233 ダビデから学ぶ繁栄のコツ

  聖書箇所[歴代誌第一11章9節] 

 あなたは神さまに選ばれました。主イエスさまに選ばれました。ではなぜ?あなたが祝福するため、成功するため、繁栄するためです。個人的にも、家庭生活においても、職場生活においても、学校生活においてもそして教会生活においても。今回はダビデからそのコツを学びましょう。大切なことは神の方法を採用することです。たとえば成功しなかったウザの例を見ましょう。

 こうして彼らがキドンの打ち場まで来たとき、ウザは手を伸ばして、箱を押えた。牛がそれをひっくり返しそうになったからである。すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、彼を打った。彼が手を箱に伸べたからである。彼はその場で神の前に死んだ。ダビデの心は激した。ウザによる割りこみに主が怒りを発せられたからである。それでその場所はペレツ・ウザと呼ばれた。今日もそうである。その日ダビデは神を恐れて言った。「私はどうして、私のところに神の箱をお運びできましょうか。」そこで、ダビデは箱を彼のところダビデの町には移さず、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。このようにして、神の箱はオベデ・エドムの家族とともに、彼の家に三か月間とどまった。主はオベデ・エドムの家と、彼に属するすべてのものを祝福された。(13:9-14)

 明らかにウザは神の方法を無視し、ダビデは謙虚に神の方法を求めています。神の箱への取扱いの態度は神への接し方についてのシンボルです。私たちの神への接し方には四種類あると言われます。神または神の方法を車に例えて話しましょう。

1 神の車を追いこして行く人。神の車に関して全く無頓着です。すべて自分で成し遂げることができると思い込んでいます。どんどん自分の方法でスピードを上げて進んで行ってしまいます。

2 神の車に乗る判断ができない人。いろいろと迷って、乗っていいものか判断ができません。非常に用心深いともいえますが、優柔不断です。

3 神の車はすでに定員オーバーで乗れない人。なぜ?周囲に群がる人の様子を見ているからです。みなさん、乗るのかしら?と気にしています。「赤信号みんなで渡れば恐くない」といったタイプです。でも車には定員がありますから、みんなについて乗ろうとしたらもう満員だったというわけです。

4 神の車に正しい判断のもとしっかりと乗って行く人。なぜそうできる?聖霊さまのお働きに敏感です。ピピピッて反応するのです。受信機の感度が良好です。これは場数で、ものになって行くものでもありますが、謙虚さが、つまり神への態度が根本には問われるものです。謙虚な人には受信できるのが神の電波です。

 神の方法を採用するとなぜ繁栄できる?それは神が戦われるから。

 ダビデはますます大いなる者となり、万軍の主が彼とともにおられた。(9)

 ダビデの採用した神の方法を学びましょう。

仲間・友人

 仲間・友人を大事にしましょう。それぞれの領域において仲間・友人はいます。まずは肉親。クリスチャンでない肉親は考え方が通じないのではないかと思いがちですが、愛してくれているという事実には敬意を払わなければなりません。霊の家族も大切です。いつも愛しあう訓練を受けています。愛の中にあなたは生活すべきです。すなわち私たちはだれでも一人で生きているのではなく、チームワークで生きているのです。カリフォルニア州には地上高さ90メートルにもなるアカスギが育っているそうです。だれでも、よほど根が深いと思います。ところが地表近くに根は見えるのです。ではなぜ暴風に耐えるのでしょうか?それは群生しているから。互いに根を絡ませながらしっかりと立っています。また孤独な人は孤独感に強く襲われます。さだまさしの歌に「自分が死ぬ時に、涙を一滴流してくれ」という一節があります。心配なのでしょうか。だれも自分の死を悲しんでくれないかも知れないと恐れているのでしょうか。「アカシアの雨がやむとき」という歌もあります。

 アカシアの雨に打たれて このまま死んでしまいたい 

 冷たくなった私を見つけて あの人は涙を流してくれるでしょうか」

 きっとあなたには涙をたくさん流してくれる人がたくさんいると思います。それは幸いですね。他の人々と良いチームワークは築くことはすばらしいことです。ダビデの繁栄は決して彼一人の手になるものではありません。多くの人が命がけで彼を助け、応援しました。

 三十人のうちのこの三人は、岩場にあるアドラムのほら穴にいるダビデのところに下って来た。ペリシテ人の陣営は、レファイムの谷に張られていた。そのとき、ダビデは要害におり、ペリシテ人の守備隊長はそのとき、ベツレヘムにいた。ダビデはしきりに望んで言った。「だれか、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらなあ。」すると、この三人は、ペリシテ人の陣営を突き抜けて、ベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、それを携えてダビデのところに持って来た。ダビデはそれを飲もうとはせず、それを注いで主にささげて、言った。「そんなことをするなど、わが神の御前に、絶対にできません。これらいのちをかけた人たちの血が、私に飲めましょうか。彼らはいのちをかけてこれを運んで来たのです。」彼は、それを飲もうとはしなかった。三勇士は、このようなことをしたのである。(11:15-19)

