260  悔い改めとは何か?

聖書箇所〔ルカの福音書18章9−14節〕

一人の青年が勉強がてら、法律事務所で働いていました。その事務所のオーナーはクリスチャン夫婦でした。ある日のこと、奥さんがこう言いました。「今週、夜の祈祷会へ一緒に行ってくれません?あなたにクリスチャンになったほしいんです。それに主人が留守のときに、家庭集会の指導もしてもらいたいんです」「そうですか。ではおともいたしましょう」と答えました。その後このやり取りを聞いた夫が「なぜ行く気になったんですか?」と尋ねると、ちょっと口ごもります。明らかに義理で行くというような印象でした。行ってみると14〜15人の人々が、小さな会堂にいました。やがて祈祷会が終了すると牧師が一人一人の席に来て話し始めました。やがて彼のもとに来てこう聞きました「今晩は、ようこそ。何か考えていらっしゃること、おありですか?」このとき彼は思わずこう答えていました。「はい、私は今晩クリスチャンになることを決心しました」 さあ、何が起きたのでしょうか?

 悔い改めが起きたのです。今回は悔い改めについてご一緒に学びましょう。あなたは悔い改めについてどのような印象またはお考えをお持ちでしょうか。「悔い改めなさい!」なんて言われると、いかがですか?どんな気持ちでしょうか?何か、叱られたような感じがしたりしますか。意地になって、「もう一回食(悔)ってやるーう」なんて反応にはならないでしょうか?イメージに誤解があります。もっと、もっと、悔い改めって、すばらしいもので、人間を根本から変えてしまうものです。今回は悔い改めとは何かについて学びましょう。

 大きく二つに分けて説明しましょう。はじめに何でないか、そして次にそれは何か?後者では真の悔い改めをするための三つのステップに触れます。

何でないか

  1)感情ではありません。

刑務所で多くの囚人たちと面談して来たベテランの教悔師がこう言います。「多くの人は、刑務所の中で自分はひどく惨めだ、と感じています」そして入所してから1週間から10日間は、たいていの人が半日も泣いているというのです。でも出所してもまた戻って来る人が多いのです。取税人は感情をあらわにしているように見えますが、大事なことはもっと先にあります。

2)断食したりして自分を痛めつけるものではありません。

パリサイ人は周囲の目を意識して、つまり良い評判を得ようと、自分の思いと逆のことをしています。だれだっていつもいつもおいしいものを食べたいのです(12)。でも我慢をしています。我慢は悔い改めとは異なるものです。

  3)自責の念、または罪意識でもありません。

 10年くらい前に信用金庫の女性職員を誘拐し、殺した宮川豊は

 テレビやラジオで、誘拐犯の声が流れた。それが自分の声。近い人たちから「似ている」と言われた。追い詰められて行く日々。その数日間、容疑者・宮川豊は「コーヒーだけで何も食べていない。心が痛み、つらかった」(『読売新聞』よみうり寸評1993)*1

「こんなこと、するんじゃあーなかった!」と後悔していますが、これも悔い改めとは似てはいますが、異なります。

では、悔い改めとは何か?

それは回れ右。180度向きを変えること、考えを変えること。

そのための三つのステップを説明しましょう。

   1)神の前に出る。

 対照的な二人がいます。パリサイ人と取税人です。前者は人の前であり、後者は神の前に出ています。

      パリサイ人

「自分を義人と自任し、他の人々を見下している者」(9)

「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを感謝します」(11)

     取税人

ところが取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください』

神の前にあなたが出たとして、神はいったいあなたに何を提供してくれるのでしょうか。それは生きるための基準。そうです。生きるためには基準が必要です。この基準に基づいて、「これをしよう」「あれはやめておいた方がいい」などと私たちは判断しながら生活します。通常は親が提供してくれますが、親も人間、限界があります。そこで神の前に出て自分をチェックすることが大切です。何を具体的に観察するのか、ですが、それは日常の習慣や思考パターンです。悪い習慣をそのまま続けていれば当然悪い結果になります。何か、ことを経験するたびに思いつく考えがあり、否定的な考えをする人もいれば常に前向きな人もいます。だれもがパターンを持ち、それが人生の質を決定して行きます。自分を第三者の目で観察することをお勧めします。これが自前でできる、もっとも神の目に近くなる方法です。ポイントは「この人(あなた自身のこと)は何と一緒に(何を一番重要なことと考えて)生きているのか?」です。悔い改めはギリシア語メタノイアの訳語です。これは名詞で動詞はメタノエオー。これはメタとノエオーの合成語で、ノエオーは「熟考する」、メタは「〜〜と一緒に」、の意味です。つまりあなたはあなた自身を第三者の目で「この人はだれと一緒に生きているのか?」をチェックするのです。「この人は何を世界でもっとも重要なこととして考えているのか?」です。あなたはどのようにお答えになりますか?

