383 神とともに歩んだ

 ●聖書箇所 [創世記6章8ー9節]

 「神とともに歩んだ」とはなんと気落ちの良い表現でしょうか。いかがでしょう。いま、ここで、あなたの口でこう告白してみませんか。
 ところで、お葬式のときに友人たちがどう表現してくれるかがその人への評価だとは言われますが、「あの人はお金にガツガツして生きていた」とか、「いつも喧嘩ばかりしていた」などとは言われたくないものですね。では、「神とともに歩んだ」と言われるのはいかがでしょうか?でもいったいどういう意味なのでしょうか。
 このように言うことができます。神は愛ですから、神さまの愛に包まれ、それゆえにあなたの心はその愛で一杯に満たされ、温かく、周囲の人々にもお裾分けした、といった意味でしょう。ノアはまさにそのように生きました。あなたも生きることができます。学んで参りましょう。

祝福される家族・家系を創始した[6:18、7:1]

 両方の節とも祝福の対象は家族である事を教えています。そうして聖書は(家族とその連続としての)家系を大切なものと考えています。旧約聖書には家系図がたびたび出て来ますし、新約聖書では冒頭(マタイの福音書)から家系が記されています。人類最初の人であるアダムには二つの家系があります。一つは呪われた家系であって、それはカイン。もう一つは祝福のそれであって、セツです。彼は謙虚な人でしたが、お母さんのエバが「選ばれた」という意味で命名しました。閃きがあったのでしょう、この子は神さまから祝福される、と。事実そうでした。セツーノアーアブラハムーユダーダビデーヨセフとマリアーイエス・キリストと続きますね。
 家系を通じて神さまの祝福は来ます。家系は神さまと私たち人間の間を繋ぐ一つの有力なチャンネルであり、接点です。

 一つのあかしを紹介しましょう。 
 ……三田幸子さん(51)は、中学二年生の時に東京都町田市に引っ越してきた。おどろいたことに、前日に来ていた父親が「彼女」を連れてきていた。しかも、母親が楽しみにしてたガスオープンをすでに使っている。「おばあちゃんが来た時に」と言って準備された部屋は、共同研究を名目に大学教授をしている父の教え子である「彼女」のものとなっていた。それでも、幸子さんはうれしかったという。「彼女」がいる時は父親は母親に対して優しかった。それまでは父親の「笑顔なんて見たことがない」。父親は一分おきに「彼女」の名前を口にする。自分の上の部屋から、父親と「彼女」の笑い声が聞こえる。しだいに幸子さんは、「彼女」に対して嫉妬していた。母親と自分を認めない父親に対して殺意を抱いたこともあった。「彼女」の名前を思い出すだけでも、震えて涙が出てくる。傷付いていた。口には出せないが、感情は抑えきれず、内側から震え、涙がジワッとでてきた。……父親は……若い「彼女」との結婚を望み離婚した。……幸子さん……は……一方的に婚約破棄をし、「自分の中の醜さ、浅ましさ、高優さに絶望した」。全身に湿疹ができ膝も曲げられなくなった。(『クリスチャン新聞』2000.9.3)続きは*

 これでは祝福された家族・家系とは言えないでしょう。良い家系を作るにはまず自分が祝福された霊の家系に入ることです。霊の家族の一員になることです。それはイエス・キリストを救い主としてしっかりと信じることです。信じると神さまの豊かな霊の流れの中に自分を置くようになり、そうして祝福を得て行きます。そういうことの後で、肉の家族の中に戻るのです。肉の家族にはその祝福が移るでしょう。霊の家族の中に入ることにはどのような意味があるのでしょうか。
 ハインツ・コフートという心理学者はなぜ「キレル」のかについてこう言っています。「自己愛が不足しているからだ」。父親が愛情と権威を持って「お前はいい子だよ!」とほめると、子どもはそのメッセージをお世辞とは考えないので、そのまま自分の中に受け入れます。つまり自己を愛するのです。この自己愛が不足している人は「心の中に神さま」を持つように、と奨めています。これこそイエス・キリストを信じることによって可能となるのです。イエス・キリストを通してあなたは心の中に愛と権威を備えたお方に尊重されることを学びます。祝福される家系とは互いに尊重・尊敬される関係を維持できている家系です。

生活の中にあかしを持っていた[6:13、14]

