215 キリスト教情操教育

  聖書箇所[コリント人への手紙第一13章13節、コリント人への手紙第二4章18節] 

 広辞苑によると

 【情操教育】 (ヘルバルト学派が用い始めた語) 創造的・批判的な心情、積極的・自主的な態度、豊かな感受性と自己表現の能力を育てることを目的とする教育。

 ちょっと堅めの説明ですね、やわらかく言いましょう。親ならだれでも自分の子どもには良いものを見てほしい、良いものに触れてほしい、そうですね。これが情操教育というものです。しかし、考えてみればこれは子どもに対してのみ必要とは言えないでしょう。というのは人は見ているものの影響、触れているものの影響を決定的に受けるものだから。夫婦は似ていると言いますが、もっと似ている間柄は親子です。実によく似ていますね。電話で「お母さん、お願いします」と言ったところ、本人だったりして。今回はキリスト教情操教育を学びましょう。つまりキリスト教では何を見るのか、です。

 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。(Uコリント4:18)

 答は、見えないものを見る。なぜ?一時的でなく、いつまでも続くから。目に見えるものに頼り過ぎると大変危険です。以前、リッカーミシンのトップセールスマンが自殺しました。会社が倒産したからです。会社が生き甲斐でした。目に見えないものに目を留める、これが大切です。それは三つ。信仰と希望と愛です。

 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。(Tコリント13:13)

信仰

 信仰はあなたに何を与えるのでしょうか。それは、逆説的ですが、目に見えるものを、です。実は私たち人間は目に見えるものがないと生きて行くことができません。その、目に見えるものを信仰が提供してくれるのです。先日私たちの教会に、大宮チャペルと春日部チャペルの両方に佐々木満男弁護士が講演に来てくださいました。「Don't worry!くよくよするな!」というテーマで話してくださいましたが、実に分かりやすいので、楽しめました。その中で感動したのは、Don't worry!くよくよするな!と書いた帽子をかぶり、たすきをかけて登壇されたことです。Don't worry!くよくよするな!と叫ぶだけでは、その音声は瞬時に消えてしまいます。でも目に見えるようにすれば、効果はより持続するはずです。案の定、大変喜ばれる企画になりました。私は23年前に今の、勝利教会を大宮駅前で路傍伝道をして創立しましたが、その前に、神さまから理想の教会像をいただいていました。「来て、ホッとできる教会、今日も来て良かった、いつまでもいたい!」と言ってもらえる教会というイメージです。人は正直なもので自分が魅力を感じるところにしか行きません。バーゲンセールなどを考えてみてください。良いものを安く買えると思うから人々は集まる、はずです。そうしてその通りであったら人はその場に留まり続けます。今の時代、教会も魅力競争の時代に突入しているでしょう。というよりも突入させられていると言った方がいいでしょうね。魅力的な教会に人々が多く集まる、これはまったく当然のことです。その、魅力的な教会のイメージが与えられたときには、まだ勝利教会はこの世に現存してはいませんでした。でも今は存在します。礼拝や祈祷会だけではなくて、実に多くの種類の人々が楽しめるような企画、活動がラインナップされています。まだまだ不十分ですが、理想には程遠いのですが、明確に高い目標を掲げています。中途ではありますが、現在、多くの方々に魅力を感じていただいています。でもはじめは単にアイディアでしかありませんでした。でも今は存在します。これは信仰の力です。信仰には目に見えるものを産み出す力があるのです。ではどのようにしたら、この種の信仰を得ることができるのでしょうか。それはあなたの中に救い主イエス・キリストをいつも意識していることです。「今、私の中に主イエスさまが生きておられる!」という思い。あなたの中に今、主イエスさまは生きておられますか?感じますか?礼拝などの場で、時間で、体験できるとすばらしいですね。主イエスさまこそが信仰の創始者です。完成者です。あなたの中で信仰は主イエスさまが産み出してくださいます。パスカルは若い頃、長い間、たましいの暗闇を歩いてきた人です。その彼が31歳の時、不思議な体験をするのです。それを『覚書き』に残し、上着の裏に縫い込んだと言われているその文章をご紹介しましょう。

 アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。あなたは哲学者や学者の神にあらず。感動、歓喜、平安!ああ、イエス・キリストの父なる神よ。あなたが私の神となってくださったとは!キリストの神がわたしの神。わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。福音書に示された神こそ実在の神です。わたしの世界は大きく広がります。正しき父よ、世はあなたを知りませんでした。しかし、私はあなたを知ります。歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。イエス・キリスト。イエス・キリスト。わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。ああ、全き心。快い自己放棄。イエス・キリストよ。私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました。わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。

 あなたも救われたときのことを忘れないように、その感動を忘れないようにしてください。いつもすばらしい信仰が機能します。そうして目に見える、あなたにとってほんとうに必要な魅力的なもの、もちろん目に見えるものが備えられます。

希望

 希望はあなたに何を与えるでしょうか?それは生きる勇気、エネルギー、知恵。反対に失望はこれらを与えません。希望がなくなったときに人はすでに死んでいます。「死にたい、死にたい!」と叫んでいるうちは、まだ希望が残っています。もし完全に希望がなくなったら、人はすでにこの世には存在してはいません。「死にたい、死にたい!」という叫びは「私に希望をください、見つけてください!」という叫びにほかなりません。私は一ヶ月に3000ー4000キロを愛車クラウンで移動します。各チャペル(教会)を巡回しています。埼玉県に5つ、群馬県に1つ、栃木県に1つ、福島県に2つのチャペルがあります。埼玉県を飛び出してはじめて出かけた先は福島県でした。私にとっても初の遠出で通えるかなという素朴な思いはありましたが、大宮チャペルの会員たちが応援してくれました。これは私にとっては大きな希望でした。希望があるかぎり、前に進むための勇気、エネルギー、知恵は絶えることはありません。今も元気に福島県を走り回っています。実に恵まれる時間を過しています。希望をいつも持つためにはどうしたらいいでしょうか。二つの知恵があります。一つは、すべてのことは神の手により益となると信じること。あなたはすべてのことが神さまの御手の中で生起しているしていることを信じていますか。しかもこの神さまは善意のお方。そう信じていますか?信じているなら、幸いです。「私の神さまはいじわるです!」なんてことはあり得ないのです。もう一つはユーモアの活用。フランクルは第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所の中でなんとか生きのびようとする努力の中にユーモアの活用があったと言っています。収容者仲間と毎日少なくとも1つはユーモアを言い合ったと言います。生き延びるためには希望を持ちつづけなければなりませんから。天使が飛べるのは心が軽いから、とよく言われますが、ユーモアはあなたの心を軽くし、希望へとつなげてくれます。完璧な人はいません。失敗しない人はいません。あなたもきっと失敗してがっかりすることがあるに違いありません。どうか自分をねぎらってやってください、ユーモアで。

 ロンドンの貧民窟に育ったチャップリンはこう言っています。「人生はクローズアップで見れば悲劇、ロングショットで見れば喜劇」。さすがユーモアの大家らしいことばです。あなたの心には笑いがありますか。ユーモアがありますか。ユーモアと笑いがあるところ、希望があります。エバーハート牧師が著書『ユーモアのある風景』の中でこんなことを書いています。

  祖父 「どお、うまくいってる?」 
  犬小屋を作っている幼い少年 「のこぎりを引いたけど、まっすぐに切れなかっ た。金づちで叩いたけど釘は曲がってしまった。でもあとはみんなうまくいってるよー」

 いかがですか。あなたはユーモアのある生活をしておられますか。こんな話をあります。たくさんのお孫さんと共に棺の中を覗き込んだ未亡人。亡き夫の顔を見て、「あー、この人、いつもと違うわ!うちの人らしくない・・・」と、それがだんだんと声が大きくなるのです。するとと、お孫さんの一人がこう言いました。「だって、おばあちゃん、仕方がないよ。おじいちゃん、はじめて死んだんだもん」

