334 サタンに負けないで

 ●聖書箇所 [創世記3章1−6節]

 私たちはあるアイディアが浮かんだりした時には、わくわくもし、それが実現したりすればさらにうれしいものです。そしてそのようなことが続くと幸せだなあ−と感じます。しかしいつも、そしていつまでもこのような思いが続くとは限りません。がっかりしたり、うつになったりと、気分が落ち込んでしまったりします。そんな時に一つのことを考慮に入れなければなりません。それはサタンの働いている可能性です。いままでとても良かった人間関係が急に悪くなったり、悪い事が続いたりした場合にはおうおうにしてサタンの干渉の可能性が高いと言えるでしょう。それで、どうぞサタンに気を付けてください。と言いましても彼の知恵は優れたもので、私たち人間には太刀打ちできません。でも心配しないでください。もっと優秀な知恵があります。それを使えばいいのです。それの持ち主は天の神さまです。今回はこれを学びます。その前に一言。神さまの知恵の優秀さは単純さにあります。安心してください。

たえず感謝する

 あなたはたえず感謝していますか。「ありがとう!」と言っていますか。感謝できる人はサタンに強い人です。ところでサタンのやり方について考察しましょう。彼は姿を見せません。正体を現しません。3章1節では蛇に化けています。蛇は蛇。サタンではありません。正体を隠しています。そして私たち人間の見えない部分に働きかけます。見えない部分って?肉体は見えますね。だから心です。見えない存在が見えない部分にアクセスするのです。無気味ですねえ。対処するのに苦労するのはここに一因があります。しかも低い所から(蛇が地を這っていますねえ)、慇懃に。もし正体を見せてこう言ったらどうでしょうか。
 高い所から「私は偉いサタンだ!みんな俺様を礼拝しろ!俺はお前たちを堕落させるためにやって来たのだ!」。
 対応も随分と楽なものになっているに違いありません。さて、彼は何を言いたいのでしょう。
 「『園のどんな木からも食べてはいけない』って?ほんとうに神さま、そんなこと、おっしやったの?」。「全部だめ!って、ほんとう?」
って畳み掛けられたエバはどんな思いがしたのでしょうか。「神さまって、親切でやさしいお方だから、全部ダメっておっしやることはないかなあ−……。ないかもしれないなあ−」といったところでしょうか。注解書にはエバが神のことばを正確に受け止めていなかったからだと書いてあります。もちろんこれは正しい見方です。でも私は別の説明をしてみましょう。
 ここには三大説得テクニックが隠されています。でも最後にお話しましょう。ここでチェックしたいことは彼はエバの、すなわち人間の欲望を刺激したことなのです。彼女は貪欲に火をつけられました。こうして私たちはぶつぶつを言い始めます。「もっと私は持っているべきだ」「私にはもっと多くのものがあたえられるべきだ」と。これではサタンの思う壷です。どうかしっかりとイエスさまを信じてください。しっかりと信じると何がいいかと言うと、あなたの中に聖霊さまがしっかりと働きます。この神の霊がサタンと戦い、あなたを勝たせます。「サタンとは私が戦い、そして勝つ!」とは言わないで下さい。神の霊が対抗してくれるのです。聖霊さまがあなたの中で充分に働きますと、だんだんと感謝の思いが沸き上がります。「いのちを与えられたことに感謝します」「仕事が、家庭が与えられていることに感謝します」と。するともはやサタンはあなたには近付けなくなります。

たえず目標や夢を持つ

 いかがでしょうか?あなたには夢がありますか?目標がありますか?夢を持っている人はいつも輝いています。ニコニコしていますね。目標のある人はその目標を達成するために忙しくて悪習慣に時間を費う暇がありません。ですからいつも建設的な態度です。さて、サタンの性格について考察してみましょう。それは人の弱点を突く、というもの。男は女に弱い、女は何に弱い?ブランドに弱い?弱点が狙われます。もしあなたがあなたの胸に手を当てて「私は人の弱点に目がいってしまってしようがない」と正直になって、こう観察できるなら気を付けてください。サタンと波長があいやすいから。心理学に自己防衛機制と言いますが、その一つに投影というものがあります。「あなたはなんてケチなの!」と他者を裁く人は自分自身が嫌いな性格であるケチなのです。そのケチを相手の人をスクリーンに見立てて映しているのです。こうして私たちは人の言動や行動等を観察して、人の心の内容を、すなわちどんな性格で、どんな心理状態であるかを見破ることができます。でもいいことわざがあるではありませんか。「人の振り見てわが振り直せ!」。ここに人間関係の大切さがあります。私たち人間は人間の中にいてこそ人間になれるのです。狼少女は結局、狼的な人生を生きざるをえませんでした。人間が人間になるのは人間の中にいてこそなのです。私たちは家族や友人たちを神さまからいただいた宝物と考えるべきなのです。大切なプレゼントと考えるべきなのです。これは人格を向上させてもらえるすばらいい、かつありがたいチャンスをいただいているという意味です。エバの弱点はみことぱを正確に把握しなかったことにあります。3章3節の応答と2章16と17節の本来のおことぱとを比較してください。神さまは「触れてもいけない」とも「死ぬといけないからだ」ともおっしゃってませんね。言わない事を勝手に付け加え、言われた中身を薄める間違いを犯しています。これがエバの持つ弱点です。ところで私たちは他者の弱点を攻めれば、その人はうつになるでしょう。そして攻めた自分もうつになります。自己嫌悪感に捕われます。弱点や短所をなくす方法をご存じでしょうか。ここでクイズ。コップに中の空気を追い出すにはどうしたらいいでしょうか。さあ、考えてください。答え=水を入れる。当たりましたか?考え過ぎるといけません。コロンブスの卵です。良い習慣を入れれば、悪い習慣は出て行きます。良い習慣とは夢や目標です。注意点は常に持っていること。そのためにはそれほど大きくないものがいいでしょう。達成したら、すぐに別の目標を用意しましょう。これが大切です。巨人軍の清原選手は豊かな才能を持っています。でもなぜか巨人に来てから活躍ができません。西武から移動する際にある人がこう言いました。「新しい年に彼は活躍できないだろう」。なぜ?彼は「巨人に入る事が目標だったから」。常に目標を掲げることが重要です。こうしている人にサタンは手を出せません。

