218 天地創造の意味

  聖書箇所[創世記1ー2章] 

 私たちの信じる神は天地を創造された神です。さて、こう言いますと「だからどうした?」と言われる可能性もありますね。そこで今日は、その意味を考えましょう。と言ってもその答をすぐに明らかにしてしまいましょう。その答は、「カオスからコスモスへ世界を変えるため」です。ともにギリシア語であり、そのまま英語になっています。カオスとは「地は形がなく、何もな」(創世記1:2)い状態です。日本語では混沌とか混乱とか訳しますが、まったく秩序がない状態を指します。したがってカオスを1つの世界というふうに表現するのは正確ではありません。泥棒の世界も世界です。良くないものではありますが、秩序がそこにはあります。あらゆる秩序がないのがカオス。さて、このカオスを終了させてコスモスに変えるのが神のお仕事。通常、調和と訳します。私たちの日常はカオスになりやすいのではないでしょうか。不安になったり、混乱したり、先が見えなくなったり。病院の廊下をストレッチに乗せられ、手術室に向っている患者さんがいました。付き添いの外科医に向って「先生、私、不安なんです。なにしろ今日が私にとって初めての手術なんです!」外科医「私も不安なんですよ。私にとっても初めての手術なんです」もちろんジョークですが、不安に不安が重なると全くもってやっかいなのが不安の類いですね。あなたを愛しておられる神さまはあなたがカオスの中に留まることを望んではおられません。一刻も早くコスモスに移行されることを願っておられます。さて、今回はコスモスの内容を三つお話しましょう。

歴史

 ちょっと堅い表現ですが、私たちの人生のことです。さまざまなことが生起するのが、毎日の生活ですね。人との出会い、出来事との遭遇、これらが織り成すものを歴史と言います。世界の歴史は世界史、東洋の歴史は東洋史、あなたの歴史は、あなた史、自分史。さて、この歴史は偶然によるものではありません。神さまのすばらしい頭脳により、愛により立派にデザインされたものです。

 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

 天地創造の場面を見てみましょう。分かりやすく注解書の説明を利用しましょうか。

 第1日(1:2‐5).……〈神が「光よ.あれ.」と仰せられた.すると光ができた〉(3).……第2日(1:6‐8).大空が創造され,上の水と下の水が区別された.……第3日(1:9‐13).水が一所に集められ,海と乾いた所が形成され,乾いた所は地と名付けられた.……ここでの地は陸地を指す.その陸地に植物が造られた。第4日(1:14‐19).太陽と月と星の創造.……第5日(1:20‐23).魚を含む水生動物と鳥類の創造.……第6日(1:24‐31).地の動物と人の創造.人の創造は神の創造のクライマックスである.(『新聖書注解』いのちのことば社)

 きちんとした秩序があることが容易に見てとれます。決して思いつきではありません。あなたの人生も同様です。日常、さまざまな出会いがありますね。さまざまな出来事がありますね。すべては神さまの手になる傑作です。ときには試練も襲います。あなたはもしかするとその試練の真直中にいるのかも知れませんね。「こんなに苦しい目に会うのは世界広しと言えども私くらい!」なんて思うほどかも。でももしあなたがそれほど厳しい試練を経験なさったとしたら、あなたは神さまに期待されているのです。今、試練に会い、カオスの中にいる人を助けるべくあなたはそこにいるのです。なんとすばらしいことでしょうか。あなたがその人にコスモスを産み出すのです。真の試練を経験した人はなんとも言えない雰囲気を醸し出すものです。人の心や気持ちが分かるのです。どうか、あなたの信じている神さまは愛と善意のお方であることをもう一度確認してください。

信仰

 「光、あれ!」と神さまは言われました。ここで信仰のすばらしい世界をご案内しましょう。

 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。(ローマ10:9-10)

 注目したいのは二つのことのコンビネーション。「心に信じ」ることと、「口で告白」すること。前者は「心で信じれば、罪が赦され、天国に行ける」ことを約束し、後者は「口で告白」することによって、日常生活のあらゆる必要な場面で神さまの助けが得られることを約束しています。まさに車の両輪。ゆえに心に信じるだけでなく、口で告白することが重要です。「光、あれ!」と口で告白するという、神さまは模範を示してくださいました。すると何が起きる!いままで存在しなかったものが存在するようになります。これが信仰です。

 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。(ヘブル11:1)

 つまり信仰とは夢を持つことです。ロマンを追い掛けることです。あなたは夢を持っていますか?私は唯一のフルタイムワーカーとして教会では働いています。ゆえに毎日忙しいのですが、それは表面的なもので、何が忙しいかと言うと、夢を追い掛けることに忙しいのです。理想とロマン、なんという気持ちの良い響きでしょうか。ではこのような信仰を自分の中に育てるにはどうしたらいいでしょうか。それは情操教育、すなわち良いものを見たり、聞いたりすること。親ならだれでも自分の子どもに良いものをと願いますが、親が最初に自らに情操教育を施すべきでしょう。先生がたばこを吸いながら、生徒たちに禁煙を説いても説得力はないでしょう。まず自分に向けて良いものが耳から目から入るようにしましょう。良いものとは、心を明るくしたり、前向きにしたり、リラックスさせたりしてくれる情報です。