2)障害物を除去する。

正しい人生を生きようとすれば、かならず障害物が登場します。あなたは障害物に悩まされます。それは仕方のないことです。私たちは罪の世界に生きているからです。その障害物とは罪です。人間は美しいものでありながらも、汚い面も持ち合わせています。さきに紹介しました宮川豊はどのような人物なのでしょうか。犯行から推測するによほど悪人かと思いきやそうではないのです。むしろ反対です。

トップセールスマン、面倒見がいい、子ぼんのう……身近な人はそろって「まさか」(『読売新聞』よみうり寸評1993)*1

 2000年にはその母親の代わりに、自分の子どもの幼稚園同級生春奈ちゃん(2)を殺した事件がありました。*2

しかし私たちは他者を責めるのではなくて、自らの罪に気がつくべきです。パリサイ人になってはいけません。自らの罪に気がつくとき、十字架の意味が分かります。方向転換(真の悔い改め)のためのスタンバイがここにあります。

3)決心して、一歩踏み出す。

方向を定めたならその正しい方向へ一歩踏み出す、これで「悔い改めができた」と言えます。こういう記事を目にしました。

昨年の十二月二十三日、ある小さな出来事がテレビのニュースで流れました。元銀行員の男性(二十六歳)が、名古屋市のテレビ塔から紙幣をばらまいたというのです。その後の調べで、この男性の素性が明らかになりました。彼は、東京の国立大学を出て大手銀行に就職したエリート。しかし、将来リストラされるのではないかとの不安から半年でそこを辞め、公認会計士になるべく勉強を開始。その内、財務諸表に詳しくなり、株の売買にのめり込むようになる。彼が行なっていたのは、インターネットで短期売買を繰り返し、利ざやを稼ぐというものです。そのような人のことを、デイトレーダーと呼ぶそうです。いわば、株取引の「一匹狼」です。「一匹狼」の生活は、何ともわびしいものです。平日は午前七時半頃起床。新聞やテレビで海外相場や経済ニュースを確認。取引開始前の売買注文を分析しその日の市場動向を予測。取引のある午前九時から午後三時まで、パソコンに向かう。日に数回から数十回売買を繰り返す。こういう生活が、三年続いたのです。これまでに稼いだ金は、約一億二千万円だそうです。名古屋でばらまいた紙幣は、経営破たんした足利銀行系の株で大儲けをしたものでした。ではなぜその金をばらまいたのか。彼はこう証言しています。「白由な反面、市場から利益をもぎ取るだけで、世問に何のプラスも生み出していない。この世界に自分がいてもいなくても同じと思うと、たまらない気持ちになった」(毎日1/25)。事件後、警察から厳重注意を受けた彼は、これからは外に出て他人と交流を持ちたい、将来は事業を始めたいと語っているようです。++この男性の行動は異常とも思えますが、彼の内面は正常に機能していると判断されます。白分の生活の異常さに気づく能力がまだ失われていなかったという意味で、彼は正常なのではないでしょうか。……(『ハーベストタイム』2004.3)

++以降はハーベストタイム中川健一の意見ですが、私は全面的にこの意見には賛成です。彼は第二ステップまで来ていますね。願わくば第三のステップに足を踏み入れてほしいものです。私は20歳のときにそうしました。すなわち方向転換を成し遂げました。それまでの方向は「自分が得すればいい」から「他者に喜んでいただく」へです。それからというもの、私の人生は楽しくて楽しくて仕方ありません。喜びを与えると与える者が一番喜びを得ることが分かりました。悔い改めは私たちの人生を優れたものにしてくれます。

*1甲府信用金庫(本店・甲府市丸の内)大里支店の職員内田友紀さん(19)誘拐、殺害事件で、山梨、静岡両県警の合同捜査本部は二十四日午後、有力参考人として調べていた自動車販売会社セールスマン宮川豊容疑者(38)を身代金目的誘拐、殺人、死体遺棄で逮捕、同容疑者の自宅や勤務先などを捜索した。事件は友紀さんの失跡から二週間ぶりに前面解決に向かった。……脅迫電話の録音テープや不審人物のイラスト公開で追い詰められ、同日早朝、山梨県警鰍沢署に出頭した。宮川容疑者は動機について「自動車販売に絡んで三千万円の借金があり、返済に困っていた」と供述。……(『読売新聞』1993)

  *2東京都文京区の若山春奈ちゃん(2)殺害事件で、殺人罪などで起訴された主婦山田みつ子被告(35)の供述の全容が十四日、明らかになった。山田被告は警視庁など捜査当局に対し、撃件の二か月前の昨年九月から「春奈ちゃんの母親を殺してしまおうと考えた」と述べる一方、母親の殺害は現実には困難と思い、十月からは「代わりに春奈ちゃんを殺害しようと考えるようになった」と供述している。捜査当局は、山田被告は、ただ一人の友人と思っていた春奈ちゃんの母親が、二年前から冷たくなったと一方的に思い込んだと断定、内気な性格も手伝って、憎悪を膨らませた末に事件が起きたと見ている。(『読売新聞』2000)