344 愛こそすべて

聖書箇所 [コリント人への手紙第一13章13節]

 私たちは毎日の生活を気持ちの良いものにしたいと願っています。では実際のところはどんなものでしょうか。親子、夫婦、友人関係など問題を抱え込んではいないでしょうか。根本的に何が問題でしょうか。それは愛です。「私には信仰がある!」と自慢できても、愛がないなら空しいものです。「私には大きな立派な希望(夢と言ってもいいでしょうか)がある!」と言っても、愛がないなら何の値打ちもありません。今回は愛を持って生きるにはどうしたらいいのか、ご一緒に考えましょう。

愛を手に入れる

 ある人たちは、「私には愛がある」と考えています。ヒューマニストです。次のような記事を読みました。題名は「慰めが人を傷つけることも」です。

会社員 板倉美雪29(東京都板橋区)

 随分前の事になりますが、その日以来ずっと心に残っている事があります。私は生まれた時から嫁ぐまで、祖父母と同居していたため、核家族の方たちよりも、お年寄りに対する接し方や考え方が分かっているつもりでした。ある日、祖父の友人が訪ねて来ました。そのおじいさんは奥さまを亡くされたばかりでした。縁側で二人の会話が耳に入り、はっとしました。「おぱあさんの分まで長生きしてねって、皆、言うんだよ。そんな言葉が一番つらいんだよ」と。それはそれは悲しい目をして話していました。愛する人を失った悲しみがどれほど大きいものか。人の分まで長生きする事って何だろう。必ずしも、それは残された者に対する思いやりの言葉ではないんじゃないか、と痛感させられました。文芸評論家の江藤淳が愛妻の後を追うように自らの命を絶たれました。私も結婚した今、愛する人に対するおじいさんの思いが改めて心にしみました。(読売新聞1999年8月6日)

 昔は女優が人気が落ちるからと、結婚していることや子どもがいることを隠していたものです。ある有名な女優が仕事の合間を縫ってお嬢さんに高価なお人形さんを買って久しぶりに会いに出かけました。ところがなんと受け取ったお嬢さんはその人形を床に投げ付けてこう叫びました。「私がほしいのはお人形さんじゃない!」。物を上げればつい、私たちは愛を上げたと思いがちです。あるいは先の投書のように愛しているつもりで、自己満足でしかない場合もあるのではないでしょうか。愛がないと私たちに現れる症状と言うものがあります。それは、寂しさとイライラ。あなたは寂しさを感じたことはありませんか。「私はだれからも愛されていない」「私は忘れられている」といった思い。同時にそれはイライラを生むものでもあります。

 欲求不満が生じると人は攻撃行動に走るというのが、心理学の法則です。以下はある心理学者の調査です。

 怒りを感じたら、言葉で攻撃する人は80%、そのまま実行に移す人が49%。身体的な攻撃を加えたいと思う人は40%、それを実行に移す人は10%。相手に損失与えようと思う人は80%、そのまま実行する人は41%。全体では怒りを感じても60%の人はじっと我慢しているというのです。おっとりした人は、攻撃行動をしません。というよりもできません。それはエネルギー不足のせいです。それがまた新たな欲求不満となります。それはさびしさであり、イライラです。私たちには愛が必要です。

 ブラジル政府がカンパラスラ町に前代未聞の施設を始めました。20数年前の事です。刑務所の運営のすべてを二人のクリスチャンに任せたのです。二人の専任職員以外はすべてを受刑者自身で運営するのです。名前はヒューマイターと名付けられました。チャック・コールソンは視察した後、次のような報告書を書きました。

 私を案内してくれた人は殺人犯でした。出会うすべての人がニコニコしていました。平和な顔をしていました。案内者は私を、以前は囚人を拷問するために使っていた独房へ案内してくれました。彼は言いました。

 「今はここには一人がいるだけです」
 「中の人に会うことができますか?」
 「どうしても会いたいですか?」
 「はい、ぜひとも」

 彼は重いドアを開きました。そこには囚人が美しく彫刻した十字架があるだけでした。彼は言いました。

 「イエス・キリストは私たちのために残りの刑期を全うしてくださいます」

 私たちがいま、すべきはイエス・キリストに向って、「ありがとう!」ということでしょう。

 NHKの調査によると、人々が考える、最も美しいことぱは「ありがとう」であり、次いで「さよなら」、「ごめんなさい」です。イエス・キリストのあがないに「ありがとう」と言いましょう。また罪に向って「さよなら」と言い、「ごめんなさい」と一つ一つの罪を悔い改めましょう。

