1 人間関係病


 人は空間、時間だけでなく、人間(ジンカン=人と人との間)で生きていると言われますが、まさにそうですね。しかし煩わしさもあります。常に悩み続けるものであるならば、これはもう病気と言えるでしょう。名づけて人間関係病。今回はこれをテーマにご一緒に考えましょう。
まず新約聖書・ ヨハネの福音書9章1節から7節まで お読みください。
人間関係病から脱出するには・・・

現在の人間関係を与えられた環境として受け入れる

 さっそく難しいことを言われてしまったとお考えでしょうか。あなたはどうしてこのような困難な状況になってしまったかをお考えですね。だれのせいでしょう。
 2節でイエスさまの弟子たちをは犯人捜しをしているようです。イエスさまのお答えはどうだったでしょう?3節をご覧ください。私たちの生きている世界には、ただ一人の神さまがおられて、善意からあなたのために何かしたいとお考えです。良いものはすべてこの方から生まれてきます。したがって今の人間関係も神さまの御手の中にあり、何かのご計画のもとで存在しています。神さまはあなたのために何かすばらしいことをしてくださるのです。信じますか?
 でも神さまは本当に善意のお方でしょうか?その証拠があるでしょうか?十字架の事件をご存じでしょう。神さまの一人子イエスさまはあなたの罪を背負い、あなたの身代わりに死なれました。これがその証拠です。神さまはあなたを愛しておられ、それゆえあなたは、今訓練を受けています。どうぞヘブルへの手紙12章5節から11節までお読みください。

どんなことも肯定的に考える

 肯定的とは「決して悪い結果にはならない」と信じることです。この「信じる」は人間ならだれにでも備わっている能力です。
 たとえば、あなたは大宮駅までおでかけになるとして、バスの表示「大宮駅行」を信じますか?もちろん信じますね。信じなければバスにも乗れず、当然大宮駅にも着けないのですから。イエスさまは娘を患っている会堂管理者にこう言われました。

 「恐れないで、ただ信じなさい。そうすれば娘は直ります。」(ルカの福音書8:50)。

 なんと娘は直りました。もし否定的に、「もうダメだ!」と考えたら?もう本当にダメなのです。あなたはあなたの未来を自分で決めることができます。そして人間関係も。もしあなたが相手を悪く思っていたら、相手もあなたに対して同じように思うようになります。人間関係は必ず良くなる、と考えましょう。もちろん悪化を予想させる材料はたくさん揃っていることでしょう。それでも肯定的に考えてください。
 イエスさまは三年半手塩にかけて育てた弟子たちに裏切られてしまいました。十字架の上で「私はだれからも捨てられた」とお思いになりました。しかしこのような何の希望も持てなかったときに「信じました」。そして父なる神さまからたいそう祝福されたのです。彼は「信じること(信仰)」の創始者とも、完成者とも呼ばれています(ヘブルへの手紙12:2)。どんなときにも肯定的に考えてください。

聖書から自分を励ましてくれるみことばをみつける

 ことばの持つ力はとても大きいものです。それまで良い関係だったのに、たった一言で変わってしまったということはないでしょうか?ことばは非常にデリケートで、親子、子と子、夫婦、親戚同士といろいろと使うことばには苦労します。しかし逆方向にも力になります。聖書は神さまのことばです。そう信じて読むと不思議に力が湧いてきます。たとえばマタイの福音書11章28節などいかがでしょうか?
 またイエスさまをあなたが心の中に受け入れますと、そのイエスさまが、他の人にあなたが言うべき適切なことばを教えて下さる、ということもあります。その場合はたとえその発言でその人が怒ったとしてもあなたには何の責任もありません。すべては神さまがうまくまとめてくださいます。何と不思議、かつありがたいことでしょう。

その人をありのまま受け入れる

 あなたは相手の人を憎く思い、人間としては不良品だと思いますか?こんな人、地球上にいなければいい、何の存在の意味もないと思いますか?この世界においてだれがこの種類のことで権威があるでしょう。また何を基準にして判定できるでしょう。同じ人間が裁くことはできないに違いありません。結局はそれぞれの人をそれぞれの基準において受け入れるしかありません。その人の個性においてです。ちょうど中華料理は一つでも、各店味付けが違うようなものです。人をありのまま受け入れるためには、先ず私たちは自分をありのまま受け入れなければなりません。なぜなら自分自身を受け入れることのできない人が、つまり自分を裁いている人が人を裁くからです。自分へのイライラが人を裁く原動力となります。あなたはこの世界を造られ、またあなたを造られた神さまに愛されていることを知らなければなりません。あなたの個性は神さまの立派な作品です。エペソ人への手紙2章10節をご覧ください。そして「これが、自慢の私です!」と言ってみてください。そう言えたら人を受け入れることができます。

その人の罪を赦す

 もしあなたがどんなに傷つけられていても、赦してください。そうでないと、あなたには決して平安がなく、自分の将来にも希望が持てないでしょう。赦さないことは罪だからです。あなたの良心はそれをよく知っています。人はだれでも罪を犯すものです。そしてあなたもです。ローマ人への手紙3章9節をお読みください。私たちは自分でも気付かないで非常に多くの罪を犯して生きています。しかしイエスさまはその罪をすべて無条件で赦してくださいます。神さまに自分の罪を赦していただき、その人の罪を赦してあげてください。寛容な人の心は美しく、穏やかで、だれからも好かれます。どうかその人の罪を赦してください。そのとき、神さまはあなたの味方です。あなたが今人間関係で悩んでいらっしゃるのは、今神さまのわざがあなたに起きるためです。

神さまの豊かな祝福があなたの上にありますように。


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