238 新しい生活をせよ

  聖書箇所[ローマ人への手紙12章全体] 

  新しい生活って何でしょう?クリスチャン生活のことですよ。新しい生活って言うからには、以前は?古い生活です。新しい生活をしようと決断した時、それはクリスチャンになる決断をした時。今回は新しい生活とは何なのかをローマ人への手紙12章から学びましょう。

礼拝としての生活[1-2]

 礼拝としての生活とはいったい何を意味するのでしょうか?それは生活そのものが礼拝になっていること。ではどのような生活ぶりがそのそのように言われうるのでしょうか?ここでちょっと考えていただきたいのです。どのような生活態度であればあなたの生活は礼拝となるのでしょうか。一つの答え方は、神さまに喜ばれる生活でしょうね。あなたは最近の生活を思い出して見て、その生活はどんなふうでしたか?私たちが生活で出会うものは二つだけです。出来事と他の人。突発的に起きる事柄があります。最近そのような突発的な事柄をあなたは経験して、どのような態度あるいは対応であったのでしょうか。もう一つ、ある人との出会いがあり、その時のあなたの態度、そして対応とはどのようなものであったのでしょうか。神さまに喜ばれる生活の反対は、肉を喜ばせる生活です。生まれながらの欲望に身を任す生活です。私たちは神さまの前に生きる者として自分をチェックする必要があるのではないでしょうか。もし、あなたが神さまに喜ばれる生活をしていればあなたの心には、この世が与えることのできないすばらしい平安が与えられます。そうして平安とは幸福のための最も基本的な条件です。
 あなたは杉浦千畝をご存じでしょうね。彼の子ども時代からの夢は駐ロシア大使になることでした。昭和4年(1939年)、彼はリトアニアの領事に任命され、もうすぐ夢は実現すると胸は高まる頃、ある日の朝、彼の家は大群衆によって取り囲まれました。彼らはポーランドから逃れたユダヤ人でした。ナチス・ゲシュタポの手から逃れるために日本のビザを求めて来たのです。彼はさっそく本国に許可を求めて打電しました。しかし答はノー。三度とも。彼は決断を迫られました。本国の指令に背けば出世の道は閉ざされる、では。彼はクリスチャンとしてビザを書くことを決断し、それにより実に6000人のユダヤ人を救いました。28日間、寝食を忘れて、書き続けました。ベルリンに呼び戻される列車の中でも伸びて来る手に渡そうと、ビザを書き続けていました。戦後息子さんが「お父上の心境は?」と聞かれ、こう答えています。「クリスチャンとして、平安の中でしたことと思います」
 決断に難しさの伴うことは生活の中ではあり得ることです。でも神さまに喜ばれる決断こそが新しい生活をする者にふさわしい。どうか神さまがあなたを深く愛してくださっていることを忘れないでください。勇気をもって神さまに喜ばれることに取り組んでください。

 アイバンはデンバーに住んでいますが、30年前に起きたある事件…………ベトナムにいる間に、彼の隊の男たちは、毎日キャンディーを売りに来るべトナムの村の子どもたちと仲良くなったのです。アイバンはキムという名の7歳の小さな少女と仲良しに、いや、親代わりにさえなりました。彼は彼女を抱き上げてぐるぐる回したり、ひざに抱き上げたり、大好ぎだよと言ったりしました。けれどもある日、少女キムはベトコンによって特攻兵器にされてしまったのです。彼女は爆発物をがらだにくくりつけられ、ひとりで兵士たちのキャンプにやって来ました。しかし彼女は近づく前に、ブラウスのボタンを外して爆弾を兵士に見せました。彼女はアメリカ兵たちに、自分に近づけば爆死することになることを知らせようとしたのでした。アメリカ兵たちは彼女を撃ち殺しましたが、アイバンも引き金を引いたひとりでした。(『クレイ』2003.3)

 キムはアイバンを救おうと犠牲になりました。イエス・キリストはあなたを救うために十字架の上で死なれました。これはあなたへの愛です。あなたはあなたを愛してくれる者を喜ばせたいと考えますか?
 
共同体の中の生活[3-8]

 これは何を教えるタイトルでしょうか?それは互いに尊敬する生活です。最近一週間のあなたの生活で、出会った人々との接し方を思い起こしてください。どのように接しましたか?それから、尊敬するとは実際にはどのように接することを意味するのでしょうか?尊敬することの反対は、見下す、です。自分よりも他者を下に見ることです。ところで他者を下に見る時に伴う行動の一つに悪口を言うというやり方があります。人はなぜ他者への悪口を言うのでしょうか?二つ程専門家の主張を紹介しましょう。一つは、人の弱点や欠点を指摘すると相対的に自分が優越した印象を持ちます。つまり優越感を持つことができます。人を低く評価すればするほど自分を高いところにいる意識になれます。もう一つは悪口を言っている間、人々から注目されます。ゆえに自分が特別な存在に見えます。ただし同時に尊敬と信頼を失うので実に大きな代価を支払うこととなりますが。この二つの事柄は私たち人間の弱さを表しています。それは自分は他の人とは違う特別な存在なのよ、という思いです。よくテレビニュースのキャスターが「私たち日本人は云々」と表現します。云々は否定的な内容です。このような言い方、「私たちアメリカ人は、私たちドイツ人は」など、外国人からは少なくとも私は聞いたことのない表現ですが、このような言い方の中に自分は普通の、並の日本人とは異なるんだという思いが少なくとも無意識の中にあります。これも他者を見下す姿になります。私たちは何も特別でなくてもいいのです。神さまの前に普通の人でいいのです。