聖霊の満たしを経験する

 私たちはニュースで不幸な出来事を知ると同情の心を感じます。あるいは「あのとき、こうすれば良かったかなあ-」と思ったりします。私たちの心の中には愛したい気持ちがあります。でも頭でそう思うだけでは愛することは必ずしもできません。心と体の両方に愛せるだけのエネルギーが必要です。コリント人への手紙第一6章19節にはこうあります。

 「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり」。

  聖霊さまは心のみならず体にも宿ります。あなたは心の中で愛したいと思い、体がそれを実行します。愛とはこのようなものです。聖霊の実はまず「愛」と掲げています。

 「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5:22、23)。

 御霊の満たしをあなたが経験するとき、あなたは愛の行動に出ることができます。

 青年が突如降り始めた大雨にうろたえているおぱあさんを目にしました。さらに雨足は激しさを増して、道路は冠水しています。彼は可哀相にと思い、タクシーを使って家まで送り届けました。降りるとき、お金を払おうとしたら、タクシーの運転手さんが「私にも手伝わせてください」と言って、半額にしてくれました。

 愛は愛を呼び、私たちは美しい世界に生きることができます。聖霊さまを人生の第一のパートナーとすることをお勧めします。聖霊さまはあなたの中に満ち、あなたは愛することをします。イエス・キリストもまず聖霊さまに満たされる経験から公生涯を始められました。荒野における誘惑への勝利も聖霊さまに導かれての勝利でした。聖霊さまをあなたの人生の交通法規にしてください。少なくない方々がそのときの気分や人のことぱで日常の出来事を交通整理しようと努めています。ゆえに混乱ばかりです。あなたの中にイエス・キリストがおられますか。おられるなら聖霊さまがあなたの中に派遣されています。どうか心静め、聞いてください。素直に聞くときあなたは聖霊さまに満たされ、全く誤りのない導きを得ることができます。ちなみに東京では一年に204件もヘッドライトを上向きにしていることから生じた事故が発生しているそうです。ヘッドライトを上向きにすることは交通法規違反です。マナー違反です。私たちは人を不愉快にすべきではありません。それはマナー違反です。こういう簡単なことでさえも、聖霊さまによって教えていただくことができます。

信仰によって愛し始める

 一人の弟子が先生のもとに出向き、「先生、キリスト教の奥義を教えてください」と言いました。「いいでしょう」と言われましたが、−ケ月経ち、2ケ月経ち、一年経っても何も教えてくれません。「先生、教えて下さるとおっしやったではありませんか」。「私は教えていますよ。毎日お皿を洗ったり、食べたりして、一緒に生活しているではありませんか」。

 これはイエス・キリストの弟子教育のスタイルですが、つまりこういうことなのです。私たちはつい深遠な話を聞きたがります。でも信仰の奥義とは生活そのものなのです。さあ、あなたの好きでない人を愛し始めましょう。あなたを傷つけた人を赦しましょう。あなたを憎む人のために祈りましょう。神さまがその人を特別に祝福してくださるように。なぜならあなたを傷つけた人はあなたを妬んでいるからです。こういうケースは非常に多いのです。妬みは祝福されて消えます。少なくとも穏やかなものになります。憎むよりも哀れみの心を持ってください。さらに模範的な愛の行為を見たら真似をしてみましょう。「あっ、これはいいことだ!あの人、上手!」と思うことって日常によく見かけるでしょう。
 ヨブは最悪の苦しみにのたうち回りました。でも友人たちのために祈ったら、その苦しみから解放され、そればかりでなく、二倍にも祝福されました(ヨブ42:9、10)。

 どのようにしたら愛することができるでしょうか。それはできる、と信じること。愛が一番重要だと書いてあります。でも信仰からスタートしていることを思い出してください。信じることが必要です。幼子のように。
 ショーペンハウエルは「天才はみんな子どもである」と言いました。天才はすばらしいインスピレーションを受けますが、子どもであるから受けるのです。イエス・キリストも「幼子のごとくあれ!」と言われました。あなたが子どものように、幼子のようにすなおに信じるなら、あなたは愛することができます。神さまはあなたが愛し始めるときにすてきなプログラムを用意してくださっています。
 48歳で亡くなった人がいました。それまでとても元気だったのに、、急に入院したと思ったら、あっと言う間のことでした。遺言書の中身を知って人々は驚きました。一億円もあったからです。でもそれだけではありませんでした。「33年前に○○さんは私を一度ピクニックに誘ってくれた。彼に遺す」と書いてあったからです。

 たった一度の親切が、愛がOOさんを大金持ちにしました。これは神さまのあわれみです。あなたを愛する神さまは目に見える祝福を持ってあなたを応援してくださいます。今、勇気をもって愛し始めてください。神さまの豊かな祝福があなたにありますように。