225 あなたの中の隠れた宝

  聖書箇所[ローマ人への手紙5章1ー8節] 

 以前一生を貧しく過した農夫がいました。葬式の後、しばらくして彼の荒れ地のような畑から油田が発見されました。今回はあなたの中の隠れた宝というタイトルでお話しましょう。あなたの中にはすばらしい宝物があるのですが、もしかするとあなた自身気がついていないかも知れません。それで今回は三つ明らかにして差し上げましょう、というのが主旨です。

義[1]

 「あなたの中に義がある」と言われてもなかなかピンと来ないのではないでしょうか。「あなたには愛がある」と言われればちょっと恥ずかしいけれども、意味としてはよく分かります。「あなたはたくさんお金を持っています」と言われればこれもよく分かります、少なくとも言わんとすることは。でも「義がある」と言われても、「ウン?」答を言いましょう。

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)

 これが答です。すなわちあなたは非常に高い価値そのもの、というわけです。ただし注釈が付きます。それが「信仰によって」[1]。これの意味は後に説明しましょう。「信仰によって」のみ、はじめてこれは理解されるのです。さて、この義があなたによって理解されると、あなたの中には非常にしっかりとした平安が与えられます。しっかりとした平安とは日常生活上で起きるさまざまなことに影響をうけにくいという意味です。あなたはいかがですか。先週、あるいは今週、何かに気持ちが大きく左右させられたりしませんでしたか。不安定にさせられたりしませんでしたか。海面を台風が通り過ぎても海中までは影響を受けないそうです。真の平安とはそのようなものではないでしょうか。生活の中でさまざまな出来事に出会ってもあまり影響を受けずに、落ち着いていられるというように。しっかりとした平安、壊されにくい平安、なんと魅力的でしょうか。このような平安が義によってあなたにもたらされるのです。なんとありがたいことでしょうか。ところで人間には二つの顔があると言います。家の外での顔と中での顔。外ではにこーっと愛想がよく、中ではぶすーっ。ここであなたに質問。どちらがほんとうのあなた?心身症をご存じと思います。心の問題が身体に症状となって現れるもの。簡単な例では胃痛、それが進んで胃潰瘍。あるいは頭痛。理由はほんとうの自分を隠し、にせの自分を演じているから。ストレスが溜まるのです。にせの自分を演じることは健康にも良いことではありません。さて、先の質問に戻りましょう。どちらがほんとうのあなたですか?答を言いましょう。どちらもほんとうのあなたではありません。ではほんとうのあなたはどこに?それが、

 わたしの目には、あなたは高価で尊い。(イザヤ43:4)

 これがほんとうのあなたです。信仰が鍵と言いましたが、神の目を信じることが信仰です。神があなたをそのように見ておられます、そう判断されています。信仰のあるあなたがなぜそれに反対できるでしょうか。どうか主イエスさまにあなたの心を目一杯オープンにしてください。主イエスさまを通してあなたの中の信仰は力一杯働きます。そうすればあなたは毎日毎日自分を楽しむことができるでしょう。それは一分が楽しめることを意味します。私はあるとき、この真理を受け入れました。以来、たとえ一秒と言えども楽しめるようになりました。というよりも楽しまないと勿体無いのです。時間、人生、すべては愛の神さまからのプレゼント。おおいに楽しみましょう。

神の栄光[2,6-8]

 神の栄光って何?これも分かりにくいですねえ。あなたの中にあるのです。さらに分かりにくいでしょうねえ。それは心の広さ。「えっ、それは、まさか?私の中にはないッ!」いいえ、そう断言するのはちょっと待ってください。

 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。[6-8]

