341 信仰・希望・愛 2

 ●聖書箇所 [コリント人への手紙第一13章13節]

 この世界でもっとも大切なものについて今日は学んで行きましょう。もうお分かりですね。信仰と希望と愛です。「いつまでも残るもの」とは「もっとも大切なもの」の意味です。みなさんの中には、お金がもっとも大切だ、とおっしゃる方もいるかも知れません。確かにお金は重要です。だれもがお金が好きです。私もそうです。でもNO。1ではありません。信仰と希望と愛がもっとも重要なのです。

信じること

 信仰と表現すれば、それはそれでいいのですが、あえて動詞を一部含めて表現してみました。その方が動きが見えますね。さて、質問。あなたは何を信じていますか。もちろんクリスチャンなら「神さまを信じています」という答えに決まっていますね。あるいは「イエスさまを神の御子です」。でもこれでいいのでしょうか。このような答え方でいいのでしょうか。イエスさまは悪霊でさえこの程度のことは信じているとおっしゃっています。すると何が問題でしょうか。適切な答えが必要です。

 「世界には最高の指導者(聖書の神)がおられ、その方が愛とあわれみと善意とを持って私を見つめていてくださり、私の人生を祝福してくださる」と信じる。

 これが正しい答えです。いかがでしょうか。このようにしっかりと信じているとどんな良い事があるでしょうか。それはうつになりにくい、ストレスに強い、と言えます。
 アロン・アントノフスキーはストレス学説に新しいパラダイムを切り開いた人です。名前でお分かりのように、ユダヤ人です。彼はナチスの捕虜収容所という非常に過酷な環境から生還して、なお精神的に健康である人々を研究して、一つの結論を導きだしました。ご存知のように、たとえば10のストレスがかかった場合に10の苦痛を受け感じるのが従来の学説です。当たり前と言えば当たり前です。ところが彼が言うにはそうではなく、3の人もいるし9の人もいるというわけです。彼の説明を聞きましょう。

 数多くの研究を通じて、ストレスの強い人は首尾―貫感覚 (Sense of Coherence、略してsoc)を高く備えていると言います。これは三つの要因から構成されていると彼は言います。

 1.把握可能感。
  これはこれから起きるであろう事をある程度予測する能力です。人生にはさまざまなことが起きます。職場ではこういうことが起きるかも知れない、家庭ではこのままではこんなことが起きそう、と予測するものです。ちょうど車を運転していれば、子どもが飛び出してくるかも、あの青信号は渡れないかも知れないなどといったことです。このような予測がある程度できる人はパニックになりにくいのです。逆に予測できていないと、「どうして私にこんなことが起きるの?」というふうにストレスを強く感じます。
 2.処理可能感。
  予測していたことが現実に起きた場合に、冷静に対処できる能力です。「きっとなんとかなるだろう。うん、大丈夫」などと楽観的に考えることができる人はストレスに強いと言えます。逆に「もうだめだあ−っ」という反応が強い人はストレスに弱いのです。
 3.有意味感。
  最後はこれ。 「私の、この苦しみには意味がある」と信じられる人はストレスに強いのです。

 この3つを総合してsocと言いますが、これが高い人はどんな困難にも強く、負けないで前進できる人です。さて、彼が続けて言っていることはこのsocの高さはどこで得られるかです。社会ですが、特にユダヤ人の社会を高く評価しています。信仰があるからです。何があろうとも神さまが助けてくださるという信仰です。そしてうれしいことに日本の社会をも彼は高く評価しています。それぞれ、成員が困難に陥った時に家族が成員をサポートするからです。それゆえに私たちは肉の家族のみならず、霊の家族をも大切にしなければなりません。さて、首尾一貫感覚がストレスに強くさせると言いましたが、先に記した「信じること」がこの、首尾一貫感覚なのです。どうか、ぶれないでください。「こんなことが起きるんだったら、信じなけれぱよかったかなあ−」なんて言わないで下さい。あくまでも信じ続けてください。うつにもストレスにも強いあなたになりますよ。