 続いての20から47節の間にも多くのダビデサポーターの名前が並んでいます。逃亡中も多くの人が彼を助けました。特にベニヤミン族が支援したことは重要です。ダビデを殺そうと追い駆ける先王サウルの流れの者たちですから。

 ダビデがキシュの子サウルのゆえに、まだツィケラグに引きこもっていたとき、ツィケラグの彼のもとに来た人々は次のとおりである。彼らは勇士たちの中で、戦いの加勢をした人々であり、弓を持った者、石投げ、弓矢に、右手も左手も使う者で、サウルの同族、ベニヤミンの出であった。かしらはアヒエゼル、次はヨアシュ。彼らはギブア人シェマアの子。エジエル、ペレテ。彼らはアズマベテの子。次にベラカとアナトテ人エフー。ギブオン人イシュマヤ、彼は三十人の中の勇士で、三十人の長であった。次に、エレミヤ、ヤハジエル、ヨハナン、ゲデラ人エホザバデ、エルウザイ、エリモテ、ベアルヤ、シェマルヤ、ハリフ人シェファテヤ、エルカナ、イシヤ、アザルエル、ヨエゼル、ヤショブアム。これらはコラ人である。ヨエラ、ゼバデヤ。これらはゲドルから出たエロハムの子らである。また、ガド人から離れて、荒野の要害をさしてダビデのもとに来た人々は、勇士であって戦いのために従軍している人であり、大盾と槍の備えのある者であった。彼らの顔は獅子の顔で、早く走ることは、山のかもしかのようであった。そのかしらはエゼル。第二はオバデヤ。第三はエリアブ。第四はミシュマナ。第五はエレミヤ。第六はアタイ。第七はエリエル。第八はヨハナン。第九はエルザバデ。第十はエレミヤ。第十一はマクバナイ。これらはガド族から出た軍のかしらたちで、その最も小さい者もひとりが百人に匹敵し、最も大いなる者は千人に匹敵した。この人々は、第一の月、すなわちヨルダン川がどこの岸もいっぱいにあふれるとき、これを渡った者たちである。彼らは谷にいた人々を全部、東に西に追い払った。(12:1-15)

 預言者さえも味方をしてくれます。(12:16-18)

 仲間・友人はあなたに勇気をくれます。祈ってくれます。あなたの弱点を補ってくれます。みことばもくれます。なんとありがたいことでしょうか。そのためには交わりを大切にしましょう。三つの心得を紹介しましょう。
 第一に互いに尊敬をする。仲間・友人を自分の隠れた欲望の充足のために利用しないようにしましょう。人は道具ではありません。道具なら利用できなくなれば捨ててもいいものです。
 第二に謙虚であること。自分は偉いとは考えないようにしましょう。有名ないやしの役者ベニー・ヒンはこう言います。「あなたは『従いなさい』と他者に言う。しかしあなたがまず従いなさい。あなたは『幼子のようになりなさい』と他者に言う。しかしあなたがまず幼子のようになりなさい。」
  第三に赦(許)すこと。だれもが罪人。失敗をし、罪を犯します。世の中には被害者ばかりが目立ちます。いったいどこに加害者はいるのでしょうか。私たちは常に加害者であることを心に留め、互いに赦(許)すことをしなければなりません。ダビデはまず和解のいけにえをささげました。イエス・キリストの十字架のあがないを象徴しています。(16:1-3)

賛美

 賛美を大切にしましょう。

 私たちの神の箱を私たちのもとに持ち帰ろう。私たちは、サウルの時代には、これを顧みなかったから。」すると全集団は、そうしようと言った。すべての民がそのことを正しいと見たからである。そこで、ダビデは、神の箱をキルヤテ・エアリムから運ぶため、エジプトのシホルからレボ・ハマテに至るまでの全イスラエルを召集した。ダビデと全イスラエルは、バアラ、すなわち、ユダに属するキルヤテ・エアリムに上って行き、そこから、「ケルビムに座しておられる主。」と呼ばれていた神の箱を運び上ろうとした。そこで彼らはアビナダブの家から神の箱を新しい車に載せた。ウザとアフヨがその車を御していた。ダビデと全イスラエルは、歌を歌い、立琴、十弦の琴、タンバリン、シンバル、ラッパを鳴らして、神の前で力の限り喜び踊った。(13:3-8)