神の権威の前にへりくだる

 あなたはへりくだっていますか。つまり神さまのおことぱにすなおですか?昔昔、父なるお方が子なるお方に「相談がある。実は人間たちが罪に苦しんでいる。なんとか助けたい。出掛けて行って救ってはくれないだろうか?」と言われました。イエスさまはもちろんすなおに応答なさいました。それゆえに私たちは今救いの恵みに与っているのです。なんと感謝!なことではありませんか。あなたはすなおですか。すなおな人はいつも平安!。なぜ?神さまの力を信じているから。「私のために神さまは働いてくださる。その全能の力で」というふうに。
 エバがすなおでしたか?3章1節を見てみますと、疑問がもうすでに生じているように見えます。サタンの誘導質問に負けているように見えます。どうか父なる神さまにすなおになってください。それはみことぱに対して「はい!」って言う事。「なるほど、そう言う事ですか−。分かりました。でも……」とは言わない事です。
 どうしたらいいのでしょうか。「私は神の陣営にいる、側にいる」とその立場を明確にすることです。これがサタンに負けないためのたったーつの解答です。さて約束を果たさなければなりません。サタンの誘い方には三大テクニックが隠されています。それが成功しています。

 ●Door in the Face
 はじめに大きな願いを言ったとします。たとえば「1 0 0万円貨して!」とか。でも人は断るでしょう。ここに罪責感が発生しますが、これを利用したやり方です。続けて「1000円ならどう?」と言えば、抵抗は少ないでしょう。サタンははじめに「どんな?すなわち全部だめ?」って聞いています。神さまはやさしく親切であると考えているエバは全部を否定する事にためらい、「一つならいいか」と思い食べてしまったのです(1:6)。

 ●Low ball
 相手が受け取りやすい願いを言うものです。 「―つならいいかなあ」とエバもアダムも食べました。でもこれは危険な事でした。サタンの目標は人間が決定的に神から離れることにあったからです。でも一度ボールを受け取ってしまうと、次も受け取ってしまうものです。敷き居が低くなります。

 ●Foot in the door
 さあ、これが決定的です。デパートで、ドレスを見ていると売り子が近付いて来ますね。そしてこう言います。「いかがですか。試着してみませんか?」。家に帰ってこう呟きます。「買わされてしまった!」。これは販売テクニックなのです。デパートに行くか行かないか、そしてどのドレスを見るかもあなたの自由です。でもいつの間にか自由ではなくなってしまっているのです。エーリッヒ・フロムが「悪について」の中でこういう話をしています。恋に落ちた男女。でも息子の両親は結婚に反対です。でも反対すれば逆に燃えるもの。両親はこう提案しました。「結婚は自由だ。でも6ケ月ヨーロッパ旅行をしてみてはどうか。その後に結婚したらいいさ」。さっそく彼は出掛けました。そして行く先々で美しい女性を見、帰って来た時には彼女への思いは変化していました。さて質問。いつ彼は自分の決断の自由を失ったのでしょうか。ヨーロッパで美しい女性を見てからでしょうか。いいえ。両親の提案を受け入れた時です。エバはサタンと交際をしてしまいました。この時自由を失ったのです。

 本来、私たち人間は、すなわちアダムもエバも自由を持つものとして作られました。ですから自由に決断ができるのです。これは人格の条件です。この条件がなければロボットです。私たちは自由。でもサタンと交際をしてしまうと、その自由は私たちの手許から失われます。「私は神の陣営にいる、側にいる」とその立場を明確に常に明らかにしていてください。あなたはサタンに負けることはありません。
 神さまの豊かな祝福があなたにありますように。