308 史上最高の愛

●聖書箇所[ヨハネの福音書3章16節]

 クリスマスおめでとうございます。おなじみのことばChristmasはともにラテン語起源でChristとmasの合成語です。masはよくカトリック教会でミサと言いますが、お祭り、お祝いの意味です。Christはキリスト、ヘブル語起源でメシア、すなわち救い主です。つまりクリスマスとは救い主がお生まれになった、みんなでお祝いをしよう、というものです。ではいったい何が私たちにうれしさの理由なのでしょうか。それは救い主の登場は史上最高の愛のそれであるから。どのような愛かを見て行きましょう。

無条件の愛

 「世」は地上のすべての人の意味です。神さまの愛はすべての人に及びます。神さまはどの人にも「私はあなたを愛していますよー!」と叫んでおられます。「私なんかー」ってあなたは言ってはいけません。1945年にイギリスの孤児院でなされた有名な研究があります。それによると職員にあまり触れられなかった子どもの死亡率はよく触れられた子どもの死亡率よりも高かったというのです。犬養道子の『人間の大地』(中央公論社)には7万人も収容されている難民キャンプの話があります。そこに一人の衰弱した子どもが登場します。医者は流動食や薬を口から入れようとしますが、がんとして口を開かず、また顔も全くの無表情。このままでは死んで行くだろうとだれもが思う中で一人のボランティア青年が預からせてくださいと言って、それからは一緒に生活します。ほおをなでたり、キスしたり、抱いたり、とスキンシップにつとめました。ついに三日目に無表情だったあの顔がニコッとしました。この世界に私を愛してくれる者がいるんだと納得したように。フランスの作歌ビクトル・ユーゴーがこう言っています。「人生最大の幸福は、あるがままの、つまり無条件に愛されているという確信を持つことである」。賢明なあなたはここに二つのメッセージが存在することを気がつかれたでしょう。「私は愛されているという事実」と「それを認識できていること」の二つ。お母さんが「お金を送ったよー」といくら叫んでも(もちろん事実として送金済みなのですが)、息子には実際にはお金が届いていないとすれば無意味です。これと同じことです。事実神さまはあなたを愛していらっしゃいます。大切な御子をあなたの身代わりに死なせるためにこの地上へお送りくださいました。これが愛の証拠です。あとはあなたがありがとうと受け入れる手続きだけが残っています。いかがでしょうか。あなたは受取りますか。何の条件もありません。何かをしたら、何かの功績があれば、でもありません。ただ受取るだけです。神さまはあなたをありのまま、そうです、無条件で愛してくださっています。

不変の愛

 「永遠のいのち」とありますが、「いのち」とは祝福とか、幸福と訳すことが可能です。「永遠」とはいつまでも変わらないの意味です。昔は愛したけれど今はもう愛さなくなったというのとは違います。これはなんとすばらしいメッセージではありませんか。多くの人が悩んでいるのです。何に?「昔は愛してくれた、ところが今は愛してくれない!」と。変わってしまったのですね。「あ一あ、あの人は変わってしまった」。夫婦のカウンセリングをすると圧倒的に妻が『私は愛されていない」と思っていることが分かります。「釣った魚にはえさをやらないというのは本当か、やっぱり本当だ!」と変に自分を納得させようとします。では夫は何もしていないのでしょうか。夫は「俺は朝から晩まで会社で働いているんだ一。これこそ愛している証拠だ」と考えています。妻は妻で、「家の中を一生懸命にきれいにして、「これが私が夫を愛している証拠よ」とアピールしでいませんか。スピードを落して神さまの愛を受けとめて、味わってみませんか。一人のインディアンが車に乗せてもらいました。でもまもなく『停めて一っ!」と叫びました。運転者は慌てて停めて尋ねました。「どうしたんですか?」。「からだはここまで来たけれども、たましいがついてこれないツ!」。たった30キロのスピードでした。でもたましい、すなわちこころはもっとゆったりとしたいものですね。あなたのこころに愛が来ますように、そして真のクリスマスが来ますように。