勝利教会インターネットチャペル

若い母親のあなたへ1


 ・・愛するときは今・・


妻が忙しいときのこと。
「お父さん! いっしょに寝て!」
「ひとりで寝れないの?」
「もういい! ひとりで寝る! お父さんも忙しいんでしょ」
小さな娘とこんな会話になるとき、私の心の中には何ともいえない苦さが感じられます。それは「希望通りにしてあげればよかった」、という思いです。
子供が成長し、すでに手が離れてしまった親が言います。
「もっと多くの時間を子供と過ごせばよかった」
「やり直しができたら」

「あなた! (若い母親に向けて)できるだけ一緒にいてあげなさい!」
みなさん! 愛するときは今です。明日では遅いのです。すぐに子供は成長してしまうのです。そして気がついたときには、既に親の手の届かないところに行ってしまうのです。
「お父さん、遊ぼうよ! ネェー、遊ぼうよ!」
「今忙しいの。後で暇になったらね」
いつもこんな会話を繰り返していた父子。やがて子供は独立し、奥さんも亡くなってしまいました。彼は子供に電話をしました。
「ちっとも遊びに来ないじゃないか。たまには遊びに来いよ」
「うん、ヒマになったらね」

人は家庭を持ち、親になると同時に愛する責任が生まれます。
さて、愛とは何でしょうか。
ヘブル人への手紙7章27節にはこのように書かれています。
「キリストは自分自身をささげた」
愛するとは自分自身を与えることだと聖書は言っています。

今回は「自分自身を与える」ということの意味を学んでみましょう。

第1に、一緒にいること。

愛とはひとつの生き方。それは、「私たち」が生きるというものです。人というものは何かに属していたい、と願うものです。そしてその何かを「私たち」と表現するのです。家庭はこの「私たち」です。ですから家庭への帰属意識が薄れると子供は不安定になり、道をそれたりすることがあります。
「ただいま」
「お帰りなさい」
ここに愛の生き方、つまり「私たち」があります。もしも鍵でひとり家に入り、ひやっとする感じのする台所でインスタントラーメンを食べているといしたら、愛のやりとりをする相手がいないとしたら?
私たちは一緒にいたいのです。同じ屋根の下の生活が必要なのです。
互いに顔を見合わせ、言葉を交わしながら。「そんな時間はもったいない」こんなふうに考える親はエゴイストであって、子供を立派に育てることはできません。一緒に過ごす中で、「喜びは倍に、悲しみは半分になる」のです。(ローマ12:12)
スキンシップはこれを更に効果的にします。

第2に、質問に答えること。

子供の質問はくだらないものでしょうか。答えるに値しないものでしょうか。このとき親としてのあなたはテストされているのです。どんなつまらないと思われるような質問にも答えてほしいと思います。それによって、知的な要求を満たしてあげることができます。頭脳の回転を良くします。
さらに自分がこれから生きていこうとしている社会に対して良いイメージを持ちます。実際子供が生まれてはじめて接する世界は、母親という者です。
もし丁寧に、本人と社会との関りを肯定的に教えてあげることができれば、子供は社会を肯定的に、積極的に理解しようとし、人生に希望を感じ取ることができるのです。
私は子供と電車やバスに乗ったときには、ご老人に席を譲るように指導しています。
「なぜ譲らなければならないの?」
私はこう答えます。
「お年寄りは、私たちが仲よく暮らせる、こんないい社会を作ってくれた人たちですよ。感謝しようね」
親の考え方ひとつで子供の人生への取り組みは良くも悪くもなるのです。

第3に、共通の体験を持つこと。

私は子供のころ、北海道に住んでいました。今でも思い出すのが、家族で見に行った40円映画です。いわゆる「雨」が降っているフィルムでしたが、子供心にたいへん楽しみでした。父に連れられて行った鮒釣りも忘れることができません。良い親子関係にはたくさんの共通体験があるものです。家族旅行などはとてもいいものです。
親密さの条件は秘密を共有することです。
「ねー、あれ、どうした?」
「ああ、あれね」
このような会話の意味がわかりあえるとき親子の間は大変親密です。断絶のない家庭、それは多くの共通体験を持っている家庭です。愛しあっている者同士たくさんの秘密があって当然なのです。秘密こそ愛し合う親子の秘訣です。

第4に、生きる意味を分かち合うこと。

私はあるとき父に尋ねました。
「なぜ人は生きるの?」
「そんなつまらないことは考えずに勉強しなさい!」
私はこの答えに大変に失望しました。意味が分からずに行動することの苦しみに耐えかねていたからです。あなたは子供さんからこのような質問をされたらどうしますか。はっきりと答えることができますか。一体あなたは何のために生きているのか。このように考えてみたらよく分かるのではないでしょうか。
洋服は何のために造られましたか?
 人のためです。

御飯は何のために造られましたか?
 人のためです。

あなたは何のために造られましたか?
 神様のためです。

親は正しい答えを持ち、サンプルを子供の前に提供しなくてはなりません。生きる意味を分かちあえる親子は愛し合っている親子です。

最後に、先ほどの聖句にあった「自分自身を与える」ことについて考えてみましょう。
シンプルライフの勧めをしておきます。シンプルライフとは、何が人生で最も大事なのか、優先順位をつけ、それに従って生きることです。
あれがほしい、これがあったら便利、もっとたくさんの財産がほしい。私たちは多くのものを望みます。しかしそれらを得ようとして家庭を失ったとしたらそれは悲劇ではないでしょうか。
物を与えることは愛を与えることよりも簡単なことです。今の社会は多くの物を得ようとして、いちばん大切な物を捨てているのです。それによって不安と憎しみを持った家庭が生まれているのです。いちばん大切なもの、それは、平和な家庭と子供の笑顔です。

大切なあなたの子供であればこそ、愛するのは今しかないのです。
「わずかな物を持っていて主を恐れるのは、多くの財産を持っていて恐怖があるのにまさる。
野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎しみ合うのにまさる」
   (箴言15:16〜17)


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