 ロジャー・フォン・イークは創造性研究のパイオニアとして知られているが、著書の『眠れる心を一蹴り』の中で「頭脳のチャンネルを合わせる」ことを唱えています。

 まわりを見まわして、青い色のついているものを五つ見つけよう。実際に試みていただきたい。「青」を意識していると、青がすぐさま目に飛ぴ込んてくるだろう。机のうえの青い本、ソファのうえのクッシヨン、壁の絵のなかの青。同様に、新しい言葉を覚えれば、一両日中に六回は、その言葉を耳にするだろう。同じように新しい自動車を買うと、すぐに同型の車をあらゆるところで見かけることも、おそらくご承知だろう……。なぜかと言えば、人は自分の捜しているものを見つけるからである。陰謀を捜せぱ、陰謀を見破るだろう。善行の例を捜せば、やはりそれを見いだすだろう。全ては頭脳のチャンネルの合わせ方次第である。(『眠れる心を一蹴り』新潮社、浅沼瑠子訳)

 もし「にっこり」を意識していればあなたににっこりしてくれるものばかりが目に飛び込んで来るに違いありません。すべては「頭脳のチャンネル合わせ」次第ですね。作家ウアーノン・ハワードは、小さなノートにきれいなことばを書き溜めている人のことを紹介しています。喜び、愛、清らか、きらめきなどなど。それらを毎日折に触れて使用すると言う。そして友人にこう語ると言う「バラ色のことばばかり使って世の中とつきあって来たからバラ色の人生になった」
 試しに次のことばを読んでみてください。

 不幸、不安、不機嫌、不愉快、ゆううつ、絶望、悲しい、暗い、みじめ、陰険、沈んだ、つまらない、ぶすーっ、うんざり……

 さて、気分は?では次です。読んでみてください。

 明るい、気持ちいい、うれしい、楽しい、幸せ、クスクス、うきうき、わくわく、最高、愉快、おもしろい、陽気、すてき……気分は?もう実験は終わりにしましょう、前者のものは。

 良いものだけを見、聞くことに心掛けるのがいいのです。

生活ルール

 あなたには生活ルールがきちんと整理されて持っていますか。もし、ないと困りますよ、と言うよりもカオスになりやすいはずです。現代は車社会です。でもカオスにならないのは道路交通法があるからです。ルールこそがコスモスを産み出すのです。人間は被造物として最高峰の位置付けをされていて、この世界にコスモスをもたらすように期待されています。

 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」ついで神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与えた。それがあなたがたの食物となる。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」すると、そのようになった。(創世記1:28-30)

 そのための方法がルールです。あなたの生活においてはさまざまな人に会うはずです。あなたに親切な人もいれば、いじわるな人もいます。ルールをもって接するのが良いのです。自分にカオスをもたらさないために。さまざまな出来事が生起するはずです。カオスにならないためにはどのように対処するかを事前に準備できていれば最高です。ルールこそがあなたの人生と日常生活に平安と調和を提供してくれます。聖書の教えるルールは次の4つです。

 1)愛する。

 2)従う。

 3)ゆるす(赦す、許す)。

 4)尊敬する。

 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。あなたがたのすることは、ことばによると行ないによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。(コロサイ3:12-20)

 昔、一人の年輩者が川岸に立ちました。向こう岸に渡りたかったのです。馬がなければ難しいことは分かりました。馬を連れた人がやって来ては渡って行きました。何組かを彼は見過ごした後、ある一組に「すみません。川を渡りたいのです」と頼みました。にっこりとうなずいてくれたのですが、質問されました。「いままで何組もあなたの前を通り過ぎて行きましたね。なぜ私にだけ声をかけたのですか」「私にはあなたが親切な人であると分かったのです」こう答えた人は第三代米国大統領トマス・ジャファーソンでした。人を見る目があるのでしょうね。私たちも他の人から、先のような徳あるルールをいくらかでもマスターして、その雰囲気を醸し出したいものですね。大切なことは試みること。失敗してもいいから、良いことは実践してみること。失敗してもいいではありませんか。もう一度やってみればいいのです。キリスト教が昔から伝えて来たことが二つあります。一つは夢とロマンを持つこと。もう一つは失敗を恐れないこと。特に後者は十字架と復活がその根拠です。すべての失敗と罪を十字架に付けて、後ろを振り向かないで、気を取り直してもう一度トライ!少しづつ上達していけばOK。実は教会というところは、このことを互いに了解して集まっているところ。互いに練習しています。互いに向上しています。昨日よりも今日。今日よりも明日。去年よりも今年。今年よりも来年、というふうに。いかがですか。こう考えてくるとなんと楽しいではありませんか。神さまはあなたをさばかないのです。あなたを「赦し」ます。あなたが失敗しても、それが罪であっても赦してくださいますし、あなたの性格をご自分がお造りになったものとして受け入れてくださいます。受け入れること、それが「許す」こと。キリスト教の世界、コスモスがここにあります。