイガー・ウッズは「入るように祈った」と言います。実際、入ってプレーオフになり、そこでタイガー・ウッズは勝利しました。松井秀樹選手がニューヨークヤンキースに入団するかどうかが最近(2002年11月)の話題ですが、同僚になるかも知れないヤンキース選手たちへのインタビューを聞いて気が付くこと、彼らはライバルになるかも知れない松井選手について決して悪口を言いません。「彼は立派な選手だ。有能だ。きっと立派な成績を残すだろう」などなど。現在、女子マラソンの第一人者高橋尚子選手は試合が終わってこう言います。「沿道で応援してくださった方々に感謝します。ライバルに感謝します」

 自分への祝福を期待するなら自分へ悪いものが跳ね返って来るようなことは極力避けるべきです。そうしてこれがあなたを造ってくださった神さまへの礼儀です。そうするあなたへ神さまはいつも最善を尽くしてくださるでしょう。どうか神さまに期待してください。神さまのみわざがあなたの人生を舞台に展開されているのです。