 「箱舟を作りなさいと」いう命令は神さまから来たものです。計算の仕方にもよりますが、箱の形をしたもので、一万数千トンから四万3000トンの大きさでしょう。内部は三階立てになっています。でも大洪水がやって来ることを信じて山の中で船を作るというのは、周囲から見て決して常識的とは見えないでしょう。天気も最高に良く、人々は連日のパーティーに忙しく、浮かれっぱなしでした。そのような人々からの軽蔑するような目つきに彼の心は傷ついていたでしょう。でも彼の信じたことは正しかったのです。この経験は彼にとって大きな財産になりました。あなたにもあるのではないでしょうか。
 私にはあります。東京新宿の歌舞伎町。ここには思い出があります。電車の窓から見えるそのとき、私は感動を覚えます。30年前でした。私は空しくそのあたりをさまよっていました。恐ろしく空しかったのです。何をしても空しかったのです。酒を飲んでも、たばこを吸っても、そして雑踏の中に入ったけれども、それでも。そういう時に私は救われました。あの時代の恐ろしいまでの空しさを歌舞伎町は私に思い出させ、それだけではありません。救いの恵みの大きさに感動させられます。これは私の宝物です。これは信仰のあかし、しるしです。このような信仰上の経験やしるしは生活の中で励みとなり、希望となります。あなたにもあるはずです。大切にしてください。私たちは生活の中でさまざまに困難を覚えるはずですから。どうしたらあかしを持ち、かつ大切にすることができるでしょうか。それは幼子のようであること。ノアはそういう人でした。純朴、スレテいないと言ったらいいでしょうか。神さまのおことばに素直なのです。スウーっと入って行く人です。幼子のような人こそ、十字架と復活のメッセージを生きることができます。それは古い自分に死に、新しい自分を発見し、それに生きることです。こういう人は神とともに歩んでいる人と言えます。

生きた、神のことばとつきあった[6:22、7:5]

 ノアの中にみことばが生きています。素直に受け入れて、そのおことばの通りに事が進み、彼は自信を深めます。彼の周囲には彼を嘲笑する人々が多くいました。でも彼は素直に言われた通りに箱舟を作りあげました。14節をご覧ください。彼のしたことを観察しましょう。塗るとはあがなうの意味です。木のやにを塗りましたが、やには木の生き血です。もし、やにを乾燥させたら木は死にます。やにを塗るとは、イエス・キリストの血を塗る、すなわちイエス・キリストのあがないを意味しています。内と外とに塗るとは心とからだのいやしを表しています。イエス・キリストの血はあなたの心の傷をいやし、体を健康にしてくれます。あなたはこれを信じますか。
 神とともに歩む人はこれを経験できるのです。
 さて雨は40日40夜降り続きました。そして地表を水は覆いました。このときに化石ができました。化石は環境の激変によってできます。進化論は間違っています。長い時間をかけて化石ができるのではありません。もしあなたがさんまの食べ残しを道ばたに捨てたとすると何が起きるでしょうか。化石になると思いますか。なりません。だれだって分かります。ネコが食べてしまうのです。さもなくば風化して風にさらわれてどこかへ行ってしまいます。大洪水のときの地球環境の激変が化石や化石を含んだ地層をひっくり返したり、裂いたりしました。今日では20分で石炭を実験室の中で作り出す事ができます。
 てノアは神さまのおことばを信じてみてその真実を経験しました。彼ら家族は滅びから救われました。彼らが生きることができたのはまさにみことばによるのです。それも生きたみことばです。どうかあなたも生きたみことばをあなたの中に持ってください。それにはみことばが閃いたときに、あなたは勇気をもって飛び込む必要があります。閃いたときです。「あとで、よーく考えます」ではなく。閃いた時、聖霊さまがあなたに接触したときです。あなたにはそのおことばを実行できるだけの力が備えられた瞬間です。三田幸子さんのあかしのつづきを読んでください。

 *今、素直にならないと一生後悔する。恥ずかしいけれど。思いきって教会に行きたい」 洗礼後、父親と「彼女」を僧む罪の処理のために牧師に相談した。「感情がともなわなくてもいいのです。イエスの御名を使って『赦す』と宣言することが大事なんです」と教えられた、しかし、言えない。ムラムラしてくる。「冗談じゃないわよ。赦しをこうのはあの二人でしょ」。言わせない悪魔と闘って十日目。「なめんじゃないわよ。私をだれだと思っているのよ。神の子よ」「イエス.キリストの名によって父と彼女を赦します」「やったー!言えた!」一週間ほどして、昔のつらかったことを思い出しても、心にも体にも変化がないことに気付いた。そこには父親と「彼女」を赦す感情があった。「癒しのカは一瞬で、完全。信じ、祈って、癒されてほしい」。今、幸子さんは明るく語る。(『クリスチャン新聞』2000.9.3)

あなたの人生に神さまの豊かな祝福を祈ります。