 礼拝などにおいて賛美を盛んにすることはすばらしいことです。心は解放され神さまを近くに感じ取ることができます。喜びが沸き上がり、精神の自由を楽しむことができます。ただし自由は放縦につながりやすいので注意が必要です。神さまの助言の中にはガードマンの配置も含まれています(15:23-24)。あなたは教会関係の集会でガードマンを見かけたことがありますか。牧師の脇にボディガードが用意されることもあります。神の集会や教会はサタンの攻撃の的です。常に襲撃の標的にされていることを知らねばなりません。サタンに用いられる人がいます。彼らは神の集会や教会を混乱させようと鵜の目鷹の目です。非常に巧妙に戦いを挑んで来ます。悪魔の策略に気をつけねばなりません。

 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:11-12)

 すばらしい、人々を解放する賛美も当然攻撃の対象となり得ます。ダビデの妻ミカルはそうしました。(15:29)残念ですが、どこにもこのような人はいるものです。

 賛美はあなたを聖霊でもって祝福します。あなたを聖霊のあたたかさで包みます。あなたの霊も魂も解放の喜びに感動するはずです。すぐれた賛美の条件を次に述べて行きましょう。いずれも心の中がどういう状態であるかが鍵です。
 第一に、救われた感謝の意識を持っていること。
 第二に、主が私の指導者である意識を持っていること。
 第三に、あなたに祝福を約束するみことばを心に貯えていること。あなたにもあるはずです。ちなみに私にはこれ!

 ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。(ヨシュア1:7)

 第四に、感謝の思いを持っていること。
 第五に、主のみわざを忘れないこと。恩知らずにならないこと。イスラエルはたびたびこれが理由で叱られています。

 主はモーセに仰せられた。「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがこの民の間で行なったすべてのしるしにもかかわらず、いつまでわたしを信じないのか。(民数記14:11)

目的・動機

 目的・動機が聖いことが重要です。あなたは何のために繁栄を求めるのですか?成功を求めるのですか?ある人たちは他の人たちを見返したいためです。ダビデが神さまに愛された理由は彼の掲げる目的・動機が純粋であったからです。(19:1-5)彼の純粋さは随所に現れます。人間はいざというときに本性を現わすものです。彼は追い掛けられていました。彼を殺そうとしている者を殺すチャンスが目の前にあります。彼のこだわり、神の前における純粋さを見ましょう。

 アビシャイはダビデに言った。「神はきょう、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうぞ私に、あの槍で彼を一気に地に刺し殺させてください。二度することはいりません。」しかしダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。主に油そそがれた方に手を下して、だれが無罪でおられよう。」(・サムエル26:8-9)

 私はいつも神の前で自問自答します。なぜ、何のために牧師をしているのだろうかと。私の答はいつも同じです。神から預かった羊のために働くこと。私にとっては教会員が優先順位第一です。教会外の働きは時間が余った場合のみ。私に預けられた教会員の繁栄のために一生懸命に働く。私は神の前にいつも確認します。これが私にとって神第一であることの具体的な実践です。
 神の栄光のために一生懸命に働く時、私たちには繁栄が約束されます。エゴイズム、それはタコが自分の足を食べて生きているようなものです。一時は胃袋が満たされて満足かも知れませんが、やがては死んで行くのです。自分のことばかり考えるのは正しくありません。自分の都合ばかり主張するのは正しくありません。他者についてもっともっと配慮しなければなりません。それには、そのような者になるためには自分を神にささげること。それは全自動洗濯機に入るようなもの。綺麗にされます。聖められます。ダビデが戦いに勝ってまずしたことはーーー

 その後、ダビデはペリシテ人を打って、これを屈服させ、ガテとそれに属する村落をペリシテ人の手から奪った。彼がモアブを打ったとき、モアブはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。ダビデは、ツォバの王ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を確保しようと出て来たとき、ハマテに出て、彼を打った。ダビデは、彼から戦車一千、騎兵七千、歩兵二万を取った。……ダマスコのアラムが、ツォバの王ハダデエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を打った。ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。……ハマテの王トウは、ダビデがツォバの王ハダデエゼルの全軍勢を打ち破ったことを聞いた。……トウは金、銀、青銅のすべての器を贈り物とした。ダビデ王は、それをもまた、彼がすべての異邦の民、すなわちエドム、モアブ、アモン人、ペリシテ人、アマレクのところから運んで来た銀や金とともに、主に聖別してささげた。……このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。(18-1-13)

 あなたは自分を神にささげるべきです。そのときあなたは聖い者であり、神はあなたを繁栄させるのです。