 弱い者、不敬虔な者、罪人のために配慮するのは心の広い人のする仕事。主イエスさまはそれをなさいました。それを見習おうとした、ベルギーの神父ダミアンはハワイのモロカイ島にやって来ました。ライ病(ハンセン病)者を助けるためでした。でも人々は心を開きません。「あなたが親切な人であることは分かる。でも私たちの気持ちが真に分かりますか?」という思いが人々にはあり過ぎるほどあったのです。あなたはご存じでしょう。当時、世界中で彼らは社会から捨てられた存在であったのです。しかも肉の家族からも。不要な存在と宣告された彼らであったのです。なんと残酷な宣告でしょうか!「あなたは必要ない!」なんて。ある日、たき火を前にぼんやりしていました。すると突然ダミアンの足下に燃え盛る薪がころがって来ました。思わず、足をひっこめようとしましたが、時すでに遅く、彼の足を直撃しました。でも熱くないのです。ライ病に罹ったのです。彼は神さまに感謝の祈りをささげました。彼の祈りが応えられた瞬間でした。この時から彼は彼らの真の友人となることができたのです。主イエスさまは神であられましたが、人となられました、しかも私たちと同じ罪ある者、のごとくなられました。これが心の広さです。心の広さこそが人を救います。心の広い人は多くの友人を持ちます。今日迄に主イエスさまは何人の友人を得て来たのでしょうか。数えきれません。今でも世界中のどこかで主イエスさまのために命を捨てる人たちが後を断ちません。私たちは信仰を学んでいます。教会生活を積み重ねています。その間に確実に神のわざは進展しています、あなたという一人の人をその人生を舞台に。すなわちあなたの中に心の広さが育っています。ハレルヤ!あなたの中には事実として心の広さがあるのです。心の広い人はどんどん友人を増やして行きます。さて、心の広さをさらに広げて行くには、それを育てて行くにはどうしたらいいでしょうか。それには人生のグランドデザインを持つこと。あなたにはありますか?あれば小さなことにはこだわらないで生きて行けますよ。クリスチャンのためのグランドデザインがあります。それは天国に行くこと。天国こそ、最終的な生活の場。もしこれが理解されるならば、「私はあの人にこんなひどいことをされた」などと悩む必要はなくなります。赦すことは天に宝を積むことであり、あなたにとって一つの大きなチャンスです。なんとありがたい!愛するチャンスは神さまからのすばらしいプレゼント!!感謝しなければなりません。ぶつぶつ言っている暇はありません。そうする理由もありません。こう考えて来ると日常生活には天に宝を積むチャンスがごろごろしているではありませんか。神さまのために奉仕をする、ささげものをするなどなど。

忍耐の力

 あなたの中に忍耐の力がありますよ。「えっ!!?私の中に?すぐにカッとなる!のに」ところで忍耐は練られた品性を産み出します。人格者になれると教えています。魅力的な話ですね、明らかに儲け話ですね。人々から尊敬されるようになると教えています。人間名利に尽きます。人間生まれて来たからには尊敬されたいものです。実際的には50%の人々から支持を得られれば十分でしょうね。罪人の社会ですから。というのは相性があります、すなわち好き嫌いが。これは理屈抜きです。にんじんが嫌い、茄子が嫌いといったふうに。ただし相性を絶対視しないでください。信仰が高まれば相性を克服することができます。しかしそれでも世界は不信仰の世界、ゆえに50%で十分。忍耐して尊敬を勝ち取りましょう。忍耐する対象は苦難、艱難。楽しみを忍耐する人はいません。ちなみに私はクリスチャンになる前は忍耐がまったくの不得手でした。何でも三日坊主。でも最近は少しは伸びました。モンゴメリーはこう言いました。「ああ、すべての良いものは、待つ者の元にやって来る」

 鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす(織田信長)

 鳴かぬなら 鳴かせてみよう ほととぎす(豊臣秀吉)

 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす(徳川家康)

 結局は徳川家康がすべてを手にした、とはよく言われることです。でも、私たちはつい文句を言いたくなるものです、「私の十字架は重すぎる」と。十字架を苦しみの代名詞としてクリスチャンはよく使います。常日頃このようにぶつぶつ言っていた人が夢を見ました。墓場のような広い場所にさまざまな種類の十字架が立っていました。だれかが言いました、「さあ、あなたの好きな十字架を選びなさい」彼は一番気に入ったものを選んだところ、「それがもともとのあなたの十字架ですよ」と言われました。
 愛と善意の神さまを信じるべきです。あなたに悪くするわけがありません。神さまを信じてください。忍耐をしていればあなたを破滅させようと画策しているサタンでさえ味方につけることができます。サタンでさえ、彼の意に反してあなたの祝福のために働いてしまいます。ハレルヤ!

 20年ほど前のことです。ベイルートの路上で妻の面前でテロリストに拉致されたのがアメリカ人宣教師ベンジャミン・ウエア。彼ははじめぶつぶつばかり言っていました。「神さまのために働いているには、なぜ、こんなことが起きる!!?』と。でもある時考え方を変えました。実存的転換と呼びます。粗末な食事を運んで来るテロリストたちに微笑み、感謝の気持ちを折りにふれ、表現するようにしました。なんとお互いの間に友情が生まれて行ったのです。やがて彼は解放されました。拉致されてから495日目のことでした。実は敵は自分の中にある、というわけです。自分の中に自分自身がマイナスのものを育んでいます、自分でも知らない内に。逆に持っていながらもそれに気がついていない場合があります。でもそれは実は良いもの、すなわち宝物。今回はあなたの中に隠れている宝物と題して話しました。あなたがご自分の宝物に気がついて幸せな人生をおくることができますように。