勝利教会インターネットチャペル

若い母親のあなたへ13


  聖書的こども観



 電気製品などを買いますと、メーカーの説明書と、保証書が添えられています。
 あなたの大事なお子さんのメーカーは、キリストの神さまです。この神さまに、子どもについての説明を聞いてみましょう。

第1に、神さまがあなたに預けました。

 「私はあなたを体内に形造る前から、あなたを知り・・・・」(エレミヤ1:5) 神さまは、心と体を備えた一人の人間を、あなたに預けなさいました。あなたの子でありながら、あなたの子ではないのです。
 人が銀行に預金をするように、神さまはあなたに子を預けて下さいました。それにしても、あなたが銀行とは、神さまも信頼して下さったものですね。

 さて銀行としては、その期待に応えて、利息をつけてお客様に返さなければなりません。
 「・・・・私のお金を銀行に預ければ、私は帰ってきたときに、それを利息と一緒に受け取れ・・・・」(ルカ19:23) まさにお客様は神様≠ナす。

 では、利息とは何でしょう。
 それは信仰と、能力(これは第2で触れます)と、道徳です。これを付加価値といいます。
 付加価値が大きければ大きいほど、お客様である神さまは喜びます。

 まず信仰です。
「私はあなたの純粋な信仰を思い起こしています。その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと、あなたの母ユニケのうちに宿ったものです・・・」(第2テモテ1:5)
 一緒に教会の礼拝に参加し、夜寝る前に聖書物語を読み、お祈りをしましょう。
 また本人の得意とするもの、興味あるものを観察して、賜物は何であるかを知るようにしましょう。
 また、聖書にある道徳を身に着けるように指導しましょう。十戒を教え、何が罪(悪)であり、何が罪でない(善)かを教えましょう。
 礼儀も教えなければなりませんが、その出発点は、霊の親であるまことのただ一人の神さまへの礼儀から始めましょう。
 すべての教育の基本は預け主の書物である聖書であることを、理解しましょう。

第2に、子どもはダイヤモンドの原石です。

 人間はすべて神さまの立派な作品であって、尊重されねばなりません。「私たちは神の作品であって・・・」(エペソ2:10) ただし原石ですから、磨かれてから輝き始めます。幼少の頃からいろいろなお稽古事をさせてみたらいかがでしょう。
 そして興味の続く、また意味のありそうなものを1つか2つ、高いレベルにまで導くように励ましたらいいでしょう。
 「芸は身を助ける」と言います。将来、神さまと人のために用いられるでしょう。
 お母さんは、それを見ている満足そうな将来の自分の姿を、思い描いて下さい。ただし、決してお母さんの希望や都合を押し付けてはいけません。
 まして自分の果たせなかった夢を託す、という考えに縛られてはいけません。お母さんと子どもとは全く別人なのですから。

 またもう1つ知っていただきたいことは、他の人とは違ったものを身に着けさせたいものです。
 子どもは、大量生産の部品ではないのですから。ひとりひとりがオリジナルな存在であって、決してコピーではないのです。
 これは神さまの願いです。

第3に、子どもはお母さんとは別の人格です。

「私はだれに対しても自由です」(第1コリント9:19)。
 これは分かっているようで、分かっていないお母さんが多いのです。
 別の人格ということは、たとえお母さんといえども支配(思い通りに)しようとしたら反発を食い、結局は育児に失敗するということです。
 人格と対極にあるのがロボットです。ただただ言われた通りに動きます。何の疑問も持ちません。機械的に。
 だって機械ですから、言われたまま動くのみです。教育ママと言われる人たちは、自分の子どもだからと言って、ロボットのように扱っています。
 やがて非行に走ったり、精神的に病んだりすることが多くなります。たとえそうならなくても、エゴイストにはなります。
 もちろん子どもですから、自分では判断できない問題も多いのですが、成長に従って自分で判断できる領域は広がっていきます。
 そのチェックを怠らないようにし、できるだけ自分で判断できるように助けてあげましょう。

 また物事に対する子どもなりの受け止め方、つまり子どもの気持ちを大切に取り扱うようにしましょう。
 悲しいときや、うれしいときなど、感受性豊かに表わせるように育てたいものです。
 「そう、悲しかったの・・・」
 情緒的な表現を繰り返してあげたり、うなずいてあげたりすることです。

 お母さん、あなたの役割は子どもを成人させることです。
 成人とは親元から離れていくことで、結婚はその1つです。聖書にはこう書いてあります。
 「男はその父母を離れ、妻と結びあい・・・」(創世記2:24)
 [子ども=いきがい=神]にしてはいけません。それは偶像礼拝の1つであって、お母さん、あなたばかりでなく、あなたの大切なお子さんをも不幸にします。

第4に、子どもも罪人です。

 「生れながら御怒りを受けるべき子らで・・・」(エペソ2:3)。
 子どもは無垢である、とよく言われますが、罪がないという意味であれば間違っています。
 人は生れながらに罪を持っています。しかも子どもは、非常に正直に罪を表現します。
 罪とは何でしょうか。自分勝手です。アダムとエバは、今までの神さまへの恩義や感謝を忘れて、去って行きました。
 自分の気持ちに実に正直でした。この気持ちはと問えば、これが自分勝手です。聖書によれば「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)。
 したがって、あなたのお子さんには救いが必要です。放っておいたら、自分の罪のために地獄に行かなければなりません。
 お母さんくらい、子どもの救いにとつて有利な立場はありません。子どもはお母さんを、絶対的に信頼しています。
 十字架と復活の福音を語って下さい。子どもでも罪は分かります。したがって救われます。
 そしていっしょに喜んで下さい。

第5に、子どもは家庭で育つものです。

 子どもを、養鶏場や養豚場の中で育てるようには育てられません。自立するまでは、親の丁寧な、つまり手作りの保護を受けなければなりません。
 お父さんからは神さまの権威を学び、お母さんからは神さまの優しさを学びます。
 子どもにも試練はあります。お母さんはご自分の体験を話して、助けてあげることができます。
 子どもは、できることなら2人以上がいいでしょう。
 社会とそのルール、思いやり、愛など、そして社会や神さまのために生きるなど、社会性を身に付けることができます。
 お母さん、あなたの理想を話して聞かせてあげて下さい。きっと目を輝かせて聞き入り、お母さんを尊敬するでしょう。
 家庭こそ、教会と並んで最高の学校です。家族のすばらしさを学ぶと、今度は神さまの家族、つまり教会の建設のためにもよく働くようになります。
 お父さんを尊敬することも、教えてあげて下さい。お母さんや人々に優しくすることを、教えて下さい。
 もしかすると、あなたの家庭は4人以上という条件に欠けているかも知れません。しかし失望することはありません。
 神さまがあなたを信頼して、子どもをひとり預けて下さったんです。この事実は大変重いものです。
 足りない部分は、必ずカバーされます。これを信じる者、信仰を持っている者には、いつも希望があります。

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