希望を持つこと

 ある夫婦に娘さんがいて、少しずつ精神に変調を来し始め、ついに精神病院に入りました。精神科の医師はどんどん悪くなって行く彼女について手の打ちようがないとさじを投げました。すべての人が諦めても諦めないのが親というものでしょう。旅行に連れて行ったり、できることは何でもしました。でも結果はさんざんでした。牧師の助言を仰ぎました。すると「現状の悪いものを感謝しなさい」という答えでした。彼らは悩みました。「なぜ、悪い事にまで感謝?」。理解できない助言でした。ここまで書いて読者はこの牧師がだれであるかをお分かりでしょう。マーリン・キャロザースです。彼らはさんざん議論をした挙げ句ついに決断しました。「神さま、あなたは私たちを、そして私たちの娘を愛してくださっていることを知っています。この病気を感謝します。病院から出られない状態である事を感謝します」。こうして「すべての事について感謝しなさい(1テサロニケ5 : 18)」ということぱを実行しました。
 いかがですか。あなたの感想は。「すべて」と書いてありますね。だから「すべて」ですよ。でもこれが難しい!ですね。でも試みました、彼らは。まもなく病院から電話がかかって来ました。「お嬢さんの具合が良くなっているんです。不思議なことが起きています!」。そうです、ついに直りました。後にお兄さんがあかしして、彼女はその後結婚して、子どもが生まれ、「最高に幸せな家庭を築いている」と言いました。この事実のあかしを書いたのは、どんな場合にも希望を捨ててはいけないと言いたかったからです。捨てたら、そのようになるのです。捨てなければ、そうなるのです。結果はあなたが選ぶのです。イエスさまもそうおっしやっています(マタイ9 : 21-22、29)。というのは私たち人間は人格あるものとして造られたからです。人格とは選択の自由があるものです。あなたが希望を選ぶか、選ぱないかは、それはあなたの自由です。どうか希望を選んで下さい。
 ではどのようにしたら、希望を選ぶ事ができるのでしょうか。それは前向きな交わりの中にいること。決して後ろ向きの、否定的な人々の中にいないこと。私たちは失敗するものです。罪を犯すものです。そういった時に、「もう一度試みてみようかなあ−」と言う時、「どうせあなたはできないんだからやめなさい!」という返事は否定的ですね。いいようがあるでしょう。「この部分を変更してみたら今度は成功するかも」というような。ことぱは心から出て来るものです。イエスさまもおっしやっています(マタイ12 : 34)。肯定的な心を持つ人々と努めて交際をしましょう。あなたの中の霊がその実力を発揮してくれますよ。霊の働きをご存じでしょうか。霊は創世記1章2節に登場します。何も存在しない所に、存在を起こす、これが霊の働きです。霊には良いものと悪いものとがあります。悪いものは、失望のないところに失望を生み出します。良い霊は、しかし、希望のないところに希望を起こします。良い霊とは聖霊のことです。そして聖霊は前向きな世界に働いてくださるお方です。

愛すること

 愛、なんて響きの良いことぱでしょう。愛は不可能なことをします。どんなこと?それは敵を愛すること。これは実際難しい、いや不可能なことです。嫌いな人にやさしくするなんて。好きな人を愛するのは実に簡単ですが。
 そこでナイチンゲールは多くの人の記憶に残りますね。クリミヤ戦争で敵味方の区別なく、傷病者を看病しました。
 マルチン・ルーサー・キング牧師も人種差別撤廃運動を進めるにあたり、暴力に対しても決して暴力を使いませんでした。爆弾を自宅に投げ込まれても。
 台湾の蒋介石総統が「善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ12 : 21)と言い日本に戦争賠償請求を一切放棄したのは有名です。決して他者を追い詰めてはいけない、という歴史の教訓でもあります。「窮鼠猫を噛む」と言うように。
 第一次大戦で負けたドイツに周辺国は莫大な賠償金を課しました。ドイツ国民はその支払いに大変苦しみもがきました。そんな中にヒットラーが登場しました。「もうそんなものは支払う必要はない!」と叫び、大喝采を浴びました。その後の歴史をみなさんはご存じです。憎しみは新たな憎しみを生むだけです。愛し、愛される世界が最高に良いものです。アダムとエバが世界に登場したとき、まず愛し、愛される関係が神さまによって期待されていました。そこに真の幸せがあり、人としての成長があり、喜びがあります。
 ではどのようにしたら愛することができるでしょうか。それは愛されることの経験を積むことによってです。愛されることは次のように整理できます。

 A(1)神から。あなたは生かされています。このことを受け入れてくださいいのちは神さまからの愛のプレゼントです。みなさんの中に「今朝、私は心臓のスイッチを入れて来た」と言う人はいらっしやらないでしょう。いのちは神の御の中にあります。あなたが今生きているのは神さまがあなたを愛しておられるからです。
  (2)人から。人の親切をすなおに受けましょう。
 
 B(1)やさしさを受け入れましょう。
  (2)注意を感謝して受け入れましょう。正直に指摘してくれるのは有り難いことです。神さまがあなたを愛するがゆえにあなたに送ってくださった友人です。

 イスラエルの歴史を見てみましょう。やさしくされる−叱られる−やさしくされる一叱られるのパターンですね。私も子育てにはこのパターンを採用しました。叱った後には抱き締めました。愛を理解してくれたと信じます。『ガリバー旅行記』をご存じでしょう。作者のジョナサン・スウィフトは一時牧師をしていました。ある時、一人の婦人がこう相談しました。「実は私は毎朝、鏡を見て、自分の美しさにほれぼれとするのです。これは罪でしょうか」。彼は答えました。「それは罪ではありません。あなたの誤解です」ちょっと辛らつですが、―つのことだけを覚えてください。私たちはだれも「私はいつも正しい!」と言ってはいけないということを。最後にもう一度確認しましょう。私たちにとって一番大切なものは信仰と希望と愛です。こもに育てて行きましょう。