 ふつうの人でいいんだもん

 応用昆虫学者の梅谷献二さんによると、人間の側の一方的な仕分けですが、昆虫には、害虫と益虫と、そのどちらでもないただの虫がいることになるそうです。虫の嫌いな人にとっては百パーセントが害虫とも言えますが、その九十九パーセントが「ただの虫」だそうです。ある新聞にお母さんと息子さんの会話が載っていました。「お母さん、尊敬する人ってなあに?」「そうねえ、大きくなったらあんな人になりたいな、と思うような人かな」「じゃあ、お父さんって書こう」「へえ。お父さん、喜ぶわよ」「だってぽく、ふつうの人でいいんだもの」何百万種もある昆虫の九十九パーセントがただの虫だということですが、ある人が言いました。「神様はふつうの人、ただの人を愛されています。なぜならば、この世にはふつうの人が多いからです」と。(世の光トラクト)

 あなたが他者を尊敬する生活をするならあなたは他者から尊敬を勝ち取ります。すなわち人格を成長させることができます。これは人々をして神さまがあなたを引き上げるわざです。あなたは他者を尊敬する者になるためにたった一つのことを理解すればいいのです。あなたは神さまから特別に愛されていると。そうすれば他者を余裕をもって見ることができます。私とあの人とは異なる。それぞれ神さまからいただく祝福を楽しめればいい、というふうに。このような余裕を持った者を通常人格者と呼びます。

愛し、仕える生活[9-13]

 これは他の人の役に立とうとする生活です。あなたは最近の一週間を振り返ってみていかがでしたか。どの程度このような意識をもって生活されたでしょうか。ただしこのようなテーマは気をつけないと自分を傷つけることがあります。というのは「私はマザー・テレサみたいにはできません」と言う人がいるのです。確かに彼女は立派な人ですが、なにもあなたがマザー・テレサになることはないのです。あなたがカルカッタに行く必要はないのです。世界に彼女はただ一人。同じようにあなたの存在も世界にただ一人。あなたにはあなたの道があります。神さまに尋ねてください。
 一人の女子高生が似たような悩みを抱え、お母さんにぐちをこぼしました。「ねえ、私って、何の能力もないし、人の役に立てるってことなんてありえないみたいッ」。お母さんはこう答えました。「そんなことないわよ。近所を見回してご覧なさい。きっとあなたの助けを求めている人がいるわよ」。さっそく実行に移すと見つかりました。貧しい未亡人が年老いた、かつ寝たきりの老母を抱え、外出もままならない。しかも貧しくてヘルパーさんも雇えない。彼女は話をつけて来ました。一週間に一日二時間だけ老母の面倒をみてあげます、という話を。彼女の顔は輝いていました。もしあなたが他者を愛し、仕えるならあなたには三つの恵みがあります。一つは喜びが与えられます。二つ目はいつか「今度、あなたのために何か役に立ちたい」と言ってもらえます。三つ目は天に宝を積みます。
 狐がぶどう園の前を通りかかりました。おいしそう!フェンスに小さな穴が空いていましたので、そこから入ろうと試みましたが、からだが太くて入れません。そこで三日間断食をしました。中に入ってたらふく食べ、満足し、入って来た穴から出ようとした所、出られません。それで三日間断食をしました。私たちはこの世でどのようなものを得ようとほとんどのものは天に持って行くことはできません。どんなにお金があっても、不動産があっても、天には持ち込むことができません。ただ一つ持ち込むことができるのが善行。良い行いはあなたの天国における生活を豊かにしてくれます。結局、他者を愛することは究極の自分を愛することであるのです。あなたは自分を愛していますか?自分を大切にしていますか?エゴイズムとは異なります。正しく自分を愛していますか?と問うています。

世の光としての生活[14-21]

 世の光とは、何でしょう?それは広告塔!しかも歩く広告塔!何を宣伝しますか?主イエスさま、主イエスさまの救い、福音ですね。「あの人は何かが違うッ!」と人々から注目してほしいですねッ!もちろん「変人だ!」「あたまがおかしい!」というたぐいのことではありません。「うーん、なるほど、クリスチャンはすばらしい!」という評価の事です。あなたはこのように言われた経験をお持ちでしょうか。
 その日は何かの理由で出発の時刻が遅れていました。出発ロビーは人々であふれかえっていました。ようやく搭乗のアナウンスが流れ、人々は飛行機に吸い込まれて行きました。でも満員。もちろん立席はなかったのですが、雰囲気は険悪。だれもが疲れていました。乗客たちはスチュワーデスに当たります。でも一人のスチュワーデスは終始なごやかでした。どんなに乗客たちが不機嫌であろうとにこにこと笑顔を絶やしません。彼はこう言いました。「あなたを雇っている航空会社は幸運ですね」「私は会社のために働いているんじゃありません」驚いた彼はついこう聞き返しました。「ではだれのために働いているんですか?」「私はイエスさまのために働いています。会社はただ給料をくれるだけなんです」
 あなたの中におられるイエスさまにあなたが心を向けるとき、あなたの中で聖霊さまの力が解放されます。それがあなたをさらに新しい生活へと奥深く招き入れてくれます。あなたの新しい生活に主の祝福が豊かにありますように。