 ある調査では私たちの体には一日に4000個の癌細胞が生まれているそうです。でも一回笑うと200個死滅するそうです。あなたのノルマは一日20回笑うことでしょうか。

 愛は何を人に与えるのでしょうか。それは成長。愛は待つことであるから。待っている間に、人は成長します。成長できます。

     愛とは長い目で見て待っててあげる心だ
    冬の夜更けの霜の終着駅で待っててあげる心
     雨の風の雪のやむまで待ってる心
     杏の梨のふどうのいちじくの熟れるのを待ってる心
     短気を起こさずに 気短にならずに 舌打ちせずに いらいらせずに
    それぞれをそれぞれの時まで待っててあげる心
    愛とは長い目で見てじっと待っててあげる心だ

 これは詩人塩田章の作品です。

 愛とは待つこと、それから思いやり。

 ノブレスオブレッジという言葉があります。もともとフランス語ですが、「高貴な者に伴う責務」と訳されます。高貴な者は持てる者として、持たない者と分かち合うべきであるとする考えです。与えられる者もこの場合劣等感を持つ必要はないし、ひけ目を感じる必要もありません。これは聖書の思想です。

 「年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。やもめの中でもほんとうのやもめを敬いなさい。」(第1テモテ5:1-3)

 「兄弟たち。あなたがたに勧告します。……小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。」(第1テサロニケ5:14)。

 「もしあなたがたの国に、あなたといっしょに在留異国人がいるなら、彼をしいたげてはならない。あなたがたといっしょの在留異国人は、あなたがたにとって、あなたがたの国で生まれたひとりのようにしなければならない。あなたは彼をあなた自身のように愛しなさい。あなたがたもかつてエジプトの地では在留異国人だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。あなたがたはさばきにおいても、ものさしにおいても、はかりにおいても、分量においても、不正をしてはならない。」(レビ記19:33、35)。

 「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。あなたがオリーブの実を打ち落とすときは、後になってまた枝を打ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。ぶどう畑のぶどうを収穫するときは、後になってまたそれを摘み取ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったことを思い出しなさい。だから、私はあなたにこのことをせよと命じる。」(申命記24:19-22)など。

 このような愛の世界を生きることができる人はどのような人でしょうか。自分を愛する人です。自分に余裕のある人。私は「カレーライスの教え」を説いています。空腹のときに、目の前に出されたカレーライスを人は脇目も振らずに食べるでしょう。二皿目が出て来ました。食べ終わらないうちにきっと顔を上げ、周囲を見回すでしょう。ほっと一息つく瞬間です。さて、三皿目が勧められました。あなたはどうしますか?きっと周囲を見回して、「お腹がすいている人はいないかなあ」と探すでしょう、きっと。もしいればこれを譲るのに、と思うはずです。なぜ?あなたは満ち足りたから。自分のお腹がいっぱいになることと心がいっぱいになることとは似ていますね。あなたの心が愛で満たされていれば、目の前の人にやさしくなれるのです。人を愛する、と言いますが、まず、あなたは自分を無視してはいけません。あなた自身も人なのです。自分というもっとも身近な人を大切にできる人は他の人を大切にできる、すなわち愛することができます。具体的に自分を愛する生活はどのようなものでしょうか。

 「時々自分をダメな人間であると思う・・・47% 」。これは4,000人以上の小中学生に自分へのイメージを調査した結果です。1995年にイギリスでなされた心理調査で「雑誌で理想とされるモデルを三分間見つめた女性の70%が落ち込み、自責の念にかられ、自分を恥ずかしく感じられる」というのです。そんなものを見るからです。自分を落ち込ませるようなものを見るべきではありません。自分を落ち込ませるような話を聞くべきではありません。自分を落ち込ませるような場に自らを置くべきでもありません。もしそのようなことをしているとすれば自分を愛していないのです。自分を愛して心が満腹になれば、他者にもやさしくなれるし、それが返って来て、さらにやさしくなれるというものです。与える者は受けるのです。こういう良循環の社会を私たちは目指すべきです。だから愛が一番大切だと言うのです。それにはまずあなたが、自分を愛することから始めてみてください。すばらしい世界があなたの前に広がりますよ。いや、もう広がっています。愛の世界、その世界のど真ん中にあなたは、もうすでにいるのです。